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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

第10師団創設48周年記念行事(2010.10.03)平成22年度守山駐屯地祭

2010-10-06 23:21:45 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆東海北陸地方の防衛警備及び災害派遣を担当

 10月3日日曜日、守山駐屯地において第10師団創設48周年記念行事が行われました。本日はこの式典の様子を写真とともに紹介します。

Img_2075  第10師団は司令部が愛知県名古屋市の守山駐屯地に置かれ、東海北陸地方の防衛警備及び災害派遣を担当しています。管区には中演習場さえもないものの、災害派遣は多い事で知られ、その能力の高さには定評があります。首都圏や京阪神地区への戦略予備としての任務も有し、原発銀座として知られる若狭地区も管区内にあることからその火力等は充実している師団です。

Img_1345  現在第10師団に求められている最も大きな期待は東海東南海地震編対処でしょう。この師団司令部が建て替えられたのも耐震強度強化のためです。災害対処は本来任務ではない、という声もあるかもしれませんがハイチ地震では政府機能が瓦解し、パキスタン水害では無政府状態に乗じてアルカイーダ勢力が浸透しています。災害対処は国の機能を維持することであり、国家の防衛そのものだ、と私はおもうのですが、ね。

Img_1485  式典会場に整列した副師団長兼ねて守山駐屯地司令以下、第10師団所属の式典参加部隊が師団長へ敬礼します。今年度は師団司令部について新司令部管制に続き旧司令部の取り壊しが完了し、新司令部のみとなってからの最初の師団創立記念行事となりました。

Img_1547  第10師団長河村仁陸将の登壇。防大22期、アメリカ陸軍戦略大学留学、スタンフォード大学で修士号をとられた陸上自衛隊の逸材で、これまでに第3高射特科群長、陸幕広報室長、中方幕僚副長、大阪地本部長、防衛研究所副所長を経て昨年7月に第27代第10師団長に着任されました。

Img_1537  師団長巡閲。守山駐屯地の周りにはマンションも建ち始めまして、どんどん印象は変わっているという気がするのですが、今年の写真はその象徴的な一枚になりました。駐屯地の中もどんどん建物が取り壊されて変わってゆくのですが、少しさびしい気がするのは私だけなのでしょうかね。

Img_1560  来賓祝辞。佐藤まさたか代議士が祝辞を述べます。佐藤議員といえば、今津駐屯地祭、東北方面隊記念行事に続いて三週間連続で同じ行事で御見かけしています。激励と問題提起、説得力と新鮮味があって好きです、もっとも祝辞にはそこらへんのわざとらしい方言を使って10師団の話は殆どせず、減税減税とばかり連呼して好きなだけ喋ると帰ってゆく市長もいまして失笑を買っていましたが。

Img_1626  第10師団の観閲行進は普通科部隊の行進から始まります。金沢駐屯地の第14普通科連隊、久居駐屯地の第33普通科連隊、守山駐屯地の第35普通科連隊、豊川駐屯地の第49普通科連隊が隷下に所属しています。普通科中隊四個に重迫撃砲中隊、そして対戦車中隊を持つ強力な編成です。

Img_1776  このなかで第49普通科連隊だけは即応予備自衛官主体の編成だったのですが、中部方面混成団編成の際に移管されると思いきやそのまま第10師団に、もしかして常備自衛官主体編成にいつか置き換わるのでしょうかね。49連隊は90年代に自衛隊の自動車化を一気に実現させた高機動車に乗車して参加。

Img_1727  軽装甲機動車、中部方面隊では久居駐屯地の第33普通科連隊に2002年、14両が配備されたのが最初で、当時はまだ64式小銃と62式機銃を抱えて軽装甲機動車を運用していたのだとか。このように軽装甲機動車の運用の歴史は第10師団は長いのです。なお普通科部隊の観閲行進、今年は昨年に続いて対戦車中隊と重迫撃砲中隊の参加はありませんでした。

Img_1881  豊川駐屯地の第10高射特科大隊に所属する81式地対空短距離誘導弾。写真は新型の短SAM-Cで今年の夏に置き換わりました、今年度の新型装備ですね。発射装置の本体に光学照準装置が追加されているのが特色で、中隊に4セットが配備されています。このほか後方支援車両に防弾トラックが参加していたのが新鮮でした。

Img_2117  編隊が団扇を叩くようなローター音とともに近づいてきます、ヘリコプターによる祝賀飛行が戦車の観閲行進とほぼ同時に始まりました、写真は編隊の後段、航空学校と海上自衛隊から参加したヘリコプター。祝賀飛行には第10飛行隊のヘリコプター6機に加えて合計11機のヘリコプターが参加しました。

Img_2108  第10戦車大隊の74式戦車。第10戦車大隊は四個戦車中隊を基幹としている部隊で中部方面隊では最大の戦車部隊だ。74式戦車は油圧式サスペンションと弾道コンピュータを併せた第2世代戦車としては最高レベルの戦車なのだけれども、装甲や機動力、情報能力で世代遅れとなっており、間もなく10式戦車へ本格的に置き換えが始まります。

Img_2173  AH-64D戦闘ヘリコプター。第10師団創設記念行事には初参加、明野駐屯地航空学校所属の機体です。長距離行動と情報収集情報共有を念頭に置いた高度な戦闘ヘリコプターで60機が配備される計画でしたが、取得費用が大きすぎ11機に下方修正されたのちライセンス生産に関わる違約金が大きすぎ生産継続が決定しました。島嶼部防衛を考えれば重要な、そして必要な機体です。

Img_2174  海上自衛隊のSH-60J哨戒ヘリコプター。舞鶴航空基地の第23航空隊に所属する機体で、順次新型のSH-60Kへ置き換わっています。護衛艦に搭載され、対潜哨戒から海洋監視、軽輸送や海賊対処任務に加えミサイルの誘導等も実施する機体です。第10師団は北陸地方の沿岸も管区内に有しており、舞鶴地方隊と協同し日本海側の防衛警備に当たっている関係での祝賀飛行参加です。

Img_2222  近接戦闘展示が観閲行進に引き続き実施されました。徒手格闘は最後の武器としての肉体の錬成とともに、生死の狭間を任地として戦い抜く強靭な戦闘要員に不可欠な胆力の創成にも直接関係する重要な位置づけにあります。この展示には観閲台と会場からは惜しみない拍手が贈られました。

Img_2253  訓練展示は続いて模擬戦へと進みました。駐屯地の守山第を敵が占拠しているという状況を想定し、普通科部隊の攻撃を戦車と特科部隊が支援するという想定です。まず最初に第10飛行隊のOH-6観測ヘリコプターが情報収集にあたります。本機は明野から宇都宮までの距離を二時間半で飛行する性能を持っています。新幹線より少し遅いね。

Img_2272  守山台には機関銃などで武装した敵歩兵部隊が確認され、その周辺にはBTR装甲車を中心とした装甲部隊展開中である、と上空からの偵察で確認されましたが、その詳細はヘリコプターからは発見できないようです。そこで部隊長は更なる情報を収集するべく、地上から偵察隊の前進を決断しました。

Img_2308  春日井駐屯地の第10偵察隊が、87式偵察警戒車、オートバイ斥候により情報収集にあたります。87式偵察警戒車は25㍉機関砲を搭載する装輪装甲車で、小規模な戦闘を実施して相手の反応を探る事でその戦闘能力などを偵察します。将来的には現在配備されている約100両は、105㍉砲を搭載した機動戦闘車に置き換えられるのでしょうか、ね。

Img_2364  敵は有刺鉄線などによる障害を構築して、我が方の前進を阻もうとしています。そこで第35普通科連隊の施設作業小隊からM1破壊筒の作業班が展開します。このM1破壊筒はTNT火薬が充填されたもので、これは模擬ですが、実物は障害物に挿し込んで点火、障害を爆破処理します。

Img_2433  豊川駐屯地の第10特科連隊より派遣されたFH-70榴弾砲が障害処理を支援するべく攪乱射撃を実施します。FH-70は、最大射程でここから岐阜県の金華山まで到達します!、とのアナウンスに会場からは凄い、というどよめきがありました。そしてその直後、空包発射では子供たちの悲鳴が上がります。

Img_2296  我が方の障害処理作業に続く攻撃前進を阻むべく、アナウンスによれば敵はBTR装甲車を前進させてきました。BTRにしては機銃が小さいですし、タイヤも一つ足りませんが昔から戦場と言うのは錯誤の連続です、機関銃やタイヤの事は忘れましょう、後ろに似た車両がいるのも多分気のせいです。

Img_2457  敵装甲車に出現に対し、我が方は74式戦車を投入してこれに対処します。強靭な防御力と比類ない不整地突破能力に高度な監視手段と破格の打撃力を兼ね備えた戦車は、防御と攻撃双方に威力を発揮するもので、戦線の膠着を打破し、民生被害が拡大する前に戦闘決着のカギをこじ開ける装備です。

Img_2547  随伴した軽装甲機動車より普通科隊員が降車し、89式小銃を構え連続射撃。5.56㍉の国産小銃にはダットサイトスコープが取り付けられていますが、これは照準線を一点で示すもので、使ってみると瞬発的射撃と夜間戦闘に大きな威力を発揮します。横に装着されているのは薬莢受け。

Img_2552  戦車により開かれた戦機に乗じて、96式装輪装甲車が障害を押し潰して突進します。車両は第10戦車大隊所属車両で、本来は普通科部隊に装備させるのが望ましいのですが、駆動系が複雑で整備に多くの人員を必要とするのが難点、調達数も多くはないですし、戦車部隊の本部用に配備されたものを直協普通科部隊の運用に充てています。

Img_2565  土地の収奪が戦闘の不変論理であるならば戦闘の決着を務めるのは普通科部隊です。障害を突破した装甲車はそのまま敵陣地内で後部扉を開放、完全武装の普通科部隊が次々と社外に展開すると車載重機関銃の支援を受けながら敵陣地の脅威を打倒し、引きずり出します。こうして守山台は奪還され、状況は終了、模擬戦が終了しました。

Img_2623  模擬戦終了後に狙撃小隊の方があるいていました。M24対人狙撃銃と64式小銃。それはそうとして、ここまで入念に偽装されると山間部では見つけるのは苦労しそう。装備品展示では偽装装着の体験も出来るようになっていまして、一日モリゾー/キッコロコーナー(違)は人気のようでした。

Img_2634  装備品展示で一番の注目は短SAM-Cです。豊川に配備されたらしい、という話は先週霞目で高射のひとに教えてもらったのですが、実際に配備されているところがみれました。12旅団、1師団、3師団には配備されていないので、個人的に珍しい装備です。この真ん中の部分のセンサーが見分けるポイント。数年後には新型の配備が始まるみたいです。

Img_2642  装備品展示で相手が答えられない秘の部分に質問するとお互い不幸なので、素朴な質問ばかりしています。今回機になっていたのは軽装甲機動車、扉を閉めるときに銃剣を挟んでしまう事はないの?、と。3t半に乗る時よく敷いて曲がる、と聞いたので軽装甲機動車についても気になっていたのですが、レバーを引いて扉を固定するので軽装甲機動車では挟んだまま閉めるということはなりにくい、ということでした。

Img_2643  装甲車について聞いてみますと、普通科部隊から見れば96式装輪装甲車は整備が大変で、言葉を借りれば、ありゃほとんど戦車ですよ、とのこと。普通科部隊の装甲化、という命題は重要性があるのですが、稼働率を維持するためには、物凄い整備支援を前提に後方支援連隊を考えなくてはいけないのだなあ、と感じました。

Img_2612  観測ヘリコプターOH-6Dのところで、APについてちょっと聞いてみました。空中着弾観測、特科火砲の着弾修正で一番手っ取り早い方法ですが、観測員は何処に座るのか、これは後部に座るとのことでした。前方への視界が悪そうでしたが、これは機体を横に向けて観測するとのこと。それでも物理的に視認出来ない事は稀にあるのだとか。横を向くと暴露面積が多くなりそうですが、聞いてみたらAPは弾着数秒前に遮蔽物から浮揚するので危険は少ないとのことでした。

Img_2710  駐屯地からは、岐阜基地司令と小牧基地司令が基地へ戻られるところでした。警衛が敬礼すると、司令も返礼で応えます。背景が新しい師団司令部、建物は高層化しまして、しかし奥ゆきといいますか、横幅は狭くなったようですね。建物そのものは昨年度の行事の時には完成していました。

Img_2703  戦車体験試乗が行われている背景には更地が広がっています。毎年建物が減ってゆくのですよね、聞いてみますと、ここは更地のままの予定、とのことでした。旧師団司令部跡地もそのまま更地になっているようで、ううむ、グラウンドを広げて訓練に使えるようにすれば、と思ったのですが。

Img_2725  式典終了とともに装備品展示が行われる中、各地の駐屯地から展開していた師団の部隊が次々と正門から帰途に就きます。師団管区は広大で、金沢、豊川へと戻ってゆく中、当方も帰路につきました。心配されていた天候もどうにかなりまして、帰りの名鉄瀬戸線では釣り掛け駆動車が頑張っていました。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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東北方面隊創設50周年記念行事(2010.09.26) 第一報

2010-09-26 22:33:20 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆東北鎮守半世紀

 本日、仙台市の霞目飛行場において陸上自衛隊東北方面隊創立50周年記念行事が盛大に執り行われました。本日は第一報として、新幹線車内からの記事です。

Img_0221  東北方面隊は東北地方六県の防衛警備及び災害派遣を担当する陸上自衛隊の方面隊で、第6師団、第9師団と方面混成団や方面特科部隊を始めとした方面直轄部隊から編成されています。特に冷戦時代は青函地区という重要地域をその管区に有していたことから北部方面隊に準じて重要視されており、部隊の装備や火力も重視されていました。近年では再度軍事力の強化に乗り出す北方からの脅威に対し防衛基盤を維持するとともに、西方の脅威に対しては即座に増援として展開できる精鋭として睨みを利かせています。

Img_8442  今回の式典には君塚総監とともに隊員2100名、車両160両、航空機17機が観閲行進に参加するとともに、海上自衛隊からは航空機4機、航空自衛隊からは航空機5機、在日米陸軍からも航空機2機が参加、式典を盛り上げました。参加隊員が2000名を越えるというのは希有とのことで、連隊旗だけで実に12、東北方面隊の、50周年行事にかける意気込みの強さが伝わってくるようでしたね。霞目飛行場は、飛行場と言うだけあって非常に広く、この広い会場に多数の人員と車両、航空機が展開し式典に参加するのは迫力の一言に尽きます。

Img_8605  従来は東北方面隊記念行事において神町駐屯地に駐屯する第6師団がその中核を担うのですが、今年度は青森駐屯地から第9師団の部隊も多数が参加していて、第9戦車大隊の戦車も参加していました。戦車も多く、戦車試乗では一個中隊が参加していたほどです。第6師団は、旭川の第2師団とともにデジタル化改編を行っており、一方で第9師団は近年まで徒歩普通科部隊を中心とした従来型の編成でしたが、今年度までに近代化改編を受け近代化された師団として今回の行事に臨んでいます。

Img_8832  航空自衛隊からの参加は三沢基地第3航空団よりF2A支援戦闘機が参加しており、例年は近傍の松島基地から練習型のF2Bが参加していましたので、実戦部隊のF2参加には驚かされました。複座型よりも個人的に単座型の方が強そうに見えますし、ね。海上自衛隊からは大湊航空基地のSH60Jと八戸航空基地のP3Cが参加、在日米陸軍からはキャンプ座間のUH60Aが参加し、物量輸送展示と輸送されたミネラルウォーターの配布などを行っていました。こういう展示は初めてでしたので非常に新鮮でした。

Img_0277  50周年の目玉ということで、松島基地からブルーインパルスが展開し、展示飛行を実施しました。このため今年度はブルーインパルスの雄姿を一目見ようと多くの来場者が集まりまして、前列付近の人口密度では同じく本日開催されていました小牧基地航空祭よりも大きかったのではないか、というほどでした。もっとも、ブルーインパルスの飛行展示が終了すると訓練展示を見学せず帰路に就かれる方も多数いらしたようですが、まあそれはそれでありなのかな。聞くところでは松島基地航空祭でも二回行われる飛行展示片方を見て帰られる方もいるのだとか。

Img_8910  訓練展示は、多数の弾道弾攻撃による混乱に乗じて装甲化された強力な敵上陸部隊が我が国の都市を占領、加えて内陸部へ進出を図り、防衛出動命令を受けて出動した第22連隊戦闘団が航空自衛隊と中央即応集団の支援を受け反撃するという内容で、昨今の情勢を考えると、考えさせられるものがあります。今回はとにかく迫力、で仮設敵が市街地を火炎放射機で襲撃して戦車で蹂躙しようとする状況など、使用弾薬はもの凄いことになっていました。とにかくどこで射撃するか、射撃したかは音の衝撃波で伝わって気づくくらいです。

Img_8998  対する我が方も、仙台市中心部を背景に部隊が展開していて、特科火砲、近接航空支援、対戦車ヘリコプターの攻撃で仮設敵陣地付近が視界を遮るほどの土煙に覆われ、敵戦車に対しては戦車の小隊集中射撃、特科火砲は大隊規模で展開して射撃を繰り返し、最後は多用途ヘリコプター4機から空挺降下まで展開、双方の防戦応戦で訓練展示は見応え充分、例えは妙ですが戦争映画の戦闘シーンよりも長い、実に30分にも上る長時間の展開となりました。このほか音楽演奏に戦車と特科火砲に航空機が参加したり、迫力と火力のある一日です。

Img_9118  本日の仙台は時折雲は見えるもののほぼ快晴といえる天候で、台風の影響はありませんでした。心配した雨ですが、帰路、郡山のあたりで少し飛んできたくらいで、式典に最適な天気といえます。坑道掘削車が参加しなかったのが、残念といえば残念ですが、野外給水装置を搭載する車両が防弾化されていたり、短SAMCが観閲行進に参加したり、重箱の隅を見て回っても、なかなか興味深いものの連続でした。

HARUNA

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速報:今津駐屯地創立58周年記念行事・今津駐屯地祭2010

2010-09-19 23:26:02 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆快晴に恵まれた今津駐屯地祭

 今津駐屯地祭に行ってきました。写真も整理できていないものですからとりあえず保存した写真での速報です。

Img_8874  今津駐屯地は第3戦車大隊、第10戦車大隊の駐屯する中部方面隊機動打撃部隊の根幹をなす駐屯地ですが、同時に中部方面移動監視隊、中部方面無人偵察機隊が新編され、中部方面情報隊が編成完結、情報収集の中枢としての地位を担いつつあります。写真は今年度から運用開始した無人偵察ヘリコプターで、解説によれば無人観測ヘリコプターとは運用的性能的に別物との事です。

Img_8084  新しく情報科が新設されたことで、情報保全に加えて斥候と威力偵察を中心としていた情報収集体系に、これまで行われていた電子情報収集と沿岸監視能力を包含した部隊を構築出来るに至りました。こうした中で日本海を隔てて北朝鮮と対峙する中部方面隊に方面沿岸監視隊と方面無人偵察機隊が編成され、沿岸防衛の強化に一歩を踏み出したという事です。

Img_8241_1  観閲行進では地上レーダー装置1号改JTPS-P23レーダーが四両、参加しました。2007年から調達が始まり全国の偵察隊にも配備が開始されるこの装備とともに今回は展示されなかったのですが、光学装置の収束に寄り僅かな物体の動きも感知する広域用監視装置千里眼などを中部方面移動監視隊では運用しています。

Img_8343  今津駐屯地の主力と言いますか、メインと言うのは74式戦車です。旧式化していて、将来今後十年ほどで10式戦車に置き換えられるのでしょうけれども、今日なお重要な陸上自衛隊の機動打撃力を構成する装備です。各戦車中隊から小隊規模の戦車が観閲行進に参加、秋の晴れ空に戦車の威容を刻みました。

Img_8259  戦車について、日本ではいろいろな意見があるようですが、少なくとも専守防衛で地上戦と言えば確実に本土決戦となる防衛政策を選択してきた国民を守るためには、普通科部隊を中心に長期間ゆっくりと戦勢を展開するのではなく、機甲部隊による機動打撃力により迅速に敵主力と防御線を崩壊させる素早い展開こそが、国土の戦災による荒廃を防ぎ、人命と財産を守るものと考えます。そういう意味で戦車は重要です。

Img_8791  訓練展示の規模も例年通り実施されました。戦車中隊と装甲車小隊が仮設敵陣地に対して情報収集の上で攻撃し奪取する、という内容です。来場者の規模も例年並み、会場の配置は基本的に昨年と同じなのですが、今年度は例年立ち入ることが出来なかった倉庫側の一部が一般に開放されていました。

HARUNA

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陸上自衛隊 桂駐屯地納涼盆踊り2010詳報 (2010.08.04)

2010-08-13 22:08:09 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆桂駐屯地一般開放

陸上自衛隊の駐屯地では夏祭りや盆踊り大会が行われる、と掲載してきたのですが本日はこの話題。

Img_5216 陸上自衛隊の駐屯地でのこうした納涼行事は、地域との交流に重点を置いているので、戦車や装甲車に興味のあるかたには無縁、ともいえるのですが、祭り好きには規模も大きいですし、ビールを片手に楽しめる行事です。浴衣も多いのですが、近所かたこどもたちをつれて家族で訪れる方に紛れて仕事帰りに立ち寄ったような方も多く見受けられます。

Img_5085  来場者を迎える駐屯地司令、兼ねて中部方面後方支援隊隊長保坂收1佐。ロジスティクスこそが全ての任務を達成する上で不可欠な戦闘支援であるので、そうした意味ではこの駐屯地の重要性は非常に大きいといえますし、また京都市において大規模災害があった際には即応して対処するのもこの桂駐屯地の所在部隊です。

Img_5043  陸上自衛隊の駐屯地、こういう場所では、スリや置き引き、喧嘩などはありえないので安心ですね。しかも、迷子への対応も完璧です。盆踊り大会が行われた桂駐屯地ですが、聞いてみたところではこの地域では最大の盆踊り大会とのことで、駐屯地広報の発表では4500名もの人が集まったとのことです。

Img_5089  中部方面後方支援隊の本部が置かれる桂駐屯地は車両や火砲の重整備を行う駐屯地として知られ、師団や旅団での整備能力の限界を超えた大きな整備をにない、よって部隊全般の稼働率向上へ寄与することを目指します。また、中部方面輸送隊が駐屯している駐屯地としても知られ、JR東海道本線(京都線)の車窓から戦車輸送車が多数みることができる駐屯地でもあります。

Img_5090 桂駐屯地、中部方面隊管区でも有数の面積を誇る駐屯地として知られるのですが、一方で後方支援拠点ということもあり、戦闘部隊などは駐屯しておらず、駐屯地祭の規模もどちらかというと小規模な行事といえます。だからこそというべきでしょうか、あまり強い印象のない駐屯地なのですが、この日はどこもいっぱいです。

Img_5080 駐屯地司令が浴衣で来場者に挨拶します。背景に見えるノコギリ状の建物は1942年に建てられた格納庫で、現在の建築基準法では単一建造物として建設できる限界以上の大きさの建物ということですから、この種の倉庫としては日本最大級、ということになり、実はこの駐屯地の見所の一つだったりします。

Img_5098  中には補給品と用途廃止になった装備があふれていて、自衛隊の物量というものはいがいと大きい、ということを伝えてくれます。駐屯地司令は、迷彩服というイメージの強い陸上自衛隊ですが、こういう時は浴衣です。京都市唯一の駐屯地として災害の際に備えている隊員を代表して、来場者の方との交流を通じてお互いを知り合いたい、と挨拶を行い、いよいよ盆踊り大会の始まりです。

Img_5126京都は大学の街として知られていることもあり、盆踊り大会では中央の櫓を舞台に地元大学(桂だとどこだろう?)の演舞が行われます、続いて部隊付最上級曹長の音頭とともに盆踊りが始まりました。総務部、という看板も掲げられていましたが、このあとでほかの部署もでてくるのかと少し期待してみたりしました。

Img_5167 それにしても行事は混雑しています。ビール片手に一杯、というつもりできたのですが、行列行列行列。ううむ、屋台焼きそば、屋台唐揚げ、その他をもりもり頬張りながらこの地域の盆踊りを堪能しようとも思っていたのですけれども、ここまで混雑しているとちょっと並んで買うのはためらってしまいます。

Img_5129 会場を歩いてみますとさすがは自衛隊駐屯地の納涼行事といいますが、並んでいるテントが全部オリーブドラブ、使われている調理器具には野外調理器具も出ていまして、そこここで行われている夏祭りや盆踊り行事とは、このあたりが全然違うというのがこうした駐屯地の雰囲気というか醍醐味というか。

Img_5173  桂駐屯地は、ポプラ並木とサクラ大路が有名な駐屯地でして、阪急京都本線から木々に隠れているあたりにグラウンドがあって、そこが会場となっています。JR東海道本線京都線から見える桂駐屯地とは倉庫や整備区画、資材置き場、モータープールとを挟んで反対側のところなのですね。

Img_5180  このグラウンドが、駐屯地祭が行われる場所で、晴天行事はここで、雨天行事の場合は、1942年に建てられた倉庫の中で行われます。観閲行進はさすがに倉庫内では行えないのですけれども、装備品展示は倉庫内で行えるので、屋内の装備品展示という非常に稀有なものを見れたのもこの桂駐屯地です。

Img_5185 この日の一般公開では、もう少し早い時間にいけば野外で軽音楽の演奏のようなものを行っていたのでしょうか、舞台は撤収中でしたがマイケルジャクソン風の格好をした隊員が子供たちに人気を集めていました。帽子を取られたり、引っ張ったり、いろいろされていたようなのですけれども、いや、人気でしたよ。

Img_5161 歩いていても混雑は変わらず、水分補給が必要になってきました。そこで、会場端の方をみてみますとなるほど、駐屯地祭の時と同じ場所に同じ自販機が稼働していました。コーラは売り切れでしたが、こういうときはミネラル分を補給です、ということで麦茶を購入、一気に飲み干します。

Img_5153 一通りまわってみたので、今度は保存車両地区に足を運びました。かつては、61式戦車と74式戦車が並んでいたのですけれど、非常に残念なことに61式戦車の方は撤去されていて、代わりに75式自走榴弾砲が74式戦車とともに、夜の駐屯地にゲートガードとして並んでいました。

Img_5160  保存車両でも解体しなければならないほどに老朽化が酷かったということなのでしょうか、それともどこかほかの分屯地あたりに余生を送っているのでしょうか。日本が戦後初めて開発した国産戦車の生き残りの一両が消えてしまったのは少々残念ですが、しかし、新しい75式を歓迎です。

Img_5198  北部方面隊に配備されていたこの自走榴弾砲は、リボルバー式弾庫を備えていて、非常に素早い連続射撃が可能となっている陸上自衛隊自慢の装備なのですが、その分取得費用が高く、ソ連にもっとも近く、自走火砲の必要性が高かった北部方面隊の専用装備となっていました。

Img_5219 砲の射程というのは火薬の燃焼効率と装薬の強度が大きく影響しまして、燃焼効率を向上させるには砲身の長さを、強力な装薬を用いるには砲身を頑強なものとすることで対応します。75式の制式化は1975年で、当時としてはこの30口径の155mm砲は長砲身、射程も大きかったのです。

Img_5211  しかし本土部隊に39口径のFH70が採用されていることからわかるように、世界の主流は39口径砲の時代になり、陸上自衛隊は新しくより砲身が長い52口径の99式自走榴弾砲を制式化するにいたり、北部方面隊から交代で除籍された75式自走榴弾砲がこちらに展示車両として回ってくるようになった、というわけです。一部光学照準器は取り外されていますが、こちらではなかなかみれなかった車両です。

Img_5204  74式とともに、70年代の陸上自衛隊を代表する装備ですが、なるほど、こういう盆踊り行事では、普段駐屯地祭に足を運ばないような方もいらっしゃるようで、並ぶ74式戦車をみて、ああ、いまの戦車は昔の戦車よりも大きくて本当に強そうだ、ということを呟かれているご老人もいらっしゃいました。

Img_5201  昔の戦車とは、61式でしょうか、M4でしょうか、まさか97式や95式かな?と思ったりもしたのですが、そういう野暮なことは聞いたりは出来ませんめ。これを撮りに来たのが目的の一つといえるほど夜の闇に照らし出された74式や75式は、日中の駐屯地祭とはまた違った精悍な面持ちを見せてくれます。

Img_5189  もう一度まつり会場に足を運んだのですが依然として混雑しているので、夕食は別のところで、と駐屯地を出ました。桂駐屯地へは、最寄り駅が阪急洛西口駅で、高架化工事の準備が進む、今しかみれない風景を歩いて正門へ向かったのですが、東海道本線に新しくJR桂川駅が開業しているので、ちょっと行ってみました。

Img_5229  学研都市線で踏切安全確認があった影響で東海道本線京都線も遅れていたのですが、通過する223系新快速を撮影していると、やや遅れて221系がやってきました。夜風とともに新駅の雰囲気を堪能していたそのときにも、駐屯地からは祭り囃子が風に乗ってホームを流れ、真夏の冷涼感を味わうことができました次第です。

HARUNA

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第14旅団の協同転地演習自衛隊鉄道貨物輸送(6月30日撮影)

2010-08-01 10:02:57 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆北方機動!東海道本線を往く自衛隊

 鉄道関係の記事はあまりWeblog北大路機関を閲覧される方の関心事と合致しないということで予備ブログの第二北大路機関に掲載していたのですが、ご要望がありましたので少し掲載。

Img_4926  6月30日、EF65電気機関車に牽引されて東海道本線を第14旅団の車両を搭載した貨物列車が北海道へ向かいました。協同転地演習は、旅団や師団がどのような交通手段を使ってでも、とにかく大部隊を遠く離れた北海道へ送る、という目的がありますから、当然物凄い輸送力を持つJR貨物の輸送能力にも協力を受けています。

Img_4941  牽引しているのはEF65電気機関車、国鉄輸送能力の強化と客車や貨物の高速化を目指して開発、1965年から308両が生産され、今日でも貨物列車の牽引車として多数が活躍しています。しかし、自衛隊貨物輸送というのは珍しく、通過するホームで注目を集めていました。

Img_4943  日本経済を鉄道の物流面で支えるJR貨物の輸送力は大きく、2009年に発表された数字によれば、機関車保有数732両、貨物電車42両、貨車8804両、コンテナ65474個を保有していて262か所の貨物駅から毎日約600本の貨物列車を運行、年間3308万㌧・221億㌧kmもの貨物を輸送しています。

Img_4954  今回の自衛隊鉄道輸送では、83式地雷敷設装置、資材運搬車、小型ドーザーを輸送していました。昨年は78式戦車回収車を輸送していたので、もしかして来年あたり取り外せるものを全て外して軽量化した74式戦車が、と思ったのですが違いました。戦車はトンネルなどの構造限界から61式戦車以上の大きさの戦車は輸送できないといわれていたのですが、78式が昨年輸送できていたので可能性が生まれているのですが、ね。

Img_4955  小型ドーザーは部隊本部の施設作業小隊等に装備されていて、パワーショベルの機能を備えたドーザー、83式地雷敷設装置は大型トラックや73式装甲車で牽引し毎時300個の対戦車地雷を敷設可能な装備です。搭載しているのはトラ140000型無蓋貨車、鉄鉱石や砂利などを輸送する貨車で、かなり古くなっています。

Img_4965_2  資材運搬車は、車両が行動できない不整地において施設機材や物資を輸送する車両で、これを輸送するのは長物輸送用チキ7000貨車です。レール輸送用なのですが35㌧まで輸送できるのでかつては61式戦車を、昨年は78式戦車回収車を輸送しました。輸送されている様子をみると、資材運搬車の前後に空間があって、もう一両くらい積めるのでは?、と思ってしまいます。

Img_4970  ちなみにこのチキ7000貨車も相当老朽化しています。老朽化老朽化、と強調したのですが、じつは事情があります。JR貨物の輸送は規格化されたコンテナを輸送するコンテナ輸送と、液体燃料や資材運搬などコンテナに積載できない物資を輸送する車扱輸送の二つに分けられるのですが、輸送はコンテナ輸送が主流で、無蓋貨車や長物貨車という輸送需要そのものが大きく減っているからです。

Img_4978_2  また、貨物駅にも車両を積載できるような貨物ホームの多くは姿を消して、コンテナクレーン等による積降が主流となっているので、ホームに車両が載りつけてそのまま搭載、ということがやりにくくなっているのです。ちなみに昨年度は78式戦車回収車も日本通運のクレーンでつり上げて搭載したそうで、日数も多くを要したそうです。

Img_4981  加えて60年代までは主要な駐屯地や補給処には鉄道の引き込み線があり、燃料や物資輸送などに用いられていたのですが、今ではほぼすべてが撤去されてしまい、最後まで残った航空基地への燃料輸送もパイプラインが主流となっています。輸送学校では、鉄道輸送の教育は行っているようなのですが、物流の形態と自衛隊の輸送需要が大きく変わっている訳です。

Img_4983  この点、陸上自衛隊としては車両輸送よりも人命救助システムのようなコンテナ化された装備品や物資輸送のコンテナ化を大きく進めて、自衛隊の長距離戦略機動における鉄道の位置づけを再検討してゆく必要もあるのかな、と考えました次第。毎年ながら鉄道愛好家の間では、あの老朽貨車も今年が見納めかもしれない、と言われています。いつまでも古い貨車に頼るのにも限界があるやもしれません。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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富士学校祭 富士駐屯地創立56周年記念行事(2010.07.11) 部隊入場編

2010-07-13 22:46:05 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆富士学校祭2010詳報

 富士学校祭2010の記事です。既に書いたとおりですが富士学校祭2010に行ってきました。

Img_5116  富士駐屯地には、陸上自衛隊の普通科、機甲科、特科職種の専門教育及び戦術研究、装備運用試験及び評価試験を担当する富士学校と、運用や指揮など教育支援を行うための実動部隊としての富士教導団が駐屯しており、高い練度の隊員と充実した多種多様の装備を運用している事で知られています。

Img_5104  当方は富士学校祭の見学は二回目ですが今回は他に昨年行った友人と初めてゆくいつもお世話になっている方二名と四名での展開です。途中、道路を通行中に鹿が飛び出してきました、二頭は避けたのですが、三頭目の小鹿は危なかった、が接触する事も無く、無事富士学校の駐車場へ到着できました。

Img_5123  富士学校祭は駐車場が駐屯地からずいぶん遠いと記載したのですが、聞いてみると駐屯地正門前にも広大な一般駐車場が容易されているとのこと。それならば、駐屯地から遠い駐車場を利用してシャトルバスの運行まで並ぶのではなく、今回はここを利用してみましょう、という流れになりました。

Img_5149  今回は次善の報道やポスターなどを見る限り、最新鋭の10式戦車が登場すると言うこともあり、多くの来場者が予想されるのですけれども、どれだけ集まってもどうにも成らないものが天候。なんでも相当悪いのだとか。しかし、当方は過去の経験上、お天気運がいいので多少は楽観していました。

Img_5184  お天気運ですが、もっとも総合火力演習で知る人ぞしる当方の失言が原因、違うと思うのだけれども、それで豪雨になったこともあるので要注意です。そして一番怖いのは霧、富士学校の立地は霧が多い事で知られ、仮に目の前に10式戦車が来ていても霧で見えなければどうにも成りません。

Img_5216  さてさて、今回は開門前に、いや前回もシャトルバス運行前に展開したのですけれども、今回はさらに進んで正門に並ぼうという話でした。早朝に到着した人の話では、それでも並び始めているとのことで、急がなくては、と制限速度内で急行です。このあたりで鹿さんとこんにちは!、になったのですが。

Img_5239  駐車場に到達しますと早速装備点検です。斜面では滑るので滑り止め用装備と雨具を重点装備です。雨具はフランス海軍のレインコートと富士駐屯地(総合火力演習だったかも)で購入したポンチョ、カメラ用防滴装備一式を愛用のカメラバッグに押し込みます。・・・、いや、もちろんカメラも準備します。

Img_5320  レンズについて、駐屯地祭は基本18ー200で充分なのですが航空祭と護衛艦を撮影するべく運用している120ー400は少々駐屯地祭には大げさやも、と思ったのですが今回は10式を撮影するべく投入です。距離があるという事も充分考えられますので200が限度ではちょっと足りないかも、と考えた訳です。

Img_5346  400クラスは手ぶれ防止で、70-300とくらべ嵩張るし重いのですが、ズームで18-55と違い18-200が使われるようになると最大300では少々力不足に感じる次第です、そこで400にしたのですが、これが大きい。グリップが標準装備でもって見るとずしり、重量感も抜群です。

Img_5361  120-400は購入した時に専用のレンズケースも一緒、というくらいに持ち運びにひと工夫必要なものですが、しかし、相応の性能はあり、今回も投入、という運びになりました。岩国基地日米友好祭以来の投入です。ちなみに滝ヶ原や駒門は18-200だけでの撮影でした。ということで今回はカメラバックも大型のものを使用です。

Img_5390  準備万端、そういうところで整えた装備を担ぎ、いざ出発、駐車場から駆け上がって正門前、と行きたいところですが開門から一時間半以上あるのにさっそく大行列です。どのくらいかというと部屋を出てコンビニまで位、少々わかりにくいですがそこそこの長さになっていました。

Img_5393  このあたりで久しぶりに航空機に関するHPを運営されている方とお会いすることができました。ご無沙汰しています、というと、当方ブログを呼んでいただいていたとのこと、来たんだ、と。記事を読み返してみますと、確かに前日までの記事ではくるのかこないのか曖昧、というよりも行けないような書き方に見えていましたね。

Img_5441  富士学校正門を前に友人知人別人他人と雑談などを交わしつつ、いろいろな人が加わりまして、期せずしていつもの面々が揃うようになりました。一方の行列は止まることなく延伸が続きまして、最初の頃はこんなに後ろが並んだのか、という程度ですが遂には辻を越えて最後尾が見えない状況に。

Img_5465  この調子で行列が伸びてゆけば、開門までに御殿場アウトレットモールまで繋がるのでは?と冗談も飛びましたが、長くなる一方の行列を見まして富士学校の班長さんが無線でやりとりをしています。会話は想像するほかありませんが、空気を読むまでも無く、さすがに行列が長く成りすぎたようです。

Img_5480  幾度か無線のやりとりを経て状況が前線と司令部で伝わった模様、班長さん曰く、みなさん開門を早めますのでもう少しお待ちください、と。一同拍手です。情報共有と判断の速さ、流石は富士学校、と思いました次第。ところで、想像も出来ませんが、この時点で最後尾はどこまで並んだのでしょうか、ね。

Img_5505  少々待ちましたが、炎天下であれば苦しいだろう待ち時間も幸いして曇りでして翌日が痛い日焼けの心配はありません、開門が始まり列が動き始めます。富士学校は富士の裾のというよりは斜面にある、と書きましたが、その通り斜面を少しづつのぼってゆきます。手荷物検査は六ヶ所、八ヶ所かな、いくつかのブースに分かれて行われていましたので、混雑していない奥の方へ。

Img_5522  手荷物検査では雨具が多いので一つ一つ見せてお手数をおかけしてしまったのですが、今回は作業服的な方はそこまで調べられませんでした。ベストを着てゆかなかったのは正解でしたようです。順次、雨具、雨具、傘、防滴装備、防水用、と見せてゆきます。手荷物検査を終えますと、さらに上の方に上ってゆきます。最短距離は車道になっていますので誘導路に沿っていきます。

Img_5528  途中に見える保存展示装備は後回しとして登り続け、坂の上の式典会場に到着しますと、まずは陣地を固めなければ成りません。後ろの人に迷惑がかからず、しかし良好な写真が撮れる場所を探します。斜面を降りた最前列部分は既に満席という状況ですが、斜面の上の部分、木立の真下のあたり滑りにくい部分はまだあいていました。

Img_5493  この場所、目の前は急斜面ですが、こう言うところの方が割り込まれないのですね、斜面で座れませんから。というのも、某団体旅行のバッジをつけた方々の割り込みが多いと言いますか、ご一緒したか他の目の前にも現れて移動を余儀なくされた、と。割り込みはやめましょう。

Img_5526  ここで、少し現実に戻って厳しい状況がありました。富士学校祭の紹介記事では、式典会場に戦車の大群が並んでいる勇壮な写真を掲載していますが、到着して見ますと式典会場を見渡すと入り口付近に装甲車がちらりと見える程度で、前回のようなずらり並んだ戦車部隊、という情景がなかったのです。

Img_5533  まずい、・・・、今年は配置が違うのか、訂正情報を第二北大路機関に掲載した方がいいのか、と焦りを感じていたのですが0820時頃から続々と車両が入り口付近から前進を開始、観閲台前で敬礼を行いそのまま待機位置へ進んでゆきました。今回掲載しているのは、まさにその様子を撮影した写真なのですが、まるまる観閲行進と同じ構図を最初に撮影できたわけです。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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富士駐屯地創設記念行事詳報!! 富士学校祭2008の俯瞰風景

2010-07-10 16:44:02 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆富士教導団

 ボーイングHPによればサイレントイーグルが初飛行したようですが、富士学校に関する話題です。明日に迫った富士学校祭、あまりお役には立てないでしょうが、2008年の行事の様子などを紹介してゆきます。御笑覧いただければ幸い。

Img_9_376  富士学校祭ですが、2008年、幾度か足を運ばれた方のお話を聞き、なるほど東千歳駐屯地祭程ではないにしろいろいろとみれそうだ、と足を運ぶことに。同年既に下志津に行っていましたので高射学校の最新の装備を見学でき、それならば次は同じく多くの装備が並ぶ富士学校でしょう、と。

Img_5_707  いつもお世話になっている方々一行と車両にて展開、という運びに。今日では期間限定で運行されている夜行快速ムーンライトながら東京行きの利用も考えたのですが、沼津で御殿場線始発までの待ち時間が尋常ではないほど長い、と聞き、車両展開の方に便乗させてもらいました。

Img_9361  夜行バスで早い時間帯に東京に進出して小田急の始発特急あさぎり号で、というのも考えたのですが、こちらも時間的にあわないので断念。深夜にどんどん進み増して、夜明け前の東名高速道路をどんどん首都圏に向けて進む中、警戒した渋滞などもなく、なるほど、これが一番早かったのか、と。

Img_9364  御殿場で高速道路を降りますが、この先、どうやったらいけるのか、カーナビに従うべきか、いやいやあの裏道が云々と本能に従うか少々議論を重ねた後、といっても当方は全く道がわからないので蚊帳の外にて運転は万事お任せします、と言う状況なのですが、道を進んでいきます。

Img_9369  なにしろ見覚えがあったのは富士総合火力演習の際によくお世話になる御殿場ステーションホテル界隈だけ、どんどん市街地を離れ大丈夫なのか、と一瞬思うのですが富士学校のある須走という場所は標高が1000m近く、富士の裾のというよりは富士山の斜面、という場所だというので市街地を離れていても道は間違いない、安心(?)です。

Img_9374  このあたりから、道というよりも写真とキャプションがどんどんずれてゆくのですが、そこら辺はお構いなく。さて、道がどんどん山中には行ってゆくのですが、空挺や33連隊、13連隊と自衛隊車両が続々やってくるので、なるほどこの道ならば間違いはないだろう、と安心しました。

Img_5697  しかし普通に考えると自衛隊車両に沿って移動すれば富士駐屯地よりも東富士演習場にいってしまいそうで、行ったら行ったで諸君志願ご苦労!、とは成らないでしょうが行事は見ることできないのは必至、気をつけて道路を進んでいきますとさてさて、富士学校祭こちら、と標識を発見して安心です。

Img_5633  戦場の霧、と言う言葉があります。状況が分からず地図上で五里霧中の状況を示して、指揮官が限られた情報だけでは見えない先の状況をこう表現するそうですが、富士では違う霧に悩まされる事があると言われます。聞くところですとこのあたり、日によっては霧が凄いとの事。

Img_5625  東富士演習場も霧で使用制限、これは熱戦暗視装置では標的は見えるのですけれども、弾着観測が出来なくて安全上、という意味なのですが使用制限になる事もあるのだとか、この日はその点霧も無く安心でした。なにしろ凄くて、装備品展示で見上げた99式自走榴弾砲の砲口が真下から見えないほどといいますので、霧は警戒していました。

Img_5626  富士学校ですが、面白い事があると聞いていました、なんでも駐車場まで時間帯が時間帯だと過去には73式装甲車の一群に割り込んでしまった、とか、戦車が来たらどうするんだ戦車が!、とはなしていたらその通りになったとか、いろいろと聞きますが、そういうことはありませんので、少々残念。

Img_5610  富士学校指定の駐車場へ到着した時間帯が早かったので駐車場は空いていました。とはいえ、駐車場の面積は、富士総合火力演習ほどではないにしても結構広かったです。写真と本文のずれが凄いですが、写真の方は別に駐車場ではありません。その広い駐車場ももう少しすれば満車になるのでしょうか。

Img_9379   そういえば読売旅行なんかも行事を行う防衛省が断れないことをしってか団体旅行を募集していて、時間がたてば続々と観光バスが到着するのだ、と少々気になったのですけれども駐車場には観光バスよりも早く到着できました。・・・、観光バスは別の駐車場に駐車するっぽいのですが当時は知りませんでした。

Img_9392  そうとは知らず安心して駐車場で撮影機材を準備したのですが、雨具はどうするか、バッテリーの予備は持ったか、髭は剃ったか、と悠長に構えつつ待て待てここは駐車場、駐屯地ではありません。さて、と。駐屯地と駐車場を結ぶシャトルバスがあるとのことで、シャトルバス乗り場へと向かい始めました。

Img_9399  しかし既に我こそは一番乗り、を目指した方々、そこそこ並んでいたのですけれども、これを待つのか、待たずとも歩けばよいとして、徒歩でいくか話し合った結果、まあ、健康のためにも歩きましょうか、と。歩きだしてちょっとしたのちに、遥か遠くに目を凝らしても駐屯地らしいものが見えません。

Img_5610_2  そういえば、ここは本州最大級の大演習場、東富士演習場に隣接、迷いこめば多分大変です。不安になったのけ警戒の隊員さんに、ちなみに歩いたらいかほどでしょうか、と聞くとバスに並んだ方が圧倒的に早い、と聞いたので、誰だよ歩こうとか言った奴は、と自分の事は全員棚上げで責任の擦り付けあい。

Img_5609  正直にシャトルバス乗り場に到着です、最初からこうしていればよかったのか。さて、バスに乗るには手荷物検査なのですが、カメラバックからポケットまで慎重に検査です。やけに慎重です。隠しポケットまで慎重です。そんなに変かな?と思ったんですが、一見作業服にみえる当方の、しかしPMC(今風に言えばPSC?)御用達の装備。

Img_9419  迷彩服なんか着こんでいませんよ、普通の作業服風。しかし、PMC御用達のポケット多数、こういう装備ですから、ビクトリノックスの一本でも、と勘ぐられたんでしょうか。聞いてみると、ふふふ、それ私も持ってますよ、と隊員さん。なるほど、511やWOOLRICHは中の人にも結構な人気のようです。

Img_9424  Canon純正のカメラバックを開き、一眼レフ二台とPC,書籍、携行口糧、等々みせますが特に問題はなし。ところで富士学校ですが練馬や守山よりも手荷物検査は厳しかった印象で、X線検査を除けば岩国よりも厳しく、厚木と同じくらい、という印象でした。最近は学校の警備が厳重なのですね。

Img_5676  当方以外にも一般人的な方々、当方も一般人ですが結構厳し目に確認されていました。手荷物検査を終えるとそのままバス乗車です。バスはそのまま駐屯地へ。駐屯地に行く途中新戦車TK-Xが試験走行をしていたり、NBC偵察車に追い越されたり、小型無人機が上空を乱舞したり、海兵隊のAAAV-8試作車がチラリと見えたり、そういう事は期待したのですが皆無でした。

Img_9442  富士学校の正門をくぐりましたが保存展示車両や厚生会館、それに模擬店などが並んでおり一般公開ならではの情景が並んでいます。イージーエイトやパックハウザーも並んでいる展示車両もゆっくり見たいところですけれども、本日のお題は富士教導団。富士教導団がメインなのですから式典会場の方に急ぎます。

Img_9528  式典会場は上り坂を少し上ったところにあるのですけれども、一見して、ああ、ここが映画ガメラ2の第1師団出動のシーンで使われた場所か、と気づきました。土手の雰囲気ですぐにわかったのですが、さてさてどこから撮ったものでしょうか。撮影位置を決定することでその日の写真は全部決まるので慎重に慎重に。

Img_9583  富士学校祭の撮影場所はどうするのか、ちょっと駐屯地の式典会場を見渡してみましたが思い浮かぶ場所は何箇所か。写真撮影の時に考えるのは鉄道写真を撮影する時に自分なら何処で撮影するか、という事です。そうやってみてみると、この会場の配置も桂駅や金山駅に、・・・、見えてこないか。

Img_9613  富士。土手のあたりから観閲行進正面を撮影するという方法、観閲台後方の高台から撮る方法、他には車両通路の出口付近から車両が一直線になるところを遠巻きに望遠の圧縮効果で撮影する方法等考えられたのですが、まあ、一通り考えてみた結果、ここは正直に土手のところから撮影です。

Img_9653  ここはいい写真が撮れる!というのは実はそこまで関係なく、木陰で涼しそうだったから、という理由で決めました。撮影位置ですべてきますのでは、と思われるかもしれませんが、その通り何も矛盾していません、暑い場所→発汗→疲れる→集中できないよ。こうならないように日蔭の選定です。多分。

Img_9667  座席は多く設置されているのですが、基本的に招待席、一般席のところは満席です、まだ満席となっていたい一般席らしき座席もあったのですが地元の方専用とのことで、なるほど地元との親睦を図る、という駐屯地一般開放のあり方をみた感じでしたね。しかし、木陰なし。・・、まあ、そんなもんか。

Img_9689  富士学校祭、聞くところでは数年前まで土手の正面にもテントが設置されてほとんど見えない、ということもあったのだとか。観閲行進の写真の被写体になっている車両と撮影位置の間にテントが、ということですが、土手の下のところにテントを立てられると、確かになにも見えないでしょうね・・・。

Img_9750  しかし並ぶ戦車戦車洗車。なんか最後に一つ違う文字が混ざりましたが磨きあげられています。向こうには特科火砲、装軌装輪各種装甲車、施設車両が並び、横一列から眺めは情景は圧巻の一言、東千歳駐屯地とくらべてしまうのですが、車両の数では東千歳があっといしていることは確かです。

Img_9797  しかし東千歳駐屯地は駐屯地に整備されている旧軍滑走路に沿って並ぶ戦車などの車両を横から見ることはできないので、これはつまり車列まで距離があるという意味なのですが、そういう関係で一枚に広角で写し込むとどうしても迫力ある写真には残念ながらどう頑張っても成りません。

Img_10008  その点、富士は高台で真横と正面から見ることができるのですね。そして木陰。行事開始に備えて施設車両が整地を行っています。これだけの車両、予行だけで会場の路面は大変なことになってしまうのでしょうね。観閲行進直前には散水車が水を撒きます、土煙がすこい事にならないように水を撒くのです。

Img_10021  さて、斜面に腰掛けて増える他の見学者の方々と一緒に式典の開始を待ちます。待ち遠しいというか、戦車の方がどんどん近づいてくるような雰囲気です。そんなに迫力が!?、と思われるかもしれませんが、どんどん近づいてくると言うのは印象ではなく、実際に斜面をずるずると滑って行っていたのですね。

Img_10087  土手の角度は大したこと無いのですけれども土が剥き出し、土手の地盤は微妙でして、雑草でも茂っていてくれれば滑らないのですけれども、ね。皆さん下の方に、こちらも同じ。もう一回上ります。ずるずる、もう一回上ります。以下略。傍から見ると楽しそうなのでしょうか、まあ、慣れれば滑らないのですけれどもね。

Img_10113  多人数で展開した強み、荷物番をお願いして交代で式典会場を散策することとしたのですけれども、どの角度から見ても迫力はすごいですね。そして富士総合火力演習の準備なんかも行われていて、季節を感じました。式典が始まりそうな気配があったので慌てて撮影位置に戻ります。

Img_10123  こののちは先日紹介したとおり観閲行進が行われて、訓練展示模擬戦です。観閲行進は前回の写真の通りなのですが、訓練展示は戦車部隊と特科部隊が協同で普通科部隊を支援するという内容。前述の濃霧が出ていると乳褐色の向こうに発砲焔だけが見えるという状況になるのだとか聞きました。

Img_10147  訓練展示の各種特科火砲、とくに203ミリの空包射撃はなかなか見ることができないものですし、99式とFH70と203ミリの協同は、この富士学校でなければみれないものでしょう。そして74式戦車改、なんかも富士学校祭か富士総合火力演習でなければ見る事の出来ない装備です。

Img_10163  富士学校は、訓練展示を撮影する場合には今回撮影した場所よりも観閲台付近の高台あたりで撮影した方がいいように思いました、当方が撮影した位置からは観閲行進では迫力ある写真が撮れたのですが、訓練展示では後方から見ているというかたちでした。涼しかったのですけれども、ね。

Img_10210  富士総合火力演習も後方から見るので、条件としては似ているという形なのですが、なるほど、続々と車両が展開して貴重なものを見ることが出来ました。状況終了の後にヘリコプターが地上展示の為に式典会場に続々と到着して、式典会場では車両展示と戦車試乗の準備が開始されました。

Img_10239  富士学校には資料館があり、展示内容はかなり充実しています。そして厚生会館も土産物なんかが並んでいて、保存展示車両も多くが並んでいます。明日に迫った富士学校祭2010ですが、新型の10式戦車が登場するようです、天候は気になるのですが、足を運ばれる方、雨具の準備をお忘れなく。

HARUNA

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陸上自衛隊富士学校 普通科・機甲科・特科教育戦術研究の中枢

2010-07-08 00:51:30 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆富士学校祭2008の写真から
 日曜日に行われる富士学校祭の紹介を本日から掲載してゆこうと思います。富士学校は、陸上自衛隊の装備する戦車、各種装甲車や火砲を一度に見ることのできる注目の行事です。
Img_9476    富士学校、といえば自衛隊の普通科部隊や機甲科部隊、特科部隊の戦術研究や運用研究、幹部の養成や専門教育を行う自衛隊の学校です。学校ですから開校祭をやるのですが、全国津々浦々の学祭どれと比べても火力と機動打撃力では富士駐屯地の富士学校よりも上に出る学校はありません。
Img_9791    富士学校は普通科、機甲科、特科を統合した学校です。諸外国では歩兵学校、戦車学校、砲兵学校と分かれているのですが、日本ではなぜ一つにまとめたのか、そもそも普通科、機甲科、特科というのは自衛隊の中でどういう位置づけか、ということをみてゆくと富士学校の意義がよくわかってきます。
Img_94803    普通科、というのは旧軍の歩兵にあたるのですけれども、戦争というものは基本的に土地の収奪が根底にあるのですから小銃や機関銃を手に敵部隊と交戦して日本の国土から引き吊りだして、我が国土に迫る脅威には地面にかじりついて頑強に抵抗して対戦車火器や迫撃砲で押し留めるのが普通科です。
Img_9493    一方で、機甲科は戦車を中心として機動力と防御力と火力を併せ持ち敵戦車を撃破し、立て直す間も与えずに後続する随伴部隊に直接火力をぶつけて、機動力と防御力を駆使して火力下での戦闘を継続します。また情報を収集する偵察部隊も機甲科職種に属する部隊となっています。
Img_9481    特科は、綿密な地域観測を瞬時に行い敵が占領する拠点や移動する補給車両、場合によっては敵戦車にたいしても攻撃を加え行動を阻むとともに、我が方の部隊に対して同様の敵対行動をとろうとする敵砲兵にたいし位置を把握し即時にその先頭力の無力化を図る対砲兵戦を展開します。
Img_9503    これらの戦闘は協力下で行われてこそ有機的に機能するものであり、普通科だけでは打撃力が不足で戦闘の最後の決着をつけるのは普通科ですが能力には限界があります、機甲科だけでは強力な打撃力と装甲突破能力を発揮するのですが陣地占領が出来ず、特科だけでは火力戦闘以外の戦闘が出来ません。
Img_9532    つまり、現代の戦闘は普通科、機甲科、特科が協同して展開されるものなのですから、専門教育や戦術研究は一つの研究機関において行うことが望ましい、ということで陸上自衛隊の戦闘部隊の機関として挙げられる三つの職種学校が富士駐屯地の富士学校に統合されたわけとのことです。
Img_9565     こうして、上記目的を達成するために富士学校には様々な装備がそろえられています。富士学校は研究した戦術を実際に運用して、もしくは入校した幹部自衛官が実際に指揮運用を行うために実動部隊をもっていて、最新装備が少なくとも中隊規模で一定の数配備されているのです。
Img_9587    実動部隊としては、普通科教導連隊、戦車教導隊、偵察教導隊、特科教導隊が主な部隊としてあげられるのですけれども、主要装備として、軽快な機動力と少数部隊の集合分散を迅速化させた陸自自慢の軽装甲機動車、高い加速力と大きな収容力に小回りを併せ持たせた高機動車等広く配備されている装備。
Img_9627    一個小銃班に装甲防御力と高い路上速度による戦略移動能力を兼ね備えた96式装輪装甲車、強力な35㍉機関砲と射程4kmの対戦車ミサイルにより乗車する一個小銃班を強力に援護して装軌式による突破能力と戦車に準じる高い防御力と高度な夜戦能力を普通科に付与した89式装甲戦闘車というような普通科部隊装備として北海道以外では中々見る事の出来ない車両。
Img_96763    世界初の光ファイバー誘導方式を実現させた上陸阻止精密誘導火力の新鋭96式多目的誘導弾システム、上陸用舟艇から戦車まで大型弾頭で破壊する79式対舟艇対戦車誘導弾、射程が13kmにまで達する前線直接掩護火力の主柱120mm重迫撃砲RT等が普通科教導連隊に配備されています。
Img_9704    機甲科装備では、避弾経始を重視した装甲に守られ油圧サスペンションによる姿勢制御と弾道コンピュータや測距装置により精密な射撃を行う事が出来る第二世代の74式戦車、この戦車を元に現代戦闘のカギというべき夜間戦闘能力を飛躍的に向上させたものの試作に終わった74式戦車改。
Img_9780    複合装甲と120㍉滑腔砲と1500馬力エンジンを50㌧の車両に上手くまとめ自動装填装置と自動追尾装置により高度な火力と戦闘能力を盛り込んだ90式戦車が戦車教導隊に配備されています。また偵察教導隊には87式偵察警戒車や斥候車両、地上レーダー装置等も配備されています。
Img_97953    52口径の長砲身155㍉砲を最大限機能させる自動装填装置と特科情報システム端末を搭載した99式自走榴弾砲、半自動装填装置や自走能力など今なお高い戦闘能力を維持するFH70榴弾砲、上陸部隊を遠距離から同時に面制圧して無力化するMLRS,内陸から超低空で遥か沖合の洋上目標を日本上陸前に撃滅する88式地対艦誘導弾。
Img_9822    50kmをプログラミングして飛行し目標情報を得る遠隔観測ヘリコプター、同時多数の砲弾を空中で捕捉して敵砲兵部隊の位置を瞬時に通知する対砲レーダー装置、加えて砲弾の飛翔を左右する気象データを特科部隊に通知し精密射撃を担う気象観測装置が特科教導隊に配備されています。
Img_9843    このほか教育支援施設隊が施設作業車や92式地雷源処理車、91式戦車橋等を装備していて、陸上自衛隊のかなりの装備を一度にみることができるわけです。普通科や特科の装備で富士学校に配備されていないのは、96式自走迫撃砲、73式装甲車、75式自走榴弾砲くらいでしょうか。
Img_9920    68式ロケットや75式自走多連装ロケット等の退役装備は展示保存地区に並べられています。 ここまで多くの装備がみられるとなりますと最新鋭の07式機動施設橋や03式中距離地対空誘導弾、AH-64D戦闘ヘリコプターも見たくなるのですが、こちらは勝田駐屯地の施設学校、下志津駐屯地の高射学校、明野駐屯地の航空学校に装備されていますので、こちらの行事の方へどうぞ。
Img_9929    それならば航空機は0ですか!?、と思われるかもしれないのですが滝ヶ原駐屯地に航空学校が教育支援のための富士飛行班を派遣してくれていますので、富士学校祭ではヘリコプターも参加します。まあ、現代戦にはヘリコプターも重要な位置を占めていますから、当然と言えば当然なのでしょうが、ね。
Img_9944  このように各種装備を見る事の出来る富士学校祭ですが、最も注目されている今年の目玉は、10式戦車が展示されるのか、という事でしょうか。これは何とも言えないのですが、富士学校祭のポスターをみてみますと、写真ではありませんが期待させるようなシルエットが描かれています。

HARUNA

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北澤防衛大臣、北朝鮮による韓国艦撃沈事案受け自衛隊に警戒と情報収集を指示

2010-05-24 22:13:40 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆点検・情報収集・警戒監視を指示

 韓国艦撃沈事案について、防衛大臣より指示が出された旨、防衛省HPに掲載されていました。20日のものでやや遅れましたが紹介します。

Img_6025  韓国大統領の発言では、今後北朝鮮が韓国の領域に対して武力攻撃を行うのであれば自衛権を行使する、と発言。これは今回は自衛権を行使しない、という意味にも受け取れるですけれども、一方で韓国政府は米海軍との海上封鎖を想定した合同演習を行う、という発表を行っています。まだまだ収束の見通しは立っていませんね。

Img_6256_2  韓国哨戒艦沈没事案に係る防衛大臣の指示について・・・平成22年5月20日:韓国哨戒艦沈没事案に関する韓国側の調査報告発表についての総理大臣コメントを踏まえ、本日午後、防衛大臣から省内関係幹部に対し、以下の指示があったのでお知らせします。○自衛隊の態勢について改めて点検すること○引き続き情報収集に努めること○警戒監視活動に万全を期すこと http://www.mod.go.jp/j/press/news/2010/05/20b.html

Img_7579  自衛隊の態勢について改めて検討する事、という事は恐らく即応体制や部隊稼働率、応急出動に対する準備体制の点検、ということでしょうか。平和ボケと言われる日本なのですけれども陸海空自衛隊は全ての戦闘部隊や戦闘支援部隊は有事の際に即応できるよう定期的に点検を行っています。この態勢を改めて点検するという意味でしょう。一方で、朝鮮半島情勢は突如更に緊張を増すことも考えられますので、勤務体制にも影響が出てくるのかもしれません。

Img_6304  引き続き情報収集に努める事、というのは防衛駐在官による情報収集や外交ルートを含め収集される情報の分析、情報本部が実施している公開情報や通信電波の傍受、日本周辺で恒常的に行われている哨戒飛行等公海等で行われている任務を引き続き実施してゆく、ということでしょうか。

Img_6108 警戒態勢に万全を期す、ということは自衛隊基地の警備態勢や護衛艦などの航行時に警戒を促す事、という意味なのでしょうか、それより一歩進んで陸上自衛隊による沿岸警備態勢の点検、ということは含まれている可能性もあります。工作船が過去に浸透した事案も多々ありますので、相応の準備は行っている事でしょう。

Img_5840  現時点での防衛大臣支持は以上の通りですが、仮に韓国が海上封鎖演習を実施するなどを行った場合、これに対応して日本海や太平洋に対して北朝鮮がミサイル実験を行う可能性があります。現在、北朝鮮は空軍の稼働率が非常に低く、海軍には満載排水量1000㌧以上の艦艇は3隻しかありません、人民軍は野砲火力で秀でたものがありますが、これを用いた場合、恐らく不通の戦争になってしまいます。この点、弾道ミサイル実験は現実的選択肢となるでしょう。

Img_5861  また、工作員浸透に対する警戒も充分行われる必要が出てくるでしょう。海上保安庁、海上自衛隊合同で沿岸警備の強化を行うとともに、現時点では警察庁から指示は出ていないようですけれども、朝鮮半島情勢がひっ迫すれば全国の米軍基地に対して管区機動隊を中心に警備が強化される可能性もあります。

Img_6270  しかし、本来は日本は有事の際に利害が関係する事もあるのですけれども、当事国ではない訳です。本来は警戒体制と情報収集体制を確立するとともに、一歩引いて平和的解決の為に周辺国との協調を確立することが本来の役割だとも思うのですが、日本が先頭に立って安保理に、等首相の発言がこういう時に限ってブレません。こちらについては、北澤大臣が指示を出す訳にもいかずこちらの方も不安ですね。

HARUNA

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駒門駐屯地創設50周年記念行事2010.04.04速報

2010-04-18 23:47:08 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆戦車・装甲車の観閲行進

 駒門駐屯地創設記念行事、50周年行事という節目の年であった事から、初めて足を運んだのですが正直驚きの連続でした。

Img_42861  駒門駐屯地は第1戦車大隊の駐屯地、という印象が強かったので今津駐屯地祭の行事と同じようなものかな、という先入観がありましたけれども、昨年の武山駐屯地祭では第一教育団の第一機甲教育隊が74式戦車と90式戦車を観閲行進と訓練展示に参加させていましたし、多少は教育用に配備されているのかな、という考えにて富士山麓へ足を運びました次第。

Img_3976  国際活動教育隊、教育隊であり教育任務と評価支援を行う80名規模の部隊なのですが、中央即応集団指揮下の部隊、つまり幕直接部隊であることから隊長には1佐が当てられている、ということはしっていたものの、駒門駐屯地司令を務められていたとはしりませんでした。式典などで秋葉駐屯地司令が国際教育隊長だったと聞きまして驚きました次第。

Img_3922  国際教の車両などは清水港祭で見学していましたが、軽装甲機動車、96式装輪装甲車などを運用しているということは知っていました。しかし、教育支援部隊が小隊規模ときいていましたから、もう少し規模は小さな部隊、と思っていたのですけれども、車両などは多かったように印象づけられました。一方、73式大型トラックの装甲型も装備されているのですけれども、重度の花粉症、実際には風邪にてそこまで探す気力はありませんでした。

Img_4182  第一戦車大隊。二個戦車中隊の精鋭が有事に備えています。第一師団の機動打撃を担当する部隊なのですけれども、かつて三個戦車中隊を基幹としていた編成は、第一師団の改編とともに戦車よりも普通科部隊を重視する編成に移行したことで二個戦車中隊を基幹とする編成に縮小されました。第一師団は普通科を重視し市街地での任務に備える、ということですが、対戦車隊は解体され重火力は激減、そして市街地では不可欠な装甲車も不十分、一方で戦車火砲は大幅削減と、防衛大綱の装備削減という弊害をもろに受けている印象。

Img_4239  74式戦車は、戦車としては旧式化していることは否めないのですけれども、打撃力は105ミリ砲に新型砲弾を採用して攻撃力を維持するなどまだまだ侮れない能力をもっていますし、戦車の位置づけ、ポテンシャルというものはかなり高いものがあります、戦車をこちらが運用しているということは有事の際には相手にも対戦車戦闘の準備を強いることになりますし、この点重要でしょう。日本では有事の際には専守防衛を貫く限りかならず戦場は市街地になります。そこで最大の防御力と高い機動力、高度な監視能力と強力な打撃力を持つ戦車、もっと配備数の面で重視してもいいと考えるのですけれどもね。

Img_4020  第一高射特科大隊。第一中隊に近接した目標に対処する93式近距離地対空誘導弾、第二中隊に81式短距離地対空誘導弾が装備されています。93式は恐らく12両、81式は4セットが配備されていて、対空レーダーP14,低空レーダーP18とともに組織的な対空戦闘を展開することが可能です。81式は対空疎開に限界のある火力や拠点の防空にあたり、93式は突発的な脅威に備えます。師団の規模を考えますと装備密度はかなり高く、陸上自衛隊の空からの脅威への真剣な姿勢がみてとれます。一方で、もう少し機関砲の有用性と評価してもいいのでは、とも思ったりします。

Img_4330  第一機甲教育隊。観閲行進では次々と戦車が行進してきますので、駒門といえば第一戦車大隊よりも第一機甲教育隊の戦車の方が多かったのか、という驚きがありました。少なくとも一個中隊が90式戦車により編成されていまして、第一中隊が90式戦車と87式偵察警戒車、第四中隊が74式戦車、第五中隊が74式戦車を観閲行進へ参加させていました。

Img_4368  教育隊は、機甲科の新隊員教育、陸曹候補生教育を担当します。戦車中隊は、陸曹教育中隊と陸士教育中隊から成っていて、前述しましたように武山駐屯地の第一教育団に所属しています。首都近辺の戦車部隊は、第一戦車大隊に加えて、この第一機甲教育隊、そして富士教導団の戦車教導隊が富士駐屯地に駐屯していますので、戦車中隊だけで十個中隊規模の戦車が富士山麓に控えているということに。これらを考えると、日本海側から首都圏へ向けての脅威が冷戦時代にあったわけなのですけれども、準備は相応に為されていたのか、と国家の防衛への決意のようなものを感じましたね。

Img_4418  駒門駐屯地祭の観閲行進は、こういう意味で思った以上の戦車が行進していて、90式戦車もかなりの数が行進していました。驚きましたね。新戦車、10式戦車になるのでしょうか、来年度には富士教導団の富士駐屯地祭でお目見えするのでしょうかね、併せてこの第一機甲教育隊にも配備されるのでしょうか、新型戦車の来年度行事での登場を少し期待して待ちたいです。

Img_4257  第一後方支援連隊第二整備大隊の78式戦車回収車、駒門には戦車部隊、高射特科部隊、国際教のほか、そして方面直轄施設群の第364施設中隊などが駐屯しています。陸上自衛隊ですが、なるほど戦車はまだあるところにはあるということで、驚かされることの多い50周年行事でした。

HARUNA

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