∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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C-2 >奥田城跡

2006-06-21 14:45:30 | C-2 >福山結城水野
 奥田城は、北奥田にあって、水野日向守の居城といわれている。また一説には、佐治氏の城ともあり、その妻は小河水野の娘と考えられる。 奥田山王の棟札(*1)を見た人が言うには、水野蔵人貞守、水野牛息丸(後に忠政)、その他身分や地位などの高いお歴々の名が書かれていたが、正確なことは忘れた。その棟札について尋ねたが、当神社の禰宜(*2)が隠したか、または以前から失っているとも云われ、今は見あたらない。 . . . 本文を読む

C-2 >結城城

2005-07-13 12:16:19 | C-2 >福山結城水野
結城城は、治承年間(1177-1180)に結城朝光が築いたとされるが確証はなく、むしろ南北朝動乱期に築城されたと見られている。 その後、結城家は室町時代に関東八家の一に列して、勢力をふるい、戦国時代には宇都宮・佐竹氏らと伍して生き残り、天正十九年(1591)徳川家康の二男で豊臣秀吉の養子であった秀康を十七代春朝の養子にもらい受け、慶長六年(1601)越前福井への国替えまで関東の雄として栄えた。その後、城は取り壊され、百年を経て水野氏が藩主となる。 . . . 本文を読む