本日、某ホテルの方と打ち合わせをしていました。
ソフト面のバリアフリーについての研修の協力のお願いです。
そこで、いろいろ雑談の中で、とても心に残り、とても大切なことを教えてもらいました。
私たちもバリアフリー調査など行ったりして、分かっていたつもりです。
施設側、利用者側双方の立場を考えて情報発信や啓発なども行ってきました。
しかし、再認識!!って感じです。
それは、車椅子等のお客さんに良かれと思い、お手伝いを試みると「特別扱いするな!」「放っておいてくれ!!」とか怒鳴られることがあるそうです。(もちろんすべてではありません)
タイミングや、手伝い方もあるのかもしれませんが、そんなことが多々あるので、だんだんスタッフもそういったお客さんに対して、臆病になってしまう傾向になってしまうんです。
そしてさらにモチベーションも下がっていく。
そんな怒鳴られ方をしたから、今度は、前回のことを踏まえて手伝わないでいると、今度は、そのことで怒鳴られて、延々と1時間説教されたり…。
悪循環だ…。
きっとこんな話は今日のこのホテルだけじゃないはず。
たくさんのお客さんを経験してこそ、それらは習得するのかもしれませんが、一概にそれだけとは言い切れないし、性格も瞬時に読み取れないですよね。
ツアーセンターでも、時々お客様に怒鳴られることはあります。
でも私たちの目的は障害者、高齢者がすみよい社会ということも目的としているので、多少のことではヘコたれません(実は凹むことも多々あり)が、施設スタッフにそこまで求められないと思うのですよね。
ホテルにはもっともっと似たような目的のようで、少し違ったところにある思いますし…。
車椅子のお客さんがみんながみんなそうではないけれど、一度こういう体験をしてしまうと、慣れていないスタッフはだんだん、声をかけにくくなってしまうんだそうです。
そりゃそうですよね、私だって施設スタッフだったらそうかもしれません。
そう、だから私たちがこうしてソフト面の研修を、と言って車椅子の扱い方や視覚障害者はこのように…などと説明し、習得してもらい、それらを施設スタッフが実践したとき、罵声を浴びさせられれば、相当落ち込むでしょう。
そして、お客さんに対して臆病になり、バリアフリーツアーセンターへの不信感にも繋がるのです。
もちろん、本日お話していたときのスタッフがツアーセンターに理解ない方ではありません。
ツアーセンターのことを理解しているからこそ、もっと現場を知って欲しい気持ちからこの話が上がったのです。
私たちは常に、お客さんの身体の状態をお聞きし、宿泊施設などに、噛み砕いて説明をし、サービスの提供を促したりしておりますが、それだけでなく、どこまでのサービスを望んでいるかということもリサーチしていかなければならないと思いました。
いつかこういった存在も必要なくなることを望みつつもバリアフリーツアーセンターはあくまでも施設とお客さんとの間をとりもつインタプリター(通訳者)なんだということを考えると、もっと双方の求める情報をコトバだけでは量れない部分までも通訳しなくてはならないんだと実感。
それにこんな私でも、チェアーウォーカーパートナーに良かれと思ってやったことを「触らんといて!!」「放っておいて!!」と怒鳴られることしょっちゅうです。
そんなとき、もちろんムカッときます。人間だもの。
そこからケンカ勃発ってこともありますが、施設スタッフとお客さんだったらそんなわけにはいけませんよね。
とにかくパートナーにもセンターのスタッフにもよく言うのですが、町や施設で「お手伝いしましょうか?」と声をかけられ、必要ないときは、ぶっきらぼうに「結構です」ではなく「今はいいですが、自分以外の方は手伝ってほしいかもしれませんので、また声をかけてあげてくださいね」とフォローを入れてね、と言っています。
または、5回に一回ぐらい手伝いが必要なくてもわざと手伝ってもらって、その人に車椅子のこと、障害者のこと知ってもらおう!!と進めています。
だって、声をかけること自体、その人にとってとても勇気のいることだったかもしれないのに、いきなり怒鳴られたら、それ以来同じような場面に出くわしても声をかけづらくなりますよね?
それに、少しでも手伝ってもらうことにより、当事者自らが町の人を育てているわけなんですよ。
そんなすばらしい町ってないじゃない?
私はそんな町になって欲しいと思います。実践が常に街中で行われている。
だって、手伝って欲しくないのは、個人の問題で、他には手伝って欲しい人もいるわけで、そんな人たちに声をかける人が少なくなってしまうでしょ。
それは困る。
よく言いましたが、「障害者がバリアをつくってしまうこと」もあるのです。
自分だけの問題じゃないです。
そう思うと、声をかけられたときの返事ってとても大事だと思うのですよね。
だから、パートナーよ、手を貸すことを拒むときは、私にもう少しやさしく言って欲しいな~。
結構、傷ついてるんだよ、私。(笑)
もちろん、声をかけてくれるすべての人に対してもね。
ソフト面のバリアフリーについての研修の協力のお願いです。
そこで、いろいろ雑談の中で、とても心に残り、とても大切なことを教えてもらいました。
私たちもバリアフリー調査など行ったりして、分かっていたつもりです。
施設側、利用者側双方の立場を考えて情報発信や啓発なども行ってきました。
しかし、再認識!!って感じです。
それは、車椅子等のお客さんに良かれと思い、お手伝いを試みると「特別扱いするな!」「放っておいてくれ!!」とか怒鳴られることがあるそうです。(もちろんすべてではありません)
タイミングや、手伝い方もあるのかもしれませんが、そんなことが多々あるので、だんだんスタッフもそういったお客さんに対して、臆病になってしまう傾向になってしまうんです。
そしてさらにモチベーションも下がっていく。
そんな怒鳴られ方をしたから、今度は、前回のことを踏まえて手伝わないでいると、今度は、そのことで怒鳴られて、延々と1時間説教されたり…。
悪循環だ…。
きっとこんな話は今日のこのホテルだけじゃないはず。
たくさんのお客さんを経験してこそ、それらは習得するのかもしれませんが、一概にそれだけとは言い切れないし、性格も瞬時に読み取れないですよね。
ツアーセンターでも、時々お客様に怒鳴られることはあります。
でも私たちの目的は障害者、高齢者がすみよい社会ということも目的としているので、多少のことではヘコたれません(実は凹むことも多々あり)が、施設スタッフにそこまで求められないと思うのですよね。
ホテルにはもっともっと似たような目的のようで、少し違ったところにある思いますし…。
車椅子のお客さんがみんながみんなそうではないけれど、一度こういう体験をしてしまうと、慣れていないスタッフはだんだん、声をかけにくくなってしまうんだそうです。
そりゃそうですよね、私だって施設スタッフだったらそうかもしれません。
そう、だから私たちがこうしてソフト面の研修を、と言って車椅子の扱い方や視覚障害者はこのように…などと説明し、習得してもらい、それらを施設スタッフが実践したとき、罵声を浴びさせられれば、相当落ち込むでしょう。
そして、お客さんに対して臆病になり、バリアフリーツアーセンターへの不信感にも繋がるのです。
もちろん、本日お話していたときのスタッフがツアーセンターに理解ない方ではありません。
ツアーセンターのことを理解しているからこそ、もっと現場を知って欲しい気持ちからこの話が上がったのです。
私たちは常に、お客さんの身体の状態をお聞きし、宿泊施設などに、噛み砕いて説明をし、サービスの提供を促したりしておりますが、それだけでなく、どこまでのサービスを望んでいるかということもリサーチしていかなければならないと思いました。
いつかこういった存在も必要なくなることを望みつつもバリアフリーツアーセンターはあくまでも施設とお客さんとの間をとりもつインタプリター(通訳者)なんだということを考えると、もっと双方の求める情報をコトバだけでは量れない部分までも通訳しなくてはならないんだと実感。
それにこんな私でも、チェアーウォーカーパートナーに良かれと思ってやったことを「触らんといて!!」「放っておいて!!」と怒鳴られることしょっちゅうです。
そんなとき、もちろんムカッときます。人間だもの。
そこからケンカ勃発ってこともありますが、施設スタッフとお客さんだったらそんなわけにはいけませんよね。
とにかくパートナーにもセンターのスタッフにもよく言うのですが、町や施設で「お手伝いしましょうか?」と声をかけられ、必要ないときは、ぶっきらぼうに「結構です」ではなく「今はいいですが、自分以外の方は手伝ってほしいかもしれませんので、また声をかけてあげてくださいね」とフォローを入れてね、と言っています。
または、5回に一回ぐらい手伝いが必要なくてもわざと手伝ってもらって、その人に車椅子のこと、障害者のこと知ってもらおう!!と進めています。
だって、声をかけること自体、その人にとってとても勇気のいることだったかもしれないのに、いきなり怒鳴られたら、それ以来同じような場面に出くわしても声をかけづらくなりますよね?
それに、少しでも手伝ってもらうことにより、当事者自らが町の人を育てているわけなんですよ。
そんなすばらしい町ってないじゃない?
私はそんな町になって欲しいと思います。実践が常に街中で行われている。
だって、手伝って欲しくないのは、個人の問題で、他には手伝って欲しい人もいるわけで、そんな人たちに声をかける人が少なくなってしまうでしょ。
それは困る。
よく言いましたが、「障害者がバリアをつくってしまうこと」もあるのです。
自分だけの問題じゃないです。
そう思うと、声をかけられたときの返事ってとても大事だと思うのですよね。
だから、パートナーよ、手を貸すことを拒むときは、私にもう少しやさしく言って欲しいな~。
結構、傷ついてるんだよ、私。(笑)
もちろん、声をかけてくれるすべての人に対してもね。
こういうの、私も以前飲食店で働いていた時に
車椅子の方、目の見えない方などいらっしゃる
機会があったので結構悩みました~。
何処までお手伝いすることが親切なのか
何処からが過剰に感じるのかは
人ぞれぞれの感性なんだと思うので・・。
ただ普通に気に掛かるから声を掛けるという人も
街中ではいるかもしれないしね。
電車でお年寄りに席を譲る時も然り。
年寄りだから座らんといかんと思うな!と
思われてしまうのではないか?と考えたり・・。
やっぱり状況・想いによってそれぞれの考え方があるから
お互いに思いやる姿勢というのが大切なのかも。
これって障害者対に限らず色んな場面で
必要なことだなとふと思ったよ~。
頼られること、頼むことで生まれる信頼関係もあるし
それによって深まる理解があると思うもの。
自分でも何を書いてるのかこんがらがってきたので
このへんで・・(^_^;)
そうですね、おそらく彩ね。さんタイプの方が大半だと思いますね。
手伝いたいたいけど、どこまでが失礼にあたるのか?とか悩んでしまう方。
私は、普通にいて困っている様子がなければ、声はあまりかけません。
ただ、手伝うという声かけも大切ですが、私は、私なりの「情報提供」という声かけもしています。
「この先段差ありますから気をつけてくださいね」とか、今からバリアのありそうなところ行く人にその場所のバリア情報と対処の仕方などを伝えたり。私は手伝うよりもそちらの方が得意かな。
もちろん人的に困っている人がいれば、声をかけます。これは一般の方に対してもそうですよね。
でも、街を見渡してみてみると、困っていることに気付かない人もいます。私も見落としてしまうこともあります。
そんなときは心に余裕がないときが多いですね。
失礼に当たるかどうかは、本当、人それぞれで、確かに状況や、そのときの気分もあったり、難しいと思います。
主人といる場合の私だと、少しでも声をかけてくれるのはうれしいけど、しょっちゅう声をかけられるのはちとうっとしいかな?と思うときもあります。
でも、声をかける人の気持ちもわかるので、そのつど、笑顔でありがとうございます。というのはこころがけています。
結局これって、答えはないと思うんですよね。
どんな方ならこう、声をかけて、こんな方なら手伝わなくても良くて、こんな場合はこうする…など。
決められないと思います。
だから、自分の納得するように行動しようと思っています。
だって、さっきの人困っていたのに、声かければよかったっていうこともよくあって、それは結構引きずります。
自分に納得した行動からまた新しい発見が生まれるかもしれませんしね。