北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

名古屋鉄道の個性溢れる車両写真

2006-05-13 12:55:22 | コラム

■名古屋鉄道4.29ダイヤ改正

 名古屋鉄道は中部国際空港や名古屋と周辺都市との交通利便性向上のため四月二十九日からダイヤ改正を実施した。

Img_1884  これにより、写真のような全車自由席の特急電車も運行が開始され、犬山線ラッシュ時間帯の一部特別車特急電車運航開始や快速特急運航開始以来の特急ダイヤ改正となった。

 のだろうと、3200形の特急表示を見ていたら運転士がカメラを構えた小生に気付き不思議そうに見ていた。

 直後慌てて表示装置を操作し、車掌が走ってきて運転司令所から無線電話の大騒ぎ・・・、ってただ単に表示ミスでした、と。うむ、さすがに全車自由席の特急は無いか。

■個性溢れる名鉄車輌

 名古屋鉄道は第二次世界大戦を契機に多くの鉄道会社が合併して誕生した為、多くの種類の鉄道車両が配置され、ある種伝統のようになったのだろう。

Img_1423  ということで、今回は静浜基地航空祭にいけない腹いせに名鉄車輌の写真を紹介したい。

 静浜航空祭の代わりにと考えた千僧駐屯地祭も、なにやら天候が怪しくなってきた。降水確率60%とか、最悪の場合、阪急電車写真集になるかもしれないと思い、元名鉄ファンの沽券にかけて名古屋鉄道特集を行いたいと思った。

(別名ネタ切れ救済企画)

 特に、全面展望車の7000形パノラマカーを小田急7000系に二年先駆けて導入した。また、通過時に音楽を奏でるミュージックホーンを小田急7000系に二年先駆けて導入した事で知られ、“鉄道ファン”創刊号の表紙を名鉄7000形が飾ったことはあまりにも有名だ。

 今回は名古屋本線で恒常的に見る事が出来る車輌を中心に紹介したい。

■6000形シリーズから3500形シリーズへ

 名鉄通勤電車は、既に引退した日本初の完全冷房完備通勤電車5500形系統が主力にあったが、さすがにセミクロスシートではラッシュ時の混雑緩和に問題があり、6000形が開発された。

Img_1855  6000形は「鉄道友の会」による人気投票でその年もっとも人気が高い車輌におくられる“ブルーリボン賞”を受賞している。

 登場当時は、鉄道ファン以外にも運用面から、今日の通勤電車の基本となる様々な装置を有した実用的な車輌として評価が高く、156輌ほどが製造された。多種多様な車輌を有する名古屋鉄道にあって、6000形は最多数の車輌数を備えている。

Img_1857  6000形の基本設計と台車を流用したのが写真の6500形である。

 最大の特色は地下走行時の事故対策に設置された貫通扉を廃止したことで、多くの私鉄と異なり名古屋鉄道はトンネル区間を除き、地下鉄部分を走行しない為である。また、名鉄名古屋駅周辺は地下部分があるがトンネル幅に余裕があり、貫通扉は必要ない。

 写真は須ヶ口駅から撮影した須ヶ口検車区の様子で、須ヶ口駅には陸上自衛隊に小銃や迫撃砲を納入する豊和工業本社がある。

Img_1863  6000形の最終発展型となったのが写真の6800形である。

 後述する3500形と類似しているが、これは6800形のデザインが踏襲された為である。主な識別点は、スカート部分と運転台のマスコン(3500形以降はワンハンドル式マスコン)で区別が出来る。また車体下部のVVVF式インバータの有無から来る加速音や、ブレーキ音などでも識別できるという。6800形までは小型の固定セミクロスシート方式が用いられていたが、順次ロングシートの改修されている。

Img_1831  1990年代半ばから新世代の通勤車輌として導入されたのが、3500形である。確か132輌ほどが納入されたはずだ。

 VVVFインバータ制御と電気指令式ブレーキの採用によって、加速性能と制動距離縮減に成功し、厳しさを増すJR東海との激戦区、名古屋本線に急速配備されていった。特にラッシュ時における路線の急行主力車輌として、また快速急行(当時の快速急行は新岐阜発0730の東岡崎行きが代表、停車駅が今日とは異なり特急と同じ文字通り快速急行であった)に用いられた。

Img_1833  3500形は全車四両編成で、連結し運用していたが、更に二両編成が必要となり、同時にパンタグラフをシングルアーム式とした3200形、そして四両編成型の3700形に移行した。

 3500形は車体側面にやや傾斜があったが、3700・3200形は“あさぎり”型のヘリ格納庫のようなステルス性無視の垂直側面、そして車体上面の傾斜、前述のパンタグラフが相違点である。なお、シングルアーム式パンタグラフは6500形一編成に改修する形で試験運用を行っていた。

 こうして、6000形、3500形の派生型によって名鉄通勤車輌体系は構成されている。

■傑作車パノラマカー引退進展と5700形

 路線形状から日本の標準的鉄道車両である20㍍車体を用いられない名鉄は若干短縮車体の車輌を用いている為、地下鉄鶴舞線乗入車輌である100形(20㍍車輌)を除き片側3扉車輌と片側2扉車輌によって構成されている。

Img_1879  東京オリンピックに沸く中、名古屋鉄道も未来型車輌として画期的な全面展望席を備えた新型特急電車を導入した。これが7000形パノラマカーである。また、後には定速度制御装置(後に撤去)を備えた7500形も導入され、合計200輌程が生産され、特急・高速(後に廃止)・急行の主力車輌として運用された。7500形は一段車内が低くなり乗降が容易となったが、展望席の視程は7000形のほうが良好であった。

 運転士の立場からみたパノラマカーは、安全走行の中核である視程が良好で、知らぬ間に加速するほどの良好な性能を有しているという。

Img_1852  しかし、7000形・7500形はその車体重量が重く、消費電力著しい事から新たに急行用車輌として導入されたのが5700形である。今日なお、本線急行や支線急行などに多数が用いられている。

 運転席左側の大型ガラスが外見上の最大の特色で、パノラマカーに範を採った良好な視程を乗客に提供している。なお、識別は困難ながら、7000形の台車を流用した5300形が製造され、運行されている。

 しかしながら、5700形の後継となる急行車両は一向に開発される動きが無く、小牧線で運用されている新型車両の転用か、若しくは急行車両をそのまま3500形シリーズで統一される可能性もある。

■パノラマスーパーと空港特急

 7000形に対して、リクライニングシートを用いた名鉄初の有料特急として8800形パノラマデラックス(全車用途廃止)が導入され、1980年代後半からサービス重視という新しい特急体系へ転換を行った。

Img_1874  昭和末期の1988年、新型車輌として華々しくデビューしたのが1000形パノラマスーパーである。名鉄特急車輌として初めて残念ながらブルーリボン賞を逃したが(三位)、展望席を二階に移動し、洗面所や自販機を備えたインターシティエクスプレスとして導入された。8800形のようなセミコンパートメントやサロン席(団体用一編成)を有しないながらも、三河安城駅設置により速力低下した東海道新幹線に対抗するべく、新岐阜~豊橋、そして犬山や知多半島テーマパークと名古屋との観光特急として運用された。

Img_1838  名古屋本線では、指定席車(現特別車)以外に四両の一般車(特急券不用)である1200形を連結しているが、全車指定席の四両編成に対して一部指定席車は指定席2輌と一般車4輌が連結されていたがラッシュ時の乗車率が高く、増結用に二両編成の1800形が導入され、非ラッシュ時間帯では普通電車に用いられている。

 特急料金がなく、一種のグリーン車的に指定席車(特別車)を整備した名古屋鉄道にとっては、需要があった車輌であろう。

Img_1866  2005年の中部国際空港開港にともない、名古屋鉄道は常滑線を介して空港に直接乗り入れを行う鉄道連絡の主柱としての重責を担うようになった。

 これに対応する形で新型特急であるミュースカイが導入された。本車は経済産業省のグットデザイン賞を受賞した。名鉄伝統の全面展望車が廃止されたのは残念であったが、空港特急の代名詞として、京成電鉄のスカイライナー、南海電鉄のラピートと並び知られている。

また、今日では本線特急としても運用されており、振り子式制御装置・VVVFインバータ制御・電気指令式ブレーキを備えた新世代特急としての地位を確立しつつある。

 本来の目的としては、国府宮駅~島氏永駅間の水田の上を走る名鉄車輌の撮影にあったが、まだ水を張っていなかったので、今回は断念した。なお、小生は鉄道に関して余り多くの知識を有していないので、お気付きの点があればコメントなどしていただければ幸いである。

HARUNA

(本ブログの写真及び本文は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (2)
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