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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【榛名備防録】大きな転換点(2)ユニラテラリズムとアメリカを結び付ける要素-地域紛争からの全面戦争への発展危機

2025-04-24 20:18:11 | 国際・政治
■ユニラテラリズム
 アメリカの安全保障戦略は核兵器が開発される前までの西半球は難攻不落という前提とその後の世界戦略との間で大きな転換が有りました。

 西半球、例外といえば1962年キューバ危機のようなアメリカ本土へ核攻撃の蓋然性が高まった時代が挙げられるかもしれませんが、限定戦争から全面戦争に至る事態の段階的緊迫化の始点となるべき限定戦争は西半球において起こるものではなく、それはあくまで、NATO正面、朝鮮半島、北部日本地域、アメリカ本土から隔たれていた地域でした。

 ユニラテラリズムとアメリカを結び付ける要素はまさにこの点で、アメリカはこうした地域への武力紛争ぼっ発の場合に際し、限定戦争として鎮静化させるための能力が求められていた、それもグローバルな規模で、ということです。それはロジスティクスの量的な問題の格差、正面戦力よりも兵站能力が偏重したという不思議な装備体系を生んでいる。

 地域紛争からの全面戦争への発展危機、この問題は一例として1956年スエズ危機、第二次中東戦争に際しスエズ運河を巡りシナイ半島に侵攻した英仏空挺部隊へ、ソ連が友邦エジプトの要請を受け核攻撃を真剣に検討した事が挙げられるでしょう。シナイ半島が核攻撃を受けた際に、英仏が保有する核戦力の使用を思いとどまるならばいいのです。

 核攻撃を受けても報復しなければ問題は拡大しないでしょうが、現実的にはこれは考えにくく、NATO正面での緊張に直結します。これが一例として地域紛争の武力紛争化との拡大が全面核戦争に発展する懸念を具現化した一例といえる。これ以降、紛争拡大防止にアメリカが関与する姿勢を示します。この視座をもう少し紐解きますと。

 大量報復ドクトリンと段階的アプローチ戦略への転換というものが挙げられます。大量報復ドクトリンは冷戦初期のアイゼンハワー政権時代に示された、米ソの軍事対立は不可避という念頭に、全面戦争に発展する緒戦の段階で先手を打って大量の戦略爆撃機とICBM大陸間弾道弾により圧倒的な核戦力により相手を殲滅するという理念で。

 大量報復ドクトリンの概念はつまり、開戦前提で待ち伏せるような戦略ですが、ケネディ政権時代に入るとこの戦略は全面核戦争不可避という理念に他ならないことから極力避け、限定戦争に対しては限定戦争を拡大させない方式での段階的に事態拡大を阻止する体制に移行し、全面核戦争は最後の手段であるという認識への転換です。

 これを受け、ケネディ政権時代は特殊作戦部隊の創設と強化、続くカーター政権時代には緊急展開部隊という軽量装備でまとめた、軽すぎると揶揄された、部隊への転換を行ったわけです。これはヴェトナム戦争、パナマ侵攻、グレナダ侵攻、地域紛争へ積極関与する姿勢に転換しています。スエズ危機に介入しなかった情勢とは対照的といえる。

 米軍といえば緊急展開能力、という視座の根底はこの部分にあり、言い換えれば1950年朝鮮戦争などを一例とした場合、アメリカ軍の緊急展開はそれほど早くありませんでした、日本本土駐屯の第24歩兵師団展開にも時間を要していましたのが端的な事例といえるでしょう。こうした能力は、リフォージャー演習などで常設的に維持されてゆく。

 リフォージャー演習、冷戦時代に毎年行われたアメリカ本土から欧州への緊急展開訓練など、定期的な能力構築の点検と実働部隊の演練により強化され、そのまま冷戦終結を迎えました。同様の演習はフォールイーグルなどアジア地域においても整備されていますし、逆に在日米軍に正面戦力が少ないのは展開兵力のハブとなっている故ともいえる。

 ユニラテラリズムの背景にはこの緊急展開能力が裏打ちされた。つまり、グローバルパワープロジェクション能力を高い水準において維持する必要に見舞われ、適合した国防戦略を構築していた、という点が挙げられるでしょう。この視座の背景には、西半球は難攻不落、こういう理念を唯一脅かす要素は全面核戦争の脅威でありました。

 全面核戦争、地域紛争が拡大することで手の付けられない状況となる前に、全面戦争が勃発することを回避する手段を整備した結果、二極主義の片方にあたるソビエト連邦が崩壊した事で、一方的にグローバルパワープロジェクション能力を維持したこととなりました。この点は、例えば、西ドイツ機甲師団とアメリカ機甲師団を比較した場合は。

 2020年代のやせ細ったドイツ軍機甲師団は比較対象とならないのですが、冷戦末期の1985年で比較した場合には、アメリカ陸軍はM-1戦車やM-2装甲戦闘車を整備する前のM-60A3戦車とM-113装甲車という編成であったことは上げられますが、戦車部隊の規模や損耗に関する考え方で必ずしも一個機甲師団だけを単純比較した場合、最強ではない。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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