∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

     本ブログの記事、画像等の無断複製および転載を禁じます。

●本ブログの趣旨と説明

【point】本ブログは、時代を区切らず総合的に「水野姓を名乗る人物の足跡を追う研究」を行っています。この外「水野氏」と関連した氏族など水野氏と何らかの関わりがあれば、本研究の対象としています。【comment】みな様からご意見・ご指摘・ご感想などのコメントを頂けると幸いです。なお「コメントを受け取らないよう設定された記事」へのコメントは「掲示板」にお願い致します。【access】サイドバーのアクセス状況「トータル閲覧数・訪問者数」については、「gooブログ アドバンス」が新設されてからの数値累計を入力したものであり、本ブログ開設時から63日間のアクセス数は含まれません。【since】2005-03-14(Blog), 1988-11-14(Network activity)

●ご質問・お問い合わせのコメントについて

 ご質問やお問い合わせのコメントをいただいた場合、その時点で管理者が解る範囲でお応えしておりますが、その後かなり日数を経て、それに関する史料の所在が判ったり、またブロガーのみなさんからご教示いただき、その内容が判明する事が多々ありました。その場合ご質問者のご連絡先が判っておりますと直ぐにご報告できるのですが、過去には連絡不可能で残念ながら折角判明した内容をお伝えすることが出来無いケースもありました。こういったことを回避する為、「ご質問・お問い合わせのコメント」については、本ブログの「コメント欄」ではなく、本ブログ用「掲示板」にメールアドレスを記載し(非公開)投稿されることをお勧めいたします。尚、「コメント欄」には、ご住所、電話番号、メールアドレスなどの個人情報は書き込まれないようお願いいたします。管理者へのメールは、サイドバー・ブックマークの「 [\/] ∞ヘロンへメール」からご送信下さい。

A-5>「清須返し 時代絵巻」パレード見物左衛門

2010-10-10 17:28:38 | A-5>景清系水野氏
●「清須返し 時代絵巻」パレード見物左衛門  愛知県清須市西枇杷島町北枇杷池15番地1 Visit :2010-10-10 12:00 主  催:清須越四百年事業実行委員会 日  時:平成22年10月10日(日) 午後1時~        ※雨天により、予定時刻より2時間遅延した。 行列区間:みずとぴぁ庄内 ~ 清洲公園駐車場までの美濃路一帯(最長約6キロ)武者行 . . . 本文を読む

A-5>Event「清須返し 時代絵巻」水野千之右衛門翁

2010-09-28 09:49:48 | A-5>景清系水野氏
Event「清須返し 時代絵巻」 主  催:清須越四百年事業実行委員会日  時:平成22年10月10日(日) 午前10時~午後4時(予定)         ※荒天の場合など、気象状況により11日(祝)に順延する場合があります。 お知らせ 10月10日(日曜日)に行われます清須越四百年事業 清須返し時代絵巻の「時代行列」の開始時間が、気象状況によ . . . 本文を読む

A-5>新居城址(旭城)

2005-11-20 11:26:08 | A-5>景清系水野氏
康安元年(1361)、水野又太郎良春は、始め退養寺西方二百メートル、通称御殿と呼ばれる丘上に居館を構えたが、のち長池下に要害を見立て新城を構えたというが、おそらく築城は雅楽頭宗國のときであろうとされている。宗國のとき、隣邑、大森(名古屋市守山区大森)の城主尾関某が、一門を率い大挙して新居城に押し寄せた。宗國はこれを八瀬之木(尾張旭市西大道町)に迎撃して大いに破り、翌日はさらに進んで敵地大森城を攻め、城を焼いて尾関氏を滅し、その後山田庄の内二十五か村を領地とした。この合戦話は当時詠まれたという落首(詩歌形式の落書(らくしよ)。風刺・嘲笑・批判の意をこめた匿名の歌)とともに今も昔語りとして伝えられている。 . . . 本文を読む

A-5>新居館と多度神社

2005-11-19 14:42:01 | A-5>景清系水野氏
§新居館  康安元年(1361)、水野又太郎良春が、志談村(名古屋市守山区上~下志段味)から新居に移り、山林を切開いて建築した居館(現新居町西浦)である。この新居(あらい・荒居)という地名は中世に多く、新開地を意味する。館は、現在の洞光院裏山の墓地から多度神社参道の東側付近にかけての丘陵地にあった。居館の裏山に自らの氏神として多度神社を勧請した。新居に天道社が勧請されたので天道と呼ばれた。その後、尾張徳川家初代藩主・徳川義直が狩りをする際、行殿(仮殿)が置かれたので御殿と称せられるようになる。 . . . 本文を読む