HASSY局長のハサカル日誌

伊勢志摩バリアフリーツアーセンター事務局長HASSYが
日々のハサカル(気になる)出来事など記録していきます。

ばりふり奉曳当日Ⅲ 涙の?クライマックス(写真6月10日追加)

2007-05-26 17:51:51 | お木曳き・式年遷宮
さらに、日記が滞っておりまして申し訳ありません。
毎週末(金・土・日)サポートボランティアに出動しておりまして、なかなか更新できずにいます。

さて、難関の北御門カーブが近づいてきました。
駒田洋品店の前でチェアーウォーカーたち、綱から離れます。
普段からスイスイ動く人はもちろん、そうでない人もボランティアの力を借りれば、奉曳車よりも早く進めます。
と、いうことで、カーブを綱より早く曲がったチェアーウォーカーは綱がカーブを曲がってまっすぐになったところで、再度綱につくという、ボランティアと参加者のすばらしい連携、これが私たちが編み出した作戦です。


沿道にギャラリーがいてます。
みんな声をかけてくれます。
たくさんの人たちが拍手をしてくれています。
雨の音がかき消されていきます。

そんな沿道の声援に応えるかのように、大きな奉曳車はスムーズに止まることなく、カーブを曲がりきった。



参加者たちも危ないことは理解して、ボランティアもみんな真剣なまなざしで介助をしています。
とても今朝さっき会った、ボランティアと参加者、ボランティア同士、参加者同士とは思えないくらい連携がぴったりです。
言うこと無しです。

「無事に奉曳」というみんなの思いがひとつになった瞬間です。

あんなに、悩んで、あんなに、脅されて?、あの手この手考えたけど、意外とあっさり、「あれ?」ってくらい余裕に曲がることができました。
もちろん、それだけ慎重に考えていたからこそ、あの完璧に近い曲がり方が出来たのかもしれません。




北御門には知人の顔もたくさんあります。
私たちの七転八倒していた会議を暖かく見守ってきてくれた人、いろんな助言をくれた人…。


「おつかれさ~ん」
「がんばれ~」
「もうっ少しだ~」
「ごくろうさん」


「ありがとう!!」…

えっ?「ありがとう」?
参加者がありがとうって言うのは分かるけど、ギャラリーから「ありがとう」と言う言葉が聞こえてきて急に涙が溢れてきました。

このときほど雨が降っていて、ありがたいと思ったことありません。
涙がバレません。(笑)
(※あとから聞いた話、参加者もボランティアもたくさん泣いていたそうです。みんな雨がありがたかったでしょうね)

恥ずかしいですが、北御門カーブから奉曳終了まで私の顔はグシャグシャでした。
頬に冷たい雨と暖かい涙が一緒に流れて、変な感じで、笑えてくるのですが、今までの泣きたい気持ちなくらい辛いことも悔しいことも、ガマンしていたのか?全て洗い流されるくらい、たくさん泣いてしまいました。

北御門には、このばりふり奉曳を影ながら応援してくれていた人たち、危なっかしい、私をハラハラしながら見てきた人たち。

いつやめるか?いつあきらめるか?無理なんじゃないか?と本当にそう思っていたと思う。
私も、常に崖っぷちでした。
正直、成功するかどうかなんて予測もまったく、何もつきませんでした。
でも、そのあやふやな態度を参加者やボランティアたちに見せることはできません。(今だから言える)

気丈に振舞わなくては、成功させるんだ!という強い精神で挑まなくては…!
大丈夫と参加者に安心を与えなくては…。
と、数ヶ月精神的にもクタクタ状態でした。


「ありがとう」って言ってくれた人は、きっと。
いろんな意味で「途中で諦めずに、やり遂げてくれてありがとう」の意味だったのじゃないかな?
そして、この小さな一歩が、6年後(白石持ち)、20年後(お木曳)に確実に繋がるということを見えたんだと思う。



無事奉曳車を曳き込んで万歳三唱をしてから、みなさんに挨拶をさせてもらった。
「ありがとう」しか出てこなかった。
参加者にもボランティアにも、ギャラリーにも、そして今日まで影ながら見守ってきてくれたみなさん、そして全ての方々に感謝しかありません。
それ以外に何も出てこなかったです。



そんな気持ちで、奉曳後、神宮参拝。
まさにおかげ参りをすることになるのです。

つづく

ばりふり奉曳当日Ⅱ 出発式~奉曳(5月26日写真追加)

2007-05-19 09:50:52 | お木曳き・式年遷宮
滞っておりましてスミマセン。
バタバタとして日々を過ごしておりまして、一気にいろいろ書いてしまおうと思います。

さて、ばりふり奉曳の出発式~奉曳です。


参加者もサポーターも全員集まり、いよいよ結団式です。

結団式より数時間だけの時間限定奉曳団です。
今さっき、会ったばかりの人同士で団結して一台の奉曳車を曳く。

なかなか大変なことです。

雨が止まないので、高柳商店街のアーケード内で結団式&出発式です。
みんな法被の上にカッパ姿です。


でもみんな笑顔。
結団式&出発式は運行係の奉仕会面々で仕切ります。
実は、以前の会社の社長が担当してくれました。
やり易いような、やりにくいような…(笑)


私も壇上に上がって、最後の注意事項。

「できる限り参加者自ら奉曳を楽しんでもらえるように、余計な手を出さない。そしてとにかく雨にマケズ参加者、ボランティアともに楽しんでくださいと」



さて、出発です。
アーケードを抜けるとやっぱり雨降っています。
1珠2珠3珠4珠と分けたグループで移動です。
それぞれの珠にはグループの全体を見るコアボランティアが配属されています。
ばりふり奉曳の会議を重ねてきたメンバーです。

私たちの出発地は普段の一日神領民よりも200メートル先が出発地です。
初の試みもあって、1カーブ削減しました。

パチパチとカッパに雨があたりますが、その音さえも励ましのエールに聞こえて、楽しめそうな雰囲気でのはじまりです。


自分たちの奉曳車が見えてきて、その前にみんなが並びます。

綱だしが始まりました。


たくさんの木遣子がいます。
まわりには自分の役割をわきまえたボランティアもいます。
そして、無事奉曳が行えるように、細心の注意を払う奉仕会。
沿道に雨の中暖かく見守る住民のみなさん。



木遣が始まりました。
雨の音をさえぎる出発の儀式です。
馬瀬の団の木遣です。

一度、試しに数メートル進みました。
後から知りましたが、この時点でテコにキャスターが付いていたようです。
しかし、思ったより、みんなの力がひとつになり、進むので、一度止めて、キャスターを外しました。

普段の奉曳となんらかわらりありません。
みんなの「曳きたい」思いはキチンと力となって現れていました。

はい、私はこの時点からこの場所にいるようで、いないような気分になってきました。
確かに全体を見る役割なのですが、空中で見ているような、だからといって浮き足立っている入るわけでもなく、客観的に見ているような…。
そうですね、自分を客観的に上から見ている自分がいるというような…。

そしたら、段々涙が溢れてきて。

これだけのボランティアがいれば、大丈夫。
雨が降っているから、みんなが慎重になっているから充分すぎるほど、安全だと見て取れる。

ボランティアもみんな、きちんと自分たちの役割を理解している、とても優秀な人たち。

それは任せられる。
なら、あと必要なことは、みんな「楽しめているか?」です。
一人ひとりできる限り声をかけて、様子を伺う。
みんな笑顔です。


自分がいる綱のレーンも。
反対側の人たちの顔も確認しながら。

あ、一人、反対側にいるパートナーの顔がイマイチしっくりきていないような感じだ。
こりゃヤバイ。
確かに、パートナーの配置は回りにあまり知らない人たちだったかもしれない。
優先順位的に後回しになってしまったからな~と思い、自分側にいる盛り上げ役のボランティアのK氏に、パートナーのフォローにまわってくれとお願い。

しばらくして、笑顔なっているパートーナー。
なんでも後から聞いたら、難しい顔をしていたのは、車椅子でのどうやったら曳けるかを考え込んでいたのだとか…。

チェアーウォーカーたちは用意したさらしを自分たちになりに上手く利用してそれぞれが曳きやすさを編み出している。





不思議な奉曳ですが、確実に、次に繋がるものであることがみえてきました。


さて、クライマックスの北御門カーブに差し掛かってきました。
会議でも御遷宮対策事務局や奉仕会でも、問題視されていたカーブ。

事故があるとしたら、このカーブから北御門に曳き入れるクライマックス。

実は、この最大の難関をスームーズ越える作戦を私たちは、きちんと持ち合わせていたのです。



つづく


ばりふり奉曳当日Ⅰ 準備~出発式まで

2007-05-08 02:49:36 | お木曳き・式年遷宮
さーて、とうとう、この日がやってきました。
それは、それは、この日が来るまで、どれほど、一喜一憂したことか。
どんなに、浮き沈みを激しく過ごしてきたことか。

そして、それ以上にどれほどすばらしい人の協力を得てこられたことか。
それは、それはすばらしい財産であり、勇気であり、自信であり、誇りでもあります。


「本当にするの?」
「今ならまだやめられるよ」
などと、助言をもらいつつ、確かに進むにつれて、このことの重大さに足がすくんでしまいそうになったこともありました。
関係者にどんなにキビシク言われても、どんなに、どやされても、怒られても…
いつも頭の片隅にあったのは、
「一度でいいから参加してみたい」
「20年前の感動をもう一度味わいたい」
「回覧板で地元奉曳の参加申し込み名前が書く勇気なかった」
という、障害者からの声。

聞いてしまった以上、それらを「聞かなかったことに…」と出来ない私の性質。

ハサカル日誌にもできる限り記録していきましたが、短い準備期間でありながら、みなさんの協力により、本日、無事ばりふり奉曳を行うことが出来ました

あまりにもいろいろあって、何から書いて良いのか悩んでしまうので、何部かに分けて書いていこうと思う。

と、いうことで、準備から出発式まで

実は、ナイショの話、前夜2時ごろまでこの日の準備に取り掛かり、睡眠放棄
寝る直前まで雨が降ってこないので、天気予報はどうなっているのだと?
もう、なんとでもなってくれ!というヤケクソ加減。

何とか就寝にこぎつけて、起床。

雨です大雨です。土砂降りです。
やむ気配まったくありません。

しかも、寝坊しました。
パートナーとともに。
出だしからヤバイ雰囲気です。
お迎えの千枝さんにしばし待ってもらい、早々に準備し、家を出発。

集合地に徐々にコアスタッフが集り、土砂降りの中、打ち合わせ。
雨があがることは、考えないでおこう。

とにかく、手早く打ち合わせ後、大量にやってくるボランティアの受付開始。
本来今社神社横の公園での受付ですが、雨もあって、高柳商店街アーケードの中で行う。



千枝さんよくはたらきます。
理事長も使います。
板井先生夫妻も熱々コンビネーションでよく動いてくれています。


7:00になると、御遷宮対策事務局よりボランティア全体打ち合わせ。


ばりふり関係で、いつもの倍以上のボランティア人口です。
雨の注意点を聞きながら全体打ち合わせが終わった後、今度は、ばりふり奉曳ボランティアたちだけでの打ち合わせ。

小さい身体の私はいくら拡声器で叫んでも大人数に囲まれてしまうと、どこにいるのだか?という状況なので、某新聞記者のNちゃんの脚立を使い最終ボランティア説明会。



上から見ると、すごい数のボランティアです。
そしてみんな真剣です。
私の話を真剣に聞いてくださっていました。

雨の介助の説明、若いチェアーウォーカーの危険度、本日の流れ(出発地が200メートル先になったことなど)、御垣内参拝のフォローのお願い、アレモコレモといっぺんに言ったので分かりにくかったと思います。

私もちょっと焦っていた。
と、言いつつもちろん、今回に限らず、この後にも続くお木曳のサポートボランティアの宣伝も欠かせません。

本日の仕組みは、お木曳車に設置する165メートル二つ折りの綱(片綱約80メートル)を全部で8等分し、綱元を地元の奉曳団(この日は馬瀬、宮崎連合、本町の奉曳団がお手伝いしてくれました)それより綱先の6つを班にし、それぞれコアスタッフをつけて、参加者数名に対して、ボランティアが10数名付くという体制を作りました。

このフォーメーションづくり、パズルみたいで大変苦労しました。
いろんな資格をを満遍なく分けたり、年齢や性別、はたまた、地区や職業をみて、どんなドラマが生まれるか?
など考え、イマジネーションをフル回転しながら作りました。

参加者が集ってくるまでは、その班ごとに、コアメンバーを中心にコミュニケーションをとってもらう。



班の特色がみえてきます。
木遣を歌いだし、うけの練習をしたりするところもあります。
コアメンバーたちのスキルの高さに驚いたり、また集ってきたボランティアたちのレベルの高さも負けていません。

スゴイ集まりだと思います。

さて、そうこうするうちに参加者がやってきます。
視覚障害者を駅や集合地まで迎えに行ったり、駐車場に到着するチェアーウォーカーたちを案内したり、仕事はどんどん増えてきます。

しかし、こんなに雨が降っているというのに、受付にやってくる参加者たちはみんな笑顔です。



そして、驚いたことに、この大雨の中、参加者の誰一人として欠席者が出なかったこと。
これは素晴らしいことだと思います。
ばりふり奉曳企画側としても誇りに思えることです。

正直、この雨、数名欠席者が出るだろうと思っていました。
しかし、朝の電話で「雨ですが、あるんでしょうか?」という参加者からの問合せはありませんでした。



雨が降ろうと、槍が降ろうと、ヤルキ満々だったようです。
受付に来たときの笑顔が物語っていました。

出席者名簿の名前欄の最後の人にマーカーを入れられたとき、

内心、コイツらにやられたって思った。

私たちより、ずっとか、ずっとかお木曳したくてウズウズしていたんだと…。


つづく

0425:ゲストを迎えての授業

2007-05-01 10:21:39 | 講演・視察
鳥羽高校の「観光とバリアフリー」の2回目の授業です。
前回の授業から少し生徒のことが分かってきたので、なんだか会うのが楽しみに思えてきています。

今日の授業は、急遽思いつき授業ですが、たまたまNHKの福祉番組ディレクター、しかもチェアーウォーカーが伊勢志摩に来ているということで、私っては、初対面のディレクターをゲストにしてしまいました。
T氏にムリ言って、朝早くから地元高校に一緒に行ってもらうことに。

そこで、福祉番組がどんなものであるか?福祉の情報を発信することにどんなところを気をつけているか?などを語ってもらいました。



自分の高校時代を思い出してみてください。
マスコミの人(しかも全国区)の方にお会いするなんてこと、ありえなかったです。こんな地方では特に。
芸能人の話なんて興味のある分野じゃないかな?

と、思ったら、案の定テレビの番組を作っているということに大変興味持ってくれました。
チェアーウォーカーの直接的な話もあってか、「福祉っていうイメージが少し変わった」という意見もありました。

みんなの感想を最後にまとめて発表してもらったけど、いつもより少し活発に話してくれたような気がしました。

それから、本日はインターネットをつなげるために、天井に近い位置に備えられたジャックにLANを繋げなくてはいけなかったのですが、私も担当の鴨沢先生も背が低く、教室の机の上にさらに椅子を置いて、その上に上らなくては届かなかったのですが、ジャックを外すとき、生徒で一番背の高そうな男の子を呼んで、手伝ってもらいました。
その子だったら、机に上るだけで届くのです。

「先生、これくらいなら、いつでも頼んで!」

と頼もしい言葉もいただきました。
ありがとうね。
その精神がバリアフリーにつながっていくんだって気づいてくれているかな?