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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

安倍総理大臣辞意表明,八年間に及ぶ日本国家憲政史上最長の安定政権に健康不安と突然の終幕

2020-08-28 20:01:57 | 国際・政治
■安全保障面での功績に注目
 安倍ショックというべき衝撃が世界を巡っています、トランプ政権と世界の指導者を仲介しTPP枠組を主導し中国やロシアと自由主義圏の橋渡し的存在が突然の辞意です。

 安倍総理大臣が辞意を表明しました。六月の健康診断により持病である潰瘍性大腸炎再発の兆候が見られるとし、投薬治療を続けてきましたが、先月中ごろから体力が続かなくなり体調に異常を感じた状況となり、潰瘍性大腸炎再発が20日頃に確認され、投薬治療を更に強化する必要があるとし、体力がまだ残っている24日ごろに辞任を決意したという。

 政治においては結果が求められ病気と治療を抱える中で政治判断を誤る事を回避するべく、結果を出せない事の無いよう、総理大臣の地位を降りる決断をしたとの事です。辞任はCOVID-19感染対策もあり、悩みつつ感染傾向が減少し、冬への対策の目処が就いた事から今が辞職の時機である、本日夕方の首相会見において述べられました。総理、辞職です。

 連続在職2799日と歴代最長の佐藤栄作政権の2798日を超えたのは8月24日、歴代在任日数最長は2019年11月20日に2887日となり、日露戦争時代の桂太郎総理大臣の任期を超えることとなりました。日本の総理大臣は一年程度で変る為に誰が日本の指導者であるのかが分り難い、長く揶揄された問題を小泉内閣と安倍内閣が転換したといえましょう。

 八年に及ぶ長期政権。この長期政権を支えたのは無い悪総理大臣であるとともに自民党総裁として見せつけた選挙への強さ、でしょうか、衆議院参議院ともに6回の国政選挙において勝利を収めており、議院内閣制は衆議院から首相が任命されるため、選挙に勝ち続けるという事は何よりも重要です。これをうけ自民党総裁選でも3回選ばれ続けています。

 憲法。実のところ安倍政権が長期政権として成し遂げた点は、歴代内閣が実現出来無かった憲法、特に憲法9条に踏み込んでの憲法の範囲内の限界を明確とした上で防衛政策を大きく変容させた点でしょうか。実のところ1955年の自民党結党以来、自民党が下野したのは安倍政権前の民主党連立政権と、その前の社会党連立政権があり、問題を露呈しました。

 日本の安全保障政策は法的というよりも属人的努力により曖昧な法整備下の欠缺を補い機能している点があり、これは憲法上の制約を敢えて問題視させ政争化を避けた背景があります、これは政治と官僚機構が調和する限り機能しますが必要な機構や会議枠組、調整機能などを対応出来なければ、危機管理が滞ります、阪神大震災、東日本大震災のように。

 内閣危機管理監制度が設置されたのは橋本内閣時代ですが、これは前の村山内閣時代に首相官邸において危機管理に即応する枠組みが無く、1995年の阪神大震災、地下鉄サリン事件に際し関係当局から首相官邸に上奏される情報を包括管理する事が出来なかった反省に基づくものです。1990年湾岸戦争に際し指摘された問題を常設制度化したともいわれます。

 2011年東日本大震災では、菅内閣で安全保障会議が開かれる事が無く首相官邸危機管理センターの延長により対応しています。元々安全保障会議設置法が議論された1986年に、関東大震災規模の災害は発生した場合には災害応急対応の限界を超える場合、国家の基本方針を明確に示すために招集される、と議事されていますが、開かれるに至っていません。

 安全保障会議設置法の改正による国家安全保障会議制度の創設、2013年12月の法改正により首相官邸の従来の曖昧な防衛のみに機能するとされた安全保障会議に留まらない危機管理枠組が構築され、またこの枠組みを機能させる為に2014年1月に国家安全保障局が常設機構へ設置、危機管理に際しては首相官邸による政府機能主導権が明確に示されました。

 国家安全保障会議と事務局としての国家安全保障局設置は、第一次安倍政権においても検討されていましたが時期尚早との見方から実現せず、属人的名人芸が次の民主党政権、鳩山内閣と菅内閣に継承されなかった事が東日本大震災の特に原発危機に際し、政府の対応、特に同盟国アメリカとホワイトハウスに対する受け皿となる機能不在が、問題化しました。

 国家安全保障会議が日米ではホワイトハウスの国家安全保障会議と結び、常設の事務局が緊急事態に際し、首相と大臣の出席を以て即座に機能する枠組みが構築されたことで、2013年に入り属人的な名人芸といえる安全保障機能から常設機構が創設された点は歴史的といえましょう。機構が置かれれば、どの政権でも危機管理が即時行えるようになるのですね。

 防衛省自衛隊統合幕僚監部への運用一本化。防衛に関しては小泉政権時代の最終段階である2006年3月に統合幕僚会議を発展的に改編し統合幕僚監部へ強化しましたが、防衛省の運用は内部部局運用企画局と統合幕僚監部の二頭体制となっており、意思決定に時間を要している状況がありました、特に部隊運用にも内局の運用企画局が関与できる体制でした。

 統合幕僚監部への運用一本化は2015年10月に実現され、防衛省のトップを統合幕僚長としつつ、内部部局に新たに防衛省統括官制度を設置し統幕副長級文官ポストを設置した事で防衛政策の部隊運用への反映を迅速化する事となりました。これは意思決定に速度を要する統合運用というものに陸海空自衛隊の運用を内局と個々に調整する状況を一新します。

 平和安全法制施行。2016年3月に所謂有事法制を再編強化した法制度を実現しました。これも安倍総理肝煎りであり政権発足から二か月後の2013年2月に、分館で外交官である国際海洋法裁判所所長を座長とする安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会を首相決裁で設置し、それまでの安全保障関連法制では欠缺といえる状況に法治主義を持込みました。

 武力攻撃に至らない武力行使の段階での防衛措置としてグレーゾーン事態対処を明確化とする。国際社会平和安定に寄与する為の貢献策として集団安全保障機構である国連の一員として集団的自衛権行使に関する明確な法的位置づけの明示を行う。現行憲法下での許容される自衛権の措置への明確化。平和安全保障法制は此処に踏み込んだ歴史的転換点です。

 いずも、かが、F-35B搭載、F-35戦闘機大量配備、即応機動連隊や16式機動戦闘車、というようないわばハードウェアでの防衛政策が大きく取り上げられるところではありますが、危機管理の枠組が憲法問題に触れる事での政争化を懸念しての回避、危機に泥縄的な名人芸に依存する枠組みから明確な法制度、というもので残した点は大きな成果でした。

 安全保障会議設置法の改正による国家安全保障局常設化、これにより危機管理の受け皿が明確化されました。防衛省自衛隊統合幕僚監部への運用一本化、これで文民統制を内局が指揮するという誤解から政治による文民統制が明確化された。安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会からの平和安全法制施行、曖昧な自衛権の概念が明確線引きされました。

 現行憲法下法整備の限界点をこう、明確化したのは功績といえるでしょう。しかし、安倍総理自身は憲法改正により、自衛権と平和主義の両立、憲法が手段としての平和主義を明示しており、目的としての平和主義への転換を成し遂げる事を強く望んでいましたが、政治のレジェンドとしての憲法改正までは、至らなかった事は心残りの最たるものでしょう。次の総裁選出まで安倍総理は職責を全うするとのことです。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2020-08-28 22:22:47
いづも空母化と平和安保法制の功績だけでも高い評価として後世に残ると思う
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Unknown (人民の目)
2020-08-29 15:04:28
安倍政権崩壊に万雷の拍手を送ります。清々しい日となりました。
このロクデナシ内閣は立憲主義に違反する憲法解釈を強行しました。憲法すら真っ向から破壊するバカ者に何が守れると言うのでしょうか?そのちっぽけな保守主義でしょう。
対外政策に目を向ければ、自由だの民主主義だのを連呼しながら中国を敵視し包囲網を築く事に血道をあげていた反中内閣でした。アジア人民の恨みを100年買うような歴史に残る愚策でしょう。対華二十一か条に匹敵する間違った政策であり、日本の死命に影響を与える事でしょう。
もう二度と政治の舞台に帰らないでください。3回も下痢で退陣するような事態は笑えませんから
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