◆東海北陸地方の防衛警備及び災害派遣を担当
10月3日日曜日、守山駐屯地において第10師団創設48周年記念行事が行われました。本日はこの式典の様子を写真とともに紹介します。
第10師団は司令部が愛知県名古屋市の守山駐屯地に置かれ、東海北陸地方の防衛警備及び災害派遣を担当しています。管区には中演習場さえもないものの、災害派遣は多い事で知られ、その能力の高さには定評があります。首都圏や京阪神地区への戦略予備としての任務も有し、原発銀座として知られる若狭地区も管区内にあることからその火力等は充実している師団です。
現在第10師団に求められている最も大きな期待は東海東南海地震編対処でしょう。この師団司令部が建て替えられたのも耐震強度強化のためです。災害対処は本来任務ではない、という声もあるかもしれませんがハイチ地震では政府機能が瓦解し、パキスタン水害では無政府状態に乗じてアルカイーダ勢力が浸透しています。災害対処は国の機能を維持することであり、国家の防衛そのものだ、と私はおもうのですが、ね。
式典会場に整列した副師団長兼ねて守山駐屯地司令以下、第10師団所属の式典参加部隊が師団長へ敬礼します。今年度は師団司令部について新司令部管制に続き旧司令部の取り壊しが完了し、新司令部のみとなってからの最初の師団創立記念行事となりました。
第10師団長河村仁陸将の登壇。防大22期、アメリカ陸軍戦略大学留学、スタンフォード大学で修士号をとられた陸上自衛隊の逸材で、これまでに第3高射特科群長、陸幕広報室長、中方幕僚副長、大阪地本部長、防衛研究所副所長を経て昨年7月に第27代第10師団長に着任されました。
師団長巡閲。守山駐屯地の周りにはマンションも建ち始めまして、どんどん印象は変わっているという気がするのですが、今年の写真はその象徴的な一枚になりました。駐屯地の中もどんどん建物が取り壊されて変わってゆくのですが、少しさびしい気がするのは私だけなのでしょうかね。
来賓祝辞。佐藤まさたか代議士が祝辞を述べます。佐藤議員といえば、今津駐屯地祭、東北方面隊記念行事に続いて三週間連続で同じ行事で御見かけしています。激励と問題提起、説得力と新鮮味があって好きです、もっとも祝辞にはそこらへんのわざとらしい方言を使って10師団の話は殆どせず、減税減税とばかり連呼して好きなだけ喋ると帰ってゆく市長もいまして失笑を買っていましたが。
第10師団の観閲行進は普通科部隊の行進から始まります。金沢駐屯地の第14普通科連隊、久居駐屯地の第33普通科連隊、守山駐屯地の第35普通科連隊、豊川駐屯地の第49普通科連隊が隷下に所属しています。普通科中隊四個に重迫撃砲中隊、そして対戦車中隊を持つ強力な編成です。
このなかで第49普通科連隊だけは即応予備自衛官主体の編成だったのですが、中部方面混成団編成の際に移管されると思いきやそのまま第10師団に、もしかして常備自衛官主体編成にいつか置き換わるのでしょうかね。49連隊は90年代に自衛隊の自動車化を一気に実現させた高機動車に乗車して参加。
軽装甲機動車、中部方面隊では久居駐屯地の第33普通科連隊に2002年、14両が配備されたのが最初で、当時はまだ64式小銃と62式機銃を抱えて軽装甲機動車を運用していたのだとか。このように軽装甲機動車の運用の歴史は第10師団は長いのです。なお普通科部隊の観閲行進、今年は昨年に続いて対戦車中隊と重迫撃砲中隊の参加はありませんでした。
豊川駐屯地の第10高射特科大隊に所属する81式地対空短距離誘導弾。写真は新型の短SAM-Cで今年の夏に置き換わりました、今年度の新型装備ですね。発射装置の本体に光学照準装置が追加されているのが特色で、中隊に4セットが配備されています。このほか後方支援車両に防弾トラックが参加していたのが新鮮でした。
編隊が団扇を叩くようなローター音とともに近づいてきます、ヘリコプターによる祝賀飛行が戦車の観閲行進とほぼ同時に始まりました、写真は編隊の後段、航空学校と海上自衛隊から参加したヘリコプター。祝賀飛行には第10飛行隊のヘリコプター6機に加えて合計11機のヘリコプターが参加しました。
第10戦車大隊の74式戦車。第10戦車大隊は四個戦車中隊を基幹としている部隊で中部方面隊では最大の戦車部隊だ。74式戦車は油圧式サスペンションと弾道コンピュータを併せた第2世代戦車としては最高レベルの戦車なのだけれども、装甲や機動力、情報能力で世代遅れとなっており、間もなく10式戦車へ本格的に置き換えが始まります。
AH-64D戦闘ヘリコプター。第10師団創設記念行事には初参加、明野駐屯地航空学校所属の機体です。長距離行動と情報収集情報共有を念頭に置いた高度な戦闘ヘリコプターで60機が配備される計画でしたが、取得費用が大きすぎ11機に下方修正されたのちライセンス生産に関わる違約金が大きすぎ生産継続が決定しました。島嶼部防衛を考えれば重要な、そして必要な機体です。
海上自衛隊のSH-60J哨戒ヘリコプター。舞鶴航空基地の第23航空隊に所属する機体で、順次新型のSH-60Kへ置き換わっています。護衛艦に搭載され、対潜哨戒から海洋監視、軽輸送や海賊対処任務に加えミサイルの誘導等も実施する機体です。第10師団は北陸地方の沿岸も管区内に有しており、舞鶴地方隊と協同し日本海側の防衛警備に当たっている関係での祝賀飛行参加です。
近接戦闘展示が観閲行進に引き続き実施されました。徒手格闘は最後の武器としての肉体の錬成とともに、生死の狭間を任地として戦い抜く強靭な戦闘要員に不可欠な胆力の創成にも直接関係する重要な位置づけにあります。この展示には観閲台と会場からは惜しみない拍手が贈られました。
訓練展示は続いて模擬戦へと進みました。駐屯地の守山第を敵が占拠しているという状況を想定し、普通科部隊の攻撃を戦車と特科部隊が支援するという想定です。まず最初に第10飛行隊のOH-6観測ヘリコプターが情報収集にあたります。本機は明野から宇都宮までの距離を二時間半で飛行する性能を持っています。新幹線より少し遅いね。
守山台には機関銃などで武装した敵歩兵部隊が確認され、その周辺にはBTR装甲車を中心とした装甲部隊展開中である、と上空からの偵察で確認されましたが、その詳細はヘリコプターからは発見できないようです。そこで部隊長は更なる情報を収集するべく、地上から偵察隊の前進を決断しました。
春日井駐屯地の第10偵察隊が、87式偵察警戒車、オートバイ斥候により情報収集にあたります。87式偵察警戒車は25㍉機関砲を搭載する装輪装甲車で、小規模な戦闘を実施して相手の反応を探る事でその戦闘能力などを偵察します。将来的には現在配備されている約100両は、105㍉砲を搭載した機動戦闘車に置き換えられるのでしょうか、ね。
敵は有刺鉄線などによる障害を構築して、我が方の前進を阻もうとしています。そこで第35普通科連隊の施設作業小隊からM1破壊筒の作業班が展開します。このM1破壊筒はTNT火薬が充填されたもので、これは模擬ですが、実物は障害物に挿し込んで点火、障害を爆破処理します。
豊川駐屯地の第10特科連隊より派遣されたFH-70榴弾砲が障害処理を支援するべく攪乱射撃を実施します。FH-70は、最大射程でここから岐阜県の金華山まで到達します!、とのアナウンスに会場からは凄い、というどよめきがありました。そしてその直後、空包発射では子供たちの悲鳴が上がります。
我が方の障害処理作業に続く攻撃前進を阻むべく、アナウンスによれば敵はBTR装甲車を前進させてきました。BTRにしては機銃が小さいですし、タイヤも一つ足りませんが昔から戦場と言うのは錯誤の連続です、機関銃やタイヤの事は忘れましょう、後ろに似た車両がいるのも多分気のせいです。
敵装甲車に出現に対し、我が方は74式戦車を投入してこれに対処します。強靭な防御力と比類ない不整地突破能力に高度な監視手段と破格の打撃力を兼ね備えた戦車は、防御と攻撃双方に威力を発揮するもので、戦線の膠着を打破し、民生被害が拡大する前に戦闘決着のカギをこじ開ける装備です。
随伴した軽装甲機動車より普通科隊員が降車し、89式小銃を構え連続射撃。5.56㍉の国産小銃にはダットサイトスコープが取り付けられていますが、これは照準線を一点で示すもので、使ってみると瞬発的射撃と夜間戦闘に大きな威力を発揮します。横に装着されているのは薬莢受け。
戦車により開かれた戦機に乗じて、96式装輪装甲車が障害を押し潰して突進します。車両は第10戦車大隊所属車両で、本来は普通科部隊に装備させるのが望ましいのですが、駆動系が複雑で整備に多くの人員を必要とするのが難点、調達数も多くはないですし、戦車部隊の本部用に配備されたものを直協普通科部隊の運用に充てています。
土地の収奪が戦闘の不変論理であるならば戦闘の決着を務めるのは普通科部隊です。障害を突破した装甲車はそのまま敵陣地内で後部扉を開放、完全武装の普通科部隊が次々と社外に展開すると車載重機関銃の支援を受けながら敵陣地の脅威を打倒し、引きずり出します。こうして守山台は奪還され、状況は終了、模擬戦が終了しました。
模擬戦終了後に狙撃小隊の方があるいていました。M24対人狙撃銃と64式小銃。それはそうとして、ここまで入念に偽装されると山間部では見つけるのは苦労しそう。装備品展示では偽装装着の体験も出来るようになっていまして、一日モリゾー/キッコロコーナー(違)は人気のようでした。
装備品展示で一番の注目は短SAM-Cです。豊川に配備されたらしい、という話は先週霞目で高射のひとに教えてもらったのですが、実際に配備されているところがみれました。12旅団、1師団、3師団には配備されていないので、個人的に珍しい装備です。この真ん中の部分のセンサーが見分けるポイント。数年後には新型の配備が始まるみたいです。
装備品展示で相手が答えられない秘の部分に質問するとお互い不幸なので、素朴な質問ばかりしています。今回機になっていたのは軽装甲機動車、扉を閉めるときに銃剣を挟んでしまう事はないの?、と。3t半に乗る時よく敷いて曲がる、と聞いたので軽装甲機動車についても気になっていたのですが、レバーを引いて扉を固定するので軽装甲機動車では挟んだまま閉めるということはなりにくい、ということでした。
装甲車について聞いてみますと、普通科部隊から見れば96式装輪装甲車は整備が大変で、言葉を借りれば、ありゃほとんど戦車ですよ、とのこと。普通科部隊の装甲化、という命題は重要性があるのですが、稼働率を維持するためには、物凄い整備支援を前提に後方支援連隊を考えなくてはいけないのだなあ、と感じました。
観測ヘリコプターOH-6Dのところで、APについてちょっと聞いてみました。空中着弾観測、特科火砲の着弾修正で一番手っ取り早い方法ですが、観測員は何処に座るのか、これは後部に座るとのことでした。前方への視界が悪そうでしたが、これは機体を横に向けて観測するとのこと。それでも物理的に視認出来ない事は稀にあるのだとか。横を向くと暴露面積が多くなりそうですが、聞いてみたらAPは弾着数秒前に遮蔽物から浮揚するので危険は少ないとのことでした。
駐屯地からは、岐阜基地司令と小牧基地司令が基地へ戻られるところでした。警衛が敬礼すると、司令も返礼で応えます。背景が新しい師団司令部、建物は高層化しまして、しかし奥ゆきといいますか、横幅は狭くなったようですね。建物そのものは昨年度の行事の時には完成していました。
戦車体験試乗が行われている背景には更地が広がっています。毎年建物が減ってゆくのですよね、聞いてみますと、ここは更地のままの予定、とのことでした。旧師団司令部跡地もそのまま更地になっているようで、ううむ、グラウンドを広げて訓練に使えるようにすれば、と思ったのですが。
式典終了とともに装備品展示が行われる中、各地の駐屯地から展開していた師団の部隊が次々と正門から帰途に就きます。師団管区は広大で、金沢、豊川へと戻ってゆく中、当方も帰路につきました。心配されていた天候もどうにかなりまして、帰りの名鉄瀬戸線では釣り掛け駆動車が頑張っていました。
HARUNA
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