去る11月21日(金)は先に報告した塙山小創立30周年記念式典が開催されましたが、式典のあとのアトラクションについて触れたいと思います。
1年生から6年生まできっとこの日にむけて一生懸命練習をしてきたのでしょう。どの学年もすばらしい発表でした。
1年生はつい数か月前の入学式の時とはまるで違い、すっかりお姉さん、お兄さんになっていました。教育ってすごいな~ヽ(^o^)丿
2年生は身体全体を使ってのボディパーカッション、リズム感もばっちりでした。
3年生は鍵盤ハーモニカとリコーダをしっかり使いこなし、歌も元気に発表できました。
4年生は運動会でも披露した「塙山ソーラン」息もぴったりでかっこよかったです。
6年生はさすが最高学年リコーダをはじめ楽器の扱いも堂に入ったものです。
どの学年もみんなぴかぴかに光っていましたが、なかでも5年生の詩の群読はすばらしかったです。思わず感動しちゃって“キラッ”ってしちゃいました。
あまりにもすばらしいのでその詩をご紹介しちゃいます。この詩は、昭和42年当時、中学2年生を担任していた蒔田晋次(まきた しんじ)先生がクラスの生徒たちに向けて書いた作品だそうです。学級新聞に載せたものが、その後いろいろなところで、取り上げられ、今も多くの学級で子どもたちと出会い、多くの大人たちに読まれているそうです。それではどうぞ・・・
教室は まちがうところだ
まきた しんじ
教室は まちがうところだ
みんな どしどし 手をあげて
まちがった意見を 言おうじゃないか
まちがった答えを 言おうじゃないか
まちがうことを おそれちゃいけない
まちがったものを ワラっちゃいけない
まちがった意見を まちがった答えを
ああじゃないか こうじゃないかと
みんなで出しあい 言い合うなかで
ほんとのものを 見つけていくのだ
そうしてみんなで 伸びていくのだ
いつも正しくまちがいのない
答えをしなくちゃならんと思って
そういうとこだと思っているから
まちがうことが こわくてこわくて
手もあげないで 小さくなって
黙りこくって 時間がすぎる
しかたがないから 先生だけが
勝手にしゃべって 生徒はうわのそら
それじゃあ ちっとも伸びてはいけない
神様でさえ まちがう世のなか
まして これから人間になろうと
している僕らが まちがったって
なにがおかしい あたりまえじやないか
うつむき うつむき
そうっとあげた手 はじめてあげた手
先生が さした
どきりと胸が 大きくなって
どきっどきっと 体が燃えて
立ったとたんに 忘れてしまった。
なんだかぼそぼそ しゃべったけれども
なにを言ったか ちんぷんかんぷん
私は ことりと座ってしまった
体が すうっと涼しくなって
ああ言やあよかった こう言やあよかった
あとでいいこと 浮かんでくるのに
それでいいのだ いくどもいくども
おんなじことを くりかえすうちに
それから だんだん どきりがやんで
言いたいことが 言えてくるのだ
はじめから うまいこと 言えるはずないんだ
はじめから 答えが当たるはずないんだ
なんどもなんども 言ってるうちに
まちがううちに
言いたいことの半分くらいは
どうやら こうやら 言えてくるのだ
そして たまには 答えも当たる
まちがいだらけの 僕らの教室
おそれちゃいけない ワラッちゃいけない
安心して 手をあげろ
安心して まちがえや
まちがったって ワラッたり
ばかにしたり おこったり
そんなものは おりゃあせん
まちがったって 誰かがよ
なおしてくれる 教えてくれる
困ったときには先生が
ない知恵しぼって 教えるで
そんな教室 つくろうやあ
おまえ へんだと 言われたって
あんた ちがうと 言われたって
そう思うだから しょうがない
だれか がかりにも ワラッたら
まちがうことが なぜわるい
まちがってること わかればよ
人が言おうが 言うまいが
おらあ 自分であらためる
わからなけりゃあ そのかわり
誰が言おうと こづこうと
おらあ 根性曲げねえだ
そんな教室 つくろうやあ
以上ですが、いかがですか。これを5年生が、ごっごねんせいが・・・(T_T)すばらしい、すばらしすぎる~
1年生から6年生まできっとこの日にむけて一生懸命練習をしてきたのでしょう。どの学年もすばらしい発表でした。
1年生はつい数か月前の入学式の時とはまるで違い、すっかりお姉さん、お兄さんになっていました。教育ってすごいな~ヽ(^o^)丿
2年生は身体全体を使ってのボディパーカッション、リズム感もばっちりでした。
3年生は鍵盤ハーモニカとリコーダをしっかり使いこなし、歌も元気に発表できました。
4年生は運動会でも披露した「塙山ソーラン」息もぴったりでかっこよかったです。
6年生はさすが最高学年リコーダをはじめ楽器の扱いも堂に入ったものです。
どの学年もみんなぴかぴかに光っていましたが、なかでも5年生の詩の群読はすばらしかったです。思わず感動しちゃって“キラッ”ってしちゃいました。
あまりにもすばらしいのでその詩をご紹介しちゃいます。この詩は、昭和42年当時、中学2年生を担任していた蒔田晋次(まきた しんじ)先生がクラスの生徒たちに向けて書いた作品だそうです。学級新聞に載せたものが、その後いろいろなところで、取り上げられ、今も多くの学級で子どもたちと出会い、多くの大人たちに読まれているそうです。それではどうぞ・・・
教室は まちがうところだ
まきた しんじ
教室は まちがうところだ
みんな どしどし 手をあげて
まちがった意見を 言おうじゃないか
まちがった答えを 言おうじゃないか
まちがうことを おそれちゃいけない
まちがったものを ワラっちゃいけない
まちがった意見を まちがった答えを
ああじゃないか こうじゃないかと
みんなで出しあい 言い合うなかで
ほんとのものを 見つけていくのだ
そうしてみんなで 伸びていくのだ
いつも正しくまちがいのない
答えをしなくちゃならんと思って
そういうとこだと思っているから
まちがうことが こわくてこわくて
手もあげないで 小さくなって
黙りこくって 時間がすぎる
しかたがないから 先生だけが
勝手にしゃべって 生徒はうわのそら
それじゃあ ちっとも伸びてはいけない
神様でさえ まちがう世のなか
まして これから人間になろうと
している僕らが まちがったって
なにがおかしい あたりまえじやないか
うつむき うつむき
そうっとあげた手 はじめてあげた手
先生が さした
どきりと胸が 大きくなって
どきっどきっと 体が燃えて
立ったとたんに 忘れてしまった。
なんだかぼそぼそ しゃべったけれども
なにを言ったか ちんぷんかんぷん
私は ことりと座ってしまった
体が すうっと涼しくなって
ああ言やあよかった こう言やあよかった
あとでいいこと 浮かんでくるのに
それでいいのだ いくどもいくども
おんなじことを くりかえすうちに
それから だんだん どきりがやんで
言いたいことが 言えてくるのだ
はじめから うまいこと 言えるはずないんだ
はじめから 答えが当たるはずないんだ
なんどもなんども 言ってるうちに
まちがううちに
言いたいことの半分くらいは
どうやら こうやら 言えてくるのだ
そして たまには 答えも当たる
まちがいだらけの 僕らの教室
おそれちゃいけない ワラッちゃいけない
安心して 手をあげろ
安心して まちがえや
まちがったって ワラッたり
ばかにしたり おこったり
そんなものは おりゃあせん
まちがったって 誰かがよ
なおしてくれる 教えてくれる
困ったときには先生が
ない知恵しぼって 教えるで
そんな教室 つくろうやあ
おまえ へんだと 言われたって
あんた ちがうと 言われたって
そう思うだから しょうがない
だれか がかりにも ワラッたら
まちがうことが なぜわるい
まちがってること わかればよ
人が言おうが 言うまいが
おらあ 自分であらためる
わからなけりゃあ そのかわり
誰が言おうと こづこうと
おらあ 根性曲げねえだ
そんな教室 つくろうやあ
以上ですが、いかがですか。これを5年生が、ごっごねんせいが・・・(T_T)すばらしい、すばらしすぎる~