∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

     本ブログの記事、画像等の無断複製および転載を禁じます。

●本ブログの趣旨と説明

【point】本ブログは、時代を区切らず総合的に「水野姓を名乗る人物の足跡を追う研究」を行っています。この外「水野氏」と関連した氏族など水野氏と何らかの関わりがあれば、本研究の対象としています。【comment】みな様からご意見・ご指摘・ご感想などのコメントを頂けると幸いです。なお「コメントを受け取らないよう設定された記事」へのコメントは「掲示板」にお願い致します。【access】サイドバーのアクセス状況「トータル閲覧数・訪問者数」については、「gooブログ アドバンス」が新設されてからの数値累計を入力したものであり、本ブログ開設時から63日間のアクセス数は含まれません。【since】2005-03-14(Blog), 1988-11-14(Network activity)

●ご質問・お問い合わせのコメントについて

 ご質問やお問い合わせのコメントをいただいた場合、その時点で管理者が解る範囲でお応えしておりますが、その後かなり日数を経て、それに関する史料の所在が判ったり、またブロガーのみなさんからご教示いただき、その内容が判明する事が多々ありました。その場合ご質問者のご連絡先が判っておりますと直ぐにご報告できるのですが、過去には連絡不可能で残念ながら折角判明した内容をお伝えすることが出来無いケースもありました。こういったことを回避する為、「ご質問・お問い合わせのコメント」については、本ブログの「コメント欄」ではなく、本ブログ用「掲示板」にメールアドレスを記載し(非公開)投稿されることをお勧めいたします。尚、「コメント欄」には、ご住所、電話番号、メールアドレスなどの個人情報は書き込まれないようお願いいたします。管理者へのメールは、サイドバー・ブックマークの「 [\/] ∞ヘロンへメール」からご送信下さい。

B-2 >大龍山 洞雲寺

2006-11-10 11:52:54 | B-2 >水野平蔵系
嘉吉三年(1443)、将軍足利義勝から寄進を受けた地に、十二年後の康正元年(1455)、却菴寂永により開基された。文明十八年(1486)以降は、本寺開元院(*1)から交互に住持が派遣されていた。慶長九年(1604)、開元院十世佛室梵的和尚が中興開山となり永風(*2)を唱え殿宇を再建し、大龍峯窟を全備した後、西尾丹後守が知行所を当寺に移して以来現在に至っている。 . . . 本文を読む

B-1 >法性山 福壽禪寺

2006-11-05 15:47:34 | B-1 >水野太郎左衛門系
 正中二年(1325)以前の時代、禅の名僧である夢窓國師疎石が、慈徳庵と号し庵を結んで観心修行(*2)に励んだ所が、当寺のそもそもの始まりとするものである。   「しはらくも吾隠家の山櫻 花も浮世の風をのがれよ」   これは国師の自詠であるが、ここに詠まれている隠居所がこの慈徳庵である。 . . . 本文を読む

B-2 >報恩山 禅躰寺

2006-11-03 12:34:54 | B-2 >水野平蔵系
 法明寺(櫻堂薬師)系下の天台宗寺院として草創し継承すると伝えられてはいるが、開山の年代など寺歴の詳細は詳らかではない。  当山には、室町幕府初代美濃守護であった土岐頼貞(定林寺殿*1)の位牌などが伝えられており、このことから土岐氏に何らかの縁のある寺ではないかと考えられている。 . . . 本文を読む