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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

富士学校祭2011に関する速報、出ると思った新装備は来年度以降に

2011-07-12 23:15:09 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆10式戦車中隊&新誘導弾は来年度以降に

最初に、富士学校祭の前日に海兵隊キャンプフジ一般公開があったこと、お伝え忘れました、スンマセン。

File0320 さてさて、富士学校祭ですが、自衛隊関連行事の紹介では色々と行事の今年の目玉はこんな感じ、というような紹介をしたのだけれども、実際に足を運んでみますと意外や意外、ということがあったのでしょけれども本日はそのお詫びを兼ねて、少し行事をお伝えします。

File0810  新型の10式戦車ですが、てっきり戦車教導隊に配備されているものとおもったのですが装備実験隊に装備されているのみで中隊規模で配備sあれている、ということはなく機動展示も昨年度の2両に対して1両のみでの参加でした。ただ、熱源を用意してでの走行間自動目標追尾を実施していましたおでこれは特筆すべきかな、とも。

File0040  中距離多目的誘導弾が普通科教導連隊に装備されているのでは、と行事実施予定で記載したのですけれども、正直申し訳ない、96式多目的誘導弾と79式対舟艇対戦車誘導弾のみの展示でして、朝霞の広報館に配備されているくらいだから富士学校にもあると思ったのですが、もう少し先の模様。

File0532  79式対舟艇対戦車誘導弾の後継として配備されるとのことですから、文字通り全国に配備される装備なのだけれども最新装備、見れると思ったのだけれども行ってみて非常に残念、今度何とか時間を見つけて中距離多目的誘導団を展示している朝霞広報館に行ってみようかな、とも改めて。

File0110  この調子で行くと、将来装甲車いよいよ展示か?と書いて軽装甲機動車しか来ないとか、いよいよ偵察挙動隊に機動戦闘車配備を期待、とかかいて87式偵察警戒車しかこない、と近い将来の北大路機関広報がありうると思うのですけれども、その都度訂正記事を入れますので、今後ともよろしくお願いいたします。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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富士学校祭2011 最新鋭10式戦車の機動展示を速報!

2011-07-10 22:54:29 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆富士駐屯地へ行ってきた

 本日富士学校祭に行ってきました。天候は快晴、こうしたなかで取り急ぎデータを選び掲載。

Img_0346  富士教導団の各種車両が注目という富士学校祭であるのですが、本日の最大の注目は10式戦車の機動展示、昨年と異なり1両での展示でしたが、本年は熱源を設置し戦車砲の照準展示を行い、その優れた追尾能力と砲安定装置を展示、戦車を数多く見れば見るほど、この10式戦車の傑出した能力を垣間見ることが出来ます。

Img_0320  本州における駐屯地一般公開は東日本大震災以降ですとこの富士駐屯地祭が最初の行事となりまして、こうした意味でも注目の今年の富士学校祭は観閲行進から訓練展示模擬戦まで、終日多くの見学者で賑わっていました。また一日を通じて東富士演習場からは特科火砲の射撃音が響き、大阪や京都、長崎の部隊車両が行き来していて、活気を感じる事が出来た一日というところでした。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる) 

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第11旅団創設3周年・真駒内駐屯地開庁57周年記念行事 本日実施

2011-06-19 23:16:06 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■真駒内駐屯地祭2011

 本日、札幌市の真駒内駐屯地創設記念行事へ行ってまいりました。なにやら、本州で見たことのある方々数人いまして、お互いごあいさつ。美唄でのお話ですが聞いてみると京都市のお隣にお住まいの方がいたりして、世間は狭いなあ、という印象です。

Img_1431  真駒内駐屯地ですが、災害派遣を現時点でも実施中という状況での駐屯地記念行事でして、観閲行進では旅団創設記念行事であるにもかかわらず化学科部隊が参加していない、という災害派遣を思い出させるものがありましたが、22部隊から1150名と車両225両が参加するという非常に大きな行事となり、創設されたばかりの北部方面混成団第52普通科連隊も参加、見学者も大勢、活気に溢れていました。

Img_1950  行事は部隊巡閲、指揮官訓示、簡閲行進と訓練展示が実施され、訓練展示では災害派遣展示が行われるのかと思いきや実施されたのは野戦方式、仮設敵に特科隊の73式装甲車があたり、戦車や自走榴弾砲、装甲車部隊と激しい戦闘を交わし、かなりの迫力。なかでも久々にみることができた75式自走榴弾砲が良かったですね。

Img_2058  地元の方と世間話も盛り上がりまして、11Dの陸自OBで戦車関係の仕事に携わっていた方と雑談や、当方と同じメーカーのカメラバックを担いでいる方で自衛隊関連行事初撮影の方とアングルでいろいろ場所の話をしたり、親子三代で近所から見学に来ていた人と隣り合って見学したり、いろいろと率直か感想や印象をお聞かせいただくことができました。装備の更新度合いや編成も垣間見ることができ、充実した一日、現地でお世話になりました皆様、ありがとうございました。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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美唄駐屯地創設34周年・第2地対艦ミサイル連隊創設19周年記念行事

2011-06-18 22:34:39 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■美唄駐屯地祭2011、大震災以来の一般公開

 本日、北海道美唄駐屯地にて、美唄駐屯地創設34周年、第2地対艦ミサイル連隊創設19周年記念行事が行われました。

Img_8610  3月11日の東北地方太平洋沖地震以降、自衛隊は創設以来最大の災害派遣任務を現在も遂行中で、駐屯地記念行事は多くが中止、実施されたものも全て一般非公開行事となっていたなか、6月18日本日実施された美唄駐屯地祭は公開となりました。さぞ盛況、と思いきや来賓よりもやや少ない一般入場者ではありましたが、記念行事再開です。

Img_8731  東日本大震災の揺れは美唄駐屯地でも中震として体感されたとのことで、非常勤務体制へ即座に移行、190名の隊員を派遣し主力の任務は五月上旬に完了したとのことですが、現在も警務と業務の2名が派遣されているとのことで、訓練展示は災害派遣を経験した隊員による災害派遣展示となっていました。

Img_9020  観閲行進は、第2地対艦ミサイル連隊の保有する88式地対艦誘導弾部隊が行進を行いました。連隊には六連装発射基四基を運用する中隊が四個ありますが、各中隊より発射機一基と弾薬車一両が行進に参加しました。音楽隊の参加もなく、少々寂しいという印象は拭えませんが、非常時ゆえ、と考えることにしましょう。

Img_9131  88式地対艦誘導弾は発射されるとプログラムされた低空を地形追随飛行し洋上では高空を亜音速で飛翔、目標に接近すると超低空を飛行しそのまま低空から直撃、約200kmの距離で5メートル四方の標的を撃ち抜く性能があるミサイルで、冷戦終結に伴い順次ミサイル連隊の規模は縮減されているのですが、同時に現在射程と巡航速度を向上させた改良型が開発されています。

北大路機関:はるな

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駒門駐屯地創設50周年記念行事(2010.04.04) 詳報:観閲行進前篇

2011-02-17 23:32:18 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆駒門駐屯地祭2010特集②

 陸上自衛隊駒門駐屯地創設50周年記念行事、第二回の掲載は観閲行進を特集しましょう。

Img_3973  駒門駐屯地には中央即応集団隷下の国際活動教育隊、第1師団隷下の第1高射特科大隊、第1戦車大隊と支援に当たる第1後方支援連隊第2整備大隊戦車直接支援隊、高射直接支援隊、第1機甲教育隊、方面施設部隊の第364施設中隊等が駐屯、これらの車両が観閲行進に参加します。

Img_3976  観閲行進の先頭を往くのは2007年に新編された国際活動教育隊の車両で、陸幕直轄部隊であるこの部隊の長が兼ねて駒門駐屯地司令を務めています。教育部隊という事で80名と小さな所帯ですが、晴れて自衛隊の本来任務となった国際貢献任務に当たる教育を行います。

Img_3978  軽装甲機動車、このほかに96式装輪装甲車も装備されているのですが、国際活動教育隊は本部と共通教育科、評価支援科、研究科、教育支援小隊から編成されています。これら装甲車は教育支援小隊に装備され、教育訓練の支援や装備開発等に協力しているとのことです。

Img_3977  軽装甲機動車は、硬度の高い鋼板により構成される機動運用を想定した小型装甲車で、民生品などの多用によって製造コストの大きく抑える事が出来たため、慢性的な装甲車不足にあった陸上自衛隊でも多数を配備することが出来、配備開始から十年で既に1500両以上を配備することが出来た装備。

Img_3984  軽装甲機動車は小型ですがその分小回りが利き手頃な大きさにまとまったと言えるでしょう、火力拠点としての運用が想定されて開発されているのですが、国際貢献任務において自衛用に機関銃を搭載する場合、写真のように防盾を搭載して防御力を確保します。機動力は特に路上において高く、増大する普通科部隊の装備品を迅速に展開させる上で不可欠な装備となりました。

Img_3986  96式装輪装甲車、陸上自衛隊は普通科部隊の小銃班輸送用装甲車として60式装甲車や73式装甲車と装軌式装甲車に一本化した装甲車調達を行ってきましたが、不整地突破能力が高い分路上機動力に欠けるという難点があり、90年代から舗装道路を迅速に移動できる装輪装甲車を開発、96式装輪装甲車として完成しています。

Img_3985  中央即応集団の中央即応連隊は本車を多数配備していて、北部方面隊では、第2師団が第3普通科連隊を全て本車で充足していて、第5旅団と第11旅団は隷下普通科部隊に少なくとも1個中隊を本車で充足しているのですが、他には普通科部隊への装備は富士教導団くらいですので、全国の部隊が国際貢献任務へ対応するためにはもっと数を揃える必要がある装備、といえるのですよね。

Img_3991  96式装輪装甲車は既に300両以上が配備されているのですが、値段が73式装甲車と同程度になっています。演習場では戦車に協同出来ない不整地突破能力等も聞こえてくるのですが、国際貢献任務を考えた場合、自走して長距離を移動する必要性も多く、こちらもここ十年間を見れば必要に間に合った装備といえるでしょう。

Img_3988  8輪をもつ装甲車で空気圧調整システムを持っているため不整地では空気圧を落として設置面積を増やすことも可能です。舗装道路を高速で展開する事が出来る装甲車ですが、写真を見ると砂塵に悩まされているようにも、運転時用に風防も開発されているのですが、防弾ガラスではなく単純な風防ですので、戦闘行動を考えると防弾ガラス型もあってしかるべきなのかな、と。

Img_3994  なお96式装輪装甲車は現在、側面部分に増加装甲装着が可能で機関銃周辺に防盾を追加した96式装輪装甲車2型へ生産が移行しています。2型は第3戦車大隊等にも装備されていて、今津駐屯地祭で見る事が出来ましたが、増加装甲は取り外した状態での参加となっていました。

Img_4000  久保勝裕2佐率いる第1高射特科大隊の観閲行進です。第1高射特科大隊は、第1師団の全般防空と前線防空を組織的に行う事で師団の行動を航空攻撃の脅威から防護し、その任務遂行を担保する部隊です。大隊は本部管理中隊、第1中隊、第2中隊より編成されています。

Img_4012  本部管理中隊の82式指揮通信車、指揮官が乗車する車両で無線機等を搭載しています。元々は特科大隊等の指揮用に開発された車両で約250両が納入されました。陸上自衛隊としては初めて開発し導入した装輪装甲車となっています。何分制式化が古く、近年の増大する通信量に追いつかないのが難点で後継装備が開発中となっているみたい。

Img_4014  対空レーダ装置JTPS-P14,大隊の本部管理中隊には対空レーダ装置と低空レーダ装置が配備されており、大隊が運用する各種地対空ミサイルと連動しています。レーダーとミサイルが連携することで組織防空が可能となっており、ミサイル単体では考えられないほどの防空能力を発揮するということになるのです。

Img_4022  第1中隊の観閲行進、93式近距離地対空誘導弾を装備しています。通称は近SAMで第一線の野戦防空を担当するミサイル、ミサイル本体は91式携帯式誘導弾を四連装発射器二基に収めた構造となっていて、車体部分は高機動車で小回りが利き迅速に展開することが可能となっています。

Img_3947  L-90高射機関砲の後継装備として開発されたのですが、L-90は3P弾など拠点防空用として非常に高性能出会った半面、展開に時間が掛かり陸上自衛隊が求めていた機動運用には合致しませんでした。それでは、と87式自走高射機関砲を開発して各師団に8両程度配備しようとしたのですが価格が高くなりすぎ、本装備の開発に至ったという訳。

Img_4027  91式携帯地対空誘導弾はスティンガー携帯地対空誘導弾に続いて国産開発されたものですが、CCDカメラを搭載していて可視画像を追尾する方式を採っているのでフレアーのような熱源を発して離脱しようとした場合でも追尾が可能です。射程5000m、低空に降りてくる航空機にはこの上ない脅威となっています。

Img_4030  この種の地対空ミサイルシステムは各国が開発して装備しているのですが、日本の93式近SAMは各国の装備が車両本体に乗員が乗車して直接照準しているのに対して、データリンクが可能となっているほか、目視照準器具や光学画像装置と赤外線画像装置により車外からの操作が可能であるという点でしょうか。要するにこちらの方が高性能。

Img_4038  他方で本社が置き換えたL-90も前述の通りかなり高性能でして、陣地運用のように機動運用さえ行わなければ十分な能力を有していて、日本周辺でも韓国軍などが重点装備としていますので、ううむへ移行装備とする訳にはいかなかったのかなあ、と思ったりも。この点、将来装輪装甲車体系では自走高射機関砲も開発されるようです。

Img_4056  第二中隊の観閲行進が続きます、第二中隊は81式短距離地対空誘導弾を装備していて、師団の後方拠点などに対する野戦全般防空を担当します。これより後方の集積地や補給路については方面隊のホーク地対空ミサイルや03式中距離地対空誘導弾が全般防空として対処。

Img_4059  81式短距離地対空誘導弾は通称短SAM,高射機関砲とホーク地対空ミサイルの間隙を埋めるためのミサイルとして国産開発が行われまして、レーダーを搭載した射撃指揮装置を中心に二両の発射機により1セットを構成していて、中隊には基本的に4セットが配備されています。

Img_4061  射撃指揮装置のレーダーは索敵範囲が40km、追尾可能距離が30kmという性能を有していて、マッハ2以内の目標であれば同時に8目標までを識別して追尾可能です。レーダー部分はアクティヴフューズドアレイレーダーで、制式化された当時では各国が実用化に向けて研究していた最新技術の一つでした。

Img_4062  ミサイルは赤外線誘導で射程8km、ただ現在はレーダー誘導により射程を16kmに延伸した短SAM-Cの装備が開始されています、けれども1高射には配備されていないようですね。最小射程500mで有効射高は3000mまで、低空侵入に備え15mの低高度目標も対処が可能とのこと。

Img_4064  ミサイルは四発づつ搭載されるのですが、発射は3秒間隔で可能。ただ、ミサイル本体のコンテナを人力で搭載する必要があり、ミサイル本体にも発射前に信管を装着する必要があり、この点が少し前の世代の装備だと感じさせます、なにせ制式化から30年ですからね。このため後継装備の調達が始まります、今度は改善されているみたい。

Img_4067  射撃指揮装置との連動が間に合わない状況では光学照準器による直接照準射撃が可能です。2.5倍から12.5倍切り替え式の照準器が装備されていて、これを使った高速の航空目標への照準はかなり大変とのことですが、同種の装備はフォークランド紛争で効果を上げていました。

Img_4069  第1後方支援連隊第2整備大隊の観閲行進が始まります。後方支援連隊は武器大隊等複数大隊編成だったのですが、車両の増加に対応する目的で第一線に随伴して整備支援を行う第2整備大隊と、師団の後方拠点で時間のかかる重整備を行う第1整備大隊に分ける改編が2000年代に行われました。

Img_4075  重レッカー車。後方支援連隊の車両は種類も豊富なのですが、レッカー車はともかくとして電子整備を行う工作室を備えた車両等、ちょっと分かりにくいものがおおいので、地味という印象もあるのですが後方支援連隊があって初めて戦闘任務を継続できる、ということを忘れてはなりません。

Img_4082  第1施設団第4施設群第364施設中隊の車両、第364施設中隊は駒門に駐屯しているのですが、第4施設群本部は座間分屯地にあり、座間には第363施設中隊、古河駐屯地に第362施設中隊が置かれています。古河駐屯地には第1施設団本部があり、隷下には高田駐屯地の第5施設群もあります。

Img_4087  第4施設群の置かれる座間分屯地、群本部があり中隊も置かれているのなら駐屯地に格上げしても用意のではないか、と思ったりもしましたが方面施設は師団施設が戦闘工兵、対して方面が建設工兵としての任務を担っていたという区分だったのですが、最近は師団施設等から戦闘工兵としての第一線装備を集約する改編を実施しています。

Img_4093b_2  第1特科隊第4中隊のFH-70榴弾砲、牽引式榴弾砲としては最高の性能を有しているFH-70榴弾砲は、各国が同程度の費用で取得できる自走榴弾砲を採用した事で配備は伸び悩み、他方で牽引砲という戦略機動性に注目した陸上自衛隊がNATO各国を差し置いて最大の運用規模を誇るようになっています。

Img_4102  第1特科隊は、北富士駐屯地に駐屯しているのですが、第1特科連隊時代は駒門駐屯地にいました。特科連隊は特科大隊を基幹とした編成なのですが、特科隊は火砲数を縮小して特科中隊を基幹として編成している部隊です。まあ、個人的には中隊基幹でも特科隊と呼ばずに特科連隊と呼んでも良いような気がするのですがね。

Img_4105b  北富士駐屯地には四個特科中隊を基幹として師団全般支援任務に当たる第五大隊が置かれていて、駒門駐屯地には他の特科大隊と連隊本部が置かれていたとのことで縮小編成に改編されるという事で本部を北富士に移駐させたという経緯があります。駒門にはもうFH-70は居ないと思ったのですが、この関係で参加したのかもしれません。

Img_4110  FH-70,発砲焔が写りやすい装備なのですが、牽引時の写真を撮影すると中砲牽引車ばかりが目立ってしまうので、こういう横から撮影する写真を載せてみました。自走榴弾砲と違い訓練へ高速道路などを自走できるのですが、将来的には装輪自走榴弾砲へ転換してゆく事でしょう。

Img_4111b  観閲行進は前半部分がここで終了、いよいよ第1戦車大隊や第1機甲教育隊の戦車が登場する戦車部隊の観閲行進へと展開してゆくのですが、こちらも多くの写真を紹介したいので今回は前半という事で戦車部隊は後半の特集記事に譲りたいと思います、お楽しみに!。

HARUNA

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駒門駐屯地創設50周年記念行事(2010.04.04) 詳報:記念式典

2011-02-09 23:28:30 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆駒門駐屯地祭2010特集①

 陸上自衛隊駒門駐屯地は、静岡県の富士山に程近い駐屯地で、陸幕直轄部隊や第1師団の重火力部隊、教育部隊等が駐屯する駐屯地です。

Img_380_8  駒門駐屯地は2010年4月4日、創設から50周年を迎えました。昨年に撮影した写真ですが、今回から何度かに分けて駒門駐屯地祭の様子を紹介したいと思います。もう暫くすれば駒門駐屯地祭2011の時期になりますから、駒門駐屯地祭はどんな所か足を運ばれる、その際の参考にでもなれば幸い。

Img_3745  駒門駐屯地祭、しかしなぜ今?と思われるかもしれませんが、なんといいますか速報記事を紹介してから詳報を載せていない記事が結構あるのですよね。しかし写真のように仮免教習中の車まで並ぶ(違)程の行事を紹介せずそのまま当方だけが保存、というのも見せてくださった駐屯地の方に申し訳ないので、掲載、ということに。忘れていた訳では無いですよ、多分。

Img_3769  当方一行、東名高速を駒門で降りまして駒門駐屯地へ、一瞬だけ高速道路の車窓からも見える駐屯地なのですが上の写真にあるように駒門駐屯地を正門から入りました。案内に辿って車で進みますと、そのまま裏門へ。なんだ帰れという事!?と思いきや、裏門のところに駐車場があったのですね。教習場を利用した駐車場、S字カーブとか指定されないかとひやひやしましたが、縦列駐車練習場に駐車。駐屯地へ足を運びます。

Img_3764  装備品展示会場を抜けて式典会場に向かうのですが、この写真、プレートには“74式戦車”、とあるのに何も見えません。隣の96式装輪装甲車は見えるのに、・・・、まさかBAEが開発中という高額迷彩を技本が一足先に実用化か!?、それともバカには見えない戦車なのか!?!?、なぞはこの時点では解けませんでしたが、これはのちほど。

Img_3770  そんなこんなでウロウロしていますと、式典会場に向かう部隊が進んでゆきます。実はこの日、初めて駒門駐屯地祭を撮影するということで、駐屯地の中というのは分からない状況だったのですが、90年代の初めころに行った事のある方々と同行させてもらったので、とりあえず会場に進んで全体の地形を把握しよう、ということになりました。

Img_3777  駒門駐屯地の会場に到着。撮影しにくい駐屯地だ、と練馬駐屯地や武山駐屯地等で多くの方々からお教え頂いていたのですが、なるほど、けっこう手狭なのですね。それもそのはず、装甲車の背後に並ぶ戦車の訓練は近くの東富士演習場で行うので、広大である必然性はないのだ、ということなのでしょうね。

Img_3774  ここまでは楽しみにしていた駒門駐屯地祭なのですが、まさか、・・・、あんなことになるとは・・・、この時は、おもってもみなかったのです。・・・、とまあ意味深な事を書いてみたりします。会場にはそれなりの装備が、軽装甲機動車の背景には74式戦車の車列がみえまして、駐屯地と教習場の途上に見えるモータープールにも戦車が溢れていました、が、です。

Img_3804  写真とこれまでの文章でお気づきかもしれませんが、この駒門駐屯地、第1師団の駐屯地だと思っていたのですよね。しかし、御存知の方は多いでしょうけれども第1機甲教育隊が駐屯していまして、これが思いのほか大規模で、しかも国際活動教育隊が駐屯している、教育重視の駐屯地だった訳です。まさかこんなことになっていたとは、思いもしませんでした。

Img_3787  第1音楽隊が会場に入場してゆきます。その背景には90式戦車回収車。90式戦車は74式戦車よりも12㌧も重いので38㌧の74式戦車を故障時に改修する78式戦車回収車では支援が出来ない事もあり、90式戦車回収車が導入されました。つまり90式戦車のいない駐屯地では見れない装備です。

Img_3778  駒門駐屯地に構築された陣地。国際活動教育隊の教育施設とのことで、仮設式のような印象ですが実質的にはここに恒常的に配置されているようです。海外派遣任務が増大した自衛隊にあって野戦や市街戦などの国土防衛戦のみを研究した今日までの訓練体系では応用が利かないのが国際貢献任務、その為の教育と研究を駒門駐屯地で行っているとの事。

Img_3795  式典会場入場へ待機する隊員たち。いよいよ駐屯地祭の始まりですね。ここは狭いので撮影アングルが限られるのです、そろそろこちらも撮影位置を決めなければならないのですが、入場者の数をざっと把握してみますと、経験上なんとかなりそうでした、EOS-40Dはファインダーを覗かずともライブビューア撮影が出来るのです、これで撮影の自由度は広がる広がる。

Img_3805  駒門駐屯地祭2010。音楽隊の演奏とともに式典参加部隊が会場に入場し整列します、式典会場に整列した隊員の背景には陸上自衛隊師団防空の柱、81式短距離地対空誘導弾が見えます。装甲車や戦車も並んでいて、首都防衛の重責を担う第1師団の重装備が揃っているのがみえるでしょうか。

Img_3826  駒門駐屯地に駐屯している部隊は、中央即応集団に所属する国際活動教育隊、第1教育団に所属している第1機甲教育隊、第1師団隷下にある第1戦車大隊、第1高射特科大隊、第1後方支援連隊第2整備大隊戦車直接支援隊、同高射直接支援隊、第1施設団第4施設群所属の第364施設中隊、及び支援部隊と駐屯地業務等を行う部隊です。

Img_3827  第1機甲教育隊は武山駐屯地の第1教育団に所属していますが、第1教育団が今年度末、というとあと一ヶ月ちょっとなのですが改編され、第1教育団から即応予備自衛官の教育訓練等を加えた東部方面混成団となりますから、次の駒門駐屯地祭では、第1機甲教育隊の所属は変わっている事でしょう。

Img_3838  秋葉駐屯地司令の登壇に合わせ整列した部隊が敬礼を行います。部隊旗の敬礼で同時に多数の旗が振り下ろされる瞬間を狙ってみました。聞くところでは、ここでシャッターをバチバチきるのか、模擬戦だけを見に来るのかで、軍ヲタか否かが分かる、と第3陸曹教育隊のカメラマンの方が仰っていました。

Img_3847  秋葉瑞穂駐屯地司令が部隊巡閲を行います。秋葉瑞穂1佐は国際活動教育隊長兼ねて駒門駐屯地司令を務められている方で、東部方面隊の第1師団ではなく、国際活動教育隊、つまり防衛大臣直轄部隊である中央即応集団隷下の部隊長の方が駒門駐屯地司令を務めているのですね。

Img_3857  秋葉司令からの巡閲を受ける式典参加部隊。さて、冒頭に駒門駐屯地祭は撮影が難しい、と記載しましたが駐屯地の広さ以外にもう一つあります。それはこの写真を見るとよくわかるのですが、招待者席の位置ですね。式典を撮影できる場所は全て招待者席が数列確保されていて、広角で撮るとどうしても招待者の頭上が写ってしまうのです。全員識別帽でも農協の帽子でも被ってくれると絵になるのですが、これも駒門駐屯地祭“らしさ”なのでしょう。

Img_3865  訓示を行う秋葉司令。国際貢献任務が増大し、陸上自衛隊は従来の冷戦時代に想定した運用から世界の自衛隊へと新しい一歩を責任とともに歩み出している中、一層の隊員の努力と向上心を求め、地域地元との連携とともに首都防衛を担う第1師団の教育訓練を重ね更に精強である部隊を錬成する事を求める、このように訓示されました。

Img_3873  秋葉瑞穂司令に対し敬礼!。訓示を聞きつつやはり思ったのですが、ここ十年間で自衛隊は物凄く変わりましたね。2011年の今年は9.11から十年にあたるのですが、まさか自衛隊がイラクに行くとは当時思いもよりませんでしたし、安全保障情勢全般も西方の脅威増大や北方の脅威再建、そして国際貢献任務の激増、変わるものです十年で。

Img_3884  駒門駐屯地創設50周年記念行事ということで、民主党の代議士、この時点で与党ですが、の方も何人か訓示、偉い方もいらしていたようですが、ちょっと上記のとおり考え事をしていましたので、内容は記憶に残りませんでした。成程!、と頷かせられるような、しっかりとした祝辞でしたら強烈に印象に残るのですが、ね。

Img_3887  祝辞の撮影も、できれば正面から撮影して雰囲気を紹介したかったのですが、先にも記したとおり撮影することのできる場所が限られていました。この場所では、観閲行進も撮影が難しいのかな、と思い始めまして、なんでも招待席越しにライブビューアで片手伸ばし撮影に限定されてしまいそうでしたから、ね。そこで撮影位置を変えることに。

Img_3892  駐屯地からはJR御殿場線が見えます、小田急の特急あさぎり号も見えたのですが、明野のように駐屯地外から撮影する事は出来なさそう、そこで、式典会場と装備品展示会場に向かう途中の、一般開放されている地区の端に足を進めました。自販機があったので補給するのが目的ですが、ここがアングルとして良さそうにみえたので、陣地転換。

Img_3899  観閲行進の隊形を取れ!、記念行事が終了し、いよいよ駒門駐屯地祭は観閲行進へと進んでゆきます。式典会場に整列した部隊はそのまま観閲行進に参加する車両の待機場所へと移動を開始します。暫くするとエンジンの始動音が聞こえ始め、こちらもカメラを再度構えて来るだろう次の展開を待つという状況。

Img_3907  式典会場に展開していた車両が観閲行進の停車位置へと移動を開始、ここから駒門駐屯地祭観閲行進へと移るのですが、戦車や各種ミサイル、装甲車が映える観閲行進の様子は次回に紹介したいと思います。駒門駐屯地創設50周年記念行事詳報:観閲行進、次回をお楽しみに!。

HARUNA

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第一空挺団への道 年頭を飾る空挺降下初め2010見聞紀行

2011-01-07 23:25:50 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆習志野演習場に行こう!

 空挺団への道、というと志願者の方の注目を集めてしまいそうですが、そちらの相談は地方協力本部へどうぞ、紹介が必要でしたらまあ、御一報を、閑話休題。

Img_9204  いよいよ日曜日が第1空挺団降下初めの日なのですが、富士総合火力演習のように入場券が必要である行事と違って、駐屯地記念行事のように足を運べば誰でも見学できるというのが降下初め。空挺部隊に戦車や小銃機関銃がバカスカ連射する迫力の行事です。

Img_9219  降下初めが行われる習志野演習場は、習志野駐屯地とはずいぶん離れた国道246号線増にあります。最寄り駅から徒歩で、という事は考えていたんですけれども千葉県の複雑なバス路線を経由するかタクシーで、と考えていました。しかし、いちばんの道は自家用車のようです。

Img_9152  上野発の夜行列車、・・・、ではなく快速ムーンライトながら号で東京駅に到達した当方、上野駅で合流という事で少し時間をつぶしていましたらば寝台特急あけぼの、やってきました。この日はまだ北陸、能登号が運行されていたんで、もちろん撮影しましたが、上野駅の何処で合流するか詰めてなかった。

Img_0090  上野駅といってもJR東日本の路線は在来線から新幹線まであるし、それだけでなく京成電鉄も路線が伸びてる。しかも入り口がやたらと多いので慣れない当方は電話で、あっちか、いやこっちか、いや其処で良いのか、まて後ろか!、と少々手間取りました。京都駅なら第二北大路機関で特集してるくらい詳しいのにね。

Img_9185  首都高速を一路千葉へ。・・・、鉄道路線は少しくらい詳しいのだけれども悲しいかな高速道路路線は考えた事が無いので、ここはどこ、というのを標識を以て知るくらい。当方の不手際で合流が少し、いやもう少し遅れたんで、制限速度内ではありますが、東京スカイツリーが見えようとCH-47JAの編隊が見えようととにかく急行です。

Img_9207  習志野演習場付近は入口が良く分からず、一方通行に迷い込んだり、入口だと思ったらば会場の手前なのだけれども関係者用の入り口だったりで習志野演習場に到達したのは0842時でした。ちょいと出遅れたかな、とかも思ったのですが駐車場はかなりの面積が確保されていたので問題はなしです。

Img_9210  駐車場に車両を停車させ、400mm望遠を含む重装備、防寒具を準備して会場までのシャトルバス乗り場へ向かいます。その途中には空挺団の軽装甲機動車が停車していたりして雰囲気はどんどんと盛り上がってきました、今では空挺団もかなり高度に機械化されていて、実は第1師団よりも軽装甲機動車の装備は早かったりします。

Img_9223  まあ、この話をしますと本来第1師団装備用の装甲車を新編された中央即応集団が全部持って行ってしまったとかでだんだんと第1師団の方の眉間に皺が寄ってくるので、余りはなさないようにしましょう。さあ、演習場の滑走路地区には輸送ヘリコプターが並んでいて、もう臨戦態勢です。

Img_6497  空挺!空挺!エアボーン!、と雰囲気にのまれて会場までハイポートで駆けっこしてしまいそうですが、ここは駐屯地では無く演習場、広大です。100kmマラソンとか全速力10分間の空挺持久走を行う精鋭の一因では無く、防寒具で着膨れして400mm望遠と一眼レフ二台を抱えている身なので慎重に行きましょう。

Img_6505  なんといってもこの演習場、航空自衛隊のペトリオットミサイルサイトである習志野分屯基地の訓練地区だったりするので、とにかく広いんです。おとなしくシャトルバスを待つ事にしました。後で知ったんですが自動車教習所も中にあったんですね。仮免練習中とか書いた高機動車とかもこのあたりを走ってるのかな?

Img_9232  シャトルバス二乗車したのは0859時、まあ、なんだかんだいってもそんなに待ち時間も無く乗車することが出来ました。気合の入っている人はそのまま走ってゆく人もいるようで、シャトルバスが運行開始される前に朝一番で入場して走ってゆく、というのも一つの方法だそうですが、もう少し軽装備で準備したらこれも出来るかもね。

Img_0001  空挺降下初め、会場は横に長いのですけれども何処でも迫力ある様子を見学できる一方で、いちばん奥の方に行けば行くほど観れるものの迫力は増してゆくようです。しかし、いちばん奥は関係者席と招待者席ですから限界はあるのですが。この為に先ほどの遠い道のりを徒歩にて進む人がいるのでしょうね。

Img_9270  会場は土手のようになっているので多くの人が見学できるようになっているんですけれども、結構斜面に立ったまま、というのは疲れます。開始されるのは1100時頃で、ざっと二時間程度ま待つことになりますから何か敷物的なものがありますと良いでしょうね。防寒具は重要ですが、人ごみの中ではあまり風の寒さは身に沁みませんでした。

Img_9923  降下初めまでは、キャンプ座間のUH-60が米軍関係者を運んできたり、UH-1が陸自関係者を輸送したり、CH-47が防衛大臣を輸送したりで、けっこう何かしら飛んでいます。降下初めでは指揮官の降下を筆頭に特殊作戦群も降下してきまして、輸送機からの部隊降下までも観るところは多くありました。

HARUNA

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姫路駐屯地創設59周年記念行事・姫路駐屯地祭2010 速報

2010-11-07 23:09:55 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■本日は速報記事

 本日、陸上自衛隊姫路駐屯地創設59周年記念行事が執り行われ、見学をしてまいりましたので速報にて紹介します。

Img_6890  姫路城を望見する姫路駐屯地にはFH-70榴弾砲20門を運用し第三師団の火力戦闘を担当する第3特科隊と、師団の対空警戒および防空戦闘を担う第3高射特科大隊、そして特科直接支援中隊などの支援部隊が駐屯しています。行事では式典、観閲行進、訓練展示に加え装備品展示とレンジャー訓練展示が行われました。

Img_7469  訓練展示はFH-70りゅう弾砲を前面に押し出した展示が行われまして特科隊四個中隊より五門の火砲が参加して次々と射撃展示を行いました。このほか高射特科部隊の陣地展開なども展示されたのですが、メインはFH-70の砲焔、実に13カットも撮影に成功しました、このあたりもまた後日。

Img_8032_2  姫路駐屯地祭ではレンジャー展示が訓練展示とは別に実施されまして、午後から空包こそ使用されませんが、ロープを駆使した展示や近接戦闘訓練展示をユーモアを交え実施しています。なかなか凝った内容でして、間近に見学することができる一種の体験型展示ともなっていました。まだ写真は未整理ですが、本日は取り急ぎ紹介いたしました。

HARUNA

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中部方面隊創立50周年・伊丹駐屯地祭2010、観閲行進の写真

2010-10-18 23:39:04 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆多くの総領事が出席する自衛隊行事

 伊丹駐屯地での中部方面隊創設記念行事は、大阪や神戸の多くの総領事館から各国総領事が観閲台から参加するのですし、もっと大規模でも良いのでは、と思いました。

Img_4030_2  伊丹市は、神戸市と大阪市、共に近いのですが、大阪市は京阪神地区の中心地で、日本二番目の人口密集地、そして神戸は、幕末における日本開国の際に開港都市として幕府より指定され、最も初期に外国人居留地が出来るとともに各国が総領事館を置いた都市でもあります。

Img_4100_2  神戸開港の際に、各国が領事館を置き、しかし建物が無かったという事で近くのお寺や神社の軒先を借りたり、海難事故や変死事案が相次いだり、混乱の時代を反映したような開港でしたが、一度開いた総領事館を各国はそのまま維持してくれまして、大阪が発展する最中でも神戸に多くの総領事館が集まっていました。

Img_4116_2  阪神大震災を契機に、総領事館を神戸から大阪へ移した総領事館も多いのですが、しかし、アメリカ総領事は正式な役職名を大阪神戸総領事という役職として、神戸の名前を残して大阪へ総領事館を移しまして、小さい事ですが、こういう気配りをする、というほど、大事にはしてくれていた訳ですね。

Img_4147  さて、行事に先んじて、来賓を乗せたバスが観閲台へ向かうところで、その中の一台に各国総領事、と表示があるバスがありました。そういえば、学部生時代、カナダ総領事の講演会があり、どこかで見た顔だなあ、と思い講義録用PCで伊丹駐屯地祭の写真を見ましたらば、総監の後ろに座っていらした、ということも。

Img_4165  中部方面隊創設記念行事伊丹駐屯地祭。駐屯地祭の規模としては、先日の霞目飛行場で行われた東北方面隊創設記念行事ほど会場が広くありませんし、富士駐屯地祭のように最新鋭装備と重装備が来場者を圧倒する、という規模で行えません。伊丹空港が近いので編隊飛行にも制約がありますし、ね。

Img_4194  しかし、出席する総領事の人数では、日本最大級の行事ではないでしょうか。東京から近い東部方面隊創設記念行事は、ほとんど非公開にちかいかたちですし、各国大使や総領事も出席する中央観閲式は三年に一度の実施です。他の方面隊も、大阪や神戸ほど総領事館が多いところにはありません。

Img_4231  こういうところで、自衛隊の行事を大規模にやっておけば、総領事館に本国の外務省や国務省から、何か有事の際に、日本の状況はどうだ、と問い合わせがあった瞬間、いや、方面隊行事を見てきたのですが物凄い装備の質と量です、日本はいざというときに準備をしっかりとやってます、すごかった、と応える事が出来るでしょう。

Img_4222  同盟国や友好国の総領事へ、自衛隊の能力をしっかりと見せておくのは、総領事の職責は自国民の権利と財産、人命と人権の保護にあるのですから、自国民救出の本国への要請や投資に企業進出の情報提供もあるのでして、日本は防衛にもしっかりとした準備を行っている、と示す事は、同盟国や友好国に対しても好影響を与える方向へつながる訳です。

Img_4243  さて、自衛隊なのですが、マスメディアの多くは防衛予算の時には世界第二位の軍事費、と長い事批判する一方で、国際情勢の問題となりますと自衛隊なんて頼りにならない、というような自己矛盾報道をかなり続けていました。個人的には、正面装備の数やメディア露出ばかり見ればそうかもしれないが、実態は違う、と断言できるのですが。

Img_4244  問題なのは、国民がこれを信じてしまう、という事でしょうか、そして尖閣事案の際や北朝鮮武装工作船事案の時に、不要な心配を抱えてしまう訳です。政府には、もうこれは個人的には不信しか無いのですが、軍事に興味のない人には本当に戦争を仕掛けられたとき、大丈夫なのか、仕掛けられないか、と不安な訳ですね。

Img_4252  こういう時に、自衛隊が行事でその威容を見せつけ、日本にはこれだけの装備があるのだ、ということを誇示出来れば、安心がもたらされます。軍国主義の復活だ、とかいわれるかもしれませんが、復活しているというか、軍国主義が衰えず成長しているのは隣国の方な訳でして、不安を拭い去るには防衛力、民主国家ですから不安と言う前に、管理は国民に付託された政府です。

Img_4286  そこで、です。伊丹駐屯地に面積的な限界があるのは十分承知でして、その中で最大限の行事を行うために、伊丹市の伊丹駐屯地と、第3師団司令部の置かれた千僧駐屯地があるのですが、この二つの駐屯地に車両を待機させて市街パレードを行ってみてはどうでしょうか。

Img_4307  戦車も、各戦車中隊、日本原と今津の中隊から一個小隊を抽出して、特科火砲やミサイルの類も数を揃え、とにかく数を揃えて、圧倒するような市街パレードを行う、という訳です。警察と協力しても交通規制は大変でしょし、自衛隊の訓練計画にも響くでしょう。

Img_4352  しかし、伊丹市は、米軍が大阪第二空港である伊丹飛行場を朝鮮戦争時に拡張して発展した街、大阪第一空港は八尾ですが、まあ、戦後に軍需で発展した街ですから多少の理解はあって然るべきですし。広報は平時の実戦、訓練計画との兼ね合いは大変でしょうけれども、抑止力と軍事力は国民が一体となって初めて実現できる事案。威容を見せつけ、安心させるのも任務です。

Img_4355  市街パレードを行ってはどうか、といっても毎年行うには自衛隊にも伊丹市にも負担がかかりますから、三年に一回程度、というくらいでしょうか、しかしやってみる価値は充分あると思います。もちろん、反対はあるかもしれませんが、防衛力がどの程度あるのか、という事を知るのも主権者としての義務ですし、有事の際に動揺しないよう、主権者として判断を下せるようにすることも務めではないでしょうか。

Img_4378  総領事へ日本の防衛力の高さを見せ安心させ、京阪神地区の国民には防衛費の適正使用と練度の高さを見せ相互信頼を培う。そして、もしかしたら観光需要喚起にも繋がるやも、箕面の陸軍重爆撃機実弾訓練や大阪湾観艦式は戦前、一般公開されないものの望見するだけで物凄い市民が押し寄せ、阪急と阪神がうちの車内からの方が乗客の取り合いをしたほどです。まあ、これは蛇足で、利点はあるのですし、やってみては、と。

HARUNA

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中部方面隊創隊50周年記念行事・伊丹駐屯地祭(2010.10.17)

2010-10-17 23:33:57 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆中部・西日本の防衛警備担い半世紀

 陸上自衛隊中部方面隊は、第3師団、第10師団、第13旅団、第14旅団とともに中部・西日本の防衛警備を担う自衛隊の方面隊です。

Img_4460  50周年を迎えた陸上自衛隊中部方面隊、その創設記念行事が兵庫県伊丹市の伊丹駐屯地において実施されました。晴天に恵まれた本日はまさに式典日和、伊丹駐屯地内の式典会場には、各部隊、府県知事、国会議員、市町村長、各国総領事、歴代指揮官、そして多くの市民が集いました。

Img_3793  伊丹駐屯地へは、阪急伊丹駅とJR伊丹駅からシャトルバスが運行され、万一のテロを警戒しての手荷物検査の後に会場へ入ります。観閲台周辺のスタンド席が招待客向け、そして観閲台と対面のスタンド席が一般席として開放され、会場周辺には部隊が式典準備にあたっていました。

Img_3801  1960年に創設された中部方面隊は、管区に東海北陸地方、京阪神を中心に近畿地方、山陰山陽地方、四国地方をその防衛警備管区としていて、日本海の向こうに脅威を見据えつつ、伊勢湾台風や阪神大震災を筆頭に度重なる災害へ対処を続けてきまして、東西冷戦の激化と終焉、新しい脅威の時代を背景に50周年を迎えたというかたちです。

Img_3828  式典開始とともに部隊の入場が始まりました。今回の式典へは参加人員1007名、広大な警備管区を有する中部方面隊は少数精鋭を強いられており、こうした理由から中部方面隊行事として参加人員が1000名を超えるのは稀有で、中部方面隊が50周年記念行事にかける意気込みが伝わってきます。

Img_3892  中部方面総監荒川龍一郎陸将が整列した式典参加部隊を前に車上から方面総監旗とともに部隊巡閲を行います。中部方面隊に所属する二個師団二個旅団と直轄部隊とともに、西日本という広い地域の防衛警備及び災害派遣の重責を担っているのが、敬礼する総監の荒川陸将です。

Img_3936  総監訓示とともに、大阪府知事、兵庫県知事、防衛協会の祝辞が行われました。盛んに感謝と感激を重ねていた府知事ですが、しかし行政の長というのは同じく人命と財産に責任を負っているように思いまして、同じ行政の一員なのですから、線引きして言葉を重ねるのは、と少し思いました。京都府の山田知事は海外視察中で、副知事が祝辞を代読していました。

Img_4002  観閲行進に先だって、方面隊管区の府県旗が会場にて紹介されます。例年は一列に参加するのですが、本年は第10師団管区、第3師団管区、第13旅団管区、第14旅団管区という順番で分かれて紹介されていました。旗衛兵の乗車するのは、各師団もしくは旅団の車両が当たっていたのが細かい気遣い。

Img_4050  観閲行進の先頭を行くのが四国を防衛警備管区としている第14旅団第50普通科連隊。新しく創設され移転した新高知駐屯地に駐屯している連隊。旅団普通科連隊ということで小回りが利く事を主眼として軽量編成となっており、本部管理中隊と三個普通科中隊から編成されています。

Img_4056  徒歩行進。着剣した89式小銃を携行しています。創立当時はM-1小銃、それが64式小銃、そして今の89式小銃となりました。個々人が自身とともに最後まで戦闘力のよりどころとするのが小銃でして、土地の収奪という戦闘の根幹を担うのが、歩兵、すなわち普通科部隊で、陸上自衛隊は普通科部隊を重視した編成を採って今日に至ります。

Img_4124  金沢第14普通科連隊の軽装甲機動車。徒歩部隊は地形に依拠した柔軟な運用が可能ですが、今日では戦闘の展開が非常に素早く、加えて普通科部隊の個人装備も増大し重量化する傾向にあるため、陸上自衛隊では機関銃やミサイルとともに戦闘状況における人員の運用を期して、既に1000両以上の軽装甲機動車を配備し、運用しています。

Img_4138  米子駐屯地の第8普通科連隊。90年代から陸上自衛隊の自動車化を大きく進めたのが、この高機動車です。トヨタ自動車製で加速力に優れ、頑丈であるのに加え大きな搭載力は高い汎用性にも繋がっており、普通科部隊以外にも広く配備され、1600両以上が配備され、今も生産が続いています。

Img_4179  中部方面情報隊の車両。今回の式典には車両が144両参加し、全てを紹介できないので、一部の車両を紹介します。中部方面情報隊は、沿岸監視機材や無人偵察機により、広大な海岸線を警戒し情報を収集する部隊です。管区は全国の三割に及び、海岸線には人口密度希薄な地域があるため、重要な部隊といえるでしょう。

Img_4211  第8高射特科群の03式中距離地対空誘導弾、通称中SAM.陸上自衛隊の高射特科部隊が運用する最強の地対空ミサイルで、射程は60km程度、対電子妨害能力が高く、同時多目標対処能力や低空高速目標、限定的な弾道弾対処能力を有している国産の地対空ミサイルです。方面隊行事への参加は今回が初。

Img_4374  観閲行進は、特科部隊や施設部隊、後方支援部隊に予備自衛官部隊と続き、最後に74式戦車が登場しました。今津駐屯地の第3戦車大隊に所属する戦車です。今日でも強力な打撃力を持つ戦車ですが、旧式である事は否めず、遠からず最新鋭の10式戦車への本格的な置き換えが始まり、中部方面隊の戦車部隊にも導入される事となるのでしょう。

Img_4407  祝賀飛行には陸上自衛隊のヘリコプターを中心に陸海空自衛隊19機のヘリコプターが参加しました。OH-6観測ヘリコプターやUH-1多用途ヘリコプター、AH-1S対戦車ヘリコプターといった中部方面隊に配備されている様々なヘリコプターがローター音を響かせながら編隊の先頭をゆきます。

Img_4439  航空学校に所属するOH-1観測ヘリコプターやUH-60JA多用途ヘリコプターも編隊に参加。本来はOH-6を置き換えるべくOH-1は250機の生産が見込まれていたのですが、国産ながら高性能と高価格の抱き合わせであったため多数を生産できず、40機程度で生産終了となる見込みです。

Img_4443  AH-64D戦闘ヘリコプター。明野駐屯地の航空学校に所属している戦闘ヘリコプターです。AH-1Sを置き換えるべく導入が開始されたのですが、取得費用が大きすぎ、生産は暗礁に乗り掛けています。ただ、一個飛行隊をAH-1Sの16機に対して9~12機で編成できるので、こちらを修得した方が運用コストは低くなるのでは、と思ったりもしました。

Img_4444  日本海を睨む舞鶴航空基地よりSH-60J哨戒ヘリコプターが参加、三機編隊での参加というのは驚きましたね。航空自衛隊のCH-47J輸送ヘリコプターも編隊に加わっており、陸海空一体となり任務達成に励もう、総監の訓示をそのまま体現した編成での祝賀飛行参加となりました。

Img_4472  観閲行進終了とともに訓練展示となりました。準備時間が今回は非常に短かったですね、もっとも伊丹駐屯地ではここ数年模擬戦が行われていなかったので久しぶり、ということになります。さて、明らかに怪しい装備の仮設敵が小銃を手に進出してきます。武装したコマンドー部隊がわが国に浸透し、市街地へ立てこもっているなか、陸上自衛隊へ防衛出動命令が発令される、という想定です。

Img_4477  情報収集の為に第36普通科連隊の本部管理中隊から情報小隊の斥候オートバイが派遣されました。軽快な機動性を誇るオートバイを最大限活用し、どういう脅威がどのように浸透しつつあるのか、そして任務遂行に必要な部隊や運用はどうあるべきか、その情報を指揮官へ伝えるのが情報小隊の任務です。

Img_4487  コマンドー部隊はBTR装甲車とともに進出していた、という想定、防衛出動した我が部隊に対して盛んに重機関銃で射撃を加えてきます。装甲車、BTR装甲車からの重機関銃射撃は先ほどの仮設敵が運用していた小銃とは明らかに違う、重く響くような銃声を式典会場にとどろかせています。

Img_4531  情報小隊の情報に基づき第36普通科連隊より普通科中隊が出動。しかし、出動した我が部隊から遂に負傷者が、という想定。即座に軽装甲機動車を盾にして負傷者の救出に移るとともに、普通科部隊が携行する火器や迫撃砲など、所在火力を集中して目標の攻撃前進を阻止する行動へとでました。

Img_4534  中隊長は戦車小隊への支援を要請し、これに基づき戦車が出動します、74式戦車の前進が始まりました。戦車は同軸の連装銃により正確に目標へ対処してゆきます。本来ならば、ここで主砲から空包射撃を行うのですが、近隣住民からの要望もあり、大きな音を立てることなく訓練展示を展開。

Img_4574  最後に仮設敵が立てこもる建築物へ、普通科部隊が戦車とともに攻撃を加え、これを無力化、訓練展示は終了しました。特科火砲の空包射撃も行われず、伊丹駐屯地祭の模擬戦は、昔のように戦車や火砲が撃ちまくる、という方式はできなくなったのか、と少々残念でもありました。

Img_4686  音楽演奏、ここでティンパニーの代わりにFH-70榴弾砲が空包射撃を実施。豊川駐屯地の第10特科連隊よりFH-70榴弾砲五門が参加し、音楽に合わせて次々と射撃してゆきます。ああ、豊川駐屯地に行けなかったので見る事が出来なかったFH-70の連続射撃が、こんなところで見られるとは、という印象。

Img_4748  訓練展示と音楽演奏が終了して、装備品展示の準備が開始されました。モータープールは、立ち入ってもいいとのことだったので、早速先ほどの訓練展示で頑張っていた、12.7㍉重機関銃搭載の軽装甲機動車へ。ターレットではなく、車体に機銃を搭載している構造のようで、射界は前方90~110°くらい、でしょうか。中隊本部の重機関銃を機動運用する手法のようでしたね。

Img_4796  おお、2型がいる!、96式装輪装甲車2型。装備品展示で隅の方に置かれていました。増加装甲も取り付ける事が出来る96式装輪装甲車2型、入ったばかりの装備という事で、第3戦車大隊の車両ですが、今津駐屯地祭では出されなかった装備、とのことです。このほか、防弾給水車等、一風変わった装備が多数。

Img_9337  今回驚いたのは58式榴弾砲や60式106㍉無反動砲、64式81㍉迫撃砲にM20ロケットランチャーといった中部方面隊における過去の装備が新旧並べられていたところでしょうか。特に106㍉無反動砲などは砲身肉厚が薄いため野外展示もされておらず、本当に久しぶりに見た装備でした。105㍉榴弾砲も、個人的に好きな装備。

Img_9365  50周年という事で新旧装備が並べられており、このように新型戦車も、と聞こえてきました。よみうりテレビのクルーが夕方のニュース向けの収録を。はて新型戦車、10式?と思い見てみますと、保存展示の61式に“旧”、そして74式戦車が“新”。・・・、いや、その36年型落を新型、といわれても、・・・、方面隊広報の方も苦笑していました。と、まあこのように、いろいろと見る事が出来た一日でした。

HARUNA

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