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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】北野天満宮-梅花,菅原道真公を奉った社殿に歴史と価値観と文化の形成にあって背景を見い出す

2025-03-26 20:25:48 | 写真
■京都に凝縮された日本
 梅の満開の話題は次からというちょっと旬が遅れて話題を紹介しますのがこのWeblogとなっています。

 季節の京都を紹介したいという北大路機関ですけれども、一つの寺院や社殿をじっくりと紹介しますのでどうしても撮影してから記事を作成して掲載するまでは、一週間以上かかってしまうというところでして、旬を外すこともあるのですが、さて。

 YOUTUBEなどで中継している方が居るのはよくはためにしているのですが、あれはその場で中継できると云うことですから旬を外すことが無くて好いのだなあ、と思う一方、北大路機関としては写真と文章を一つの個性としたい変なこだわりがあって。

 京都を紹介したい、というのは、日本の変な部分、会議が長い背景とか、前例踏襲の背景とか、年長者の横暴という背景とか、外圧に弱い背景とか、よそ者に対する閉鎖的な背景とか、弱くなった方を叩く背景とか、逃げ足の速さの背景とか。

 歴史と価値観と文化の形成にあって京都には背景となるものが数多くあります、ですから、伽藍がでっかくてスッゲー、というような意識ではなく、この伽藍や社殿を伝え続けた歴史的背景から何かを読み取れれば、というものが主題なのですよね。

 北野天満宮の歴史というものは幾つもあるのですが、最も大きいのは菅原道真公を配流ののちに頓死させてしまったという歴史ののちに、自分の行いは後ろめたさを感じた場合に、逆に追い詰められた際に心理的な不易というものがあるという。

 清涼殿落雷事件などは、普通に考えれば落雷だ、といえるところ、ただ、清涼殿、つまり宮中に落雷があることは過去に無かったと云うし、高雄山の方角から雷雲がやってきたということで、これは重大な事案だ、と受け止められるようなっ田という。

 高雄の神護寺は京都を守る和気清麻呂の氏寺だったということで、皇室守護として崇敬されている和気清麻呂が雷雲の御所に迫るところを防がなかったと云うことで、これは祟りらしい、と更に思い詰める背景になったとされています。

 神護寺、落雷は醍醐天皇の目の前に落ちて歩いていた女官がそのまま立ち姿で黒焦げになったり、廊下を走った雷が離れた貴人たちを襲った、こういう事情があって、これこそ菅原道真の祟りに違いない、と社殿を造営した、こんな歴史なのです。

 醍醐天皇は目の前でこんな出来事があったのは相当ショックであったようで、ショックから引きこもりになってしまった三ヶ月後に崩御したという。そして落雷の死傷者の衝撃は宮城に穢れをもちこまないという習慣からも衝撃となった。

 菅原道真公を奉った社殿というのは、じつは北野天満宮造営前に洛中洛外に幾つも造営されていて、ここまで鎮撫慰霊したのだから大丈夫だろう、とおもった矢先に落雷があったのだから、ひときわ大きなこの社殿を造営したという。

 Twitter、いやいまはXという名に慣れなければならないのか、一枚二枚の写真と短歌俳句くらいの長さの文章で共感を得ている投稿が出来る方々に、ちょっとその才能が羨ましいなあ、と思いつつ、北大路機関はそのままやってゆくしかない、と。

 梅花の京都、さてそろそろ梅花の季節は終わりつつあります、それは桜の季節が到来することを意味していますが、あと十日ほどしますと見頃を迎えるのでしょうか、その話題を、多少時間はかかっても、紹介してゆきたいところなのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
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【京都幕間旅情】北野天満宮-梅花,京都夜桜生中継蕾桜並木放映するなか京都は梅の季節いよいよ大団円

2025-03-26 20:00:23 | 写真
■北野観梅紀行
 梅の季節もいよいよという頃合いです。

 京都夜桜生中継というKBS京都とBS211の番組が本日放映されていますが、なんとなく想像できると思うのですが今の京都はまだ梅の季節となっています。まったく咲いていないかと云えばしだれ桜は一輪二輪咲いているところもあるのですけれども。

 開花宣言はまだ、梅の季節が続いています。開花時期が難しいという話は前々から哨戒しているのですけれども、この北野天満宮は例年一月頃に開花していましたから、御土居の梅林などは早めに公開していたのですけれど、公開と開花は別という。

 北野天満宮の梅林一般公開は、行ってみる都度にちょっとわらってしまうのが、一般公開の終わるシーズンが張り紙の上書きでどんどん延長されていまして、そう、もう少し一般公開されているという状況ですので柔軟な対応とは云えますけれども。

 満開前に一般公開を終えてしまう梅林がある中で、この北野天満宮の柔軟さは見習って欲しい、と思うのです。これは、まあ、今夜放映している京都夜桜生中継が開花時期に合わせられないような、そんな構図とは区別してほしいものですから。

 京都夜桜生中継、KBS京都とBS211の番組ですが、この数年は外すことが多い、昨年は早すぎた開花時期と満開時期が過ぎる様子を四月初旬だったか今頃だったか放映してしまったために、生中継することには全部葉桜だっらという出来事があって。

 開花時期の早まりというのが昨年でしたから、葉桜が寂しく感じられた一方、今年のように開花前になってしまいますと、葉桜は青葉溢れる、という風景を醸してくれるのですが、開花前は桜は枝とつぼみしか無いというのは哀しいところ。

 夜梅生中継、こう番組を構成することは出来ない物だろうかなあ、梅というのは開花の時期が長いのです。この北野天満宮の写真は3月初旬に撮影したものでして近海練習航海部隊と外洋練習航海部隊が江田島基地を出航する前に撮影したもの。

 梅の季節が長いというのは、いまが26日、つまり月末と云いますか年度末ですから、丸々一ヶ月、というほどではないにしても見頃の始まりから終わりまでは三週間ほどあります、それならばテレビ生中継をかなり前から計画できるということ。

 花の季節にも梅の季節といいますのは、長いのですし、もともと貴族貴人の愉しみとしての花見は梅花の観梅からはじまったということですから、さくらの花見よりも原点回帰で愉しめるのではないか、風情があるのではないかとおもうのです。

 年度末、観梅がそれほど花見の代名詞とならないのは、開花の季節が多忙な年度末に重なるからでは無いかなあ、とは思うのですが。その昔は観梅は厳しい冬を越せたという実感とともに木々の芽吹きを祝うというものだったのですから。

 厳しい冬というのは文字通りで、中世の冬というのは穀物はじめ保存などの備蓄計画を誤ったり、黴が生えたり虫が涌くなど管理を誤った場合は簡単に命を飢餓により失う季節でしたので、これを乗り越えた観梅というのはそれなりの意味があった。

 年を越せた、こういう意味で花見を考えますと、新年度に咲くさくらというのは、厳しい年度末の多忙を乗り越えた、こういう意味があったのかもしれません。ただ、テレビ中継で年に一度の二時間番組が咲いていないと、寂しいのですよね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】北野天満宮-観梅,EOS-5DmarkⅣとEOS-7Dmark2その先の機材

2025-03-19 20:25:54 | 写真
■7DvsR7
困ったときはカメラの話題を出してお茶を濁す。

京都散歩、最近のところは撮影機材をどう進めるかが一つの課題なのですが、これぞ、という写真はしっかりした撮影を行いたい一方、塑像乱造ではないですけれども数が必要な場面では小型で小回りが利く形で撮影機材を選んでいるところで。

EOS-5DmarkⅣ、決戦装備という撮影機材はこの機種になっている一方、ミラーレスを補助用に使っているところ。補助用のミラーレスですけれど、いまはEOS-M5を使い続けている。そこで、困っているのはミラーレスをどのように進化させるか。

M-5,これはメーカーに見捨てられたEOS-Mシリーズというもので、カメラマンの方に聞きますと、結局カメラは家電なのでレンズは重要だがカメラそのものは使い捨ての間隔で使ってゆくほかない、という、けっこう厳しい話を聞いてしまいました。

EOS-R7も消耗品、という厳しいお言葉があり、結果的にカメラは大事に使うよりも、カメラの価値以上の写真を撮影できたならば、その時点で壊れてしまっても仕方ない、という。ううむ、だから自分は写真愛好家は目指すことは出来てもカメラマンには。

EOS-7Dmark2、実際のところ予備の筐体も準備しているので2030年代いっぱいはこのシリーズで頑張る覚悟なのだけれども、最終的にミラーレスに移行しなければならない、すると、どのあたりで一眼レフに踏ん切りをつけるのかが課題となります。

R-7は結構いいという話を聞く一方で、一眼レフでないと見えていないものを撮影できない、つまり肉眼でファインダーに移っているもののAFが合致していない被写体の検知能力が低いために、写真として残せないという事象にどう挑むのか。

5Dと7D、なにかこう書くと師団のようにみえてしまうのですけれど、カメラマン以外の方には、ミラーレスへの不満を吐露するとともに大事に使い続けている状況がある。ただ、メーカーとして7Dシリーズの再生産というのはどう考えても厳しい。

EOS-Mの例があるものだからEOS-Rも十年後にはどうなっているのか、具体的には中古機材としてレンズがどの程度ユーザーを獲得して、次の筐体のユーザーに繋げる循環が成り立つのかが未知数というのが、EOS-Mが切り捨てられた結果のようにみえて。

EOS-90Dをcompact機種の代替に使えないか、こうも考えるのですが。結局APS-Cの最終型にCANONが位置付けたものの発売から未だmark2が発表されないために、維持生産の構図になっている印象があるのですが、これを補助用に使えないか、と。

EOSシリーズとしてEOS-90Dは、SDカードを使うちょっと格下の機種として考えていたのだけれど、相応に小型で、EF-Sレンズシリーズをそのまま使えるという、予備機種にはそれなりの機能を発揮できるのですから、これも一応選択肢に含めるべきか。

90Dにしてもなににしても、一方で痛感するのは、品薄、カメラが全国的に品薄だなあ、という家電量販店で眺めた際の素朴な印象です。品薄というのは結局、市場価格の高騰を生むということでして、するとまたしても機材を大事にしなければならない。

R7を消耗品に使うという発想、成程そういう考えを仕事人には冷徹にしなければならないのかもしれないと思いつつ、いまもまた、革のケースに収めたM-5やカメラバッグの7Dを撫でて大事にしようと考え、撮影計画を立ててゆくのですよね。

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【京都幕間旅情】北野天満宮-観梅,ことしの冬は長くまだまだ梅林には満開の兆しも遠い

2025-03-19 20:00:08 | 写真
■北野観梅
寒さまだまだという今日この頃ですが。

今年は梅の季節が襲い、さくらの季節はおそらくもっと遅いのではないかと思う。梅花満開を期待して探訪される方々にはちょっと残念な話だけれども、先週に北野天満宮を梅花観梅に参拝しましたところ、なんと梅林がまだほとんど咲いていなかったという。

大坂城付近なんかは凄い観梅の季節、というのは一緒の大阪の方のお話でして、それならばいっそのこと阪急電車に飛び乗って大阪あたりに繰り出そうかと思ったところだけれども、週末は近海練習航海部隊外洋練習航海部隊の出航がありなくなく断念しまして。

上京区御前通今出川上ル馬喰町、ここ北野天満宮は京都市中京区の、白梅町とよばれる一角にありまして、今出川通の上京警察署という古いけれども風格ある警察署の向かい側に大鳥居を広げていて、ここから楼門までの参道に隣接して梅林が広がる立地です。

今出川通まで、最盛期には梅の香りが広がって来るほどの梅林が広がりまして、これは紙屋川に沿っても梅林が、御土居という豊臣秀吉が造営しました京都防衛のための土塁の遺構に沿っても梅林が広がる故、みやびな雰囲気がかおりの面でひろめています。

ただ、本当に今年は遅かった、それは毎年梅林が満開の頃には散ってしまっている紅梅、本殿前の勾配が咲き誇っていました半面、肝心の梅林の方がまだまだとなっていて、梅林一般公開も三月中旬までの予定であったものが延長されたほどにですから。

耐震補強、神社としましてもこれほど梅花の季節が冬の長引きにより延長すると思わなかったのでしょうか、もう梅花の観梅はおわっているだろうと、楼門の耐震補強工事を始めてしまっていまして、そう、これぞ神のみぞ知るということなのかもしれません。

菅原道真公、北野天満宮は菅原道真公を祀る社殿となっています、その神紋は星梅鉢紋となっていて、道真公が観梅をこよなく愛した事から広がっている情景といえる。もっとも、さいていてほしかったというところなのでけれどもね。

さくらのきせつがもう迫っているところだけれども、梅花の季節は桜に比べると咲いている期間が長いように思う、だから楽しめる期間が長いという特性があるにしても、ゆっくり咲き続ける今年のこの季節は、ちょっとなあ、と思うのです。

火雷神を祀る摂社の火之御子社、天神地祇を祀る摂社の地主社、社殿は元々ありました神社を意識して参道が曲がっているという不思議な配置となっていて、楼門でこうべをたれて、そののちに梅林が一般公開されている券売所の隣を本殿へ向かう。

梅林拝観に際しまして、まだ咲いていませんが宜しいでしょうか、という確認があるほどで、そうか今年は冬が長いのだ、と改めて認識させられるのですね。いや実際、梅林拝観のほかの寺社などは、さいていない関係では移管料を値引きしたところさえある。

観梅に梅林を拝観しますと、梅茶と和菓子を頂けまして、これ、同じようなお菓子を持ち帰っていただいてもそれほど美味しくはないのですが、梅花を目の前に頂くと妙に美味しく感じることがありまして、それを楽しみにしていただけに、まだまだ、と残念に。

本殿前の購買を眺められただけでも良かったというところか、そして梅林以外を巡ってみますと案外咲いている部分がありますので、梅林と御土居を今度のお楽しみとしましたうえで参拝の順路としましたならば、それはそれで、と思えるのかもしれない。

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【京都幕間旅情】鹿苑寺(金閣寺),世界恐慌の懸念と顕在化する第三次世界大戦への拡大懸念とともに

2025-03-12 20:25:32 | 写真
■平和に金閣寺
 報道を見ていますと世界恐慌の懸念が顕在化しているように見えてきて。

 平和に金閣寺こと鹿苑寺を拝観しているのですが、実際問題、この平和はいつまで維持できるのかなあ、というところです。安倍総理暗殺事件の時点で、第三次大戦の危機が起こったら、と書きましたが。

 トランプ関税により、トランプ大統領就任式に出席した億万長者が現時点で失った資産総額は31兆円、という規模に登るというブルームバーグの報道があった、とお友達からお教え頂きまして。

 トランプ恐慌が来るのではないか、イーロンマスク氏が失った資産規模は1480億ドルとも報道されていますので、間違いなくアメリカはリセッションに入りつつある、世界恐慌の可能性さえも。

 台湾海峡とウクライナ、おそらく問題はこの導火線が世界規模の分断に繋がる、第三次世界大戦へ分断される懸念が出ている、世界における国際公序の牽引者が役を降りようとしているのだから。

 ウクライナについては、現状で停戦を行うことは、国連PKO部隊がスエズ危機のさいのように介入して兵力引き離しを行わない限り、2014年のクリミア併合後繰り返されている状況となるでしょう。

 クリミア併合、ドンバス戦争、なんども停戦の合意が各国の出席する席上で締結されているものの、ロシア軍は、ウクライナ陰謀論を立ち上げて自衛を名目に国際法上の正当性がない侵略を繰り返した。

 プーチン大統領は約束を守る、こうトランプ大統領が真剣に考えているとするならば、現在、世界は国家間の信頼と強調による平和維持の原点が破綻し、軍事力と同盟が戦争を防ぐ状態となっている。

 話し合うだけで戦争を終わらせることが出来る、トランプ大統領の視点は日本の進歩的文化人の一部と並んで、国家間の協調と信頼を信じているという意味で世界で最も平和的な大統領なのかもしれないが。

 手段としての平和を目的として、結果としての平和を必ずしももとめない。日本国憲法の精神を信じて国家の運命を託そうとしているのは日本国民だけかと思いましたが、アメリカもそうなりつつある。

 結果としての平和にこだわらなければ、宥和主義、譲りすぎたことが第二次世界大戦、船倉以外の選択肢が無い状況となってしまった、この歴史を繰り返すこととなるのだろうと思うのですが。

 人間が耐えられる限界を超えた戦争、懸念するのは核兵器を核兵器国が保有し、核保有国が増えるなかにあって、地域紛争や限定戦争ではなく全面戦争が起きるならば、限界を超える戦争が怒る可能性も。

 鹿苑寺を眺めて平和な気分を満喫できているのですが、実際のところ、トランプ大統領に大きな影響を与えられた安倍元総理が暗殺されたいま、耐えられない戦争の現実化を、認識すべきなのでしょう。

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【京都幕間旅情】鹿苑寺(金閣寺),京都に未だ満開へ咲かない梅花の三月を眺めつつ

2025-03-12 20:00:00 | 写真
■未だ季節は冬?
 梅がなかなか咲きません。

 今年は梅花の開花が久しぶりのほどの遅れと云うところでして、実際問題雪景色というものをみましても驚かれるでしょうけれども、金閣寺こと鹿苑寺の話題を起点に、ちょっと驚いた梅花の話題などを。

 鹿苑寺ちかくの北野天満宮、紅梅は咲いていますので参拝の際に本殿の周りには一応梅の香りは漂っていますし、参道の鳥居のあたりにも梅の香りは漂っているのですが、梅園の方は残念ながら。

 北野天満宮の御土居周辺は梅林となっていて、すこし地形が奥まっていることもありますので太陽の光が当たりにくい角度があるのですが、それにしてほ三分咲き、一分咲きというのがめだちます。

 梅園についても、あきらかに三分咲きがせいぜいとなっていて、この冬の厳しさといいますか、春がまだやってきていないのだなあ、そのきせつかんに戸実感してしまうところなのですけれども。

 桜前線は例年よりも早い地域がある、という気象庁の開花予報をNHKなどが報じているところを見ますと、気候変動、という印象を受けてしまうんですけれども、梅の開花状況を見ていますと現実は違う。

 京都のさくら開花時期というと、昨年だともう三月中旬は開花を迎えていたところのように思えるのですが、今年は梅花がまだですので、四月初旬からようやく咲く始めるというかたちになるのか。

 おむろ桜の開花時期は五月というところまではいかないだろうけれども四月後半似なるのだろうなあ、と思うのです。むろん、気温が急上昇して一気に開花することもあるのかもしれないけれども。

 さくらにまつわる祭事、ただ、これが暦の上の気候なのだろうと考えると、たとえば平野神社のひらの祭はもしかすると、今年は祭事の時期に開花して満開、ということはあるのかもしれません。

 梅園をもつ寺院や神社は、この気象をやはり想定外としているようで、北野天満宮の梅園は二月から三月中旬までの一般公開の予定であったのが、まだ咲いていない故に、公開期間を延期している。

 値引き、おどろいたのは梅園の一部が拝観料を値引きして500円が300円になっているところもあったりしまして、それは実際問題として開花していなかったため、というところがあります。

 祭事、梅花にかんするイベントなども、もう終わっているところがあったのですが、現状がダメなほど咲いていませんので、イベントはもう、開花していない花見、という感じだったのかもしれません。

 暦の上では、これが普通、つまり卒業式などがおこなわれる季節に梅花が香りを漂わせると云うことが日本の文化でしたから、普通なのかもしれませんが、なにか不思議に思えるのですよね。

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【京都幕間旅情】鹿苑寺,金閣寺-吹雪くのは鞍馬から比叡か高雄と愛宕から衣笠へか

2025-03-05 20:25:39 | 写真
■雪景色を求めて
 冬らしい情景と云えば雪景色と雪化粧というものでしょう。

 雪景色とともにこのまま涼しい日々が続くのかと思えば、どうせ真夏には逃げ出したいほどの暑さになるのだろうと思うのです。しかし不思議なことにこの冬といいますか、三月になりましても寒さが続くのはこの数年にないところですので。

 熱くても異常気象で寒くとも異常気象、確かにそうなのですけれども、この数年間ですと梅の開花が二月初旬というか一月には梅花開花という頃合いでして二月下旬にはもう散ってしまった頃合いでした、実際には今年にはまだ梅はさきはじめ。

 四月に桜の花々が満開となります季節が戻って来るのか、考えれば昨年までは四月にはもう葉桜で、桜花を季節の祭事としました古来の伝統は、先念には四月にいまさらなにをやっているのかと、これこそ気候変動というものか、と考えさせられた。

 季節がもとどおりといいますか、冬には雪が降るものだ、という季節が戻ってきたようなのだけれども、そこが難しいのは京都の塩梅というところでして、京都は雪が降ろうとも一時間一時間半二時間であっというまに溶け去ってしまうというもの。

 吹雪と金閣寺、ちょっといい情景を撮影したいところですが、京都らしい情景というものを探しますと吹雪く様子、そして京都の地形というものが関係してきます、鹿苑寺は高台に在るのですが、北大路通の先、東山のほうに吹雪く様子が靄のようにみえたり。

 白雪が靄のように遠くに見える様子は、そのあたりだけ吹雪いているのだけれども、この撮影している側には太陽に光をもらって続々と雪化粧がほどけてゆく様子というものもみえたりしますから、雪景色を撮影するというのは中々簡単ではありません。

 旭日とともに撮影へいけばこういうこともないのかもしれませんが、雪景色というか薄っすらとした雪化粧が、緑に戻ってゆく情景などをみていますと、それはもう刻一刻というところでしょうか、西山などその様子が変わってゆくのを顕著に見えるもので。

 西山は嵐山のあたりは吹雪いているなあとみえて、桂のあたりには雪化粧が見えていても、天王山のあたりにはもう雪化粧が無く、その先には雪の気配ないという、横幅にして7kmほどの間に季節が全て山容にしめされているという様子が見えたりします。

 衣笠山に吹雪の気配が見えてきましても、鹿苑寺のあたりまで雪が下りてくるまでに時間がかかりまして、風向きなのでしょうが、そのまま雪けしきを撮影できずにそのまま景色の見通しがよくなってきますと、次の雪雲をまとう、ということになる。

 比叡山あたりに鞍馬山から雪が幕をはるように吹雪いている様子をみていますと、ここから比叡山までは12kmほどか、ちょっと雪の風向きが悪いなあ、となります。ただ、こればかりは待つほかありません、待っていて吹雪く保証はないけれども。

 舎利殿に吹雪が舞い込む瞬間はそういうところで、太陽は雲に隠れていると純粋に寒さばかりを感じるのだけれども、そんな最中に風通しの良いところでふるえながら待っていて、初めて見られたりするのですね。暖かい珈琲がほしくなりますが、がまん。

 真夏はあつくなるのだろう、けれども二月が寒い、という本来の季節、三月もまだ寒いという季節の暦通りの風景が広がっています。春待ち、こういう言葉はあるのだけれども、今少し、冬を愉しみたい、梅花と寒さを分かち合いたいものですね。

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【京都幕間旅情】鹿苑寺,金閣寺にみる北山文化と東山文化の対比と諦めないが妥協する文化

2025-03-05 20:00:45 | 写真
■800年の風景
 ゆきげしきをさがして。

 鹿苑寺と慈照寺は外せない、京都観光においてこういわれる事は多いのだけれども、混雑しているだけなので外せばいいのではないかな、と思ったりするのだ。それは御久遠寺などは観光寺で、静けさを重んじる禅寺からは一番遠い場所に在るのだから。

 金閣寺、鹿苑寺の金閣こと舎利殿はこのように多くの観光客の注目を来場を集めるのだけれども、しかし、京都を代表する風景であることもまた確かなのだなあ、と思うのです。すると、雪が降るという予報を聞きますと、ちょっといってみようかな、なんて。

 臨済宗相国寺派の寺院、このお寺は烏丸今出川の相国寺さんの塔頭ということもありまして、まあたしかに舎利殿こと金閣は目立つのですが、落ち着いてこの寺院の伽藍を思い出してそのあとで相国寺を見上げますと、鹿苑寺には大きな伽藍はありません。

 北区金閣寺町には、そういう意味で不思議な寺院がひろがっているのです。面白いことに当地は藤原家の西園寺家が治めていた所領だったのですが、西園寺公宗が後醍醐天皇暗殺を企てたかどで処刑されると当地は没収される事となりまして。

 西園寺という寺院が西園寺家の寺として維持されていたのですが、西園寺家の没らくとともに手入れされない状況となってゆき、此処を足利将軍家が所領として別荘を造営したことで北山山荘が造営、栄華きわめた北山文化が花開くのですね。

 北山文化、しかし興味深いのは遥か時を隔てて西園寺公望が西園寺家当主であった百余年前のはなしではあるのですが、私塾立命館を開学、当時の学舎は広小路という御所近くにあったのですけれども、その立命館が大学となりキャンパスを広げたのもこのあたり。

 西園寺、そのお寺を藤原公経が開いたのが元仁元年こと西暦1225年のことでして、ことしは2025年ということですから、なるほど鹿苑寺のもととなった寺院は今年その開山からちょうど800年なのか、ということに驚かされたりするのですけれども。

 800年の風景、北山文化の残り香というところでしょうか、京都というものは日本のいろいろなものを凝縮しているような、また、いいところも悪いところもその始まりを見出すことができるという意味で感慨深いところ、それは歩み進めるほどに思う。

 東山文化、室町時代の日本文化は面白いことに華やかな北山文化の後、応仁の乱最中に慈照寺が室町第八代将軍足利義政により開かれる事で、詫び寂を基調とした東山文化が花開きます。詫び寂、郷愁を感じるとともに同かんを感じるのは今の時代ゆえか。

 詫び寂の原点は、室町幕府の衰退を背景に落ち込んだ権力基盤の空白が応仁の乱を引き起こしたものの、将軍権力には戦乱をちんせい化するだけの実権が残されておらず、結果的に戦乱は京都の文化財ほぼすべてを焼き尽くし、諸国へも甚大な影響を及ぼした。

 応仁の乱を背景に停滞した中でも、詫び寂、以外に選択肢が亡くなったのちにも新しい文化を造営するという気概と、諦めないが妥協する、こういう日本の平成中期から現代にいたる価値観の背景に、北山文化と東山文化の対比が成り立つのかな、とおもったり。

 諦めないが妥協する、文化を継承していればまた花咲くときが来るゆえに我慢というものを強いることになったのも、これは日本の悪弊であるとも思うのですけれども、そのはじまりはやはり京都に見出せるのかなあ、そんなことを考えるのですね。

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【京都幕間旅情】宝泉院,雪景色とともに御抹茶と和菓子が供せられ湯気さえその静けさに透きとおる

2025-02-26 20:25:00 | 写真
■宝泉院
雪景色の庭園拝観のたのしみ。

宝泉院、雪景色を求めて探訪しました。そして大原は静かなものです。静けさ、考えてみると大原には民宿も色々ありますので、いっそ逗留してみたいとも思ったりするのですが、なかなか。しかし、この不思議な風情は愉しいのかもしれません。

吹雪、そう、この少し前までは吹雪いていましたが、京都の雪景色というのは足早なのですね。それは朝確かに積もっていたが諸事を済ませてさて散策へと気分高めますと、いやいや昂ぶった気分はしかし、情熱以上に気温という熱にほだされてどんどん解け。

比叡山などをみますとその解け往く様子は目の当たりになりまして、東山あたりから西山を見ますと、そう、高雄は雪景色ですが嵐山は雪化粧、そして吉峰のあたりはもう雪は無く、天王山あたりは緑あふれるという雪解けの過程を一望できるほど。

福井の小浜や岐阜の高山、茨城の大洗に静岡の須走、逗留してみますといいなあ、という場所はあるのですが、観光過多とともに物価高騰の流れは次第に地方都市にも浸透してきていますので、こういうものを免れるには精神的な時の移ろいを愉しむしか。

観音崎、横須賀なんかで逗留して時間を過ごしていますと、物価高騰の関係のない、組み立て式安楽椅子に身を任せて文庫本などを片手に行き来する艦船を借景として過ごしますと、こういう休日の過ごし方も好いなあ、と思ったりするのですね。

高山なんかは完全に観光地になっていますので、そうかCOVID-19のときにこういう場所でもう少し過ごすべきだったのかという愚痴を言いますと、台湾海峡有事を待つんだな、と急にお店で現実、リアリズムを突き付けられて驚いたりしましたが。

盤桓園の庭園拝観では、御抹茶と和菓子が供せられまして、これは拝観料のなかに含まれているのですが、型通りではありますが先ず、その器というものを、しかしこの季節ですと変わりゆく湯気さえもなにか芸術的な余韻を残すのですが眺めまして。

御抹茶を、ずずいと頂くとともにやはりというか、抹茶の奥深い苦味に和菓子の一片がよくよく考えられた調和というものを奏でてくれまして、ふうと吐く息も白息となりまして虚空の借景の中に溶け込んで行くという。こういう時間の過ごし方が愉しい。

五葉の松、実に樹齢700年といいますので室町時代から当院を見られて逆に見続けている銘木に、雪の季節では雪化粧するものです。拝観者が少ないという事は、読書も含めて自由な時間を過ごしても憚られない風情、いや空気というべきか、満ちている。

盤桓園、もう少し早く来ていればふぶく様子を動く情景のように眺めることができるのだろうか。いや吹雪の最中にはここまで歩いてくるというのはどういう景色の中を歩くのだろうか、と色々考えたりもするのですけれども。

実光院とともに大原寺勝林院の塔頭の一つとなっています当院、この一角は三千院は有名なのだけれども、落ち着いて考えれば梶井門跡が当地に遷ってきたのは割と最近ですので、大原といえばこの一帯、声明の里というのは本来なのですよね。

大原は平安朝末期から隠れ里のような風情を保っていた、宝泉院はそういった情景に在りまして、盆地のような地形ではあるのですけれども、静けさという余韻がたまるような盆地には、雪の日こそ静けさが増して湛えているようにも、思えるのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】宝泉院,雪深い大原は声明の里に盤桓園の冬風景と静寂を求めて

2025-02-26 20:00:07 | 写真
■大原探訪
 京都はまた三連休に雪景色となりました。

 宝泉院、雪が降りましたならば、どこかの庭園でゆっくりと時間を過ごしたい、こう考えていましたけれども、京都の雪は足早です。すると、ゆっくり過ごすためには、北に向かう他ない、昔は北大路通が京都の北辺だったそうですけれども。

 左京区大原勝林院町、大原のバス停からあるくこと15分ほどでしょうか、ここには宝泉院という庵があります。連休に訪れた大寒波、今期最強、という寒波の次に来ました寒波にマスコミなどは今季最長、と急遽名を改めたものですが京都では。

 大原にやってきたのは、京都に在って古都らしさを湛えている一画であるとともに、北辺は鞍馬や比叡はじめ多くの峰々に遮られる事で寒さを籠めていまして、住むには寒いだろうなあと思うのですけれど、その寒さは雪景色をやはり湛えています。

 慈覚大師円仁が当地に承和2年こと835年、声明の聖地としまして開きました勝林院を開いたといいますが、宝泉院はその塔頭寺院としまして嘉禎年間に造営されたという。なお、嘉禎年間は西暦では1235年から1238年までの期間を示していますが。

 宗快法印、宝泉院を開きましたのは鎌倉時代に声明目録を著すなど声明というものを体系づけることとなりました宗快法印という僧侶によるもので、了性坊、という名の庵として造営されたところを安土桃山時代に幸淵という僧侶が改めた、という。

 声明、しょうみょうとよみます、せいめいではない。これは唐朝にあって仏典の読経に独特の旋律をつけて唱えるもので、いわば音楽という。音律という言葉がありますが、宝泉院には律川という小川がながれていまして、ここに日本における音の基点が。

 石盤という宝泉院声音の起源というべき石が、これは明治時代のものということだそうですが、サヌカイト鉱石による音源の石盤が置かれている事でもしられまして、しかし、庭園というものを眺めて楽しむには音よりも静けさというもののほうが好ましい。

 額縁の庭園、こう呼ばれている書院は、時間をゆったり過ごすのに気持ちが一新します。ここ、目の前に桜も植えられていますし、春の開花の季節は勿論、紅葉の季節にも借景を含めて素晴らしいものが在るのですが、興味深いのはこの大原のおくぶかさ。

 宝泉院、有名な三千院よりも奥深いところにありますので、雪は降るこの季節にはどうしても行き来が難しくなるところなのだけれども、その過疎さが、オーバーツーリズムの悪弊から大原の地を護っているように見える、鞍馬や貴船よりも護られていて。

 盤桓園、鶴亀庭園、宝楽園という庭園が並ぶ様子がおもはゆい。盤桓園は、ばんかんえん、と読むのですが。なにしろ拝観者が少ないものですから、すうっと抜ける冷気は、毛氈と畳が仄かな温かさに凛とした冷気だけを湛えて、なにより静けさを満喫したい。

 音の寺院というべき宝泉院は、しかし先ず音律の前に白紙の無音というものを考えて当地に造営されたというべきなのだどうか。魅入って庭園に思想と瞑想の愉しみという過ごし方もいいのですが、わたしの場合はその先にいろいろな理論や物語を組みつつ。

 盤桓園は、立ち去りがたい、という意味を有しているとも。そしてなにより雪景色だ。雪というものは何気ない風景でも印象を一新させ、しかし一瞬で溶けて去ってしまいますので、なにかこう、桜花の満開のような、そんな風情をもっているようおもうのだ。

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