2月も最終日の日曜日。
この日、私は趣味の活動でもある「イセシマン」で、県ユニバーサルデザイン表彰式の賑やかしに行くことになっていて、センターをお休みしておりました。
朝から、前日のチリ地震による津波の予報が出ていて、警報出ていました。
なんだか怪しげな雲行きです。
センターにスタッフの野原さんがいるので、電話して確認。
そしたら、千枝さんもいたので、なんだかちょっとホッ。
いやいや、でももしものことがあったら、大変です。
怪しくなったら、帰ってもいいということで、様子を見ることに。
イセシマン出動も、何も連絡がなかったので、お昼頃パートナーと準備をし、車で会場である松阪へ…。
と、進みかけたそのとき、隊長より「本日の県行事全て中止のため、イセシマン出動も中止!」との連絡が…。
あらら。
自宅に帰ってくると、さらにさらに、なんだかテレビでは緊迫した津波情報が…。
さらに、二見に避難勧告が出たと…。
50年前のチリ地震による津波で日本も140名ほどの被害あったと聞いているし、もしかすると、もしかするかも…。
それに、我が家は一階。
チェアウォーカーであるパートナーの息ができる鼻と口は背の低い私より下。
ヨットで使う、ライフジャケットも準備するか?
などと考えていたら、いつの間にか避難勧告から「避難指示」に変わっていました。
そのときは、それって二見の沿岸部だけでしょうと思っていました。
しかし、二見がそれでは、鳥羽も避難指示になっているだろうと、センターに電話すると、「一番街も14時に閉める」と言う。
その状態でビルをあけて、観光客を入れていて被害でもあれば…えらいことです。
近鉄も五十鈴川駅~賢島駅、JRも参宮線がストップ。
観光客はバスでしか伊勢に向かえなくなくなっていました。
こんな、日曜日に災害…。そりゃないことはないですよね。
自然災害は曜日など関係ありません。
さて、さらにパートナーと自宅にいると、有線放送から「光の街(山の上の住宅地)以外の二見町全域に避難指示が発令されました。直ちに高台に避難してください」という、放送が。
有線放送どころか、町中町内放送であっちこっちで流れています。
あとから思いましたが、このときって音だけの情報でした。
私が登録している携帯にお知らせされる防災みえのメールだって、津波の情報は入ったけど、この「避難指示」のこと流れてなかった…。
ってことは、聴覚障害者は文字放送されているテレビを見なければ、津波が来るかもしれないことは分かっていても「避難指示」まで知られていなかったかも…。
さて、避難指示が出てしまったからには、のうのうと、自宅にいる訳にはいかない。
パートナーも県職員だから、無視するわけにはいけません。
でも、二見町内の開設された避難場所が…
町内の公民館 → 我が家とさほど変わらない海抜に、2階があるけど、エレベーターはない。車椅子対応トイレもない。
二見小学校・中学校 → 我が家より、より海に近いうえに、エレベーターがない。車椅子対応トイレもない。
老人福祉センター → 車椅子対応トイレやエレベータはあるけれど、海に近い茶屋地区でもあるし…
などの、問題があり。(そもそも津波の避難場所として適切なんだろうか?)
避難場所として開設されているわけじゃないけど…と、「勝手に避難場所」として、ご近所の山向こうの「県営サンアリーナ」へ逃げることに。
サンアリーナにはカフェあるので、時間つぶしもできるしね。
そうそう、車椅子対応トイレだってある。
もちろん、海に近いところに住む義母を迎えに行って、3人で避難。
しかし、避難とは、実に退屈なもので、1時間も経てば、飽きてくる。
子どもだったら、もっと早くに飽きるだろうね。
外が豪雨とか、なんだか怖いような環境ならそんな気にもならないが、天気もいいしね。
避難場所と指定されているところでもないから、津波の最新情報も手に入らず…。(避難指定場所ならあったのかも…)
夕方になり、津波到達時刻もとうに越えて、もう、いくらなんでも避難指示解除されているだろう。と判断して、義母を実家へ。
そしたら、家の目の前で役場の方に止められた。
まだ「避難指示」は解除されていなかったよう。
でも、でもね、もう家に帰りたかったの。
避難もしたから、帰らせてと。
義母を送り(義母には2階にいてねと念押し)、私たちも帰宅。
結局避難指示が解除されたのは22時ごろ。
そんな時間までおられません…。
今回は大事には至らなかったけど、ものすごく、いろいろ、考えさせられたり、勉強になりました。
それは、ちょっと前まで防災ボランティアコーディネーター養成講座をうけていたこともあったのかもしれません。
それにさ、とても時間がある中でいろいろ判断できましたが、これが、20分以内で判断しろ!というものだったら
適切な避難場所を選べるか?
持って逃げるものをスグに準備できるか?
義母を迎えにいけるか?
ましてや、発令時どのような状況であるのかも問題。
熟睡していたときかもしれない
お風呂に入っているときかもしれない
家にいなくて、仕事場だったかもしれない
などなど、時と場所を選べない自然災害。
改めて、パートナーと災害について色々語ったり、やっぱり家族での決め事作っておかなくてはいけないな~って話をしました。
被害がなかっただけに、防災訓練として考えると、とてもいい経験になりました。
なんだかんだと、自分が生きている間に、地震が起こる可能性はかなりあります。
だからこそ、災害時の危機管理、防災についてしっかり考えたいと、改めて思いました。
3月5日(金)伊勢志摩バリアフリーツアーセンター理事長の講演のお知らせ
4月18日(日)志摩ロードパーティ バリアフリーパーティランのボランティア募集中
この日、私は趣味の活動でもある「イセシマン」で、県ユニバーサルデザイン表彰式の賑やかしに行くことになっていて、センターをお休みしておりました。
朝から、前日のチリ地震による津波の予報が出ていて、警報出ていました。
なんだか怪しげな雲行きです。
センターにスタッフの野原さんがいるので、電話して確認。
そしたら、千枝さんもいたので、なんだかちょっとホッ。
いやいや、でももしものことがあったら、大変です。
怪しくなったら、帰ってもいいということで、様子を見ることに。
イセシマン出動も、何も連絡がなかったので、お昼頃パートナーと準備をし、車で会場である松阪へ…。
と、進みかけたそのとき、隊長より「本日の県行事全て中止のため、イセシマン出動も中止!」との連絡が…。
あらら。
自宅に帰ってくると、さらにさらに、なんだかテレビでは緊迫した津波情報が…。
さらに、二見に避難勧告が出たと…。
50年前のチリ地震による津波で日本も140名ほどの被害あったと聞いているし、もしかすると、もしかするかも…。
それに、我が家は一階。
チェアウォーカーであるパートナーの息ができる鼻と口は背の低い私より下。
ヨットで使う、ライフジャケットも準備するか?
などと考えていたら、いつの間にか避難勧告から「避難指示」に変わっていました。
そのときは、それって二見の沿岸部だけでしょうと思っていました。
しかし、二見がそれでは、鳥羽も避難指示になっているだろうと、センターに電話すると、「一番街も14時に閉める」と言う。
その状態でビルをあけて、観光客を入れていて被害でもあれば…えらいことです。
近鉄も五十鈴川駅~賢島駅、JRも参宮線がストップ。
観光客はバスでしか伊勢に向かえなくなくなっていました。
こんな、日曜日に災害…。そりゃないことはないですよね。
自然災害は曜日など関係ありません。
さて、さらにパートナーと自宅にいると、有線放送から「光の街(山の上の住宅地)以外の二見町全域に避難指示が発令されました。直ちに高台に避難してください」という、放送が。
有線放送どころか、町中町内放送であっちこっちで流れています。
あとから思いましたが、このときって音だけの情報でした。
私が登録している携帯にお知らせされる防災みえのメールだって、津波の情報は入ったけど、この「避難指示」のこと流れてなかった…。
ってことは、聴覚障害者は文字放送されているテレビを見なければ、津波が来るかもしれないことは分かっていても「避難指示」まで知られていなかったかも…。
さて、避難指示が出てしまったからには、のうのうと、自宅にいる訳にはいかない。
パートナーも県職員だから、無視するわけにはいけません。
でも、二見町内の開設された避難場所が…
町内の公民館 → 我が家とさほど変わらない海抜に、2階があるけど、エレベーターはない。車椅子対応トイレもない。
二見小学校・中学校 → 我が家より、より海に近いうえに、エレベーターがない。車椅子対応トイレもない。
老人福祉センター → 車椅子対応トイレやエレベータはあるけれど、海に近い茶屋地区でもあるし…
などの、問題があり。(そもそも津波の避難場所として適切なんだろうか?)
避難場所として開設されているわけじゃないけど…と、「勝手に避難場所」として、ご近所の山向こうの「県営サンアリーナ」へ逃げることに。
サンアリーナにはカフェあるので、時間つぶしもできるしね。
そうそう、車椅子対応トイレだってある。
もちろん、海に近いところに住む義母を迎えに行って、3人で避難。
しかし、避難とは、実に退屈なもので、1時間も経てば、飽きてくる。
子どもだったら、もっと早くに飽きるだろうね。
外が豪雨とか、なんだか怖いような環境ならそんな気にもならないが、天気もいいしね。
避難場所と指定されているところでもないから、津波の最新情報も手に入らず…。(避難指定場所ならあったのかも…)
夕方になり、津波到達時刻もとうに越えて、もう、いくらなんでも避難指示解除されているだろう。と判断して、義母を実家へ。
そしたら、家の目の前で役場の方に止められた。
まだ「避難指示」は解除されていなかったよう。
でも、でもね、もう家に帰りたかったの。
避難もしたから、帰らせてと。
義母を送り(義母には2階にいてねと念押し)、私たちも帰宅。
結局避難指示が解除されたのは22時ごろ。
そんな時間までおられません…。
今回は大事には至らなかったけど、ものすごく、いろいろ、考えさせられたり、勉強になりました。
それは、ちょっと前まで防災ボランティアコーディネーター養成講座をうけていたこともあったのかもしれません。
それにさ、とても時間がある中でいろいろ判断できましたが、これが、20分以内で判断しろ!というものだったら
適切な避難場所を選べるか?
持って逃げるものをスグに準備できるか?
義母を迎えにいけるか?
ましてや、発令時どのような状況であるのかも問題。
熟睡していたときかもしれない
お風呂に入っているときかもしれない
家にいなくて、仕事場だったかもしれない
などなど、時と場所を選べない自然災害。
改めて、パートナーと災害について色々語ったり、やっぱり家族での決め事作っておかなくてはいけないな~って話をしました。
被害がなかっただけに、防災訓練として考えると、とてもいい経験になりました。
なんだかんだと、自分が生きている間に、地震が起こる可能性はかなりあります。
だからこそ、災害時の危機管理、防災についてしっかり考えたいと、改めて思いました。
3月5日(金)伊勢志摩バリアフリーツアーセンター理事長の講演のお知らせ
4月18日(日)志摩ロードパーティ バリアフリーパーティランのボランティア募集中