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日本と世界

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米国の「良き日本占領」の神話 青山学院大学教授・福井義高

2022-06-06 17:12:04 | 日記

 

米国の「良き日本占領」の神話 青山学院大学教授・福井義高

福井義高 青山学院大学教授

ソ連崩壊後、唯一の超大国となった米国は、その圧倒的軍事力を背景に、自国をモデルとして他国の政治経済体制を変革する試みを外交の基軸に据えている。

こうした介入外交の背景にあるのが、イラク侵攻直前に当時のブッシュ(子)大統領が明言したように、第二次大戦後の日独における「成功」体験である。

しかし、イラクをはじめ、冷戦後の米国による国造りはすべて失敗に終わった。

一方、日本でも米国でも、米国の日本占領が戦後日本のデモクラシーと経済的繁栄の礎をつくったとする論者は多い。

なぜ日独ではうまくいき、冷戦後の国造りはうまくいかないのかといった議論も少なくない。

日本再興は占領目的にあらず

実際のところ、米国の日本占領はどのようなものだったのか。

主として三輪芳朗大阪学院大教授(東大名誉教授)とマーク・ラムザイヤー・ハーバード大教授の研究に依(よ)りながら、「良き日本占領」の実態を見てみよう。

まず、当初の米国の日独占領方針は懲罰的性格が濃厚で、そもそも日本の経済復興は占領の目的ではなかった。

また、本国から遠く離れ、大きな裁量の余地が与えられていたGHQ(連合国軍総司令部)内では、市場メカニズムに否定的で計画経済志向の中堅幹部、いわゆるニューディーラーたちが経済政策を主導していた。

吉田茂政権下の1947年4月の総選挙で、社会党、自由党、民主党がほぼ同じ得票率ながら、片山哲率いる社会党が第一党となる。

吉田は下野、片山首班の社会党と民主党を中心にした連立政権が発足する。

ニューディーラーにとって歓迎すべき政権交代であった。

吉田政権時に計画され、47年から始まり翌年まで続けられた、主たるエネルギー源である石炭増産を図った「傾斜生産」政策は、占領期の成功した経済政策の代表例として取り上げられることが多い。

しかし、実際には買取価格抑制などで、生産者の増産意欲が削(そ)がれ、この政策が成功したとは言い難い。

懲罰的政策の代表例である現物賠償は、結局、ほとんど実施されなかったものの、正式に廃止されるまで時間がかかった。

またいわゆる財閥(大企業)解体は、あるGHQ中堅幹部の暴走に基づく広範な大企業解体政策であり、GHQ内の反対で幸いにも一部実施されただけで終わった。

現物賠償も財閥解体も、実現の有無にかかわらず、将来の見通しを不透明にすることで、企業の投資活動を妨げ、経済復興を阻害した。

外圧を利用する吉田茂

しかし、ギリシャ内戦、ベルリン封鎖といった欧州での米ソ対立激化、米国政府内でのソ連スパイ活動の露呈もあって、米国内でもニューディーラー主導の日本占領への批判が高まり、トルーマン大統領は48年10月に日本の経済復興を重視する新方針を決定する。

12月に、これに基づいた「経済安定9原則」が、マッカーサー元帥から政権に返り咲いていた吉田に伝えられる。

首相が民主党の芦田均に代わっていた連立政権は昭電疑獄で10月に崩壊していた。

49年1月の選挙で民自党(自由党の後身)が大勝し過半数を確保、戦後初めて安定政権が誕生する。

こうして、統制嫌いで知られた吉田首相、池田勇人蔵相のコンビで、市場メカニズム重視の経済政策への転換が加速する。

民意を反映した政治が行われるのがデモクラシーの要諦だとすれば、無謀な占領政策に抵抗しニューディーラーたちに嫌われていた吉田の返り咲きは、占領軍に抗した日本に内在するデモクラシーの勝利だったともいえる。

選挙直後の49年2月、トルーマン大統領から全権を委ねられたジョゼフ・ドッジが来日する。

ドッジが進めようとした均衡財政・市場重視を旨とする経済政策は吉田の方針と一致していた。

ある意味、吉田はGHQを抑える外圧としてドッジを利用したのである。

朝鮮戦争は神風にあらず

ドッジ・ラインを契機にインフレは収まったけれども、深刻な不況となり、50年6月に北朝鮮軍が韓国に突如侵攻して始まった朝鮮戦争によって日本経済は窮地を脱したという主張は根強い。

しかし、インフレはドッジ来日前の48年後半から沈静化していた。

財政状況も予想以上に好転、池田蔵相主導で減税も行われた。

鉱工業生産も減少したわけではなく、横ばいが続いた後、50年に入り成長し始める。すでに朝鮮戦争前、日本経済は成長軌道に乗っていたのだ。

日本の戦後復興は、「良き占領」によるものではなかった。

米国の占領政策がうまくいったかのように見えるのは、占領後期、民意に支えられ、ドッジのお墨付きを得た吉田の経済政策をGHQが追認せざるを得なくなったからであった。

占領後、吉田が確立した均衡財政・市場重視の経済運営の下、日本は奇跡といわれた高度経済成長を遂げる。

今の日本に必要なのは「新しい資本主義」ではなく「古い自由主義」なのかもしれない。

(ふくい よしたか)