HASSY局長のハサカル日誌

伊勢志摩バリアフリーツアーセンター事務局長HASSYが
日々のハサカル(気になる)出来事など記録していきます。

”プチッ”(穿刺)は、想像を絶する痛さだった

2007-06-28 10:46:18 | 不妊治療報告
6月25日(月)、パートナーは青島(チンタオ)へ行っているこの日、「プチッ」とする日がやってきました。

私の場合、「遺残卵胞」といって、卵胞が吸収されずに卵巣に残っているのです。
これが、卵子の発育をジャマしているというわけでもないらしいのですが、残っていないにこしたことはありません。
本日は、この卵を「プチッ」と潰して、注射器でチューと吸い取っちゃう処置なのです。


痛いってどれくらいのものだろう?
外傷よりも、内臓部分の痛さって、なんだか想像するだけで、力が抜けてしまいます。

14時に予約を入れて、行ってきました。

先生が言うには、処置をしてから10~15分ぐらい休んで、問題なければ、帰れます。
その程度…らしい。



まず、内診をしていると、看護婦さんが、続々と台に何かの器具を乗せて、持ってきた。
なんだか手術みたいです。
もちろん、麻酔はなし

産婦人科の内診台を経験する人なら、知っていると思いますが、カーテンで仕切られていることもあって、そこから、何がどうなっているか、まったく見えません。
先生は慎重に、エコーで見ています。

そのあと、消毒なのですが、これが痛い。
この時点で卒倒しそうになりました。
念入りに消毒されているだけで、痛さで涙がこぼれてきました
「プチッ」がくるまでかなり時間がかかっているようです。

「い、痛い」と言っても、先生は容赦無しです。
それを察してか、看護師さんがカーテンの向こうからやってきて、「野口さん、もう少しですからね、がんばって」と励ましてくれています。
でも、もう言葉に出ないくらい痛いです。
まだ、「プチッ」としていません。
見えないだけに、いつやってくるのか想像もつかないのですが、看護師さんが実況してくれました。
「野口さん、プチッといきますよ」

「えええええええ~!!」(気持ちは、待ってくれ~!ですが、待ってくれるはずはありません)

「プチッ」という音こそありませんでしたが、確実に、私の体内で、「プチッ」とした感覚はありました。
「プチッ」だけではありません、そこからチューとその潰したものを吸い取っています、吸い取っています。
その感覚も分かります。
痛さに耐えて、足の力がどんどん抜けていきます。
足がプルプルしてきました。

そこからもう、鈍痛です。
注射針を抜くことも痛く、何をしても痛い。
処置が終わってから恐怖の消毒をし、内診室を出た。
そのときの私の顔は相当青ざめていたと思う。
中待合にいた人たちは、きっと中で何が起こっていたのだろう?と思っていたことでしょう。

歩けば、おなかに響き、足もプルプルと震えている。そんな状態で、とりあえず、身体を休めるが、休める場所はストレッチャー
寝返りも打てないよ、この狭さ。
とにかく、左右横を向いても、うつぶせても仰向いても何しても痛い。
ヒドイ生理痛が突然、ドーンとやってきた感じで、プチッとしたその箇所が痛いわけではありません。
全体的なのです。
それはそれは、涙をポロポロ流しながら、うなっていました。
そんなことろに、看護師さんがやってきて、「感染症予防の注射をお尻に打ちます」と、やってきた。

う・ご・け・ま・せ・ん

という、私に看護師さんはこの注射は早く打っておかないといけないので、「痛いついでに打っちゃいましょう」ということで、私は渋々注射を打ち。
そこから、またもや、涙を流しながら、「う~ん、う~ん」とうなって横になる。

10~15分休憩すれば…、ってどう考えても無理。

看護師さんがそれくらいに様子を見に来たけれど、私「ムリ」の一言。
30分後にも来たけれど、「まだ、もうちょっと、動けません」
痛み止めの剤薬も薦められたけれど、もう、何も触らないで…。って感じです。

この時点で、私は車を運転して帰れるのだろうか?ととても不安に思っていました。
と、同時に、なんでこんな痛い目に…となんだか悔しさもあって、涙がまた溢れてきました。
「くそー、パートナーは今頃、青島(チンタオ)で…」とか「このストレッチャーでは寝返りも打てないし、まったく休めない」とか、痛みへの怒りの矛先がわけ分からないところへ飛び交っていました。

そうこうするうちに、結局1時間休ませてもらいました。
それでもまだお腹はシクシク痛みます。
歩き方も、普通に歩くと響くので、すり足状態。

ああ、どうやって車を運転していけばいいのだ?と思いながら、内診でまたもや、消毒。
この時点で「もう、どうにでもしてくれい!」と思ってしまうぐらい。
痛みをちょっと客観的なところへ持っていき、自分じゃない人が痛んでいるように、思考操作してみたりして。

その後、問診で先生に取り出したものを見せてもらった。
大きな注射器には、ドロッとした血が、おおよそ50ccぐらい入っていました。(写真撮ってくればよかった)

これで、次の生理が来てから、卵胞を育てるHMG、排卵誘発剤であるHCGを始める算段です。
それまでは、感染症予防の薬と、またもや、ロ・リンデオールというホルモン剤を服用。
決戦は7月下旬。
夏の暑いころです。

ああっ、今、思い出した。
川曳き真っ只中のころだ…。

どうか、どうか本日にあたりませんように。

子づくり計画5月の報告

2007-06-27 01:07:13 | 不妊治療報告
ハサカルを読んでいる方から、更新されていないよ~子供はどうなった?と聞かれることが多い。
実は、この日誌読者?の中には、これを楽しみにしている人もいるらしい。
ここはバリアフリー情報が主なんですけどね。

と、いうことで、そのご期待にそいまして、経過をお知らせします。
この日記に書いていない間に…

4月から始まった点鼻薬をずっとずっと朝晩2週間ばかりつづけまして、5月の生理の4日目あたりから、HMGと言う、卵胞を育てる注射が開始されました。
これも筋肉注射です。毎日です。土日もです。
毎日も松阪まで仕事を終わって通うのは、大変なので、お願いして、地元伊勢のかかりつけの産婦人科で注射を打ってもらうことにした。
ここは、私の仕事のこともよーく知ってくれているので、時間外などのムリもきいてくれたり、コチラの都合にもあわせてくれます。
本当、助かります。地元にかかりつけ医がいてよかったと思います。
でも3日に一回は経過を見るのに松阪まで来てくださいとのこと。

で、その注射を打ち始めて6日目。
採血と心電図をとるため(今後の麻酔のために)と、卵胞が育っているか?を見るために5月14日ART生殖医療センターへ。

その結果、卵胞は育っていませんでした。
普通注射も何もしなければ、生理が終わってから卵胞が1個育ちます。
しかし、今回、体外受精のため、沢山の卵を準備しなくてはなりません。
先生曰く5つ
ぐらいは欲しいな~と、と言うことでしたが、HMGを打っても(私の場合普通の人の場合よりも少し多めに打っていたらしい)3つしか出来ておらず、しかも3つとも粒が揃っていない。
このまま注射を打ち続けても、おそらく、1つが大きくなるだけだからリセット!

リセット、りせっと…。私の頭にそれらがぐるぐるめぐりました。
い、今までの痛い注射は…。リセット?

実は、正直このプロジェクトを楽観視していました。
問題はパートナーにあることは確かで、原因がハッキリしている分、その対処は明確である。
私は、大丈夫だと思っていた。
だって、薬を頻繁に服用しない私は、ちょっとの薬でも効くし、パーマのかかり具合だって、見事なぐらい、よく効く。(←この時点、考え方がおかしいと思わないか?自分
だから、今回のHMGだってきっと、テキメンに聞くだろうし、一発ぐらいでとりあえず、胚移植まではスムーズに行くのだと思っていた。

でも、ハッキリいってなんの根拠もない。

そんな楽観視な私だっただけに、実は、この「リセット」相当な打撃でした。
だから、あまりみんなに言わなかった。
多くは語らなかった。
自分の浅はかな、知識となんの根拠もない「大丈夫」という思いが、恥ずかしく思えてきた。
いろんな悩みを抱えてここ(ARTセンター)に通っているみんなに、申し訳なく思えてきた。

ことの行程をリセット。
だけでなく、自分のそんな気持ちを思いっきりリセットしなくてはならなかった。

と、言うことで、次の生理が来るまで、ロ・リンデオールというホルモン剤を服用。
1からやり直しです。

卵が育たなかった理由は先生も分かりません。
「私の不摂生が原因でしょうか?」(←分かっているならヤメロよ)
と言っても、
「フツーにいつものとおりに、何も気にせずしていれば良いです。たまたま今回が上手く育たなかっただけで、こればっかりは、何が原因とか、よりも、”たまたま”ですね」と先生。


「ただ、野口さんの場合は、”遺残卵胞”があって、生理が終わっても、卵が腫れて残っているのが気になります。
それをなくすように薬で様子を見ますが、次回の生理のときも残っていたら、針でプチッとしましょうね」

プチッと、いうのが気になるところですが、痛いですか?と聞いても、「プチッと針を刺すだけですから」とのこと。

で、薬が切れた5月28日に来院し、やはり、遺残卵胞があることを確認し、次の生理3日目、「プチッ」の日がやってきました。

つづく

パートナーは中国青島へ旅立っています

2007-06-25 01:51:09 | アクティビティ
ここ数日、パートナーはヨットの交流試合?のため、中国は青島(チンタオ)に行っています。
ハサカルではあまり書いていませんでしたが、パートナーは、ヨットの全日本強化選手にいつのまにか選ばれ、毎週末は東京、最近は蒲郡で各地にちらばっている選手たちと落ち合い、練習を重ねております。

そして、今回ヨットで初の海外遠征です。

もちろん、私はお留守番。

旅立つ当日、セントレアまで送りに行きました(正確には荷物もち)。
韓国経由だそうです。

といっても、4泊5日なので、もうすぐ帰ってきます。

青島…、たしかパンダのイラストのチンタオビールあったよね。
土産…、にしては、重いよね。
無理か。

ばりふり奉曳当日Ⅴ ばりふり奉曳を終えて

2007-06-24 23:14:25 | お木曳き・式年遷宮
忙しさだけでなく、自分の中で沢山の葛藤と、そしていろんな世界を見聞し、とても勉強になった数ヶ月を体験させていただきました。

褒めたいところもあれば、もちろん反省点もある。


実は、ツアーセンターを始めてからいろんなビジョンが私の頭の中にめぐっていました。
行いながらの思いつきなので、困った事例やお客様の要望を聞きながら、「こんなのあったらいいな~」「こんなことできたらいいな~」といつも考えてきました。

このお木曳も密かに思いを寄せていたもの。

そんな思いが、こんなに早く実現するとはちょっとびっくりしている反面、ばりふりの波紋がどんどんひろがっているんだと実感しております。
それだけ責任もミシミシと重くはなってきているのだろうけれど、それはいろんな面で助けられているのも確か。

ばりふり奉曳でも感じたのは、たくさんの人の支援、協力があってこそ。
それは、一緒に活動してくれる仲間であったり、いろんな助言であったり、叱咤激励、応援の声であったり。
少しでも、ばりふりの活動に耳を傾けてくれる方、ちょっとでも意識して気にかけてくれる、そんな小さな点が広がっていくことが本当の活動なのかもしれません。

今回集ってくれた参加者、ボランティア200名あまりの皆さん。
一人ひとりの力では、これらは達成できなかったけれど、多くの力が集って成功したのです。
ちょっと古い話、スイミーみたいなのものですね。
小さい魚が集って大きな魚に見せる。

誰と戦うというわけではないけれど、一人で動くよりも多くの方に見ていただき、本当にみんなが同じように奉曳したかったんだということを知ってほしかったのです。

そして、これらが6年後の白石持ち、19年後のお木曳、いえ、日々のみなさんの近くにいる障害者、高齢者への意識を高めていただき、どんな方にも住みよい伊勢志摩、観光客へのおもてなしの思いというものが根付いていくことを祈ります。

この場をかりて、このばりふり奉曳に関わっていただいたみなさん、お疲れ様でした。
そして、心からお礼申し上げます。

ばりふり奉曳当日Ⅳ 御垣内参拝でおかげ参り

2007-06-10 21:48:44 | お木曳き・式年遷宮
ばりふり奉曳から一ヶ月が経ちました。
にもかかわらず、しぶとくレポート。です。

さて、外宮北御門に奉曳車は曳き入れました。
挨拶も終わり、いざ外宮へ参拝となったとき、報道陣が私の前にどどどど~っと集ってきました。
いやはや、芸能人みたいです。
始まる前に、絶対報道陣がみんなにインタビューとかするから、それらをふりはらって、みんな一緒に外宮に入らんとな~って言っていたのに、言っていた本人が外宮を目の前に、とうせんぼされてしまいました。

今の感想は…。
と、聞かれても、それよりも、みんながそろって外宮に…という心配が先に立ち、インタービューされているのに、言葉が出てきません。
ありきたりの言葉で切り抜け、みんなに追いつきました。
だって、御垣内参拝の手続き、代表の羽木さんに確認などなど、しなくてはいけないことだらけ。
ボランティアたちにも、外宮参道、参拝、御垣内の算段が~。

しかし、ボランティアのみなさんは、すばらしくチャチャッと動いてくれていました。

日除橋から本殿まで砂利道約400メートル。
みんな、静かに砂利を踏みしめながら進みました。
雨の音、砂利の音、土を木を湿らせる匂い、みんなの心にそれぞれの想いを詰めて進みます。



本殿前で参加者もボランティアも並び、お祓いをうけます。




御垣内に入る前です。整列してから、いざ、御垣内へ。

そこから鳥居をくぐり、御垣内へ。

奉仕会の方が言いました。
「車椅子の方は、御垣内が見える垣外のところに並ばせてもらうようお願いしたから」(※車椅子のまま御垣内参拝はできません)

すかさず、私が聞きました
「車椅子の方も介助して入れる人は、御垣内入ってもいいですよね?」

と言って、私は御垣外に並ぼうとしているチェアーウォーカーたちみんなに、
「みんなそのままでええの?御垣内入りたい人は、入ってもいいよ、介助するから」

といったら、いっせいにみんな御垣内へ向かいました。
そうよ、ここまで来たら入りたいさ。
ボランティアのみんなも一斉にチェアーウォーカーの周りに寄り、それぞれが出来る範囲でサポート。
歩ける人は、支えてもらいながら…。
歩けない人は、両脇と足と、3人がかりで、それぞれの症状にあわせてサポート。

それを見た、奉仕会、商工会議所、自衛隊の方々は目がテン。
「ほ、ほんまに?」と言う横で、私は「もちろん!」

だって、以前神宮の方も入っても良いよと言ってくれていたし…。(参照←クリック)
みんなが入りたがっているのよーく、伝わる。

半分呆れているような、参ったような…複雑な表情の関係者たちに、内心で「ゴメンね、ありがとうね」と言いながら、みんなを御垣内に誘導。

参加者は介助してもらいながら雨の中続々と御垣内に入り、整列しました。
代表の羽木さんが大きく腕をあげて、皆に分かるように二礼二拍手一拝。
みな、揃っていました。

後から聞くと、両脇抱えてもらっていたチェアーウォーカーは両脇のサポーターの手と自分の手で合掌したそうです。

私はそれらを御垣外でそれを眺めていたのですが、雨で霧がかった御垣内に並ぶみなさんはなんだか別の世界の人たちみたいでした。

それは、それは幻想的な光景でした。

つづく