∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

     本ブログの記事、画像等の無断複製および転載を禁じます。

●本ブログの趣旨と説明

【point】本ブログは、時代を区切らず総合的に「水野姓を名乗る人物の足跡を追う研究」を行っています。この外「水野氏」と関連した氏族など水野氏と何らかの関わりがあれば、本研究の対象としています。【comment】みな様からご意見・ご指摘・ご感想などのコメントを頂けると幸いです。なお「コメントを受け取らないよう設定された記事」へのコメントは「掲示板」にお願い致します。【access】サイドバーのアクセス状況「トータル閲覧数・訪問者数」については、「gooブログ アドバンス」が新設されてからの数値累計を入力したものであり、本ブログ開設時から63日間のアクセス数は含まれません。【since】2005-03-14(Blog), 1988-11-14(Network activity)

●ご質問・お問い合わせのコメントについて

 ご質問やお問い合わせのコメントをいただいた場合、その時点で管理者が解る範囲でお応えしておりますが、その後かなり日数を経て、それに関する史料の所在が判ったり、またブロガーのみなさんからご教示いただき、その内容が判明する事が多々ありました。その場合ご質問者のご連絡先が判っておりますと直ぐにご報告できるのですが、過去には連絡不可能で残念ながら折角判明した内容をお伝えすることが出来無いケースもありました。こういったことを回避する為、「ご質問・お問い合わせのコメント」については、本ブログの「コメント欄」ではなく、本ブログ用「掲示板」にメールアドレスを記載し(非公開)投稿されることをお勧めいたします。尚、「コメント欄」には、ご住所、電話番号、メールアドレスなどの個人情報は書き込まれないようお願いいたします。管理者へのメールは、サイドバー・ブックマークの「 [\/] ∞ヘロンへメール」からご送信下さい。

B-1>「鍋屋町清洲越400年記念講演会」のお知らせ

2011-08-23 02:07:13 | B-1 >水野太郎左衛門系
 今般、本ブログ管理者が所属する、水野氏史研究会において「第1回 水野氏史研究会主催講演会」を開催する運びとなりましたので、ご案内をさせていただきます。  本講演会開催につきましては、先般、岐阜県の各務原歴史研究会様から、水野氏史研究会にご依頼があり、水野氏史研究会の初出講を7月16日に行ったことに起因しており、その直後、当日不都合でご参加いただけなかった諸氏より、同じ内容の講演会を名古屋において . . . 本文を読む

B-1>「各務原歴史研究会 講演会」へ出講します

2011-06-14 18:56:10 | B-1 >水野太郎左衛門系
 今般、各務原歴史研究会様から、本ブログ管理者が所属する、水野氏史研究会にご依頼があり、下記のように出講することになりましたのでご案内いたします。水野氏史研究会として出講するのは、今回が初めてとなりますので、ご都合のつく方は、ご参加下さいますようお願いいたします。  題目の「水野太郎左衛門」につきましては、織田信長から許可を得て、尾張一国の鉄器・青銅器等を一手に扱う鋳物師頭となり、その後も領主が替 . . . 本文を読む

B-1>秋葉山明王寺の鰐口

2011-04-22 17:03:06 | B-1 >水野太郎左衛門系
A.秋葉山明王寺(舞木町明王堂=まいぎちょう みょうおうどう)  愛知県豊田市舞木町丸根164 Visit :2011‎-04-‎20‎‏‎ 12:01  本寺は通称、明王堂と呼ばれ無住であり、弘法大師縁日以外の日は開扉されていない。 宗派:曹洞宗 本尊:釈迦牟尼如来 その他由緒などについては未詳。 B.豊田市郷土資料館   . . . 本文を読む

B-1>「尾陽町尋記」にみえる水野太郎左衛門

2010-05-30 08:49:26 | B-1 >水野太郎左衛門系
名古屋大学附属図書館2010年春季特別展(地域貢献特別支援事業成果報告) 「尾張の古都 清州と濃尾地域――名古屋開府400年記念」 会期:2010年5月17日(月)~6月11日(金)(日曜は閉室)9:30-17:00 会場:名古屋大学中央図書館 4階展示室 主催:名古屋大学附属図書館・附属図書運研究開発室 後援: 愛知県、岐阜県、三重県、名古屋市の各教育委員会 ポスター (update 201 . . . 本文を読む

B-1 >真宗大谷派 名古屋別院の梵鐘

2010-05-26 06:07:01 | B-1 >水野太郎左衛門系
●真宗大谷派 名古屋別院       愛知県名古屋市中区橘2丁目8-55 ●『新修名古屋市史』資料編「近世2」 口絵 図番28 東本願寺名古屋御坊梵鐘と銘文(真宗大谷派名古屋別院蔵) ◆東別院鐘楼の梵鐘 総高177.5cm 、口径108.0cm 梵鐘の池の間・第四区に刻まれている銘文部分 「大谷本願寺末刹   尾陽名護屋荘名護屋村」 「元禄五壬申歳」 「五月二十八日」 「冶工名護屋住 . . . 本文を読む

B-1>『新修名古屋市史』資料編「近世2」刊行のお知らせ

2010-05-22 12:50:41 | B-1 >水野太郎左衛門系
 今般、『新修名古屋市史』資料編「近世2」が刊行されました。 本編「第三章 発展する商工業 第五節 水野太郎左衛門家」には、「水野太郎左衛門家」の、未発表文書が十三点公開されています。この目録は目次の中に特記しました。第三章では、近世前期において名古屋で活躍し、現在資料がまとまって残存しているにも拘わらず紹介される機会が少なかった商家と職人の資料を取り上げており、その一環として水野太郎左衛門家も今 . . . 本文を読む

B-1>願故院 阿弥陀寺の半鐘

2009-10-09 03:42:45 | B-1 >水野太郎左衛門系
●願故院 阿弥陀寺 愛知県日進市浅田町大島57 Visit :2009-10-06 15:30 [由緒] 浄土宗鎮西派 本尊阿弥陀如来 ・安永七年(1778)、浅田の浅田源四郎正利(道源)が、傍爾本村(ほうじもとむら、現愛知県愛知郡東郷町)から、薬師堂を譲り受け開基。※ ・天明二年(1782)九月十四日、浅田源四郎正利歿(浅井家所蔵系圖)。 ・天明六年 . . . 本文を読む

B-1 >水野太郎左衛門家の家紋と菩提寺の変遷

2007-08-22 16:34:33 | B-1 >水野太郎左衛門系
水野太郎左衛門家の家紋は、既投稿「慧岳山寶泉院」に記したように「梅鉢紋」であるが、この度、、『名古屋商人史――中部経済圏成立への序曲――』林董一著 発行中部経済新聞社 に掲載された水野太郎左衛門家系譜から、従前は水野家が一般的に用いている「沢瀉紋」であったことが判明した。また菩提寺についても、初代から慧岳山寶泉院が菩提寺であることは知られているが、それ以前は初代水野太郎左衛門が居住していた鍋屋上野村の永弘院であったことも新たに判明した。 . . . 本文を読む

B-1 >霊鷲山 長母寺 [追補版]

2007-06-30 15:10:54 | B-1 >水野太郎左衛門系
治承3年(1179)建立で、800余年の歴史を持つ古刹である。弘長2年(1262)無住国師が来往し、天台宗亀鏡山桃尾寺と称していたものを、臨済宗東福寺派に改めたとある。その後、住職であった無住国師は正応年間(1288~1293)に、仏教を説いて漫才を作り、弟子の徳若が節を付け『尾張萬歳』を始めたと言われる。 . . . 本文を読む

B-1 >慧岳山 寶泉院

2007-03-03 13:15:18 | B-1 >水野太郎左衛門系
水野太郎左衛門家菩提寺   曹洞宗慧岳山寶泉院 永禄元年(1558) 清洲に開山され、名古屋築城により大須に移る。 昭和16年(1941) 大須区画整理に伴い、瑞穂区岳見町4-41の現在地に移転。本堂、山門は清洲越し、また山門の塀は熱 田神宮に織田信長が桶狭間戦勝記念に寄進した信長塀と同型である。 . . . 本文を読む

B-1 >法性山 福壽禪寺

2006-11-05 15:47:34 | B-1 >水野太郎左衛門系
 正中二年(1325)以前の時代、禅の名僧である夢窓國師疎石が、慈徳庵と号し庵を結んで観心修行(*2)に励んだ所が、当寺のそもそもの始まりとするものである。   「しはらくも吾隠家の山櫻 花も浮世の風をのがれよ」   これは国師の自詠であるが、ここに詠まれている隠居所がこの慈徳庵である。 . . . 本文を読む