さらに、日記が滞っておりまして申し訳ありません。
毎週末(金・土・日)サポートボランティアに出動しておりまして、なかなか更新できずにいます。
さて、難関の北御門カーブが近づいてきました。
駒田洋品店の前でチェアーウォーカーたち、綱から離れます。
普段からスイスイ動く人はもちろん、そうでない人もボランティアの力を借りれば、奉曳車よりも早く進めます。
と、いうことで、カーブを綱より早く曲がったチェアーウォーカーは綱がカーブを曲がってまっすぐになったところで、再度綱につくという、ボランティアと参加者のすばらしい連携、これが私たちが編み出した作戦です。
沿道にギャラリーがいてます。
みんな声をかけてくれます。
たくさんの人たちが拍手をしてくれています。
雨の音がかき消されていきます。
そんな沿道の声援に応えるかのように、大きな奉曳車はスムーズに止まることなく、カーブを曲がりきった。
参加者たちも危ないことは理解して、ボランティアもみんな真剣なまなざしで介助をしています。
とても今朝さっき会った、ボランティアと参加者、ボランティア同士、参加者同士とは思えないくらい連携がぴったりです。
言うこと無しです。
「無事に奉曳」というみんなの思いがひとつになった瞬間です。
あんなに、悩んで、あんなに、脅されて?、あの手この手考えたけど、意外とあっさり、「あれ?」ってくらい余裕に曲がることができました。
もちろん、それだけ慎重に考えていたからこそ、あの完璧に近い曲がり方が出来たのかもしれません。
北御門には知人の顔もたくさんあります。
私たちの七転八倒していた会議を暖かく見守ってきてくれた人、いろんな助言をくれた人…。
「おつかれさ~ん」
「がんばれ~」
「もうっ少しだ~」
「ごくろうさん」
「ありがとう!!」…
えっ?「ありがとう」?
参加者がありがとうって言うのは分かるけど、ギャラリーから「ありがとう」と言う言葉が聞こえてきて急に涙が溢れてきました。
このときほど雨が降っていて、ありがたいと思ったことありません。
涙がバレません。(笑)
(※あとから聞いた話、参加者もボランティアもたくさん泣いていたそうです。みんな雨がありがたかったでしょうね)
恥ずかしいですが、北御門カーブから奉曳終了まで私の顔はグシャグシャでした。
頬に冷たい雨と暖かい涙が一緒に流れて、変な感じで、笑えてくるのですが、今までの泣きたい気持ちなくらい辛いことも悔しいことも、ガマンしていたのか?全て洗い流されるくらい、たくさん泣いてしまいました。
北御門には、このばりふり奉曳を影ながら応援してくれていた人たち、危なっかしい、私をハラハラしながら見てきた人たち。
いつやめるか?いつあきらめるか?無理なんじゃないか?と本当にそう思っていたと思う。
私も、常に崖っぷちでした。
正直、成功するかどうかなんて予測もまったく、何もつきませんでした。
でも、そのあやふやな態度を参加者やボランティアたちに見せることはできません。(今だから言える)
気丈に振舞わなくては、成功させるんだ!という強い精神で挑まなくては…!
大丈夫と参加者に安心を与えなくては…。
と、数ヶ月精神的にもクタクタ状態でした。
「ありがとう」って言ってくれた人は、きっと。
いろんな意味で「途中で諦めずに、やり遂げてくれてありがとう」の意味だったのじゃないかな?
そして、この小さな一歩が、6年後(白石持ち)、20年後(お木曳)に確実に繋がるということを見えたんだと思う。
無事奉曳車を曳き込んで万歳三唱をしてから、みなさんに挨拶をさせてもらった。
「ありがとう」しか出てこなかった。
参加者にもボランティアにも、ギャラリーにも、そして今日まで影ながら見守ってきてくれたみなさん、そして全ての方々に感謝しかありません。
それ以外に何も出てこなかったです。
そんな気持ちで、奉曳後、神宮参拝。
まさにおかげ参りをすることになるのです。
つづく
毎週末(金・土・日)サポートボランティアに出動しておりまして、なかなか更新できずにいます。
さて、難関の北御門カーブが近づいてきました。
駒田洋品店の前でチェアーウォーカーたち、綱から離れます。
普段からスイスイ動く人はもちろん、そうでない人もボランティアの力を借りれば、奉曳車よりも早く進めます。
と、いうことで、カーブを綱より早く曲がったチェアーウォーカーは綱がカーブを曲がってまっすぐになったところで、再度綱につくという、ボランティアと参加者のすばらしい連携、これが私たちが編み出した作戦です。
沿道にギャラリーがいてます。
みんな声をかけてくれます。
たくさんの人たちが拍手をしてくれています。
雨の音がかき消されていきます。
そんな沿道の声援に応えるかのように、大きな奉曳車はスムーズに止まることなく、カーブを曲がりきった。
参加者たちも危ないことは理解して、ボランティアもみんな真剣なまなざしで介助をしています。
とても今朝さっき会った、ボランティアと参加者、ボランティア同士、参加者同士とは思えないくらい連携がぴったりです。
言うこと無しです。
「無事に奉曳」というみんなの思いがひとつになった瞬間です。
あんなに、悩んで、あんなに、脅されて?、あの手この手考えたけど、意外とあっさり、「あれ?」ってくらい余裕に曲がることができました。
もちろん、それだけ慎重に考えていたからこそ、あの完璧に近い曲がり方が出来たのかもしれません。
北御門には知人の顔もたくさんあります。
私たちの七転八倒していた会議を暖かく見守ってきてくれた人、いろんな助言をくれた人…。
「おつかれさ~ん」
「がんばれ~」
「もうっ少しだ~」
「ごくろうさん」
「ありがとう!!」…
えっ?「ありがとう」?
参加者がありがとうって言うのは分かるけど、ギャラリーから「ありがとう」と言う言葉が聞こえてきて急に涙が溢れてきました。
このときほど雨が降っていて、ありがたいと思ったことありません。
涙がバレません。(笑)
(※あとから聞いた話、参加者もボランティアもたくさん泣いていたそうです。みんな雨がありがたかったでしょうね)
恥ずかしいですが、北御門カーブから奉曳終了まで私の顔はグシャグシャでした。
頬に冷たい雨と暖かい涙が一緒に流れて、変な感じで、笑えてくるのですが、今までの泣きたい気持ちなくらい辛いことも悔しいことも、ガマンしていたのか?全て洗い流されるくらい、たくさん泣いてしまいました。
北御門には、このばりふり奉曳を影ながら応援してくれていた人たち、危なっかしい、私をハラハラしながら見てきた人たち。
いつやめるか?いつあきらめるか?無理なんじゃないか?と本当にそう思っていたと思う。
私も、常に崖っぷちでした。
正直、成功するかどうかなんて予測もまったく、何もつきませんでした。
でも、そのあやふやな態度を参加者やボランティアたちに見せることはできません。(今だから言える)
気丈に振舞わなくては、成功させるんだ!という強い精神で挑まなくては…!
大丈夫と参加者に安心を与えなくては…。
と、数ヶ月精神的にもクタクタ状態でした。
「ありがとう」って言ってくれた人は、きっと。
いろんな意味で「途中で諦めずに、やり遂げてくれてありがとう」の意味だったのじゃないかな?
そして、この小さな一歩が、6年後(白石持ち)、20年後(お木曳)に確実に繋がるということを見えたんだと思う。
無事奉曳車を曳き込んで万歳三唱をしてから、みなさんに挨拶をさせてもらった。
「ありがとう」しか出てこなかった。
参加者にもボランティアにも、ギャラリーにも、そして今日まで影ながら見守ってきてくれたみなさん、そして全ての方々に感謝しかありません。
それ以外に何も出てこなかったです。
そんな気持ちで、奉曳後、神宮参拝。
まさにおかげ参りをすることになるのです。
つづく