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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】今宮神社,紫野御霊会さくらの咲く季節やすらい祭と五月連休の今宮祭

2025-04-23 20:25:04 | 写真
■観桜も静かに自由気まま
 この静かな社殿もあと一週間しますと祭事の季節を迎えるのですね。

 今宮神社、静かなさくらの名所の一つとおもう。実は京都には、というよりも実でも何でもないものの、数多さくらの名所がありますので、混雑するのは有名どころの一部だけ、ただ、みんな有名どころは押さえたいので混雑するという。

 観桜も自由気ままな撮影を好んでいまして、逆に酔客に絡まれるような花見はどうしても避けたいというところが。なぜならば、仕事の関係上で幾度か東京の上野公園などの観桜に参加した事が、大昔ですよ、ありますが、確実に酔客に絡まれていまして。

 東京嫌い、というわけではないのだけれども、なんでわざと靴を何度も踏もうとする若い女性とか、とおせんぼしてわざとぶつかって喧嘩を吹っかけてくるのかと思い、みなさんは花見よりも喧嘩や因縁を愉しんでいるという、あんな花見は、いやだなあ。

 紫野御霊会、今宮神社の始まりとなりました御霊会は朝廷が執り行った御霊会とはなっていましたが、その祭事を主導したのが町衆という点で特筆すべき出来事だったといいます。その示すところは平安遷都から二百余年を経て町衆の力強さを意味するのでしょうか。

 疫神社、さて、御霊会がなぜこの地で執り行われたのか、というところなのですけれども、もともと当地には素戔嗚尊を祀る疫神社が鎮座していまして、この疫神社に疾病払いという祈願がありましたので、その先にこの地での御霊会がある、という。

 大己貴命、事代主命、奇稲田姫命、社殿にはこの三柱を祀っています。三柱、大己貴命、事代主命、奇稲田姫命、その読み方は平仮名ですとこんな感じ、おおなむちのみこと、ことしろぬしのみこと、くしなだひめのみこと、こう読みます。

 本殿は明治35年こと西暦1902年の再建となっていますが、三柱を祀る社殿ということで屋根が複雑な櫓の構造となっていまして。ここに境内の桜の木々が並ぶ様子と、さくら以外の花々とで彩る様子に、三柱、という神社のそのものを示したようで。

 さくらの咲く季節、こういう情景は年に一度の、きわめてわずかな期間のお楽しみとなっていますが、今宮神社はこの桜の季節と、あとは縁日のほかは、お祭りの際に、一杯になるという神社であります。そして御霊会を起点とする祭事は今も続きます。

 やすらい祭、京都三大奇祭の一つに数えられる祭事は、四月中旬に執り行われまして、第二日曜日、第1師団祭行くかどうかという雨模様の中に執り行われましたが、夜須礼祭とも記します行事がひとつ、そしてもう一つは、来週行われる、今宮祭という。

 今宮祭は、今宮神社の氏子衆が永らく二条城あたりから北側全域という広い地域にありましたので、特に西陣織の西陣もその氏子区域となっていまして、要するに産業奨励のようなかたちでかなり大きな催事として今日にも維持されてます。

 祇園祭と並ぶ規模の祭事であった、こう呼ばれている今宮祭は、今日の規模から見ますと祇園祭のような山鉾巡行こそありませんが祭の行列はかなり長く、北大路通を交通規制して行われます、この際には境内も活況に包まれまして、紫野一帯が活気に。

 紫野御霊会の系譜から成る疾病払いの伝統行事、もういま時分は既に桜の季節は新緑の季節となっている訳ですけれども、着実に暖かい日と寒い日の循環は、温さから暑さ熱さを感じる季節へと移ろう、そんな季節を桜の先に見えるのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
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【京都幕間旅情】今宮神社,京都のさくら名所数あれど,やはり静かなところでさくらを見上げたい

2025-04-23 20:00:54 | 写真
■今宮神社は北大路通り沿い
 今回は少し前に撮影しました話題ですが。

 京都のさくら名所数あれど。やはり静かなところでさくらを見上げたい。もちろん、活気ある風情というところは好きなのですけれども、賑やかすぎますと写真も落ち着いて撮影できない、写真を落ち着いて撮影できれば、そのあとゆっくり見上げられる。

 京都市北区紫野今宮町、北大路機関というわけなのですから北大路通沿いの情景を紹介しよう、という訳では必ずしもないのですけれども、この北大路通は北大路大宮あたりから千本北大路にかけて、緩やかな、自転車だとやや急な、上り坂がはじまります。

 今宮神社、今回散策の様子を紹介しますのは、この北大路通の上り坂、中盤当たり、そう、登ってゆくと左手に船岡山という、織田信長を祀る建勲神社を頂に祀ります山が見えたあたり、北大路通の右手に、やや大きな鳥居が二車線道路で迎えるところにある。

 北大路機関だから、というわけではないのですが、北大路通のほか、地下鉄北大路駅の北口、北揃いの地名の北口、その目の前の通りがまさに今宮通でして、ここから今宮通を西進しますと、ちょうど今宮神社の参道にもいたるところでして。

 さくらの社殿、というわけではないのですが、それでも境内には少なくないさくらの木々が植えられていまして、こと、本殿前の桜と、いや、拝殿の周りをぐるりつつむような桜並木と、そう、点々と確かなさくらの木々が並ぶのが、今宮神社の静けさを醸す。

 歴史ある社殿がひろがる。北大路機関なので北大路通沿いの神社を紹介したという訳ではなく、ここは、もう少し多くの方に詣でてほしい、というほど静寂に、言い方を換えれば閑散としているのです。もちろん今宮祭の時には非常に活況に包まれますが。

 御霊会の社殿である、平安朝の頃、疫病を鎮めるための御霊会を開いた社殿の一つである、こう紹介しますと、まあ、COVID-19新型コロナウィルス感染症の最も厳しい時代は過ぎましたものの、昔から歴史は繰り返している事を実感できる社殿の一つと気づく。

 三密を避けているから閑散としているのでは、なんていう言葉もありましたが、そう、ここは疾病払いの社殿でもあったのです。そして歴史は繰り返すといいますが、疾病と日本の、いや人類の歴史を物語る様に、長保3年と深い歴史を誇ります。

 神泉苑、上御霊神社、下御霊神社、八坂神社、朝廷が御霊会を開く社殿といいますと、こういったところが挙げられます。上御霊神社と下御霊神社といいますと、まさに御霊会、というその名の通りの神社という印象で、八坂神社は祇園祭の社殿ですね。

 長保3年、西暦としますと1001年となっていまして、京都には数多い、千年以上の歴史を誇る神社となっている。その起源は正暦5年こと西暦994年の疫病大流行に際し、朝廷が神与の神輿を二つ造り、船岡山、前述の船岡山山頂に安置したのが始まり。

 幣帛、神輿を安置する、というのはちょっと意味が分からないように思われるでしょうが、科学の黎明期よりも前の時代、疾病や日照りや台風に地震と落雷などは、この世に未練を残して没した人々の怨念が引き起こしていると考えられていた故でして。

 今宮神社の始まりは、疫病を受けての平癒を祈願して、船岡山の山頂に安置した二つの神輿から。それは最初は運べる神輿から始まりましたが、千余年を経て、いまこの社殿は大きく広がり、春には桜の花々が、包んでいるのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】平野神社-桜花,AIの人工学習と著作権-普及過渡期の若年利用を念頭に

2025-04-20 20:00:58 | 写真
■平野神社2025
 平野神社は散々特集しているので歴史的な話題は充分使い果たしているのでなにかとAIの話題ばかり使い続けているのですが。

 AIの人工学習について。平野神社と云えばAIの話題と進めているこの特集ですが、人工学習が今後どのような問題をはらむのかという視座について。実は昔、わたしがここで撮影した写真を別のWebサイトに盗用されたことがありまして。

 写真を膨大な数を使っていましたならば、どうしてもそういうことは発生するのですが、第三者が盗用して無断転載した写真を、パブリックドメインだと誤認しておそらくは悪意無く、二次盗用する出来事が今年に入り、ありました。

 安倍総理の近くで撮影した思い入れある構図でしたので、すぐにこれ、北大路機関で発表したものだ、と気づき、匿名で掲載した方に聞きますと、別のところで拾ってきたという、その写真に北大路機関ロゴはありませんでしたが。

 構図を含めて著作権だ、という判例が、”沈黙の艦隊訴訟”という、とある漫画家の方が大御所の方の写真の構図をそのまま描画して裁判になり、結局構図も著作権の範疇に含まれる、という写真家には大きな判例を残していました。

 盗用の可能性となりかねないことは、劇画”ゴルゴ13”をNHKがアナザーストーリーという番組で紹介した際に、プロダクションの資料室が有していた膨大な資料の中に、二次使用を念頭としたものなのか不安な資料が多数出ていまして。

 人工学習の場合はどうか。Webの約款などで人工学習に利用する、という明示があって了承していサービスを受けている、という逃げ道はあるのかもしれませんが、利用者と提供者の力関係について法廷で争った場合は、不確定要素も。

 写真を人工学習されるリスクとともに、人工学習をどの場所で行ったのか、不法転載先であるのか正規の手続きを経た場所であるのかを、AIの人工学習を行った当事者を探すことが不可能であれば、それだけで係争の余地は出てきます。

 デジタル盗用の問題は既に、この分野で先進的阿アメリカでは先進的故に既に、クリエイターのイラストがAI学習され構図や色調を盗用されているとして人工学習結果から省くよう顕在化している問題ではあるのですが。

 日本の高度成長を支えたのは欧米よりも遅れた労働基本権と過剰労働に法的未整備の欠缺を利用した生産性からのし上がって、中国や新興国に抜かれているのは法整備があったのだから同じ轍を踏むのか、という論調は聞きました。

 AIの授業よりも著作権の授業を行う必要があるのではないか、という視座と、それを行った場合は萎縮が先行して技術の停滞を生むという視座と、著作原意街にも労働基本法と税法など含め六法を中等教育で行うべきという視座と。

 不法行為、知らずに不法行為を行うようになってしまう、一応学校でイケナイこととして学んだものの罰則まで深く斟酌せずに便利なガジェットの使用法として日常化してしまい、あとで不法行為を問われる結果になるということも。

 AI,結局、個人が使える段階まで普及しつつある一方、個人が使うからこその免責についても個人に求められる段階まで責任を持たなければならない、Webを通じ世界と繋がる以上、この視座も忘れず億必要があるのかもしれませんね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】平野神社-桜花,AIとの付き合い方-AIにどこまで個性を持たせることが出来るのか

2025-04-17 20:11:31 | 写真
■桜吹雪が舞う様子
 京都ではさくらはいま仁和寺の御室桜が満開を迎えた頃合いですが。

 平野神社、といえばAIの話題、桜吹雪が舞う様子から、ふと、最初の掲載は急速に普及を始めていたAI,なにしろAIの定義に当てはまるものならばAIとなのっていないものまで含めていた喧騒の中で最初に平野神社の写真とともに語りましたが。

 エキスパート判断システム、日本の場合はAIという単語が定着する前から、例えば2004年に初飛行した三菱重工のSH-60K哨戒ヘリコプターが搭載しているエキスパート判断システムなどは、20年以上前ですがAIを搭載した戦闘情報システムでした。

 ただ、昨今のWeb検索においても、AIが生成した文章を最初に検索結果へ載せるなど、いや、その定義ではなく、とか、反論したくなるものの、普及させようとしている努力とともに、実際普及していることは見て取れるのですけれども。

 AIの普及という側面を考えますと、なによりも大きいのは、個人が利用することになり、しかも文字情報はそれほどサーバーを圧迫しませんので、記事点数といういみで膨大な数の情報が、いま以上に溢れてしまう、ということでしょうか、それも玉石混淆の。

 ブログ文章をAIで作成、という広告が表示されるようになりました。これなどは、結局、アクセス数を稼ぐアルゴリズムを応用して手間を掛けずに自動的に文章を作成し表示し続けるという内容なのか、執筆補助を含んでいるものなのか。

 AIにどこまで個性を持たせることが出来るのか、例えば北大路機関は既に膨大な数の話題を紹介していますが、これを学ばせることで、榛名研究室、摩耶研究室、違いにあった文章を作成することが出来るのか、という素朴な疑問が湧く。

 人工学習を閉鎖的な既存データ、文字情報とともに、撮影した画像から撮影場所や撮影対象を類推して作成するならば、補助的には機能するのかもしれませんが、結局、集約を目的とした文章を造ることが目的ではない場合はどうするべきか。

 危惧することはそれよりも、ブログ文章をほかの方がAIで作成していて、そうした膨大なAI記事の中に重要な情報が埋もれるという、既に顕在化している検索性への意味の無い文章の中への埋没のほうが、影響は大きいのかなあと思う。

 執筆補助は、AIに要求する際に、誰彼の文章のように、と支持することにより論調を似せることは出来ると思うのですが、論調を似せると同時に、ほかの方の論調を模倣しないように留意しなければ、それは盗作にもなってしまうわけで。

 法的な関係性として、まあ、我が国の場合はWeb検索の検索結果の表示が著作権法に抵触するかを議論しすぎて検索技術の普及におくれをとった1990年代の苦い経験はあるのですが、人工学習は場合によっては盗作となる留意が要る。

 問題は、最近になって、テレビ映像を勝手にWebに上げるのは著作権法違反、というテレビコマーシャルが繰り返し行われているように、意味を知らないまま不法行為や違法行為が若年層を中心に定着してしまう恐れです。

 AIとの付き合い方、まだ文章を任せるには至らないという認識なのですが、法的なグレーゾーンを行う方が増えてしまうことにより、AIを利用していない表現者、というべきでしょうか、弊害を及ぼすことは、不安でもあるのですよ、ね。

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【京都幕間旅情】平野神社-桜花,AIは桜吹雪の夢を見るか-"贋作師からの問い-"本物"をめぐる思索"考察

2025-04-16 20:25:36 | 写真
■AIは桜吹雪の夢を見るか
 AIの将来性と限界を考える観桜の際のひとりごと。

 AIは桜吹雪の夢を見るか、結局のところAIを搭載したガイノイドが開発されて、人間と共に生活し喜怒哀楽を分かち合うようになって初めてAIは桜吹雪の夢を見るように考えるのです、そういう意味で喜怒哀楽というものはまだ先で。

 表面上の情報しか入手できないために、内部的な分析を行うことが出来ず、内部的な分析を行った情報をもとにした論文を模倣して係数や代入する部分を切り替えて繕うのが、今のところ限界である、こういう印象はないでもない。

 贋作師からの問い-"本物"をめぐる思索、NHK-BSスペシャルで先日こんな番組がありまして、録画しておけばよかったなあ、というのは、"俺は本物が欲しい・・"という名台詞を残した某アニメのヒロイン役の声優さんがナレーションしていて。

 アニメの話は、まあ、いい。このドキュメンタリーは贋作絵師のヴォルフガングベルトラッキ氏が、贋作を日本を含め世界中に売るとともに、"絵を買うのは教会に通うのと似ている、信じるかどうかだ"というお話をしていたのですね。

 本物か贋作か、日本国内のとある自治体美術館に贋作の疑いがある作品がありまして、この真贋判定は難しく、結局贋作の元の作者の作品複数と対象をAIにより判定させ、タッチから贋作かどうか判断を委ねる研究者の試みが映された。

 絵画、過去の筆のタッチの流れなどからAIは判断に困っている様子をドキュメンタリーは描いていましたが、やはりなあ、とおもったのは、絵しかAIはみていないというところでして、ここに美術評論家の厳しい一言が示されています。

 画家が描くさいの背景、画家はどのような環境で育ち、どのような体験を重ね、どのような喜怒哀楽と、師事した画家や教育の専門性やほかの画家からの影響、家族や社会や環境や政治や恋や失恋や天候さえ影響されて、描くということ。

 俺は本物が欲しい・・・、というアニメの台詞よりもNHKのドキュメンタリーでは美術館の型が、本物が欲しいと云うよりも贋作だとショックだ、という言葉を、これはいい絵だとおもいます、という言葉で濁していましたが。

 AIは結局のところ、そこまで踏み込むことは出来ていない。いや、疑似空間に紀元前ころからの地球そのものを大規模に再現して、その画家の生涯さえ追体験するほどの仮想空間が出来れば、また話は違ってくるのかもしれませんが。

 地球史を仮想空間に再現する、なにか、そのナレーションの声優さんが過去に出演して、じゃあ歌うね?という言葉を残してサクッとやられてしまったアニメーションの新章を思い浮かばせる内容ではあるのですが、まだ今の技術は難しい。

 アニメの話は、まあ、いい。大切なことだから二度かきました。記憶媒体の性能向上を考えますと、デジタルカメラやタブレット端末にテラバイトの先のペタバイト単位のメディアが開発される日は遠くないのかもしれません。しかし。

 経験や感情といった喜怒哀楽をAIが理解し経験を蓄積する、模倣ではなく体験を共有できる時代はいつごろになるのか、そこまで進んで初めて、AIは模倣を脱する、桜吹雪の夢をみるようになれるのかもしれません。

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【京都幕間旅情】平野神社-桜花,AIは桜吹雪の夢を見るか-SFの世界がここまで予想できなかったという二〇二五年

2025-04-16 20:00:06 | 写真
■AIは桜吹雪の夢を見るか
 平野神社の先週撮影しましたわだいを。

 AIは桜吹雪の夢を見るか、二年ほど前に生成AIが本格的に個人利用が可能な水準となって普及の萌芽が始まった時節、今年は初詣の機会とこうした視座に依拠しまして平野神社なのに扱っている話題はAIという不思議な記事を掲載し始めまして。

 人工知能、こうした表現はSFの世界では既に1950年代から有りましたが、現実の物として普及するまでには時間がかかったと思う半面、SFがAIを語っていた時代は、現代の水準まで情報通信技術向上を予測できていなかった。

 IT革命という表現は森政権時代の、もう森政権というものを実感として知っている方々は中堅という世代になっていますが、その情報通信技術は確かに発展していまして、こうしてWeblogのような個人の情報発信が容易となり。

 Weblogを一例としてあげましたが、生成AIはこの二年間で非常に発展を遂げまして、特に描画などの技術は二年間で、模倣能力が際立って高く、輪郭などのデッサンをAIから手書きで学ぶという不思議な時代となっていますが。

 SFの世界がここまで予想できなかったというのは、AIは対等か上位という存在である、つまり法人規模とか行政単位で使うものという認識がありましたが、個人が使役できる水準まで短期間で普及したというのはSFを超えていて。

 情報過多、他方、これは予想できていたことですが、AIが様々な情報を短時間で、模倣して文章でも描画でも音声さえ描写してしまうことになり、ただでさえ情報過多の時代に、更に情報が洪水を起こしているのかな、という。

 Webに掲載される多数の情報を、AIが量産することにより、WebにおけるAIの生成した情報が溢れてしまい、AIを用いた検索技術の高さというのは多言語且つ高精度という話ですが、不要な情報の取捨選択が逆に難しくなっている。

 検索しますと、意味の無い情報が大量に上位表示されまして、あれはおそらく閲覧数に応じた広告収入を見越しての表示なのでしょうが、似た単語でも全く意味が異なる情報を羅列し、10年前と比較し検索精度は低下しました。

 草創期の時代、アメリカのとある新聞社が投資情報について人間ではなくAIに執筆させるようにした結果、一日あたりの記事数は80から3000まで増加したということですが、誰が読むのかについて触れていませんでした。

 記者の執筆は必要な情報の取捨選択を行い、その記者が実名で報じるわけですから、記者の個性、この記者ならばこういう話題、と定評も悪評も立つのですが、AIの場合はまず当然ですが、個性を発揮できる段階には至っていない。

 3000も経済関連記事を凄い、と評判を立ててあげたいのですが、考えて欲しいのはスクロールして読む側の立場でして、10記事1ページとして仮に次へのクリックを毎日300回も続けられるでしょうか、一週間2100回だ。

 記事に責任を持てなくなるとともに、そういった新聞社がWebで数十社がAIを利用して記事を作成しますと、毎分数百の記事が飛び交い、読む側は、それこそAIが任意に表示した記事しか読まなくなる、いや、読めなくなるわけすね。

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【京都幕間旅情】平安神宮-桜花,二〇二五年京都桜花の季節もこの週末の荒天で幕引き

2025-04-13 20:00:55 | 写真
■平安神宮-桜花
写真の紹介は撮りためたものをこれからというところではあるのだけれど。

京都の桜は、本日の荒天でほぼほぼおわりだなあ、とおもうのです。梅の季節が相当遅かったものですから、さくらの季節はどうなるものか、と考えていましたが、昨年よりも三週間ほど、いや一ヶ月ほど、こちらも遅かったという。

入学式の季節に散ってしまっていた桜の季節が何年も続きましたので、今年は良い時期に咲いてくれたものだ、と考えつつ。もちろんそれは卒業の季節に咲く梅花の季節もよく重なりましたことに不思議な安堵感を思えるとともに。

平安神宮、桜の名所は数あれども、どこから散策するのか、そう、休みの日と晴天でいい光の環境で撮影できるところは限られているものですので、どうするか思案するのですが、混雑しているところほど身動きが難しくなるもの。

桜の花々はいろいろな種類がありますので、遅咲きの桜などはまだまだこれからというところがあるのは事実なのですけれども、わあっと広がるように咲き誇る名所はほぼほぼ同時にさくものですから、回れる期間は集中しています。

一日何カ所も回ってしまいますと集中力が途切れてしまいますので、遮二無二どんどん回る馬車馬のような休日や余暇の過ごし方はすきではないのですけれど、咲いている季節、雨が降らない日程を考えると時間はなかなか難しい。

鳥居を背景に社殿を背景に、なるべく青空とコントラストを考えて、逆に逆光で花々の色彩がめいっぱい際立つ情景と構図を考えて、しかし、撮影だけで全部終わるのはもったいないですから、美味しいもの愉しい飲み物を頂きつつ。

寺社仏閣というものの景色を撮影しますとともに、名所旧跡の風情と溶け込む様子や、春らしい情景というものはどの角度が醸すのだろうかと云うことも考えつつ、そして人出が一瞬途切れる、奇跡のような一瞬を辛抱づつ待ち構え。

名所といいましても規模が凄い、これぞ絶景という撮影が出来る場所もありますし、逆に、面積では小さくこじんまりしているところではあるのだけれども、ほおっとうなるような景色が広がっているところもあるものですから。

さくらの季節は短いものですから、もうこの季節は駆け足です。梅の花と桜の花が同時に咲くという希有な季節でしたので、そうしますと一緒に撮影できる名所となると何処だろう、と散策の計画を巡らせて地図と睨めっこしてみたり。

禅寺、お気づきとは思いますが名所旧跡にあって神社はさくらをほこる場所はけっこう多いものの、逆に禅寺などはさくらは基本余りありません、東福寺などはわざわざひきぬいてしまったほどなのです、修行の邪魔になるとかで。

密教などは、逆に東寺が、立体曼荼羅絵図を国宝として奉じている寺院ではあるのですが、満開の桜の景色こそ実は立体曼荼羅絵図が示したかった情景ではないのかとちょっと哲学的な歴史の角度を切り替えてかんがえてみたり。

今年も本日の荒天で桜の季節はほぼ終わりなのですけれども、その次には新緑の季節がやってくるわけですので京都はまた緑の新鮮な輝きを愉しめる、春の次の季節がやってくる、こんなことを考えつつ、京都の季節は進んでゆきます。

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【京都幕間旅情】平安神宮-桜花,むかしのきょうと・いまのきょうと・あったかもしれない京都

2025-04-10 20:19:59 | 写真
■古都を考える
 この週末にかけての天候がさくらのはなばなをどう影響させるのかと考えつつ。

 古都、こういう表現で京都を紹介されますと、まあ確かに事ではあるというか、今は首都ではないね、となるのですけれども、平安神宮界隈は、思えば明治維新後、勧業のために京都でおこなわれた国家行事の遺風が残るように見えます。

 堀川通拡張など、京都は都市改造により道路が、市電に対応するとか、もう市電ないけれども、市街地が整備されてゆきました。ここで平安神宮界隈を見ますと、近代都市京都、という印象の、現代ではなくとも、始まりにも見えてくるのですね。

 広い道路に煉瓦調の格式高い建物とその奥に平安神宮、そういう感じです。そうした上で京都というものをみてゆきますと、歴史ひもとくだけで平安遷都のころには桓武天皇が長安を意識して左右対称のたてものをぞうえいしたわけで。

 桓武天皇を平安神宮とおなじようにみなくとも、こう反論されることがあるかもしれませんが、1976年の平安神宮放火事件などは桓武天皇反対派の過激派が引き起こしたモノですので、その伝統と威風は生きているといえるもの。

 軍事と造作、桓武天皇反対の過激派というと、平安時代の刺客がFATEGRANDORDERに遂に登場か、とおもわれるかもしれませんがこれ昭和の話、そんなに桓武天皇長生きでしたかねえ、とおいかもしれませんが、その頃御霊は延暦寺とかどこか。

 放火事件の主張によれば、遷都を繰り返すと友に蝦夷討伐という民族戦争を続けた桓武天皇は、ニッポンテーコクシュギの原点であるという、なにか反米闘争にキリスト教をからめるような無茶にもおもえますが、そういう理由だった、と。

 都市改造により、特に豊臣秀吉の京都改造なんかは筆頭ですけれども、京都は常に変化している、そういう印象はあるのです、だから京都の平安遷都が千年遅ければ、この平安神宮の前のような市街地が前面広がっていたとおもうし。

 豊臣秀吉の京都大改造では御土居で京都を城塞都市として改造したと云い、ソレにより市域が限られてしまったからこそ、鰻の寝床、と揶揄される町家がひろがるようになって京都改造が進んだ、市街地の風景も一新したのは確か。

 徳川家光の時代までに主要な仏閣が再建され、その際に御土居も、鴨川の氾濫対策にもちいた堤防部分を例外として、撤去したのですから、それも京都の風景を一新させた、だから京都というのは常に変化する街なのだ、と実感しますが。

 高層ビルが林立していてもおかしくないような、新しいものが始まった街が京都といえるわけです。もっとも、文化的にとか哲学的に好い影響も悪い影響も一緒くたに残している街ともいえるのはなんとも不思議なのだけれども。

 平安神宮放火事件は、よくそんな理屈を膏薬みたいに貼り付けたものだ、と、許せるかどうかを度外視すると不思議に思えるのですが、逆に歴史というものをこうやって繋がっていたといえる、ここに明治の時代の京都の残り香をかぐ。

 千年平安遷都が遅ければ、こうロマンを考えて気づいたのだけれども、ああ、すると平安遷都前ということは、あの長岡京で千年、洪水と湿気と暴走族を我慢しなければならないのかあ、ちょっとそれは難しいのかなあ、とも考えたりするのですね。

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【京都幕間旅情】平安神宮-桜花,満開の花々と振り返る幕末動乱と戊辰戦争と東京遷都の後の新しいはじまり

2025-04-09 20:24:44 | 写真
■平安神宮と京都
 新しい社殿ゆえにこの平安神宮は京都の歴史においてひとつ重要な地位を担っているといえるのですね。

 平安神宮と京都、平安神宮をニセモノの寺院というかたがいまして、いやいやまず寺院ではなく、と訂正を入れるところから始めるのですが、平安遷都ののちの東京遷都を経て、京都というものを憧憬に留めるための社殿が正しい。

 遷都、明治時代に政治は首都を大阪におくのか江戸におくのかを思慮したとされていますが、どのみち、明治維新ののちに首都を東京や大阪ではなく、このまま京都におくという選択肢はなかったのだなあ、と考えると少し寂しいか。

 幕末動乱、蛤御門の変、京都に首都を置けない背景には孝明天皇の時代、幕末に京都は動乱を超えて戦場となり、特に長州藩邸焼き討ち、歴史では藩邸自爆と書かれることも多いのですが、ここから出た大火災が中心部を灰燼に帰して。

 孝明天皇はその際に御所を出て、民衆と直接対面、対面ではないにしても焼け出された町衆を直接目にすることとなったといい、同時にここまで焼けてしまっては首都として京はもはや、という決断させる要因にはなった、といわれる。

 殿上人と地下人、なにか地下人と表現すると地底人のようでHGウェルズのタイムマシンを思い出させる印象ですが、要するに御所で上に上がることのできない位階の低いひとたちをしめす、こんな差別というか区別というかが昔はあった。

 位階の低い人たち、を誤変換すると、異界の低い人たち、となってしまうのでHGウェルズではなく急に異世界モノじみてくるのですが、それは閑話休題、こういう認識をする常識が日本ではなんとか手の届く時代まで残っていたのだから。

 東京遷都は為されたわけですが、結果、御所をみれば旧ナントカ家跡地、という感じで屋敷も次々と東京セントされてしまいまして、セントしてやろうか的ななんにも残らない京都だけが置き去られ、結果復興も出来なくなってしまい。

 応仁の乱はじめ、京都というのは幾度も戦乱に見舞われてきたのですが、その都度復興を果たしていまして、しかしその例外になろうかというのが、幕末動乱の後遷都により政治中枢から切り離された時代なのかなあ、とかんがえる。

 戊辰戦争など、なにしろ明治政府はそのあと西南戦争で終止符がうたれるまで戦国時代part2的な騒擾に見舞われて、日清戦争もできないほど国内で戦費がかさんだモノですから京都復興に予算など割けないという厳しい状況が続く。

 平安京へて首府をになっている時代ならば、とにかく体裁はどうにかしようと、掘っ立て小屋でもいいから体裁を整えるべく予算がくまれ、それを実行するための人足が居住用の掘っ立て小屋を建てて、復興を無理矢理形づけたはずだが。

 宮城が遷ってしまうと、そういうことになるのか、遅れていた復興を久々に明治天皇が戻られたさい、これは行幸になってしまう構図ですが、朝霧の中に霞んだ復興にも軌道が見えない京都を見まして、その復興を勅令したことにはじまり。

 勧業、要するに見本市を行うことで世界にこの京都を開く場所としましたのが、この平安神宮界隈、岡崎の地でもありまして、そこからはじまった復興がいまの政令指定都市程度にはなる水準となった、始まりの地、なのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】平安神宮-桜花,美術館と京都会館と勧業館と近代的な建物が並ぶ東京遷都後の情景

2025-04-09 20:00:25 | 写真
■満開の岡崎
 今回の話題は昨日撮影の情景から。

 桜花満開の季節、梅が遅かっただけに大丈夫かと思っていたのですが、見事なまでに新年度、咲き誇っていまして、これがさくらでさくらがこれよ、とまあ、言い切れるような優美さをほこっている、そんな春のうつくしい日常で。

 平安神宮、まいとしまず何処の桜を見に行くかは、北大路機関標準木というさくらがありますので、そこはまあ、何度も何度も通うのですが、それを全部特集しますと、ヤサが割れてしまう。ということは閑話休題、さてさて。

 最初に載せる桜花の話題をどうするか、撮影というか散歩とともに、出来高、というのでしょうか、迷うのですが、今年は、さくらのわだいは平安神宮の写真とともにはじめたいのです、なにしろこんな天然色が迎えたのだから。

 岡崎公園と平安神宮へ、このかいわいは東山、というにはちょっと離れていますから、ひがしやま、こうひらがなで表現したいような静けさとともに、実のところ不思議な活気があり、現代的でもあり、しかしひろびろとしている。

 美術館と京都会館と勧業館、近代的な建物が並ぶとともに、平安遷都から東京遷都を惜しむような大鳥居と、明治時代に急遽、というよりも明治天皇が荒廃したままの京都を悼んで造営を命じた平安神宮はどこか近代的であって。

 明治国家として近代国家を歩みたい一方で、古都への憧憬をいっしょくたにしたような情景は、都大路の、平安遷都の頃に、いや平安遷都がもう千年おそければ、たとえばこんな、という情景を醸しているのがこの界隈だとおもう。

 神宮外苑、不思議なのだけれどもむかし、自衛隊観閲式といえば明治神宮の神宮外苑でおこなっていまして、交通統制が面倒だとかで、田中角栄総理の時代にいまの朝霞訓練場に自衛隊観閲式の場を遷した事情がありましたが。

 府警の閲兵式、いや、視閲式、この京都府警の年頭行事をおこなっていますのはこのあたりで、まあ、戦車はでてませんが装甲車は、警察では防爆車というんでしたか、行進します。ああ、もう中部方面隊には戦車がなかったなあ。

 写真を撮影する際に、情景を思い起こしますとすこし考えるのは、手前に焦点を合わせた方が良いのか、奥の風景に焦点を合わせた方が良いのか、というところです。掲載するだけならば両方比較すればいいだけなのでしょうけれど。

 情感醸す風情というのは、さくらが主人公なのか、たてものが主人公なのかと考えるのだけれども。ここで考えるのは、さくらを主人公にしてしまうと、どこそこの場所で撮ったかわかりにくい、という、情報的な悩みが生じる。

 一枚に情報を無理なく込めるように、つまり一枚を大きく引きのばして飾ることをかんがえると、そのキャプションに答え合わせの情報をもりこめるのか、それとも画像情報だけで勝負するのか、となりますので、構図はむずかしく。

 写真は、喫茶店などでたとえば風景写真が飾られていますと、その写真は何処なのかと推理と答え合わせが愉しくなる故そんなことをおもうのだ。もっとも、この前の長岡はわからなかった、長岡京ではなく新潟の長岡という。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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