■西の御所,妙心寺の退蔵院庭園
厳冬の季節、急ぐばかりの年頃には色褪せた季節という印象でしたが、今はその静かさがいいと思える、思案と熟考に散策を手段とするならば、水面のような静けさが良い。

退蔵院庭園、京都の西は妙心寺の塔頭寺院の一つに数えられ、その塔頭寺院の中でも屈指の永い歴史を讃える境内に庭園が広がる。その境内には国宝瓢鮎図が奉じられるとともに史跡名勝枯山水庭園“元信の庭”と池泉回遊式庭園“余香苑”が拝観者を迎えてくれる。

妙心寺は右京区花園に広大な寺領を今なお広める臨済宗妙心寺派大本山の寺院で、寺町とはこうした風情を占めるのだろうかという程に、その広大な境内には一つの街としての風格を広げています、一つ一つを廻るには、なるほど相応の日数と所縁が、とおもうもの。

陰陽の庭、退蔵院庭園の石庭は明暗を明確に暗喩した枯山水の情景にふと歩みを留め考えさせられるのですが、代々の庭師という方曰く、ここ陰陽の庭には二色の敷き砂が敢えて広げられ、物事と人間の二面性を十五という割り切れぬ奇数の庭石を浮かべているという。

西の御所、とはここ妙心寺のもう一つの愛称で、正しくは正法山妙心寺といいます。散策を続けますと、御所に比肩する広大な寺領に感嘆しつつ、しかし、拝観者を迎える伽藍もまた御所の様に限られ、退蔵院庭園は広い妙心寺に拝観が広く開かれた庭園のひとつです。

水琴窟は滴りゆく水滴が素焼きの信楽焼に共鳴し水琴の残響と、一期一会の樂楽を吟じるものです。百万都市京都の喧騒も突風吹きすさぶ雑音も不思議と遮る庭木の配置に少し耳を寄せ、心静かに気分を澄ませれば、不思議な響きが水音の癒しを実感させ清涼を感じる。

元信の庭は狩野元信による室町時代のもの。美術史に詳しい方々ならば狩野元信は狩野派の祖である狩野正信の子、という閃きと共に、この庭園に狩野派の絵画を探すところと聞くのですが、狩野元信は最晩年に絵画から庭園美へと技法を転じ、この庭園を造営した。

狩野元信と狩野派といえば絵画という印象の中で、一説には狩野元信が最晩年に興した最後の作品が、この元信の庭とも云われていまして、独特の風景は優美豊艶の趣を込めた狩野派絵画の気風を具現化したといい、1931年には、国の名勝史跡庭園に指定されています。

花園紋という妙心寺八つ藤の寺紋は、開基の花園天皇がこの地を無相大師関山慧玄へ下賜した鎌倉時代から続くもの。我が国臨済宗寺院は実に6000もの多くを数えるとの事ですが、3500の寺院が、ここ臨済宗妙心寺派としまして釈迦如来を奉じ、高みを目指している。

余香苑は広々と澄みとおった機運と難解な臨済宗の世界観を掌中一望に纏めたここまでの庭園から遠景一望へと開放感を以て庭園とした趣きを感じます。中根金作が1963年から実に三年間を費やし造園した庭園で、平安朝以来の造園技巧に戦後昭和の開放感を加味した。

中根金作はこの余香苑の造園に際し、紅枝垂桜や藤に皐、蓮と金木犀に楓を広くしかし視線を技巧に照らし配置していまして、厳冬期に早春の香を遠く待ち侘びる頃合いにも、池面に映る空と木々から、季節感を抱く事が出来るよう奥行を感じさせる配置となっている。

厳寒の季節から早春へと移ろいゆく季節にはまだまだ青葉も萌芽の気配は遠く、如何に名称と云えども寂光と侘び寂びの言葉を以て茶を濁す印象もあるのですが、ふと思考を転じれば常緑と陽光は多くの拝観者の雑踏を呼び、今だからこそ情景を独り占めできる、とも。

退蔵院庭園は妙心寺山門を見上げ、少し洛外の方角へ歩みを進めますと門扉を開き、拝観者を迎えています。暖かくなり梅花桜花の季節、続き訪れる新緑の季にはまた新しい輝きに迎えられる事でしょうが、この季節の庭園探訪も、また趣き深い感慨と出会えるでしょう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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厳冬の季節、急ぐばかりの年頃には色褪せた季節という印象でしたが、今はその静かさがいいと思える、思案と熟考に散策を手段とするならば、水面のような静けさが良い。

退蔵院庭園、京都の西は妙心寺の塔頭寺院の一つに数えられ、その塔頭寺院の中でも屈指の永い歴史を讃える境内に庭園が広がる。その境内には国宝瓢鮎図が奉じられるとともに史跡名勝枯山水庭園“元信の庭”と池泉回遊式庭園“余香苑”が拝観者を迎えてくれる。

妙心寺は右京区花園に広大な寺領を今なお広める臨済宗妙心寺派大本山の寺院で、寺町とはこうした風情を占めるのだろうかという程に、その広大な境内には一つの街としての風格を広げています、一つ一つを廻るには、なるほど相応の日数と所縁が、とおもうもの。

陰陽の庭、退蔵院庭園の石庭は明暗を明確に暗喩した枯山水の情景にふと歩みを留め考えさせられるのですが、代々の庭師という方曰く、ここ陰陽の庭には二色の敷き砂が敢えて広げられ、物事と人間の二面性を十五という割り切れぬ奇数の庭石を浮かべているという。

西の御所、とはここ妙心寺のもう一つの愛称で、正しくは正法山妙心寺といいます。散策を続けますと、御所に比肩する広大な寺領に感嘆しつつ、しかし、拝観者を迎える伽藍もまた御所の様に限られ、退蔵院庭園は広い妙心寺に拝観が広く開かれた庭園のひとつです。

水琴窟は滴りゆく水滴が素焼きの信楽焼に共鳴し水琴の残響と、一期一会の樂楽を吟じるものです。百万都市京都の喧騒も突風吹きすさぶ雑音も不思議と遮る庭木の配置に少し耳を寄せ、心静かに気分を澄ませれば、不思議な響きが水音の癒しを実感させ清涼を感じる。

元信の庭は狩野元信による室町時代のもの。美術史に詳しい方々ならば狩野元信は狩野派の祖である狩野正信の子、という閃きと共に、この庭園に狩野派の絵画を探すところと聞くのですが、狩野元信は最晩年に絵画から庭園美へと技法を転じ、この庭園を造営した。

狩野元信と狩野派といえば絵画という印象の中で、一説には狩野元信が最晩年に興した最後の作品が、この元信の庭とも云われていまして、独特の風景は優美豊艶の趣を込めた狩野派絵画の気風を具現化したといい、1931年には、国の名勝史跡庭園に指定されています。

花園紋という妙心寺八つ藤の寺紋は、開基の花園天皇がこの地を無相大師関山慧玄へ下賜した鎌倉時代から続くもの。我が国臨済宗寺院は実に6000もの多くを数えるとの事ですが、3500の寺院が、ここ臨済宗妙心寺派としまして釈迦如来を奉じ、高みを目指している。

余香苑は広々と澄みとおった機運と難解な臨済宗の世界観を掌中一望に纏めたここまでの庭園から遠景一望へと開放感を以て庭園とした趣きを感じます。中根金作が1963年から実に三年間を費やし造園した庭園で、平安朝以来の造園技巧に戦後昭和の開放感を加味した。

中根金作はこの余香苑の造園に際し、紅枝垂桜や藤に皐、蓮と金木犀に楓を広くしかし視線を技巧に照らし配置していまして、厳冬期に早春の香を遠く待ち侘びる頃合いにも、池面に映る空と木々から、季節感を抱く事が出来るよう奥行を感じさせる配置となっている。

厳寒の季節から早春へと移ろいゆく季節にはまだまだ青葉も萌芽の気配は遠く、如何に名称と云えども寂光と侘び寂びの言葉を以て茶を濁す印象もあるのですが、ふと思考を転じれば常緑と陽光は多くの拝観者の雑踏を呼び、今だからこそ情景を独り占めできる、とも。

退蔵院庭園は妙心寺山門を見上げ、少し洛外の方角へ歩みを進めますと門扉を開き、拝観者を迎えています。暖かくなり梅花桜花の季節、続き訪れる新緑の季にはまた新しい輝きに迎えられる事でしょうが、この季節の庭園探訪も、また趣き深い感慨と出会えるでしょう。
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