∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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●本ブログの趣旨と説明

【point】本ブログは、時代を区切らず総合的に「水野姓を名乗る人物の足跡を追う研究」を行っています。この外「水野氏」と関連した氏族など水野氏と何らかの関わりがあれば、本研究の対象としています。【comment】みな様からご意見・ご指摘・ご感想などのコメントを頂けると幸いです。なお「コメントを受け取らないよう設定された記事」へのコメントは「掲示板」にお願い致します。【access】サイドバーのアクセス状況「トータル閲覧数・訪問者数」については、「gooブログ アドバンス」が新設されてからの数値累計を入力したものであり、本ブログ開設時から63日間のアクセス数は含まれません。【since】2005-03-14(Blog), 1988-11-14(Network activity)

●ご質問・お問い合わせのコメントについて

 ご質問やお問い合わせのコメントをいただいた場合、その時点で管理者が解る範囲でお応えしておりますが、その後かなり日数を経て、それに関する史料の所在が判ったり、またブロガーのみなさんからご教示いただき、その内容が判明する事が多々ありました。その場合ご質問者のご連絡先が判っておりますと直ぐにご報告できるのですが、過去には連絡不可能で残念ながら折角判明した内容をお伝えすることが出来無いケースもありました。こういったことを回避する為、「ご質問・お問い合わせのコメント」については、本ブログの「コメント欄」ではなく、本ブログ用「掲示板」にメールアドレスを記載し(非公開)投稿されることをお勧めいたします。尚、「コメント欄」には、ご住所、電話番号、メールアドレスなどの個人情報は書き込まれないようお願いいたします。管理者へのメールは、サイドバー・ブックマークの「 [\/] ∞ヘロンへメール」からご送信下さい。

C-8>水野筑後守忠徳 No.1

2008-03-29 19:13:21 | C-8 >新宮水野
1.生立ち  清和源氏満快流の諏訪家は、平右衛門正家を租とし、長男正良の嫡男正利(廩米二百五十俵)の時、宗家を叔父庄兵衛正孝に譲り新たに別家を興し、諏訪庄右衛門を名乗る。正利の曾孫庄右衛門頼篤は、天明八年(1788)父頼孝の死去に伴い二十二歳で家督を相続。 . . . 本文を読む

R-4>水野筑後守忠徳 参考資料1/2

2008-03-29 18:58:44 | R-4>水野氏諸他参考資料
【主な参考文献】(順不同) 東京大學史料編纂所『水野忠徳事蹟』(東京大學史料編纂所所蔵データベース)  東京大學史料編纂所『大日本古文書幕末外国関係文書附録之一、二、三、四』  石井良助『編年江戸武鑑・文化武鑑4』  福地源一郎『幕末政治家』  福地源一郎『懐往事談』―― 「水野忠徳の朝廷批判」  尾佐竹猛『幕末遣外使節物語』  綱淵謙錠『幕臣列伝』  綱淵謙錠『幕末に生きる』 . . . 本文を読む

R-2>水野筑後守忠徳の経歴

2008-03-26 16:48:04 | R-2>水野氏年表・年代表
●水野筑後守忠徳の経歴  文化十二年(1815)四月九日、旗本新番諏訪庄右衛門頼篤(廩米二百五十俵)の二男とし      て、江戸愛宕下の邸において生誕。通称は甲子二郎、初名は忠篤。  文政五年(1822)十月十三日、八歳で旗本水野彌三郎忠長(高三百表)の養嗣子(*1)となる。  天保七年(1836)九月廿日、部屋住(*2)で小性組番(*3)を拝命。二十二歳で初出仕。  天保九年(1838)、学問 . . . 本文を読む

C-6 >永明院(ようめいいん)

2008-03-24 17:49:06 | C-6 >常滑水野
「常滑三代城主 水野監物の墓 大岳周崇を開基に四代守信が創建」 三代常滑城主水野監物守隆の子については、正室於万との間の嫡男新七が、天正十二年(1584)小牧の役において十五歳で戦死したことから、中山家(*1)から彦三郎を養子に採ったが、側室で京の公家北小路公頼の娘菊との間にもうけた新七郎が、ただ一人残った監物の子であった。この公頼と菊の下で育てられた新七郎が、後に家康に召し出されて御使番となり、長崎、大坂町奉行をへて、さらに堺奉行を兼ねた後、大目付となった水野河内守守信である。 . . . 本文を読む

C-4 >沼津藩の黒船対処

2008-03-11 13:01:59 | C-4 >松本沼津水野
『大日本古文書』東京大學史料編纂所 には、アメリカ合衆国海軍・東インド艦隊(マシュー・ペリー提督)が、江戸湾浦賀に来航した嘉永六年(1853)六月三日の二カ月後、ペリーから突き付けられた米大統領からの国書に対応すべく、沼津藩主水野出羽守忠良(ただよし)から幕府に宛てた意見書が掲載されている。 . . . 本文を読む

T-1>【謹告】「水野氏史研究会」の設立と「会員募集」のご案内

2008-03-09 10:52:30 | T-1>通知
当ブログ3周年を契機に、これまで進めてきた「総合水野氏史研究」を、小生一個人の研究に留めることなく、「水野氏史研究」に関心を持たれている、全国の多くの方々が集い、その研究成果発表、および意見交換を行える場として、web上(当初はブログ形式)に「水野氏史研究会」を新設する事に致しました。 . . . 本文を読む