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オランダ軍“スレブレニツァの虐殺”阻止失敗は有罪,PKO任務失敗にオランダ控訴裁判所判決

2017-06-29 23:54:12 | 国際・政治
■PKO任務失敗への厳しい判決
 我が国では、PKOへの重装備展開は悪い視点で解釈されますが、オランダでは今週、軽装備で展開した事による厳しい結果に裁判所が判決を下しました。PKOの現実の難しさを垣間見る一例として、今回はこの事例を見てみましょう。

 ボスニア紛争において1995年に発生した民族浄化事件“スレブレニツァの虐殺”、PKO部隊が虐殺を阻止できなかったことは、PKO部隊を派遣した政府にも責任がある、オランダにおいて非常に注目される裁判判決が下されました。軽装備のPKO部隊が先頭を避ける為に転進し、結果生じた重大な結果はPKO部隊を派遣した国にも責任がある、というもの。

 南スーダンへ自衛隊を派遣し、派遣完了撤収までに最大の課題となっていたのは、ボスニア紛争やルワンダ内戦に際して発生したような民族浄化事案に直面する場合でした。駆けつけ警護任務や宿営地共同防護任務という、日本の国論を二分した、安全保障関連法制制定の背景には、こうした状況に際し現場に責任と判断を押し付けないようするものでした。

 しかし、軽装備で展開しなければならないという我が国PKOの実情を見ますと、敢えて軽装備で展開し、任務達成に失敗したオランダが、事案圧政から実に22年を経て訴追されたという実情には、PKOというものへの難しさと同時に、人道という命題が割に合わない、との印象を受けなくもありません。何故ならば仕方なかった部分が多いのです、以下の通り。

 スレブレニツァの虐殺とは。1995年に発生した民族浄化事案で、多民族国家ユーゴスラビアが冷戦後に経験した内戦に際し、当時のセルビア人勢力がセルビア人居留地の地域統合を図り前進した事でイスラム系居留地がセルビア人勢力地に圧迫包囲され、正規軍であるボスニアヘルツェゴビナ共和国軍が確保していたジェパとスレブレニツァに避難しました。

 国連はジェパとスレブレニツァへ国連防護軍UNPROFORを派遣すると共に国連指定安全地域として指定します。セルビア人勢力はユーゴスラビア分裂伴い新編されたスルプスカ共和国軍、そして民兵準軍事組織スコーピオンを主体とし、T-72戦車ウクライナ仕様のM-84戦車170両、T-55戦車やM-36駆逐戦車300両等、一定の機甲戦力を有しています。

 保護管轄権、という概念が成立したのはこのスレブレニツァの虐殺が一つの契機であり、国境を越えた義務というものがある、という認識です。この場合には、必要であれば戦車を含めた重装備のPKOへの派遣も必要であり、しかし、軽装備で任務遂行できるか如何については派遣国が判断、そして国連ではなく派遣国が責任を負う、という解釈が基本です。

 日本がカンボジアへPKO部隊を派遣して後に発生した事案、自衛隊は基本的に軽装備で派遣されます。ルワンダ難民支援等で自衛隊を派遣した際には指揮通信車に軽機関銃を搭載するか否かが国会で延々と議論されましたが、民族浄化そのものは悲劇である一方、まさか軽装備の部隊が十倍もの重装備の部隊に包囲されては、実際、どうにもなりません。

 国連防護軍UNPROFORはジェパとスレブレニツァにに400名を派遣しますが、基本的に軽装備で唯一頑丈な車両はM-113装甲車改良型のYPR-765で重機関銃のみ搭載する車両、このほかは非装甲の車両でした。UNPROFORはオランダ部隊の増援を企図しますが、上掲の通りセルビア人勢力地に圧迫包囲され、増派はもちろん、補給さえままなりません。

 フランス軍はボスニア紛争においてブコバル郡の橋梁地域など国連部隊の後方連絡線に繋がる要衝を派遣指定地域として展開しました。セルビア系武装勢力のPKO部隊攻撃に対し、90mm砲を搭載したERC-90空挺機動砲を派遣、VAB軽装甲車に120mm重迫撃砲を牽引、VBL軽装甲車等を駆使し防衛線を死守、戦死者を出しつつもよく防衛線を維持しました。

 イギリス軍は30mm機関砲を備えたウォリアー装甲戦闘車を中心に機械化歩兵部隊を派遣すると共に、UNPROFORでは任務遂行は不可能であるとして、NATO派遣を主導、独断でユーゴスラビアに程近い地中海キプロス島のイギリス空軍基地へトーネード攻撃機を派遣します。オランダ軍は本国にはレオパルド2主力戦車等1000両を有しますが孤立します。

 虐殺はスルプスカ共和国軍2000名が攻勢に転じ、戦車を戦闘に国連PKO部隊宿営地へ前進します。M-84戦車が出されてはオランダのYPR-765では対抗できません。結果は重大で、オランダ軍200名は避難したスルプスカ共和国軍の要求、撤退とイスラム系住民の引き渡しに対し、イスラム系住民の女性と子供の保護が限界、成人男子等は保護できません。

 スレブレニツァの虐殺は、この直後始まり、一ヶ月間で8000名のイスラム教徒が殺害されました。今回、オランダ控訴裁判所判決では、成人男子等は保護出来ず、この時に引き渡さざるを得なかった350名のイスラム系住民、直後に虐殺された、この引き渡しについて、裁判官は“オランダ国家は不法な行動を取った”とし、オランダ軍の責任を認めました。

 レオパルド2戦車を展開させていれば阻止できたのでしょうが、PKOは軽装備でした。厳しい判決、と言わざるを得ません。軽装備で展開したオランダPKO部隊がボスニア紛争において民族浄化を阻止できなかったとして有罪判決です。軽装備のPKO部隊を派遣した国連が裁かれるのではなく、PKO部隊として兵員を派遣したオランダ軍が訴追されたのです。

 オランダ軍は冷戦時代に徴兵新兵が長髪を許されたり、将校への敬礼が免除されていたり、ソフトドラックに限りマリファナなどの服用が許されているなど自由闊達な軍隊としてNATOでは悪名を轟かせていましたが、1996年から志願制に移行すると同時にこれら軍隊としての悪弊は禁じられています。この変革の一端がボスニア派遣の悲劇なのですが、ね。

 しかし22年前の事案、しかもPKO部隊の任務失敗を敢えて訴追し有罪とは、驚かされました。生存者がオランダ政府の不手際を糾弾したものなのですが、この問題、日本も軽装備にて様々な地域へ派遣される以上、他人事とは言い切れず、特に人道介入の在り方について、国際平和維持活動の手法を用いる以上は、無理な介入とならないよう、PKO部隊派遣の大本となる国連安全保障理事会の視点から、現場に無理が押し付けられない方策を構築する努力が、日本にとり必要と云えるのかもしれません。

北大路機関:はるな くらま
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