またまたバリアフリーネタでなくてごめんなさい。
実は、先日の日記を書いたすぐあとに、流産の前兆である出血がありました。
それは、微量でしたが、決定的証拠のようで、それなりにショックでトイレでボー然。
S先生から「出血あるかもしれんけど」とは言われていたけど…。
そんなことを聞いた状況のときってさ、不思議と「奇跡」とか妄想してしまいます。
出血がなく一週間が過ぎ、次の診察に行ったとき「奇跡ですね、赤ちゃん育ってますよ!!」なんてことを言われる淡い期待を抱いていたりなんかして…。
そんなこと考えたりしませんか?
でも、そんなことは、本当に奇跡であって、ありえませんでした。
それが現実ですね。
土日に微量ながらに出血があり、身体の変調はないまま週末を過ごしました。
火曜日の朝に診察だったのですが、月曜日の夜、急激に腹痛?腰痛?骨盤を上からグイッと押さえ込まれたような痛みが走り、夜はベッドで横になりながらうーんうーん唸っていました。
いわゆる生理痛のヒドイもの。
でも、それだけでもないような…。
七転八倒しながら、トイレに行くと、微量だった出血が大量に、しかも鮮血?
ああ、決定的です。これがまさに流産?
その夜は、痛みのあまり夜中に何度も目を覚ましながら朝を迎えました。
が、あまりの痛みに、朝が起きれないっ。
5時半ごろ一度起きてトイレに30分ほど篭ったものの、何も解決せずそのまままたベッドへ。
ARTには朝8:30に予約を入れてあるので、7時30分前には家出たいのですが、そんな力はなく、パートナーもごめんだけど、ベッド上で見送り。
一ミリたりとも動くと、激痛が…。
でもなんとか病院に行かなければと、モソモソとおきて、松阪へ。
予約時刻より1時間ほど遅刻して。
診察してもらい、症状を伝えると。
S先生「うーん、化学的流産やな」
ようするにとても早い段階の流産で、中には、今月は生理ちょっと遅れているな~って程度で考えていて、病院にいかなければ、妊娠と気づかず、ちょっと遅れた生理の出血として過ごしてしまう人もいるくらい。
流産として数えられないくらい初期の段階での流産です。
でも、着床したって事実を知ってしまっている私。
流産として数えられないと言われる程度だとしても、気持ち的には、流産ですよね。
さて、この痛み生理痛のように、一日やそこらで終わるものでは有りませんでした。(甘かった…)
痛み止めの薬は飲んだものの、お腹の違和感は続き、子宮の中を棒で引っ掻き回されているようなぐるぐるとした痛みが一日中続く。
なんだか子宮が別物みたいで、とても存在を意識する数日間。
翌朝も起きると、お腹の中に砂袋が大量に押し込められたような重みと、違和感。
起きられません。
オオカミと七匹の子ヤギの話にある最期に石をお腹に詰められたオオカミってこんな痛みだったのかな?と苦しみながら思いました。
どの角度で寝ても痛みは消えません。
気絶するかのように眠りに落ちれば何とか…。
おまけに吐き気までしてきます。
トイレにこもっても吐くことはできないのですが、便器を抱え込み篭る。
こんなとき、パートナー仕様の手すり付きトイレでよかったとつくづく思います。
しかし、この日は朝から鳥羽高校の授業でもあり、気力でもって学校に向かいました。
火曜日も水曜日も、出血は大量です。血の塊も…。(あまり聞きたくないハナシですよね、ごめんなさい)
木曜日、金曜日…と日を経つごとに、朝は起きれるようになってきました。
でも、お腹への違和感は消えません。
吐き気もして、歩くときもお腹に響くため、自然とすり足に。
この数日間、朝の早いパートナーをベッドから見送ったこと2日、夕ご飯の後片付けを頼んだこと数回。
こんなときに、パートナーに甘えることができることをありがく思います。
こんな長期戦になるとは思っていませんでしたよ。
でも、ちゃっかり仕事には毎日出勤。
もうじき、センターの総会だし、いろいろセンターの将来を決める書類提出の締め切りが迫っていますので、それらは這いつくばってもこなさなければ…。
ということで、私を訪ねられる場合で、お急ぎでない場合は、総会後の7月13日以降にお願いいたします。
いっぱい、いっぱいのHASSY局長でした。
あ、もちろん、旅行相談などはスタッフがおりますので、大丈夫ですよ。
実は、先日の日記を書いたすぐあとに、流産の前兆である出血がありました。
それは、微量でしたが、決定的証拠のようで、それなりにショックでトイレでボー然。
S先生から「出血あるかもしれんけど」とは言われていたけど…。
そんなことを聞いた状況のときってさ、不思議と「奇跡」とか妄想してしまいます。
出血がなく一週間が過ぎ、次の診察に行ったとき「奇跡ですね、赤ちゃん育ってますよ!!」なんてことを言われる淡い期待を抱いていたりなんかして…。
そんなこと考えたりしませんか?
でも、そんなことは、本当に奇跡であって、ありえませんでした。
それが現実ですね。
土日に微量ながらに出血があり、身体の変調はないまま週末を過ごしました。
火曜日の朝に診察だったのですが、月曜日の夜、急激に腹痛?腰痛?骨盤を上からグイッと押さえ込まれたような痛みが走り、夜はベッドで横になりながらうーんうーん唸っていました。
いわゆる生理痛のヒドイもの。
でも、それだけでもないような…。
七転八倒しながら、トイレに行くと、微量だった出血が大量に、しかも鮮血?
ああ、決定的です。これがまさに流産?
その夜は、痛みのあまり夜中に何度も目を覚ましながら朝を迎えました。
が、あまりの痛みに、朝が起きれないっ。
5時半ごろ一度起きてトイレに30分ほど篭ったものの、何も解決せずそのまままたベッドへ。
ARTには朝8:30に予約を入れてあるので、7時30分前には家出たいのですが、そんな力はなく、パートナーもごめんだけど、ベッド上で見送り。
一ミリたりとも動くと、激痛が…。
でもなんとか病院に行かなければと、モソモソとおきて、松阪へ。
予約時刻より1時間ほど遅刻して。
診察してもらい、症状を伝えると。
S先生「うーん、化学的流産やな」
ようするにとても早い段階の流産で、中には、今月は生理ちょっと遅れているな~って程度で考えていて、病院にいかなければ、妊娠と気づかず、ちょっと遅れた生理の出血として過ごしてしまう人もいるくらい。
流産として数えられないくらい初期の段階での流産です。
でも、着床したって事実を知ってしまっている私。
流産として数えられないと言われる程度だとしても、気持ち的には、流産ですよね。
さて、この痛み生理痛のように、一日やそこらで終わるものでは有りませんでした。(甘かった…)
痛み止めの薬は飲んだものの、お腹の違和感は続き、子宮の中を棒で引っ掻き回されているようなぐるぐるとした痛みが一日中続く。
なんだか子宮が別物みたいで、とても存在を意識する数日間。
翌朝も起きると、お腹の中に砂袋が大量に押し込められたような重みと、違和感。
起きられません。
オオカミと七匹の子ヤギの話にある最期に石をお腹に詰められたオオカミってこんな痛みだったのかな?と苦しみながら思いました。
どの角度で寝ても痛みは消えません。
気絶するかのように眠りに落ちれば何とか…。
おまけに吐き気までしてきます。
トイレにこもっても吐くことはできないのですが、便器を抱え込み篭る。
こんなとき、パートナー仕様の手すり付きトイレでよかったとつくづく思います。
しかし、この日は朝から鳥羽高校の授業でもあり、気力でもって学校に向かいました。
火曜日も水曜日も、出血は大量です。血の塊も…。(あまり聞きたくないハナシですよね、ごめんなさい)
木曜日、金曜日…と日を経つごとに、朝は起きれるようになってきました。
でも、お腹への違和感は消えません。
吐き気もして、歩くときもお腹に響くため、自然とすり足に。
この数日間、朝の早いパートナーをベッドから見送ったこと2日、夕ご飯の後片付けを頼んだこと数回。
こんなときに、パートナーに甘えることができることをありがく思います。
こんな長期戦になるとは思っていませんでしたよ。
でも、ちゃっかり仕事には毎日出勤。
もうじき、センターの総会だし、いろいろセンターの将来を決める書類提出の締め切りが迫っていますので、それらは這いつくばってもこなさなければ…。
ということで、私を訪ねられる場合で、お急ぎでない場合は、総会後の7月13日以降にお願いいたします。
いっぱい、いっぱいのHASSY局長でした。
あ、もちろん、旅行相談などはスタッフがおりますので、大丈夫ですよ。