∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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●本ブログの趣旨と説明

【point】本ブログは、時代を区切らず総合的に「水野姓を名乗る人物の足跡を追う研究」を行っています。この外「水野氏」と関連した氏族など水野氏と何らかの関わりがあれば、本研究の対象としています。【comment】みな様からご意見・ご指摘・ご感想などのコメントを頂けると幸いです。なお「コメントを受け取らないよう設定された記事」へのコメントは「掲示板」にお願い致します。【access】サイドバーのアクセス状況「トータル閲覧数・訪問者数」については、「gooブログ アドバンス」が新設されてからの数値累計を入力したものであり、本ブログ開設時から63日間のアクセス数は含まれません。【since】2005-03-14(Blog), 1988-11-14(Network activity)

●ご質問・お問い合わせのコメントについて

 ご質問やお問い合わせのコメントをいただいた場合、その時点で管理者が解る範囲でお応えしておりますが、その後かなり日数を経て、それに関する史料の所在が判ったり、またブロガーのみなさんからご教示いただき、その内容が判明する事が多々ありました。その場合ご質問者のご連絡先が判っておりますと直ぐにご報告できるのですが、過去には連絡不可能で残念ながら折角判明した内容をお伝えすることが出来無いケースもありました。こういったことを回避する為、「ご質問・お問い合わせのコメント」については、本ブログの「コメント欄」ではなく、本ブログ用「掲示板」にメールアドレスを記載し(非公開)投稿されることをお勧めいたします。尚、「コメント欄」には、ご住所、電話番号、メールアドレスなどの個人情報は書き込まれないようお願いいたします。管理者へのメールは、サイドバー・ブックマークの「 [\/] ∞ヘロンへメール」からご送信下さい。

E-1>「金切裂指物使番」にみえる「水野久右衛門尉」2/2

2009-10-24 16:22:29 | E-1 >系統不確定水野氏
●「金切裂指物使番」にみえる「水野久右衛門尉」2/2 ★水野久右衛門尉 ≪考証≫ 1.水野久右衛門尉に関する史料  『戦国人名辞典』増訂版 高柳光壽・松平年一著 吉川弘文館 には、「水野久右衛門(みずのきゅうえもん) 秀吉に仕え金切裂指物使番(武家事紀)。」と、短いながらも項目が設けられているが、生没年は未詳。『戦国人名事典』阿部猛・西村圭子編 新人物往来社では、「みずのきゅうえもん(のじょう) . . . 本文を読む

E-1>「金切裂指物使番」にみえる「水野久右衛門尉」1/2

2009-10-24 16:20:50 | E-1 >系統不確定水野氏
★「金切裂指物使番(きんの きりさき さしもの つかいばん)」  「使番」とは、戦国時代、戦場において伝令や監察、敵軍への使者などを務めた役職であり、「指物(旗指物)」は、 武士が戦場で目印のため、鎧(よろい)の背などにさしたり、従者に持たせたりした小旗や飾り物、背旗のことで、使番 の指物は「金色の切り裂き」、つまり、縁(へり)を適当に切り裂いて、なびきやすくしたものである。 . . . 本文を読む

B-1>願故院 阿弥陀寺の半鐘

2009-10-09 03:42:45 | B-1 >水野太郎左衛門系
●願故院 阿弥陀寺 愛知県日進市浅田町大島57 Visit :2009-10-06 15:30 [由緒] 浄土宗鎮西派 本尊阿弥陀如来 ・安永七年(1778)、浅田の浅田源四郎正利(道源)が、傍爾本村(ほうじもとむら、現愛知県愛知郡東郷町)から、薬師堂を譲り受け開基。※ ・天明二年(1782)九月十四日、浅田源四郎正利歿(浅井家所蔵系圖)。 ・天明六年 . . . 本文を読む

T-1>特別展「江戸時代のにっしん」

2009-10-06 17:03:32 | T-1>通知
●特別展「江戸時代のにっしん」 日時:2009年9月5日(土)~10月18日(日) 場所:岩崎城歴史記念館 2F 小会議室    愛知県日進市岩崎町市場67番地  江戸時代の日進市は農村地帯であり、尾張藩の支配下にあり、日進地域にあった大半の村々は、「水野代官所」の管轄で統括されていた。  今般、江戸時代に書かれた「日進市内に現存する最古の文書」など、日進各地域に残る文書資料を中心に紹介してい . . . 本文を読む

E-1>水野左内源為長

2009-10-04 12:23:12 | E-1 >系統不確定水野氏
●水野左内源為長  号梅里、また苟且堂  ――『宇下人言・修行録』松平定信/著 松平定光/校訂 岩波文庫  本文および「[註]【宇下人言】28頁」から引用、ほか『三百藩家臣人名事典』などを参照し編集した。『宇下人言(うげのひとこと(*1))・修行録』は、定信(号 楽翁)の自叙伝であり、子孫に対し後世再び老中の職に就く者のために、彼の老中在職中に実施した庶政の記録を遺してその参考とし、また指針ともな . . . 本文を読む