∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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●本ブログの趣旨と説明

【point】本ブログは、時代を区切らず総合的に「水野姓を名乗る人物の足跡を追う研究」を行っています。この外「水野氏」と関連した氏族など水野氏と何らかの関わりがあれば、本研究の対象としています。【comment】みな様からご意見・ご指摘・ご感想などのコメントを頂けると幸いです。なお「コメントを受け取らないよう設定された記事」へのコメントは「掲示板」にお願い致します。【access】サイドバーのアクセス状況「トータル閲覧数・訪問者数」については、「gooブログ アドバンス」が新設されてからの数値累計を入力したものであり、本ブログ開設時から63日間のアクセス数は含まれません。【since】2005-03-14(Blog), 1988-11-14(Network activity)

●ご質問・お問い合わせのコメントについて

 ご質問やお問い合わせのコメントをいただいた場合、その時点で管理者が解る範囲でお応えしておりますが、その後かなり日数を経て、それに関する史料の所在が判ったり、またブロガーのみなさんからご教示いただき、その内容が判明する事が多々ありました。その場合ご質問者のご連絡先が判っておりますと直ぐにご報告できるのですが、過去には連絡不可能で残念ながら折角判明した内容をお伝えすることが出来無いケースもありました。こういったことを回避する為、「ご質問・お問い合わせのコメント」については、本ブログの「コメント欄」ではなく、本ブログ用「掲示板」にメールアドレスを記載し(非公開)投稿されることをお勧めいたします。尚、「コメント欄」には、ご住所、電話番号、メールアドレスなどの個人情報は書き込まれないようお願いいたします。管理者へのメールは、サイドバー・ブックマークの「 [\/] ∞ヘロンへメール」からご送信下さい。

R-4>西澤梵鐘鋳造所

2005-12-20 17:19:44 | R-4>水野氏諸他参考資料
これまでに、水野太郎左衛門家、水野平蔵家等の梵鐘・喚鐘などの採訪をしてきたが、現在では両家共に鋳物師職を行っておらず、したがって鋳造も為されていないことから、今般、その製法を知るために、滋賀県の由緒ある鋳物師をお訪ねし、ようやく念願の鋳造所を見学させていただくことができた。 . . . 本文を読む

C-6 >萬年山 總心寺

2005-12-17 14:43:12 | C-6 >常滑水野
当山の由来に拠れば、元和二年(1616)に開創されたと伝えられ曹洞宗萬年山總心寺と称し、当初は現在の常滑市瀬木町四丁目(常滑東小学校辺り)に在ったと云われるが、近世(年代不詳)になって、当地社辺(こそべ)に移築され、その後当山十六世雪禅代に現在の堂宇が中興された。 . . . 本文を読む

C-6 >妙智院

2005-12-01 03:33:46 | C-6 >常滑水野
 天正十二年(1584)五月二十九日、本能寺で織田信長が明智光秀に討たれたことに伴い、常滑城主水野監物守隆は、何日も重臣達と評定を重ねた結果、信長からの数々の酷い仕打ちに対する宿執により、ついに光秀方に就く決断を下し出兵はしたが、安土に向かう途中、光秀が秀吉に討たれたことで、虚しくも当城の命運は尽きた。 . . . 本文を読む