難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

訃報:丸山一郎さんと白木力さん☆えにし☆

2008年03月03日 20時27分59秒 | 福祉サービス
080226_1518~001.jpgゆき@志の縁結び係&小間使いさんからのお知らせ


丸山一郎先生が逝去されたとの知らせがあった。
大きな足跡を残された方だった。

フランクボウ氏との交流は有名だ。
http://blogs.dion.ne.jp/rabit/archives/6587475.html

全国難聴者連絡協議会の時代に、厚生省(当時)に要約筆記の養成事業の開催を繰り返し陳情した。
実は、その時に応対されたのが丸山一郎専門官で、要約筆記筆記奉仕員事業を初めてメニュー事業に取りあげてくれた方である。

障害者の自立とは何か追う時に、彼の業績が険しい山行の道しるべになる。

心からご冥福を祈る。


ラビット 記
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「えにし」の会に参加してくださっていたお二人の悲しいお知らせです。

【白木力さん、1日夕刻に】
通称バリ研、バリアフリーデザイン研究会
http://www.barrier-free.jp/concept/index.html
を親友の丸山力さんたちと1992創設、バリアフリー思想を広めた
熊本の建築家、白木力さんが、肝臓ガンのため亡くなりました。
1994年を皮切りに、様々な職種の人に呼びかけてヨーロッパを訪ね、
ノンステップバス,ノンステップ路面電車の導入を提唱、
http://www.barrier-free.jp/old/european/index.html
http://www.barrier-free.jp/old/europe/tour.html
熊本で夢を実現しました。
また、街中の小さなお店や診療所を障害のある人たちと一緒に回って
バリアフリーデザイン賞を出すなど、
ユニークな活動を展開しました。
3月3日 19:00 お通夜  自然庵(じねんあん)  096-342-0983
3月4日 14:00 告別式  自然庵    熊本市黒髪二丁目37-32
「えにしを結ぶ会」の第1回で、堀田力さんと顔をあわせ、
「力が3人そろえば、サンニンリキ、じゃなくて、千人力」
と笑い会っていた姿が忘れられません。
まだ55歳でした。
【丸山一郎さん、2日夕刻に】
自立生活運動を1977年、日本に初めて紹介、
その後も、日本の障害施策のために力をつくしてこられた
丸山一郎さん(埼玉県立大学教授)がすい臓がんのため
亡くなりました。65歳でした。

丸山一郎さんのお仕事をご存じない方はえにしのHP
http://www.yuki-enishi.com/ の「物語・介護保険の部屋」
第3話「自立」VS「自立」
第32話元祖・寝たきり起こし、そして、再びGHQ
をごらんください。英語堪能な丸山さんだからこそ発見できた
知られざる歴史をお読みいただけます。
直接飛ぶには、
http://www.yuki-enishi.com/kaiho/kaiho-03.html
http://www.yuki-enishi.com/kaiho/kaiho-32.html

“究極の障害者自立支援法”、オーフス方式のうみの親
デンマークのエーバルト・クローさん
http://www.yuki-enishi.com/challenger-f/challenger-f05.html
を日本に招くことができたのも丸山さんのおかげでした。

文子夫人によると:
自宅で過ごしたいと望んで、2月12日に退院。
近所の診療所のお医者さんが1日おき、ナースが毎日訪ねてくれ
夫人と二人のお子さんに囲まれておだやかな日々、
夫人が蒸しタオルをつくりにほんの1-2分、そばをはなた間に
静かに息を引き取られました。

お通夜は5日(水)午後6-7時
告別式は6日(木)午前11時から
杉並区永福1-8-1 03-3323-0321
築地本願寺和田堀廟所で。
昨年12月13日の「えにしメール」でお知らせした
「病床からの訴え」は、「えにし」のHP
http://www.yuki-enishi.com/ の「医療福祉と財源の部屋」に
「日本の障害者雇用は50年も前のILO勧告と条約に違反。
社会保障削減のなかで、さらに危機的状況」というタイトルで
ご紹介してあります。

2月には、車いすに乗って最終講義で学生に語りかけ
「卒業式にもでたいなあ」とおっしゃっていたのですが、
かないませんでした。





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