HASSY局長のハサカル日誌

伊勢志摩バリアフリーツアーセンター事務局長HASSYが
日々のハサカル(気になる)出来事など記録していきます。

特定不妊治療費助成滑り込みぃ~

2010-03-31 22:35:40 | 不妊治療報告
こんなギリギリでゴメンナサイ。
特定不妊治療費の助成申請を三重県と伊勢市にしてきました。
書類をそろえないといけないので、結構大変。


今年度は、凍結してあった受精卵を使ったので、採卵がありませんでした。
ので、いつもの年よりも少な目の医療費。
といっても、30万ぐらいはあったかな?

いつもは、この倍ぐらいあります。

三重県の助成は上限15万円
伊勢市の助成は上限10万円

三重県の助成金額が決まり次第、伊勢市の助成金額が決まります。
このぶんだと上限はあまりそうですね。

三重県も伊勢市もこの助成を受けられるのはトータル5年。
うーん、すでに3回ぐらい受けているかな?
と、思うと、医療費が少ないときは、あえて申請しない方がいい?と考えてしまいます。

受精卵も使い果たして、平成22年は採卵からはじめることになります。
たぶん、今年の医療費はかかりそうだな~。

<覚書として>
三重県も伊勢市も書類が似ていたり、毎回、書類づくりどうやっやるんだっけ?と悩みますので、記録を…。


三重県の特定不妊治療費助成申請書
一年に2度申請できます。私は今年度2回胚移植したので滑り込みですが、申請書は2枚作ります。申請は治療が終わってから60日以内にしなくてはいけませんが、遅れた場合は、遅延理由書が必要。



特定不妊治療費助成事業受診等証明書
これらは、かかりつけの病院にて書いてもらうものです。私の場合は、春と秋の二回分の胚移植のときのもの申請します。両方とも10万ちょっとぐらいですね。採卵がないから、比較的少ないです。



伊勢市の不妊治療医療費助成金交付申請書
伊勢の場合は、年に一度の申請。そのかわり、胚移植するまでなど規定が三重県よりゆるい。一年間トータルして不妊治療にかかった費用を申請。



伊勢市不妊治療医療費助成金に係わる医療機関等証明書
上記にも書いたように、伊勢市の規定は少し広く、複数の病院や薬なども申請に入ります。県は指定病院でないと申請できません。薬代だって、結構しています(3万ぐらい)。各医療機関に証明書を書いてもらいます。



領収書
そして忘れてならないのが、領収書。証拠の品です。病院の領収書はもちろん、伊勢市だったら、薬局の領収書も必須です。原本を持っていけば、伊勢市は健康保健事務所にてコピーしてくれます。私はいつも自分でコピーしていきますが、今度からは原本持っていってコピーしてもらおうっと。コピー代もバカにならないからね。



所得証明書
夫婦の年収によっては、申請が出来ない場合ありますので、所得証明書(児童手当用所得証明書)を持っていかなくてはいけません。もちろん、二人分。



住民票
夫婦であることの照明するものも必要なので、二人が記載されている住民票も提出書類に必要です。

グラン・ジュテの反響?

2010-03-30 00:38:04 | お客さん履歴
先週一週間は、ほぼ、家で缶詰状態で仕事をしておりました。
本当はまだまだ缶詰にならなければなりませんが…。
事務所に書類や、ファイルもたくさんあるわけで、家だと集中はできるのだけど、やはり資料が足りない…。

ってことで、今週はちょこちょこと事務所に行こうと思う。

で、本日コツコツ事務所で作業をしていましたら、来客がありました。

大阪からSさんご家族。
お父様が車椅子です。
今回でセンターに寄ってくれたのは3回目かしら?年に1~2回は伊勢志摩に来て下っています。
でもって、そのときに必ずセンターにご家族揃って寄ってくださるのです。
なんでもわがセンターは「関所だから」、だそうです(Sさん談)
前回も寄ってくださいました。
嬉しいですね~。
元気なご家族の姿が見れて、私たちもスタッフもとても嬉しかったです。

障害者・高齢者の関所としてたくさんの方がセンターに寄ってくれると嬉しいですね。

そしてもうお一人。
川崎市からおみえのKさんご夫妻。
旦那様が4年ほど前に交通事故で脊髄損傷なって、車椅子生活。
昨日、二見の大石屋さんにお泊りだったようです。食事はたくさんで食べきれなかったとか…。
昨日(日曜)に神宮参拝したので、スゴイ人だったとおっしゃっていました。
うむ、ゆっくり参拝するなら月曜日の方がよかったかもですよ~。

それより、こちらKさん、びっくりしたのは、「グラン・ジュテ」見て来ました。
というお言葉。
うわわ、いやはやお恥ずかしい…。
急にあわてる私。
テレビで見るのと現物の違いに愕然としなかったでしょうか?

そういえば、昨年のそのグラン・ジュテが放映された翌日ぐらいだったかな?仕事で外宮さんに行ったとき、駐車場を歩いていたら、そこにいた観光客のお一人から「あ~!!」と、私を指差して「ええっと、ええっと…、昨日テレビ出て人やぁ!」っと。
この方もどうもグラン・ジュテを見たようでした。
「がんばってください」と、励ましのお言葉をいただいたので、お礼と挨拶をしましたが、そんな風にやっぱり反響ってあるんですね。

しかし、1回テレビを見ただけで、観光地の駐車場で私だと気付くなんてすごいな~。
チェアウォーカーと一緒にいたわけでもなかったんですよ。

数年前のアンビリーバボーのように(このときは電話が鳴り止まなかった)、直接反響ってわけじゃないけど、こうやってみなさん、なにかしら見て感じてくださっていたのですね。


ありがとうございます。

うれしいのは、テレビを見てくださって「伊勢志摩へ行ってみたい」と思ってくださることです。
次は誰がいらっしゃるかしら?

二見浦さくらまつりで貝めし弁当

2010-03-28 21:33:10 | 伊勢志摩観光情報
今日は、お仕事お休み。
といっても、この時期は、出社しないだけで、家でお仕事です。

環境が違うだけ。

今日は、天気もよく、暖かかった。
洗濯日和でもありました。

家での仕事は、家の仕事もできるので、ちょっと嬉しい。

さて、今日は、町内の音無山でさくらまつりがされていた、らしい…。
でも、きっとあそこの桜は北の山なのでまだ満開ではないはずよ。

そのさくらまつりで、町内の飲食店や旅館から「貝めし」をテーマに弁当を作って、音無山で販売されているというウワサを聞きつけて…。
そこに弁当を出している浜千代館の若女将にお願いして、購入させていただきました。



それを音無山で桜を見ながら…ではなく。
自宅のデッキで、パートナーと二人で食べました。




桜なんてどっこにも見えないのに。
ちょっとでも行楽気分で。

だって、仕事がたまっているもの。
せめてもの気分転換です。

でも、美味しかった~。
フライもサクサク。
アサリの貝めしのおにぎりも、いい味がでていました~。
結構お腹も満足感ありの量です。



浜千代館貝めし弁当
800円
今回は、さくらまつり限定お弁当でしたが、もしかしてまとまったご注文なら受けるかもよ。とのことです。

花見で、いろとりどりのお弁当…、それだけでちょと幸せになりますよね?
あ、まさに花より団子か?

我が家の花見は4月初旬ごろに、ご近所の秘密の桜スポットには花見に行こうと思っています。

志摩ロードパーティのボランティア振り分け

2010-03-28 01:50:08 | アクティビティ
行政的な年度末の3月とツアーセンターの年度末の5月と年の瀬の12月ぐらいに、月45日ぐらい欲しいと思ってしまいます。
また、一年間が年俸制で、月ごとに日数をふりわけられたらいいのに…などとバカげたことを考えてしまいます。(そんなこと考えている暇があったら仕事しなさい)

さて、そんなことをあがいても毎日が過ぎてしまうわけで、年度末仕事ではないけれど、4月に行われる、志摩ロードパーティも近くなってきました。
みなさん、それぞれマラソンの練習をしているかしら?

そんなみなさんのためのボランティアの振り分けを本日センターで、大川隊長と千枝さんと私と3人で、あーでもない、こーでもないと言い合いながら行いました。
昨年もこんなだったかな?
一年経つと覚えてないな~。

選手に伴走するボランティアからコースで見守るボランティア、受付や体操、駐車場係、それらのフォローなどたくさんの仕事があるわけで…。
それらをテキトーに振り分けているわけではなく、それぞれ、みなさんの意気込みや特技、年齢などいろんなものを考慮しながら、コノヒトと一緒に活動したら、友達になるかも…。
コノヒトの介助したら、きっと世界が広がるかも…などと、妄想しながらの振り分けなのです。
結局4時間ぐらいかけてできあがりました。



しかしこの3人、大議論ですよ。
いやこれは、こうなるからいかんよ、あれとこれとそれとこうなるからこちら…と、それぞれ選手やボランティアの人たちを思い出しながらパズルをするようです。

3人の性格がよく出ます。

私たちの苦労が実る4月18日。
選手のみなさん、ボランティアのみなさん、お楽しみに。

伊勢志摩スカイラインの展望足湯にスロープができました(写真UPしました)

2010-03-27 00:47:16 | 伊勢志摩観光情報
年度末は忙しい!
ということで、なかなか日記を更新していなくて申し訳ないです。
でも、これは伝えなきゃ!!
いち早く伝えなきゃ!

というわけで仕事の合間を縫って日記をカキカキ。

本日、伊勢志摩スカイラインの展望足湯へ行く道にスロープが出来ました!
しかも、伊勢志摩バリアフリーツアーセンターがアドバイスしたのです。


スカイラインからの景色。天気の良い日はすばらしいですよ。


以前にもこのお話はあがっていて、そのときも何度か足を運んでバリアフリーのアドバイスをさせていただいておりました。
しかし、計画中に伊勢志摩地方で豪雨があり、スカイラインの道路が土砂崩れ。
道路が不通になってしまったので、道路の修復を先にすすめるため、今まで流れていたのです。

そのバリアフリー化計画がこの3月に入ってから突然復活。
あれよ、あれと言う間に、スロープができてしまいました。
早いよ~。

そんなわけで、本日がその式典でした。


では、一曲…ではありません。バリアフリーツアーセンターを代表して挨拶もさせていただきました。


昨日までの雨はすっかり止み、上天気。
鳥羽湾に浮かぶ島々が綺麗にみえます。
しかし、ものすごい風。


私の髪型を見れば、どれだけ風が強かったか分かっていただけるでしょうか?


そんなかな式典が行われ、テープカットでスロープ解禁。
たくさんのチェアウォーカーたちに来てもらって、のぼり初めしてもらいました。


脊髄損傷男女、頚椎損傷男の3名にスロープを一人で登ってもらいましたが、みなさん自力で上がれました。(年齢30代~40代)


 
鳥羽の海の子作業所のみなさんも元気一杯に遊びにきてくれました。


足湯にも手すりをつけましたが、脊髄損傷や頚椎損傷の方々にはちと難しいアクセス。車椅子でもどちらかというと、歩ける(立てる)方や高齢者の方になら使ってもらえるかな?
この周辺はいろんな方に使ってもらって、いろんな意見を聞きながら改修していく予定。

 
足湯、ものすごーく気持ちいいよ。1回100円です。


でも、なによりも、ものスロープを上がってきたところ、伊勢志摩スカイラインでも一番見晴らしのいい絶景ポイントなのです。
それを見にこれるだけでも、価値があります。

みなさん、これから暖かくなる季節です。
観光客のみなさんも、地元の方も朝熊山からのすばらしい景色をぜひ見に行ってみてください。


看板を目印に進んでね。


伊勢志摩スカイライン
通行料普通車  1220円(障害者割引半額)
営業時間    7:00~19:00(~4月)
        6:00~20:00(5~8月)

グランジュテ再放送

2010-03-12 18:13:44 | ハサカル
昨年秋にグラン・ジュテというNHK教育(全国区)の番組に出演しました。
その番組が再放送することになりました。

しかも12本(1本=2名1組)取った放送のうち、人気のあった4本(組)のみの再放送だそうです。


その4本(組)のなかに、野口あゆみ出演のが入っているのだとか?

それはビックリです。

放映されて、そんなに反響もなかったし…、グラン・ジュテのホームページの感想
に、私のことを書かれているところもなかったけれど…。
でも、人気があったのか?うむ?
もしかして、ペアリングしている相手の方に人気があったのか?


ほんまか?とホームページを見に行ったら、確かに紹介されているので、どうや
ら本当らしい
   ↓
http://www.nhk.or.jp/partner/grand/

今年初めに亡くなった上村さんも出ているので、ちょっとそんな視点でも見れる
かも…。


ということで、放映日時は明日の土曜日です!(いつものことながら急でごめんね~)

3月13日(土)午後11:25~11:55 教育テレビ

<再放送>
3月20日(土)午後0:00~0:30 教育テレビ
※翌週土曜日昼間の再放送は、どうやら三重県内の方は見れいかもです。お確かめくださいませ。

となります。

お暇ならご覧くださいませ。

鳥羽高校卒業式

2010-03-02 01:35:37 | バリアフリーツアーセンター
本日は、県立高校の卒業式でした。
鳥羽高校で「観光とバリフリー」を授業選択した生徒たち25名の卒業式でもあります。
この授業を受け持って、3年目で初めてですが、卒業式に参列しました。
先生席で…。

いやはや、卒業式なんて自分の卒業式以来、ン十年ぶりですよ。

そういえば、私もこの学校で卒業式、そしてこの体育館だったな~と思いながら、着席。
ン十年も経てば、生徒人数も少なくて…

1学年5クラス×30名=150名ぐらい?
私のときは…
1学年9クラス×40名=360名
だったな~。
ば、倍違う…。
だから、今日の卒業式の体育館の生徒数を見て、なんだかすっきりした卒業式だな~って思いました。
私のときなんて、体育館ギュウギュウでしたよ。

さて、式典は卒業証書授与式にはじまり、学校長挨拶、来賓祝辞、在校生送辞…と、淡々と進んでいきました。

この分じゃ、泣く機会もないかな~って思っていたときです。

最後の卒業生答辞。

校長先生と向かい合って、答辞を読むのはレスリングでも好成績をあげていたというNくん。(※残念ながら観光とバリアフリーは選択していません)

落ち着いた様子で、答辞が書かれたであろう大事に折りたたんだ用紙を出しました。



「ごきげんよう」がはじまり、スマップがCDデビューをはたした年、僕たちは生まれました。

ええ?今から答辞よな?
のっけから答辞らしからぬ言葉が次から次に発せられます。

「1年生、入学したすぐに「宿泊研修」がはじまった。「おいおい、いきなり宿泊かよっ!」と思いました。でもいつの間にかみんなと打ち解けていた。」

卒業生爆笑の渦です。

「2年生 同級生の顔と名前も一致しはじめたけれど、毎日の単調さにチャレンジ精神もなくなってきた。楽しみが朝のめざましテレビの占いカウントダウンハイパーだ。ちなみに今日僕は9位。1位は乙女座。ラッキーパーソンは最近助けてくれた友達だそうだ」


あ、私今日11位やったわ。確かに今日の1位は乙女座やったね。

「3年生 体育祭で選手宣誓の役をもらう。いっちょ笑わしたろかと『スポーツマンヒッ○にもっ○り』、皆が凍りついたのが見えた。U村先生の顔が引きつっていた。校長先生からは「すべったのぅ」と慰めの言葉を掛けられた」

卒業生大爆笑。

この時点で、この答辞なんかオカシイ、大丈夫か?と、今までにない答辞の内容に、ドギマギです。
先生はこの答辞に目を通したのだろうか?このまま読ませてもいいのだろうか?どこまで行くのあろう?卒業生も泣くどころか笑い続けている。
とっても心配で、ハラハラと大人目線で見てしまっていました。


しかし、この後の文章展開にドキッとした。

弁当業者が入らなくなってかまど家の弁当が恋しいと思ったこともあった。
でも、母の作るお弁当が一番美味しかった。



そこからですね、あまりにもいろいろあってよく覚えていないですが、

気恥ずかしかったけれど、レスリングの試合に両親が来てくれた事、とても嬉しかったこと。
両親には本当に感謝している。
でもそれを言葉に出来ないのはシャイだから。
ここにいる3年生もきっとみんな、感謝の気持ちはあるけれど、言葉にしないのは僕と同じ気持ちだからだと思う。
今日ぐらいは、親に感謝の気持ちを伝えるのもいいかもしれない。
学校生活でレスリング顧問のU村先生には特に感謝している。
試合で先生の口癖で「もぉいっちょ」「もぉいっちょ」という言葉が飛んでくるのですが、この言葉、精神的に追い詰められるのですが、でもなんだか不思議と力が涌いてくるのです。
これから、社会に出て壁にぶつかることもあるだろうけど、そのときはこのU村先生の「もぉいっちょ」と、自分にいい聞かせて越えていきたいと思う。
U村先生には心から感謝したい。


などと、もうそれは、前半のオチャらけたこととは違い、Nくんも時々涙で言葉がつまり、でもゆっくりゆっくりとその一言一言を思いをこめて発していました。
もっともっと、心にグッとくるようなことを語っていたのですが、頭が付いていかなくて良く覚えていません。
なんせ、この後半からの意表をついた展開、思いもよらぬ言葉がハラハラと降り落ちる光景を呆然と眺めていたのは私だけじゃなかったと思う。

現に、卒業生も、この辺りからすすり泣く声が…。
あ、隣の先生も涙を拭っていた。

答辞の内容を最初から最後までハッキリ覚えているわけではいけれど、最初のあのオチャラケは、本当にテレだったのでしょう。かしこまった言葉は自分には似合わないと考えて、あのような自然体。緊張した卒業生たちの心もほぐしているかのように思いました。
それに、きっとあのオチャラケたとことろは、卒業生が共感する要素がたくさんあったと思う。

そんな、心をほぐし終えた後に、キュンとくる感謝のオンパレード。
そりゃね、泣いちゃいますよ。
いい文章構成でした。
泣かしてやろうと思ってつくった文章じゃないだけに、余計にやられました。

答辞を読み終えた後、それまで祝辞を言おうと、挨拶があろうと拍手がなかったのに…。
この式典中、唯一この時だけ自然と拍手が沸き起こりました。
しかも大きなね。

そして、校長先生から手を差し伸べ、長くしっかり握手を交わしていました。

今まで
ありふれた言葉のパズル。
当たり障りない、文章で、無難に思ってもいないことを同級生、在校生、保護者、先生の前で淡々と読む答辞しか、聞いたことなかったかもしれない。(そんなに聞く機会はないけれど)

今日の答辞はまさに自分の言葉で自分の思いをぶつけて、なおかつ、その言葉で同級生たちの気持ちも代弁し、心をほぐし…。
ちょっと目が覚めました。

自分の言葉で伝える。
言葉がキチンと心に届くとはこのことなのかもしれません。

本当、いい卒業式に出席させていただきました。

帰りU村先生にも「ステキな生徒さん教えられていたのですね、とても感動しました」と声をかけて帰りました。

私の生徒たちは、きちんと入場、退場のときにしっかと目に焼き付けておきましたからね~。
みんな堂々とした顔つきになっていましたよ。

みんな~ 卒業おめでとぉ!!

伊勢志摩バリアフリーツアーセンター理事長の講演

バリアフリーパーティランのボランティア募集

津波警報 避難指示が発令!!

2010-03-01 01:02:00 | プライベート
2月も最終日の日曜日。
この日、私は趣味の活動でもある「イセシマン」で、県ユニバーサルデザイン表彰式の賑やかしに行くことになっていて、センターをお休みしておりました。

朝から、前日のチリ地震による津波の予報が出ていて、警報出ていました。
なんだか怪しげな雲行きです。

センターにスタッフの野原さんがいるので、電話して確認。
そしたら、千枝さんもいたので、なんだかちょっとホッ。
いやいや、でももしものことがあったら、大変です。
怪しくなったら、帰ってもいいということで、様子を見ることに。


イセシマン出動も、何も連絡がなかったので、お昼頃パートナーと準備をし、車で会場である松阪へ…。

と、進みかけたそのとき、隊長より「本日の県行事全て中止のため、イセシマン出動も中止!」との連絡が…。

あらら。

自宅に帰ってくると、さらにさらに、なんだかテレビでは緊迫した津波情報が…。
さらに、二見に避難勧告が出たと…。

50年前のチリ地震による津波で日本も140名ほどの被害あったと聞いているし、もしかすると、もしかするかも…。
それに、我が家は一階。
チェアウォーカーであるパートナーの息ができる鼻と口は背の低い私より下。
ヨットで使う、ライフジャケットも準備するか?

などと考えていたら、いつの間にか避難勧告から「避難指示」に変わっていました。
そのときは、それって二見の沿岸部だけでしょうと思っていました。

しかし、二見がそれでは、鳥羽も避難指示になっているだろうと、センターに電話すると、「一番街も14時に閉める」と言う。
その状態でビルをあけて、観光客を入れていて被害でもあれば…えらいことです。

近鉄も五十鈴川駅~賢島駅、JRも参宮線がストップ。
観光客はバスでしか伊勢に向かえなくなくなっていました。

こんな、日曜日に災害…。そりゃないことはないですよね。
自然災害は曜日など関係ありません。


さて、さらにパートナーと自宅にいると、有線放送から「光の街(山の上の住宅地)以外の二見町全域に避難指示が発令されました。直ちに高台に避難してください」という、放送が。
有線放送どころか、町中町内放送であっちこっちで流れています。

あとから思いましたが、このときって音だけの情報でした。
私が登録している携帯にお知らせされる防災みえのメールだって、津波の情報は入ったけど、この「避難指示」のこと流れてなかった…。
ってことは、聴覚障害者は文字放送されているテレビを見なければ、津波が来るかもしれないことは分かっていても「避難指示」まで知られていなかったかも…。

さて、避難指示が出てしまったからには、のうのうと、自宅にいる訳にはいかない。
パートナーも県職員だから、無視するわけにはいけません。
でも、二見町内の開設された避難場所が…

町内の公民館 → 我が家とさほど変わらない海抜に、2階があるけど、エレベーターはない。車椅子対応トイレもない。
二見小学校・中学校 → 我が家より、より海に近いうえに、エレベーターがない。車椅子対応トイレもない。
老人福祉センター → 車椅子対応トイレやエレベータはあるけれど、海に近い茶屋地区でもあるし…

などの、問題があり。(そもそも津波の避難場所として適切なんだろうか?)

避難場所として開設されているわけじゃないけど…と、「勝手に避難場所」として、ご近所の山向こうの「県営サンアリーナ」へ逃げることに。
サンアリーナにはカフェあるので、時間つぶしもできるしね。
そうそう、車椅子対応トイレだってある。

もちろん、海に近いところに住む義母を迎えに行って、3人で避難。
しかし、避難とは、実に退屈なもので、1時間も経てば、飽きてくる。
子どもだったら、もっと早くに飽きるだろうね。
外が豪雨とか、なんだか怖いような環境ならそんな気にもならないが、天気もいいしね。
避難場所と指定されているところでもないから、津波の最新情報も手に入らず…。(避難指定場所ならあったのかも…)

夕方になり、津波到達時刻もとうに越えて、もう、いくらなんでも避難指示解除されているだろう。と判断して、義母を実家へ。
そしたら、家の目の前で役場の方に止められた。
まだ「避難指示」は解除されていなかったよう。

でも、でもね、もう家に帰りたかったの。
避難もしたから、帰らせてと。
義母を送り(義母には2階にいてねと念押し)、私たちも帰宅。

結局避難指示が解除されたのは22時ごろ。
そんな時間までおられません…。

今回は大事には至らなかったけど、ものすごく、いろいろ、考えさせられたり、勉強になりました。
それは、ちょっと前まで防災ボランティアコーディネーター養成講座をうけていたこともあったのかもしれません。
それにさ、とても時間がある中でいろいろ判断できましたが、これが、20分以内で判断しろ!というものだったら

適切な避難場所を選べるか?
持って逃げるものをスグに準備できるか?
義母を迎えにいけるか?

ましてや、発令時どのような状況であるのかも問題。

熟睡していたときかもしれない
お風呂に入っているときかもしれない
家にいなくて、仕事場だったかもしれない

などなど、時と場所を選べない自然災害。
改めて、パートナーと災害について色々語ったり、やっぱり家族での決め事作っておかなくてはいけないな~って話をしました。

被害がなかっただけに、防災訓練として考えると、とてもいい経験になりました。
なんだかんだと、自分が生きている間に、地震が起こる可能性はかなりあります。
だからこそ、災害時の危機管理、防災についてしっかり考えたいと、改めて思いました。



3月5日(金)伊勢志摩バリアフリーツアーセンター理事長の講演のお知らせ

4月18日(日)志摩ロードパーティ バリアフリーパーティランのボランティア募集中