HASSY局長のハサカル日誌

伊勢志摩バリアフリーツアーセンター事務局長HASSYが
日々のハサカル(気になる)出来事など記録していきます。

チェアウォーカー、家を建てる

2013-03-10 22:48:12 | HASSY語録~ばりふりつぶやき~
今日は、朝からパートナー通院の付き合い。
一昨日から、自宅での褥瘡治療(私による)がちゃんとできているか?先生によるチェックです。
小さい穴から、水圧で中の袋状のところを洗い、綺麗なガーゼに交換。
洗浄がなかなか難しいのですね。ほんま。
病院ほど器具が揃っているわけでもないし。
とりあえず、菌等が入らず、熱も持っていないようなので、私による処置は多分大丈夫ということで、そのまま続行することになりました。
それはそれで、大変で、責任重大…。

さて、帰ってきてから午後は来客です。

地元年下のチェアウォーカーOくんが、家を建てるので、うちを見せてほしいということだったです。
パートナーの実家(2階建エレベーター付の大きなおうち)
我が家の実家(平屋小さいおうち)
を見てもらいました。

彼と会ったのは、10年ぐらい前かな?
高校生の時に事故で車いす生活になって、高校は中退した彼。

20歳頃にあったころは高校卒業するために再チャレンジしていて、その後、働き先を探していて、パートナーに相談に来ていました。

そして今や30歳を越えましたが、安定した仕事にも就き、実家に家を建てるのだとか…。
なんだか嬉しいことですよね。

重要なお風呂、トイレを見たり、住んでみてわかった、良かったところ、もっとこうすればよかったところなどを伝えました。



そして、私が力説したところは…。

「災害があったときのために、逃げ口は多い方がいい!」ということ。

今住んでいるうちは10年経ちますが、建てる当初から逃げる道は作っておきました。
出口はなんと5出入口、経路は3通りあります。(只今4通り目の経路を計画中)
だって、大きな身体のパートナーを小さな身体の私がどうあがいても運ぶことは不可能。
それに、パートナーが一人でいることもあるわけで、その時になにかあったら…。
Oくんは、「ぼく軽いし運べるよ」と、言うけれど、災害時はどんな状況かわからないのです。
パートナーもOくんも、「ま、最終的には諦めるしかないわな」と言うけれど、家族はそれでは納得できません。
Oくんはまだ結婚していないけれど、その時がきたら、絶対奥さんはそう思うから、そこは想定しておきなさい!と力説。



それにしても、10年前に出会ったころよりひとまわりもふたまわりも頼もしい大人ってなっている姿が見れたのはうれしかったです。


3月15日(金)NHK「ドラクロワ」に出演します ← 詳細はクリック

バリアフリーな海水浴場ができるまで

2012-08-07 09:58:43 | HASSY語録~ばりふりつぶやき~
鳥羽市営安楽島海水浴場は3年ほど前に、管理棟を改装するとともにバリアフリー化されました。
私たちは車いす対応トイレと、異性の介助が可能になるために、トイレに更衣スペースを設けてもらうよう要望して、それらの願いが叶いました。
もちろん、そんなにすんなりいったわけでなく、途中まで進んだ図面にストップ掛けて、説明と説得を何度も繰り返してきました。

そして、センターとしては、その準備のためヒッポキャンプやランディーズといった、砂浜でも楽々移動できる水陸両用の車いすを購入!

ランディーズ
http://barifuri.com/tourcenter/rental/03-landeez.html

ヒッポキャンプ
http://barifuri.com/tourcenter/rental/04-hippocamp.html

昨日、市の人と、とある要件で安楽島海水浴場へ行ったとき、
「安楽島海水浴場をバリアフリーの海水浴場であるということを宣伝してほしい。ここを作るとき、いろんな人にそんな(バリアフリーな)設備は必要なのか?そんなところにお金かける必要はあるのか?ということを散々言われたけれど、市として押し通したところなんや、ほんま大変やった。そやらか、それらをもっと全面に出してほしい」と言われました。

市役所も、私たちの強い要望と、そういた意見をいう人たちの狭間でこのバリアフリーの海水浴場を作ってくれたと思うと、本当に感謝しきりです。

その結果、無理だとあきらめていた海水浴の夢を叶えている車いす利用者が、この数年で徐々に増えています。
その、光景は本当、周りのみんなが涙ものなのです。
車いすになってから、好きだった海から遠ざかってしまっていた人たち、生まれて初めて海水浴する人が海水に触れることができる。砂浜を自由に行くことができる。
好きな人や家族と楽しい夏の思い出を共有できる。(以前なら陸サーファーならぬ、陸海水浴だったのです←砂浜にすら行けない…)

そして、そんな需要が増える。
増えれば…



いつか、
「本当に必要なのか?」
「そんな設備、お金の無駄じゃないのか?」
と言っていた人たちが、偶然にでも車いす利用の人の「夢の海水浴」光景に出会って、

「そうか、これのために必要だったんだ!」

と、思う日が近くなるかもしれません。

あたり前じゃないことに気づけば…

2012-04-06 23:24:23 | HASSY語録~ばりふりつぶやき~
本日も朝からART。
がんばって、採血11番!
一桁まであともうっちょっと。

そして、診察。
昨日今日と、連日診察なので、なんかヤバいのかな?とか思ってたり…。
でも、問題はなかったようです。
順調に5つほどの卵が育っているようです。
と、言うわけで、月曜日採卵決定!
やっと、やっとこぎつけました。
採卵、どんだけぶりだろう?
確か昨年の1月頃に採卵しているので、まるっと1年以上経っていますね。



でも、まだまだ気を抜けない。
ここまできて、採卵当日、「排卵してしまっています」と、卵が逃げてしまったこともありましたもんね。
卵たくさんとれても、どれも受精せずってこともありました。
とにかく、採卵して受精して、胚盤胞になるまで安心はできません。


最近、すんごく思うんだけど
不妊治療のために注射すること、採卵すること、あたり前だと思っていました。
だから、注射も採卵も痛いけどガマンするという発想でした。
でも、ここしばらく、注射が途中で中止になったり、採卵当日排卵していたり、受精なかったり…ということが続いていると、昨日の日記にも書いたけれど、
注射が続けられること
採卵できること
不妊治療を続けられること
全てにおいて、あたり前じゃないのですよね。
だから、このところの注射は痛くてもガマンという気持ちではなく、ひとつずつステップアップな気持ちで、ちょっと喜んで行っていたようような気がします。

不妊治療に限らず、生きていく全てにおいて、普段なに気なくしていることも、ご飯が食べられることも、ゆっくり眠れることも、仕事ができることもあれもこれも全て、あたり前じゃない。

と、思うと、なにが起こるか?というと…。

「感謝の気持ち」が、わき起こってきます。


そうすると、自然と人にやさしくなれます。
モノを大事にするようになります。
いい連鎖ですよね。


そういえば、昨日、今日と伊勢志摩にいらしていたお客様がセンターに寄ってくれましたが、その方もおしゃってくれました。

「たまたま、インターネットの検索でセンターを見つけたけれど、センターがなかったら、この家族旅行はできなかったです」

うれしかったです。

あたり前だと思っている目の前のことって、ずっと前から積み上げれてきたものであったり、人の苦労からできたもであったり、たくさんの協力者があってのものであったりするのです。
それを意識すれば、本当、感謝しまくりです。


あれれ、不妊治療から話が脱線しちゃいました。
そんなわけで
今日、明日の注射はHMGと排卵を抑えるセトロタイドというお腹に刺す注射です。

で、土曜日の22:00と23:00にナファレリールという排卵を促す点鼻薬を使用します。
日曜日はなくもなく、月曜日朝から採卵。



いつもは、排卵2日前の夜にHCGの注射を打ちに行くのですが、今回は点鼻薬で。
これは、注射で排卵させるか、自前のホルモンで排卵させるかの違いらしいです。
注射の方が即効性があるんですって。

では、気を抜かず、がんばります。


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父ちゃんは歩けんけど、飛べる

2012-03-22 23:12:10 | HASSY語録~ばりふりつぶやき~
長崎県は佐世保の知人であるチェアウォーカーが仕事で伊勢志摩にいらっしゃいました。
夜、飲みに行ったときに、いろいろ積もる話をしていたのですが。

その中でとても印象的な言葉があったので、皆さんに聞いてほしいです。

彼は、息子さんが二人いてます。
そのうちの長男である中学校2年生の息子さんが空手が大好きで、トレーニングを指導しているようですが、セットメニューをしているときに、一度失敗をしたので、「はい、最初から~」って仕切り直ししたら、息子さんがキレたらしいです。
怒って、モノにあたって、窓ガラスを一枚パリーン。(中学生の男の子ですね~)

チェアウォーカーお父さんは怒りました。
「モノには当たるなら、父ちゃんに向かってこい!」と。

すると、怒り勢いでウォーって息子が来たらしいです。
(中学生の男子といえば、そこそこ大きいです。それなりに力もあります。)

そこで、父ちゃんの威厳です。
言ったからには立ち向かう。
父ちゃん自ら飛んで、息子の首根っこ捕まえて、拘束状態に。
動けなくなった息子は降参。

翌朝、息子はお母さんに言いました

息子「かあちゃん、父ちゃんは、ホンマに足動かんの?」

母「動かんけんね」

息子「でも、昨日父ちゃん、飛んできよったよ」

「…そうやな、父ちゃんは歩けんけど、飛べるとよ」


「歩けんけど、飛べる」。

なんか、素敵な言葉です。
お父さんの息子に向き合う姿勢といい、お母さんのこの気の利いた返事といい、なんだか素敵な家族だな~って思いました。

他にもとっても 素敵な話を聞かせてもらったのですが、これ以上書くと人物特定できそうなので、セーブ。(この話もぎりぎり?)


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アルピニスト野口健さんの講演会を聞いてきました

2012-03-20 23:56:38 | HASSY語録~ばりふりつぶやき~
本日、ご近所の三重県営サンアリーナで市民活動フェスティバルが行われていて、その一環であるイベントでアルピニスト野口健さんが講演をするという情報を事前にキャッチ。
パートナーが、以前から野口健さんに一度会ってみたいと言っていたので、本日二人で行ってきました。

講演は午後からだったのですが、午前中に整理券を配るとのことだったので、午前中に一度行って整理券をゲットしてから出直してきました。


講演後、少しお話しさせていただく機会をいただきました。ありがとうございます。トリプル野口です。(笑)

野口健さんの講演は、幼少期の話から、今の活動の話までみっちりお話ししていただきました。

うんうん、わかる、わかるってうなずくこと多々ありました。

聞いていて思ったのが、やはり三つ子の魂100までという言葉のように、小さいころの経験が今に生かされているのじゃないかな~って思いました。
いとこの中でいつも逃げ遅れて、おじいさんの戦争の話を聞かされていたことも、こどものころのイジメられた体験、そして地域の大人たちに育てられてきたこと…。
それらが、全て無駄になっていないな~って。
あとプラス、DNAも結構重要な役割を果たしているおもうな。

そしてまた、ご両親のキャラがとてもいい。
育て方なんだろうな~。
無責任な放任ではなく、子供にきちんと「考えさせる力」をつけていたようです。
野口健さんが停学処分になったとき、高校やめると言ったときも、「そりゃよかった、その学校学費高かったから、今から電話するよ」と言った、お父さん。
すごいわ~。
そういわれると、子供って冷静になったりするんですね。

野口さんがいじめられていても、絶対学校に行かせた、お母さんも、これまた精神を強くしてくれた存在っぽいです。

イジメられたけれど、逃げなかった(逃がさせてくれなかった)ことや、勉強が苦手であったことなど、そんなコンプレックスがバネになって、今があるようですね。

そして、冒険家植村直己氏の本との出会い。
この話、絶対今の高校生ぐらいの子たちにも聞いてほしかったな~。

そうそう、すんごくうなずいたのが。
エベレストのごみが日本のものが多いと「聞いてしまった」。富士山のごみを「見てしまった」そして「背負ってしまった」だから行動を起こす。というような話をされていました。

これ、私もなのですよね。
障がい者が「したい」「行きたい」と聞いてしまったら、それ、スルー出来ないんですよね。
なんとかして、それを実現したい!と思ってしまうのです。


それから、改めて、見習わなきゃって思ったのが、「人の話を聞く姿勢」。
これが、野口健さんにはしっかりありました。
それは、今も昔からも…。
エベレストや富士山の清掃活動からフィリピンでの遺骨収集、活動も多岐にわたり、またテレビにもよく出演されていたりすると、いろんな人たちの意見が飛んでくるらしいですね。
年に一度はブログも炎上するらしいです(笑)(焼き畑農業みたい)

わかります。
特に、テレビなどに出ると、いろんな意見や声が聞こえてきます。
過去を振り返れば、こんな私でさえもいろいろありましたもんね。(笑)

野口健さんの素晴らしいところは、そんな意見もきちんと聞く、そして受け入れて、理解する。
これがかなり長けていると思いました。

とりあえず、この人はなぜこんなことを聞くのか?ということから考えて、そこで終わるのではなく、本人に聞いていくと、結構理解もすぐできたりするもんです。
第一印象が悪い人に出会っても、がんばってその人のいいところ探しをしたり、この人苦手だからとすぐに断ち切らないようにしています。

だって、そんな人こそ、現に長い付き合いしている人だったり、すごくいい助言をしてくれたり、良いネタ持ってきてくれたり、あの時、嫌な思いもしたけれど、一時の思いで断ち切らなくてよかった~っていう人たくさんいます。
ここで出会ったってことは、きっと何か意味があることかもしれないしね。
出会いは、大切にしなきゃ。と、考えます。
仕事だってそうだし。
それに、苦手な人との付き合いも、精神を強くしてくれます。うん。

そんなことを改めて、思い直したお話しでもありました。

野口健さんは、イジメがあっても逃げなかった(親に逃がしてもらえなかった)って言うてましたが、それが今、いろんなことを言われても、越えられる土台を作ったんだろうな~って思います。
そこで逃げていたら、きっと、どんな場面でも逃げていたのかも。
性格も話をきいていても、柔軟なんですよね。
しなるので、折れない。
そんな感じです。

エベレスト登頂を果たせなかったときにか帰ってきたときにマスコミに責められたときもあったようですが、(天候などで)やむを得ず山を下りるという選択。
それは、逃げではなくむしろ、現実と向かい合っていると思いました。

講演は、本当にためになる、いいお話を聞かせてくださいました。
また機会があれば、何度でも聞きたい方の講演でした。

みなさんも機会があれば、ぜひ聞いてほしいです。

あー今日も長いブログになってしまった。


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桜前線のように、元気パワーを北上!

2011-04-04 23:15:49 | HASSY語録~ばりふりつぶやき~
この時期なると、ほんのり木々が蕾でピンク色に染まる二見町の音無山の桜の木々。(この季節どこでもそんな光景を見ますね)
通勤路なので、目につきます。

今朝、出勤しているとき、ハタと気付きました。

今年もこの時期ちゃんとピンク色になっています。
それを見た瞬間、驚きました。
あ、今年もちゃんと咲いてくれるんや。(当たり前なんだろうけど)
嬉しくて、そして、とても元気な気持ちになった。

大震災があろうと、なかろうと、人間界になにがあろうと、自然は、変わらないのです。
生まれていませんが、きっと戦時中だって、桜は咲きましたよ。ね?
地球上のどこかで、テロがおきようと、内戦があろうと、時がくれば風は吹いて、植物は芽吹き、季節はうつりかわり(国よっては季節はないかな?)、いつものように、変わらない。

津波はそこに命があろうと、容赦なく襲い掛かるけれど、こうして当たり前のように、春を運んできてくれます。

毎年、今年も桜咲くね~ってぐらいに思う、この音無山の桜も、今日見たときに、涙が出そうになりました。
今年もちゃんと咲いてくれてありがとうって。(実際まだ咲いていませんが…)

植物は、今年は震災だから花咲くの自粛しようか?なんて思わないのです。(笑…当たり前か)

それを見て、人は、何を想う?
素直に、綺麗って想うし、そこに集いたいと思う。
その力強い生命力を想像するだけで、元気なれる。と思いませんか?


何もなかった枝にステキな花を咲かせて、そして新緑、その間も幹内側は育ち、冬の寒さにも沈黙し耐え、そして少し成長した枝に、また花を咲かせる。

そのサイクルが当たり前なんだろうけど、スゴイことなんだと思った。


人間の成長もそんなものなんだろうな。
急ではないけれど、着実に育つ。

何があっても動じず育つ植物のように…、人間もそうならないと。

もし桜が、今年は震災もあったので、花咲くの自粛します。
となったら、きっと人間は、さらに、さらに落ち込むと思います。

だから、自然にするなら、いろんなことに自粛は不自然じゃないかと思うな。
元気であるはずの西日本が、東北のためにイベントや、いろんなことを自粛しますとなったら、きっと東北の人たちは悲しむと思います。そうじゃない?

東北を想うことは、一緒に悲しんで、本当は元気なのに元気じゃないフリをすることではない。
東北が、日本が元気なるためには、元気な人は、思いっきり元気になればいい。
経済を動かせる人は、どんどん経済を動かしてほしい。

東北では、比較的、災害の影響がなかった観光地も人がめっきりこなくなっているようです。
農産物や畜産品も風評被害で、売れなくなっています。

私たちの仲間であるふくしまバリアフリーツアーセンターさん、ゆにふりみやぎさんが悲しみながら、伝えてくれました。

ぜひ、みなさん、旅行を自粛しないで、どんどん出かけてください。
風評に流されず、東北産(福島産)のものをどんどん購入してください。
現地に行って支援できない私たちの支援方法です。

そして、少しずつ、桜前線のように北上!!
私たちの元気パワーを東北へ送らなくてはいけないのです。

年度末は容赦なくやってくる

2011-03-25 23:05:23 | HASSY語録~ばりふりつぶやき~
毎度、年度末が来ると考えるのが…

「一年間、毎月の日数を自由に決められる、年俸制みたいなことができればな~」

ようするに、6月は20日まで、3月は45日ぐらいほしい!
ま、一年365日であるのは変わりないんだけど、年度末もせまった2月が28日までしかないのはなんとも、酷すぎる。
そして、なんなら3月はうんと日数がほしいわけで…。

無理です。そうですよね。

で、本日は、朝から伊勢市への報告書の最終詰めを自分で自分の尻を叩き、なんとか午後イチで完成。

昼からは、打ち合わせ
15時からは伊勢志摩バリアフリーツアーセンターの検討会。
とても素晴らしい意見もあり、有意義な時間でした。

夕方は、全国ICTの事業の書類整理。これも31日までに揃えて提出なのです。
ドキドキです。
できるんでしょうか?いや、しなくてはいけません。
ほかにも今年度中提出ものもありますが…。

夜は、夜でイセシマンミーティング。

明日はお休みだけど、家でパートナーの看病しながら洗濯&仕事を家でしま~す。


災害ボラ進捗ですが、先遣隊が4月1日からの出発を予定しているようです。
軽油ローリーちゃん、活躍か?
しかし、ガソリンスタンドの店長が仕事の都合でどうも先遣隊同行は難しい感じになってきました。心配です。
一応、先遣隊メンバーに資格を持っている者がいるようなので、大丈夫そうですが…。

それでも、軽油ローリーの貸し出しは大きいです。
そんなガソリンスタンドも本日25日でお店を閉めてしまいました。
とても残念です。
結婚して8年間はお世話になったガソリンスタンド。
決してガソリンが安いわけではなく、むしろ、ヨソよりも高かったです。(笑)
でも、私もパートナーも「安いガソリンスタンドに乗り換えようか?」という、ことは言い出したことはありませんでした。
二人とも、このお店の店長の人柄がとても良いということから、ガソリンを買うというより、”この店長からガソリンを買いたい”という思いで行っていました。
それだけに、閉店はとても、とても残念です。

いつもの店長の「のぐっつぁん」という元気な声も聞けなくなるのですね。しみじみ。

軽油ローリーを借りることができたのも、そんなつながりがあったからこそ。(ほかにもいろいろ困ったときに助けてもらいましたが…)
ただモノを購入するだけでなく、コミュニケーションをとってこそ繋がる人と人、心と心なのです。
だからこそ、いろんな更なるつながりや、広がりが出来ていくのだと思います。

そんなコミュニティがひろがるプラットホーム的な小さなお店が地域から少しずつなくなっていくこの時代。

商品が近くで買えなくなるだけでない、もっともっと大事なものを失ってしまうような気がします。

何かあったときには、頼れる人がいる。そんなお店でありました。
エネオスフロンティア中部支店 二見SSさん、長い間お世話になりました。
ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。

バアリフリー旅行ネットワーク 全体研修意見交換会で「天の岩戸作戦」を改めて刻む

2009-03-22 21:28:32 | HASSY語録~ばりふりつぶやき~
いつも、障害者、高齢者のお客様を伊勢志摩へ連れてくださる旅行会社のひとつである「夢ツーリストきたみ」(京都)さんからのご紹介で、鳥羽の扇芳閣さんで行われた「平成21年度バリアフリー旅行ネットワーク定例会総会・全体研修意見交換会」へ10日(火)行ってきました。

全国のバリアフリー旅行に力を入れている旅行会社の集まりで、その総会があったのです。
私は総会後の全体研修意見交換会に参加をさせていただきました。
旅行会社は石川県や大阪、愛媛から見えている方も…。
幅広いです。
地元の宿泊施設では伊勢志摩ロイヤルホテルやマリテームの方々、そして三重県の中でも伊勢志摩同様障害者、高齢者のお客様を暖かく迎え入れてください榊原温泉の「湯元 榊原館」の方もみえていました。

意見交換会では、3班に分かれて話し合いました
この意見交換会では、旅行会社、宿泊施設、利用者(障害者)、学生(昨日の大谷)と、いろんな立場の方がいらっしゃったことにより、話が膨らむ、膨らむ。

もっと、時間があれば、詰めた話もできたのにな~。惜しい!

私たちのテーブルでは、半身不随のダンナさんと奥さんも見えて、旅行者の立場として、混んでいる時間帯の移動は避けるなどの、工夫をしているというお話なども聞かせていただきました。
旅行会社としては、一般の方(ツアーのお客さん以外の周りの方)のマナーがなさすぎて、予定通り進まないことがあるというジレンマに悩まれていたり。

そんなお話から、私たちツアーセンターが出来ること…、それはやはり着地型という立場から、「混んでいない時間帯をアドバイス(によって、スムーズな旅行)」や「地元住民のバリアフリー啓発(によって、マナーがよくなる)」などがお仕事となるのかな?と考えてみたり…。

いろんな方の意見を聞くことは勉強になります。

研修会の最後に私の一言コメント時間を頂いたので、時々、講演などでもお話している「天の岩戸作戦」のお話をしました。

天照大御神が弟スサノオに怒り、天の岩戸に閉じこもってしまったとき扉を開けるための、扉の前で宴を開き、ドンチャン騒ぎをしたり、あの手この手で天照大御神を外に出そうとしました。
その中でも、注目したいのが「アメノウズメノミコト」の舞い(裸踊りをしたとかいろいろ言われていますが…)。
それが、きっかけで、天照大御神は外のあまりの賑やかさに「何をしているんだろう?」と覗きたい気持ちに駆られ、そっと扉を開けたところに、みんな一斉に駆け寄り、天照大御神を天の岩戸から出したという。あの話です。

私は、今外に出てきている障害者、高齢者、そして、こうしてバリアフリーの旅行を率先的に力を入れてくださる協力者は「アメノウズメノミコト」だと言っています。

ようするに、現在、閉じこもっている障害者、高齢者に「外はとっても楽しいよ、おもしろいよ」ということを、扉の外で扉の中にいる人に伝えているのです。
楽しんでいるだけで、それは伝わることでしょう。(義務やイヤイヤやっていては伝わらないです)
そして、一人でも多く楽しい外に出て来る人を増やし、アメノウズメノミコトを増やすのです。

町に障害者、高齢者が当たり前にのようにいることにより、町は良くなるというとてもいい循環が生まれるのです。
そんなそんなことを夢見て、私たちは裸踊りで楽しさを皆さんに伝えていくのが役割なのだと伝えながら、自分自身も改めて心に刻んだ時間でした。

合言葉は「次は白石持やなっ!」

2009-02-18 22:08:52 | HASSY語録~ばりふりつぶやき~
今朝、訃報が届いた。
突然で、信じられませんでした。

昨日、初雪の伊勢道路での交通事故。
58歳。

2年前の「バリアフリーお木曳」にてコアボランティアとして会議に率先して出てくれて、大きな壁にくじけそうになった私を励まし、迷ったときには私の思い確認しながらハッパをかけて成功へと導いてくれたのも彼でした。

(参照)
ばりふり奉曳当日Ⅰ 準備~出発式まで
ばりふり奉曳当日Ⅱ 出発式~奉曳(5月26日写真追加)
ばりふり奉曳当日Ⅲ 涙の?クライマックス(写真6月10日追加)
ばりふり奉曳当日Ⅳ 御垣内参拝でおかげ参り
ばりふり奉曳当日Ⅴ ばりふり奉曳を終えて


バリアフリーお木曳が終わってからは「次は白石持やなっ!」を会うたびに言い合っていました。
(平成25年の式年遷宮の白石を市民で運ぶ祭。バリアフリーお木曳同様にできるようにと、参加者たちと誓い合ったのです)
しつこいぐらいに、言い合っていました。
それしか言うことないんかいっ?って、笑ってツッコミを入れたくなるくらい…。
顔見るたびに…。
でも、それは、私があの5月の感動を忘れないよう、あのモチベーションで白石持に挑めるように、けしかけてくれていたのかもしれない…。

あのお木曳が終わってから、6年間もそれ、言い続けるつもりやったんかな?

白石持まであと4年…。
長い…。
言われ続けていたら、そんな風にも思わなかったのかも…。

もう、平成25年までハッパかけてくれる人はいないのかな。

今は、ただただ、ご冥福をお祈りする限りであります。

一人初詣 40年後に開けるタイムカプセルを神宮にそっと…

2009-02-07 15:23:05 | HASSY語録~ばりふりつぶやき~
せっかくここまで来たのだから(というほどでもないですが)、今日は参拝して行こうと思い立つ。
実はこれが私の内宮さんの初詣になります。

元旦に外宮さんに行き、1月下旬に宇治橋は渡ったけれど、チェアーウォーカーパートナーと二人で正宮まで行くのは少し大変だし(人も多い時期だったし)、そもそも宇治橋を渡ること、記帳すること、子安神社へ行くことを目的にしていたので、今年は初詣がまだでした。

今日は、ちゃんとお参りしておこうと、内宮さんへ一人で。

渡れなくなった宇治橋を横目に、仮橋を渡る。
トンテンカンテンみんな作業しています。



夕暮れ時だけあって、参拝者もかなり少ないですね。


終わりがけなので、五十鈴川も網のカーテンがされます。


そういえば、数年前こんな時間に参拝に行くと、鹿に出会ったりしたものですが、今日はそれがなかった。
今の時期、夜の伊勢道路通ると、鹿やらイノシシやらよう出てきていますが…。

一人で、ゆっくり、ゆっくり参道を行きます。
神宮ボラや友達の案内などで来ると、説明に一生懸命になって、あまり自分の視点で見ていなかったけど、今日はじっくり神宮を堪能。


こんな看板前からあったっけ?


たまにはいいですね。こんな参拝も。(いや、それが普通ですけどね)

正宮では、(パートナーの分もあわせて)日々の感謝と、ツアーセンターがここまで来れたことのお礼を述べました。
(神宮では祈願ではなくて感謝に手を合わせるところですよ)


正宮から帰りのスロープは結構急でした。


荒祭宮にも行き、ツアーセンターの今後を誓ってくることも忘れずに…。


荒祭宮さんですよ~


帰りの砂利道を踏みしめながら、フト思う。
私の足腰弱くなるであろう40年後あたり?同じように、この砂利を踏みしめて参拝することができるだろうか?と。(そもそも生きているのか?)

そして、40年前にこうして、一人で参道を歩きながら神宮にツアーセンターの今までを感謝しつつ、今後を誓ったこと、懐かしく思い出したりするのだろうか?
そのときの私は、胸張ってこの神宮を参拝できているのだろうか?
40年間悔いのない活動が続けてこれるだろうか?
40年後同じように、ツアーセンターの活動を感謝しにこれるだろうか?

そうでありたい。

40年後、80歳手前になった私が神宮をどのように参拝しているか、私には見えているのですけどね。(笑)
その時きちんと参拝出来たとき、40年分の感謝をこめて手を合わせようと思います。
石段上でね。


この日は、そんな気持ちのタイムカプセルを神宮にそっと忍ばせてきました。
40年後が楽しみです。


前から工事していた参集殿の裏のトイレ。
キレイになっていました。今の時期嬉しい暖かい便座です。手すりもついていましたよ。



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