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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】随心院,観梅と観桜の違いは大の大人が路上呑みで羽目を外せるか否か

2025-04-04 07:00:29 | 写真
■観梅と観桜の違い
徹夜仕事のデータが飛んで昨夜1903時以降なにもしなかったことになって凹んでいるさなかの話題だ。

梅花、さくらよりも軽視される背景として、そして、年度末以前に開花時期を迎えるという関係上でしょうか、梅花の花見は数多いのですが、うるさいオッサンオバハンがたが大挙して集まって延々酒を飲めや歌えの大宴会、そんな情景はさくらだけという。

大宴会は、不思議と梅花ではみないのですよね、実際問題、梅の木が公園などに植えられているところで、ドコドコ社花見、とブルーシートで花見の場所取りをやっているところなどは見かけないもので、まあ、これも観梅が静か宮部と思わせるゆえんか。

年度末のデスマーチとも称される厳しい状況でそんなきちょうな人材を花見の場所取りに使えない、という事情もあるのでしょうけれども、静かな梅花を見上げて、ここで花見の宴という印象の外、蚊帳の外に置かれている概況を見ますと寂しく感じるもの。

梅花はかおりだ、とはいわれるところで、そして興味深いのは梅花は咲いているときもかおりはすごいですが、結実しているときのほうが香りが凄いものですので、予定を早め憎んで、咲いてしまった、という後でも花見が成り立つような気もするのですよね。

他方、日本の花見ははなを見ていないのではないかと揶揄されるところで、羽目を外せるところが魅力なのだろうか。実際、路上で座って宴会するのはコロナ時代の緊急事態宣言発令中くらいの国にあって、無礼講というわけではないけれども、この点は。

大の大人が地べたに座って路上のみをできる貴重な機会が花見、ということなのかもしれませんけれども。花見、前述のソメイヨシノの寿命という問題を考えますと、今後やはり限られた桜並木でさらに人口密度が高まってゆくのでしょうか。考えてしまうのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
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【京都幕間旅情】随心院,梅花拝観と共に、例外状態とか無責任状態とか、大阪関西万博と大阪万博の比較

2025-04-03 20:25:42 | 写真
■永遠に咲き続ける桜の木
 桜並木がばっさりやられているところを見かけまして昨今おもうことが。

 花見について、こちらのほかには、堤防に梅並木というところをさがしますと、一応植えてある場所にはみあたるのですけれども、さくら並木ほど一般的ではない。一方で、桜はソメイヨシノの寿命が60年ほどというところで、終戦後植えた木々はそろそろ。

 永遠に咲き続ける桜の木、というゲームとアニメーションが20年ほど前にありましたが、現実は真逆、気づけば桜並木を一連ごとぶったぎられて空襲か艦砲でもあったのか、と危惧するとこともあります。誰が植えて誰が管理するのか、こういう問題はあるけれど。

 真言宗の門跡寺院であるのですが、現存する建物も総門は宝暦3年こと西暦1753年に二条家より移築したという歴史あるもの、本堂 は江戸以前の慶長4年こと1599年に再建されたという歴史あるものとなっています、故に普請中の時も多いのですけれど。

 表書院も寛永年間の1624年から1631年という時代に再建されたもので、庫裡は宝暦3年こと西暦1753年に二条家より移築されたもともとは同家の政所御殿となっていたところ、薬医門 はやはり寛永年間の造営となっていて、この一角の梅林は安泰といえて。

 大阪万博、今の時代にいろいろありまして1970年大阪万博の関連資料を調べる機会がありまして、それは2020年に東京五輪、1964年東京五輪を調べた際の延長線上のような調べごとではあったのですが、いまの万博と重なる点が桜並木にもある。

 終戦後の桜並木整備は、おそらく、管理者等を所掌という視点から並木を考えるのではなく、関連法令や条例が無かった時代に個人で植えたものやかなり曖昧なできちゃった桜並木があった、これはアガンベンのいう“例外状態”のような最中で成立したのだ、と。

 例外状態、要するに基本的な法機能が何らかの混乱により無政府状態ではないが正常に機能しない最中で決定を必ずしも平時の法手続きではないが有事法制も機能しない欠缺の分野において物事が決定される、これ本来は憲法制定権力などを考える理念ですが。

 桜並木の考えにアガンベンを持ってくるのも自分でもどうかしているとおもうのですが、逆にそういった手続きで生まれた桜並木が樹木の寿命を迎えた場合に、更新する、再生する、新しい桜並木を生む基盤がないゆえ、消えてゆく桜並木があるのだ、と。

 大阪万博と大阪関西万博を比較しますと、フィクサーという存在ではないでしょうが、大きな国家的行事を国家が主体ではなく責任を分散する委員会のような存在で討議し進めようとすることで、重要な決定の責任の所在が分からなくなるという状態に。

 無責任状態という丸山眞男理論を出せば早いのかもしれませんが、いまは例外状態ではなくがちがちの法整備がある時代ですので、思い切った決断ができず、平時の手続きでは難しい決定を平時の手順で行う故の隔靴掻痒が起きているのだろうなあ、と思う。

 寺院の梅林を見ますと、そういった意味ではここは、独自の正統性と正当性に依拠して梅林を維持しているのだから、と考えるのですね。無論、城址公園はじめ公園という位置づけであれば桜並木は維持されてまた予算が附けば、更新されるのでしょうが。

 梅花拝観と共に、例外状態とか無責任状態とか、大阪関西万博と大阪万博の比較まで行ってしまいましたが、逆に公開期間が終わった故に満開でも開放しない梅園をみて、教条主義でがちがちの時代を生きているのだ、こう実感もしてしまうのですよね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】随心院,香りつたえる梅の季節はこの寺院という印象がある

2025-04-03 20:00:00 | 写真
■梅の季節は随心院
 さくらの季節がやってきましたが。

 随心院、梅の季節はこの寺院という印象があるのだ、ここは山科区小野御霊町、地下鉄東西線の小野駅から五分、というのだけれども慣れない人は遠く感じるという、恐らくそれは坂道であるのと、どこまで登ればいいのかわからない静かな一角にある故とおもう。

 小野という一画、小野氏の根拠地となっていたといい、小野小町と小野妹子、この二人が有名な氏族なのかもしれませんが、ここ随心院も小野小町の文塚があることで有名で、北大路機関程没原稿を量産するところも少ないでしょうから定期的に拝観しています。

 仁海さんという、10世紀半ばから11世紀半ばに活躍したが僧侶が創建しました寺院でして、歴史はと言えば概ね千年ほどの時を経た寺院、具体的には牛皮山曼荼羅寺という寺院の塔頭として始まった歴史があります、そしてこの寺院は梅、前述のとおり。

 梅林、今年はほんとうに満開まで時間がかかりましたので、桜並木と梅林が部分的に重なる情景を見るところがあり、昔は梅花から桜花へ流れるように花見の季節が移っていたのになあ、と考えたりするものの、さくねんはいまごろは既に桜が散り始めていたか。

 花の季節の桜と梅、この移ろいというものを愉しむ考え方自体が古い考え扱いになるのかと考えたりもします。小野の梅林、有名な風景ではあるのですが、昨年はもう一月下旬から梅花の開花が始まっていまして、速いと感じていたけれど、今年は遅いなあ。

 梅園が開放された頃には既に満開を過ぎようとしていたことを思い出しますが、今年は真逆に、どうするのこれ的なまったく咲いていない情景が広がっているばかりで、一般開放はこの期間だからと教条的な開放期間を有料開放して、咲く前に開けていて。

 梅花のいよいよ満開を迎えようとする季節には梅林の一般公開を延長せずさっさと閉めるところも多くありまして、それはちょっとなあ、と思ったり。そうしましたうえで、不思議なものですが桜並木を誇る堤防屋公園というものは数多いのだけれども。

 雨僧正、仁海さんさんはこう呼ばれていまして、干ばつの時に朝廷より招かれ、神泉苑にて雨乞の祈祷を9回も成功させたという、この偉業を以て当地を朝廷より下賜されたという歴史もあります。雨即ち梅雨ということで梅、という訳では無いでしょうけれど。

 順徳天皇、後堀河天皇、四条天皇の祈願所となっていた、だから高貴な方々の花見の為の梅林、という事ではないのでしょうけれども。しかしなぜ梅なのか、もう少し聞いてみたいのです、なにしろ梅林は花見のほか、悲田院という歴史も京都ではありますゆえ。

 悲田院というのは貧窮院のような日本のセイフティネットで、特に梅の実は薬になると薬効作用が長年珍重されていたもので、その為に植林された場所が多い、もっとも、明治維新後には廃仏毀釈のあおりを受けて梅林を打って凌いだり寺が無くなったり。

 隨心院史略によれば、最盛期には伽藍が今の相国寺あたりまで塔頭を広げ、山城国、播磨国、紀伊国に寺領を有したということですが、応仁の乱の勃発が、相国寺のすぐ北で始まると短期間で全部失い、その後点々としますが廃寺だけは免れまして今に至る。

 慶長4年こと西暦1599年、二十四世増孝の時代に当院は戻ってきまして、江戸時代には門跡であった堯厳さんが諸事情から還俗することとなりまして、九条尚実となり、関白、そして太政大臣の任に附くなど歴史にふと姿を示す、そんな寺院なのですね。

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【京都幕間旅情】北野天満宮-梅花,菅原道真公を奉った社殿に歴史と価値観と文化の形成にあって背景を見い出す

2025-03-26 20:25:48 | 写真
■京都に凝縮された日本
 梅の満開の話題は次からというちょっと旬が遅れて話題を紹介しますのがこのWeblogとなっています。

 季節の京都を紹介したいという北大路機関ですけれども、一つの寺院や社殿をじっくりと紹介しますのでどうしても撮影してから記事を作成して掲載するまでは、一週間以上かかってしまうというところでして、旬を外すこともあるのですが、さて。

 YOUTUBEなどで中継している方が居るのはよくはためにしているのですが、あれはその場で中継できると云うことですから旬を外すことが無くて好いのだなあ、と思う一方、北大路機関としては写真と文章を一つの個性としたい変なこだわりがあって。

 京都を紹介したい、というのは、日本の変な部分、会議が長い背景とか、前例踏襲の背景とか、年長者の横暴という背景とか、外圧に弱い背景とか、よそ者に対する閉鎖的な背景とか、弱くなった方を叩く背景とか、逃げ足の速さの背景とか。

 歴史と価値観と文化の形成にあって京都には背景となるものが数多くあります、ですから、伽藍がでっかくてスッゲー、というような意識ではなく、この伽藍や社殿を伝え続けた歴史的背景から何かを読み取れれば、というものが主題なのですよね。

 北野天満宮の歴史というものは幾つもあるのですが、最も大きいのは菅原道真公を配流ののちに頓死させてしまったという歴史ののちに、自分の行いは後ろめたさを感じた場合に、逆に追い詰められた際に心理的な不易というものがあるという。

 清涼殿落雷事件などは、普通に考えれば落雷だ、といえるところ、ただ、清涼殿、つまり宮中に落雷があることは過去に無かったと云うし、高雄山の方角から雷雲がやってきたということで、これは重大な事案だ、と受け止められるようなっ田という。

 高雄の神護寺は京都を守る和気清麻呂の氏寺だったということで、皇室守護として崇敬されている和気清麻呂が雷雲の御所に迫るところを防がなかったと云うことで、これは祟りらしい、と更に思い詰める背景になったとされています。

 神護寺、落雷は醍醐天皇の目の前に落ちて歩いていた女官がそのまま立ち姿で黒焦げになったり、廊下を走った雷が離れた貴人たちを襲った、こういう事情があって、これこそ菅原道真の祟りに違いない、と社殿を造営した、こんな歴史なのです。

 醍醐天皇は目の前でこんな出来事があったのは相当ショックであったようで、ショックから引きこもりになってしまった三ヶ月後に崩御したという。そして落雷の死傷者の衝撃は宮城に穢れをもちこまないという習慣からも衝撃となった。

 菅原道真公を奉った社殿というのは、じつは北野天満宮造営前に洛中洛外に幾つも造営されていて、ここまで鎮撫慰霊したのだから大丈夫だろう、とおもった矢先に落雷があったのだから、ひときわ大きなこの社殿を造営したという。

 Twitter、いやいまはXという名に慣れなければならないのか、一枚二枚の写真と短歌俳句くらいの長さの文章で共感を得ている投稿が出来る方々に、ちょっとその才能が羨ましいなあ、と思いつつ、北大路機関はそのままやってゆくしかない、と。

 梅花の京都、さてそろそろ梅花の季節は終わりつつあります、それは桜の季節が到来することを意味していますが、あと十日ほどしますと見頃を迎えるのでしょうか、その話題を、多少時間はかかっても、紹介してゆきたいところなのですね。

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【京都幕間旅情】北野天満宮-梅花,京都夜桜生中継蕾桜並木放映するなか京都は梅の季節いよいよ大団円

2025-03-26 20:00:23 | 写真
■北野観梅紀行
 梅の季節もいよいよという頃合いです。

 京都夜桜生中継というKBS京都とBS211の番組が本日放映されていますが、なんとなく想像できると思うのですが今の京都はまだ梅の季節となっています。まったく咲いていないかと云えばしだれ桜は一輪二輪咲いているところもあるのですけれども。

 開花宣言はまだ、梅の季節が続いています。開花時期が難しいという話は前々から哨戒しているのですけれども、この北野天満宮は例年一月頃に開花していましたから、御土居の梅林などは早めに公開していたのですけれど、公開と開花は別という。

 北野天満宮の梅林一般公開は、行ってみる都度にちょっとわらってしまうのが、一般公開の終わるシーズンが張り紙の上書きでどんどん延長されていまして、そう、もう少し一般公開されているという状況ですので柔軟な対応とは云えますけれども。

 満開前に一般公開を終えてしまう梅林がある中で、この北野天満宮の柔軟さは見習って欲しい、と思うのです。これは、まあ、今夜放映している京都夜桜生中継が開花時期に合わせられないような、そんな構図とは区別してほしいものですから。

 京都夜桜生中継、KBS京都とBS211の番組ですが、この数年は外すことが多い、昨年は早すぎた開花時期と満開時期が過ぎる様子を四月初旬だったか今頃だったか放映してしまったために、生中継することには全部葉桜だっらという出来事があって。

 開花時期の早まりというのが昨年でしたから、葉桜が寂しく感じられた一方、今年のように開花前になってしまいますと、葉桜は青葉溢れる、という風景を醸してくれるのですが、開花前は桜は枝とつぼみしか無いというのは哀しいところ。

 夜梅生中継、こう番組を構成することは出来ない物だろうかなあ、梅というのは開花の時期が長いのです。この北野天満宮の写真は3月初旬に撮影したものでして近海練習航海部隊と外洋練習航海部隊が江田島基地を出航する前に撮影したもの。

 梅の季節が長いというのは、いまが26日、つまり月末と云いますか年度末ですから、丸々一ヶ月、というほどではないにしても見頃の始まりから終わりまでは三週間ほどあります、それならばテレビ生中継をかなり前から計画できるということ。

 花の季節にも梅の季節といいますのは、長いのですし、もともと貴族貴人の愉しみとしての花見は梅花の観梅からはじまったということですから、さくらの花見よりも原点回帰で愉しめるのではないか、風情があるのではないかとおもうのです。

 年度末、観梅がそれほど花見の代名詞とならないのは、開花の季節が多忙な年度末に重なるからでは無いかなあ、とは思うのですが。その昔は観梅は厳しい冬を越せたという実感とともに木々の芽吹きを祝うというものだったのですから。

 厳しい冬というのは文字通りで、中世の冬というのは穀物はじめ保存などの備蓄計画を誤ったり、黴が生えたり虫が涌くなど管理を誤った場合は簡単に命を飢餓により失う季節でしたので、これを乗り越えた観梅というのはそれなりの意味があった。

 年を越せた、こういう意味で花見を考えますと、新年度に咲くさくらというのは、厳しい年度末の多忙を乗り越えた、こういう意味があったのかもしれません。ただ、テレビ中継で年に一度の二時間番組が咲いていないと、寂しいのですよね。

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【京都幕間旅情】北野天満宮-観梅,EOS-5DmarkⅣとEOS-7Dmark2その先の機材

2025-03-19 20:25:54 | 写真
■7DvsR7
困ったときはカメラの話題を出してお茶を濁す。

京都散歩、最近のところは撮影機材をどう進めるかが一つの課題なのですが、これぞ、という写真はしっかりした撮影を行いたい一方、塑像乱造ではないですけれども数が必要な場面では小型で小回りが利く形で撮影機材を選んでいるところで。

EOS-5DmarkⅣ、決戦装備という撮影機材はこの機種になっている一方、ミラーレスを補助用に使っているところ。補助用のミラーレスですけれど、いまはEOS-M5を使い続けている。そこで、困っているのはミラーレスをどのように進化させるか。

M-5,これはメーカーに見捨てられたEOS-Mシリーズというもので、カメラマンの方に聞きますと、結局カメラは家電なのでレンズは重要だがカメラそのものは使い捨ての間隔で使ってゆくほかない、という、けっこう厳しい話を聞いてしまいました。

EOS-R7も消耗品、という厳しいお言葉があり、結果的にカメラは大事に使うよりも、カメラの価値以上の写真を撮影できたならば、その時点で壊れてしまっても仕方ない、という。ううむ、だから自分は写真愛好家は目指すことは出来てもカメラマンには。

EOS-7Dmark2、実際のところ予備の筐体も準備しているので2030年代いっぱいはこのシリーズで頑張る覚悟なのだけれども、最終的にミラーレスに移行しなければならない、すると、どのあたりで一眼レフに踏ん切りをつけるのかが課題となります。

R-7は結構いいという話を聞く一方で、一眼レフでないと見えていないものを撮影できない、つまり肉眼でファインダーに移っているもののAFが合致していない被写体の検知能力が低いために、写真として残せないという事象にどう挑むのか。

5Dと7D、なにかこう書くと師団のようにみえてしまうのですけれど、カメラマン以外の方には、ミラーレスへの不満を吐露するとともに大事に使い続けている状況がある。ただ、メーカーとして7Dシリーズの再生産というのはどう考えても厳しい。

EOS-Mの例があるものだからEOS-Rも十年後にはどうなっているのか、具体的には中古機材としてレンズがどの程度ユーザーを獲得して、次の筐体のユーザーに繋げる循環が成り立つのかが未知数というのが、EOS-Mが切り捨てられた結果のようにみえて。

EOS-90Dをcompact機種の代替に使えないか、こうも考えるのですが。結局APS-Cの最終型にCANONが位置付けたものの発売から未だmark2が発表されないために、維持生産の構図になっている印象があるのですが、これを補助用に使えないか、と。

EOSシリーズとしてEOS-90Dは、SDカードを使うちょっと格下の機種として考えていたのだけれど、相応に小型で、EF-Sレンズシリーズをそのまま使えるという、予備機種にはそれなりの機能を発揮できるのですから、これも一応選択肢に含めるべきか。

90Dにしてもなににしても、一方で痛感するのは、品薄、カメラが全国的に品薄だなあ、という家電量販店で眺めた際の素朴な印象です。品薄というのは結局、市場価格の高騰を生むということでして、するとまたしても機材を大事にしなければならない。

R7を消耗品に使うという発想、成程そういう考えを仕事人には冷徹にしなければならないのかもしれないと思いつつ、いまもまた、革のケースに収めたM-5やカメラバッグの7Dを撫でて大事にしようと考え、撮影計画を立ててゆくのですよね。

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【京都幕間旅情】北野天満宮-観梅,ことしの冬は長くまだまだ梅林には満開の兆しも遠い

2025-03-19 20:00:08 | 写真
■北野観梅
寒さまだまだという今日この頃ですが。

今年は梅の季節が襲い、さくらの季節はおそらくもっと遅いのではないかと思う。梅花満開を期待して探訪される方々にはちょっと残念な話だけれども、先週に北野天満宮を梅花観梅に参拝しましたところ、なんと梅林がまだほとんど咲いていなかったという。

大坂城付近なんかは凄い観梅の季節、というのは一緒の大阪の方のお話でして、それならばいっそのこと阪急電車に飛び乗って大阪あたりに繰り出そうかと思ったところだけれども、週末は近海練習航海部隊外洋練習航海部隊の出航がありなくなく断念しまして。

上京区御前通今出川上ル馬喰町、ここ北野天満宮は京都市中京区の、白梅町とよばれる一角にありまして、今出川通の上京警察署という古いけれども風格ある警察署の向かい側に大鳥居を広げていて、ここから楼門までの参道に隣接して梅林が広がる立地です。

今出川通まで、最盛期には梅の香りが広がって来るほどの梅林が広がりまして、これは紙屋川に沿っても梅林が、御土居という豊臣秀吉が造営しました京都防衛のための土塁の遺構に沿っても梅林が広がる故、みやびな雰囲気がかおりの面でひろめています。

ただ、本当に今年は遅かった、それは毎年梅林が満開の頃には散ってしまっている紅梅、本殿前の勾配が咲き誇っていました半面、肝心の梅林の方がまだまだとなっていて、梅林一般公開も三月中旬までの予定であったものが延長されたほどにですから。

耐震補強、神社としましてもこれほど梅花の季節が冬の長引きにより延長すると思わなかったのでしょうか、もう梅花の観梅はおわっているだろうと、楼門の耐震補強工事を始めてしまっていまして、そう、これぞ神のみぞ知るということなのかもしれません。

菅原道真公、北野天満宮は菅原道真公を祀る社殿となっています、その神紋は星梅鉢紋となっていて、道真公が観梅をこよなく愛した事から広がっている情景といえる。もっとも、さいていてほしかったというところなのでけれどもね。

さくらのきせつがもう迫っているところだけれども、梅花の季節は桜に比べると咲いている期間が長いように思う、だから楽しめる期間が長いという特性があるにしても、ゆっくり咲き続ける今年のこの季節は、ちょっとなあ、と思うのです。

火雷神を祀る摂社の火之御子社、天神地祇を祀る摂社の地主社、社殿は元々ありました神社を意識して参道が曲がっているという不思議な配置となっていて、楼門でこうべをたれて、そののちに梅林が一般公開されている券売所の隣を本殿へ向かう。

梅林拝観に際しまして、まだ咲いていませんが宜しいでしょうか、という確認があるほどで、そうか今年は冬が長いのだ、と改めて認識させられるのですね。いや実際、梅林拝観のほかの寺社などは、さいていない関係では移管料を値引きしたところさえある。

観梅に梅林を拝観しますと、梅茶と和菓子を頂けまして、これ、同じようなお菓子を持ち帰っていただいてもそれほど美味しくはないのですが、梅花を目の前に頂くと妙に美味しく感じることがありまして、それを楽しみにしていただけに、まだまだ、と残念に。

本殿前の購買を眺められただけでも良かったというところか、そして梅林以外を巡ってみますと案外咲いている部分がありますので、梅林と御土居を今度のお楽しみとしましたうえで参拝の順路としましたならば、それはそれで、と思えるのかもしれない。

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【京都幕間旅情】鹿苑寺(金閣寺),世界恐慌の懸念と顕在化する第三次世界大戦への拡大懸念とともに

2025-03-12 20:25:32 | 写真
■平和に金閣寺
 報道を見ていますと世界恐慌の懸念が顕在化しているように見えてきて。

 平和に金閣寺こと鹿苑寺を拝観しているのですが、実際問題、この平和はいつまで維持できるのかなあ、というところです。安倍総理暗殺事件の時点で、第三次大戦の危機が起こったら、と書きましたが。

 トランプ関税により、トランプ大統領就任式に出席した億万長者が現時点で失った資産総額は31兆円、という規模に登るというブルームバーグの報道があった、とお友達からお教え頂きまして。

 トランプ恐慌が来るのではないか、イーロンマスク氏が失った資産規模は1480億ドルとも報道されていますので、間違いなくアメリカはリセッションに入りつつある、世界恐慌の可能性さえも。

 台湾海峡とウクライナ、おそらく問題はこの導火線が世界規模の分断に繋がる、第三次世界大戦へ分断される懸念が出ている、世界における国際公序の牽引者が役を降りようとしているのだから。

 ウクライナについては、現状で停戦を行うことは、国連PKO部隊がスエズ危機のさいのように介入して兵力引き離しを行わない限り、2014年のクリミア併合後繰り返されている状況となるでしょう。

 クリミア併合、ドンバス戦争、なんども停戦の合意が各国の出席する席上で締結されているものの、ロシア軍は、ウクライナ陰謀論を立ち上げて自衛を名目に国際法上の正当性がない侵略を繰り返した。

 プーチン大統領は約束を守る、こうトランプ大統領が真剣に考えているとするならば、現在、世界は国家間の信頼と強調による平和維持の原点が破綻し、軍事力と同盟が戦争を防ぐ状態となっている。

 話し合うだけで戦争を終わらせることが出来る、トランプ大統領の視点は日本の進歩的文化人の一部と並んで、国家間の協調と信頼を信じているという意味で世界で最も平和的な大統領なのかもしれないが。

 手段としての平和を目的として、結果としての平和を必ずしももとめない。日本国憲法の精神を信じて国家の運命を託そうとしているのは日本国民だけかと思いましたが、アメリカもそうなりつつある。

 結果としての平和にこだわらなければ、宥和主義、譲りすぎたことが第二次世界大戦、船倉以外の選択肢が無い状況となってしまった、この歴史を繰り返すこととなるのだろうと思うのですが。

 人間が耐えられる限界を超えた戦争、懸念するのは核兵器を核兵器国が保有し、核保有国が増えるなかにあって、地域紛争や限定戦争ではなく全面戦争が起きるならば、限界を超える戦争が怒る可能性も。

 鹿苑寺を眺めて平和な気分を満喫できているのですが、実際のところ、トランプ大統領に大きな影響を与えられた安倍元総理が暗殺されたいま、耐えられない戦争の現実化を、認識すべきなのでしょう。

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【京都幕間旅情】鹿苑寺(金閣寺),京都に未だ満開へ咲かない梅花の三月を眺めつつ

2025-03-12 20:00:00 | 写真
■未だ季節は冬?
 梅がなかなか咲きません。

 今年は梅花の開花が久しぶりのほどの遅れと云うところでして、実際問題雪景色というものをみましても驚かれるでしょうけれども、金閣寺こと鹿苑寺の話題を起点に、ちょっと驚いた梅花の話題などを。

 鹿苑寺ちかくの北野天満宮、紅梅は咲いていますので参拝の際に本殿の周りには一応梅の香りは漂っていますし、参道の鳥居のあたりにも梅の香りは漂っているのですが、梅園の方は残念ながら。

 北野天満宮の御土居周辺は梅林となっていて、すこし地形が奥まっていることもありますので太陽の光が当たりにくい角度があるのですが、それにしてほ三分咲き、一分咲きというのがめだちます。

 梅園についても、あきらかに三分咲きがせいぜいとなっていて、この冬の厳しさといいますか、春がまだやってきていないのだなあ、そのきせつかんに戸実感してしまうところなのですけれども。

 桜前線は例年よりも早い地域がある、という気象庁の開花予報をNHKなどが報じているところを見ますと、気候変動、という印象を受けてしまうんですけれども、梅の開花状況を見ていますと現実は違う。

 京都のさくら開花時期というと、昨年だともう三月中旬は開花を迎えていたところのように思えるのですが、今年は梅花がまだですので、四月初旬からようやく咲く始めるというかたちになるのか。

 おむろ桜の開花時期は五月というところまではいかないだろうけれども四月後半似なるのだろうなあ、と思うのです。むろん、気温が急上昇して一気に開花することもあるのかもしれないけれども。

 さくらにまつわる祭事、ただ、これが暦の上の気候なのだろうと考えると、たとえば平野神社のひらの祭はもしかすると、今年は祭事の時期に開花して満開、ということはあるのかもしれません。

 梅園をもつ寺院や神社は、この気象をやはり想定外としているようで、北野天満宮の梅園は二月から三月中旬までの一般公開の予定であったのが、まだ咲いていない故に、公開期間を延期している。

 値引き、おどろいたのは梅園の一部が拝観料を値引きして500円が300円になっているところもあったりしまして、それは実際問題として開花していなかったため、というところがあります。

 祭事、梅花にかんするイベントなども、もう終わっているところがあったのですが、現状がダメなほど咲いていませんので、イベントはもう、開花していない花見、という感じだったのかもしれません。

 暦の上では、これが普通、つまり卒業式などがおこなわれる季節に梅花が香りを漂わせると云うことが日本の文化でしたから、普通なのかもしれませんが、なにか不思議に思えるのですよね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】鹿苑寺,金閣寺-吹雪くのは鞍馬から比叡か高雄と愛宕から衣笠へか

2025-03-05 20:25:39 | 写真
■雪景色を求めて
 冬らしい情景と云えば雪景色と雪化粧というものでしょう。

 雪景色とともにこのまま涼しい日々が続くのかと思えば、どうせ真夏には逃げ出したいほどの暑さになるのだろうと思うのです。しかし不思議なことにこの冬といいますか、三月になりましても寒さが続くのはこの数年にないところですので。

 熱くても異常気象で寒くとも異常気象、確かにそうなのですけれども、この数年間ですと梅の開花が二月初旬というか一月には梅花開花という頃合いでして二月下旬にはもう散ってしまった頃合いでした、実際には今年にはまだ梅はさきはじめ。

 四月に桜の花々が満開となります季節が戻って来るのか、考えれば昨年までは四月にはもう葉桜で、桜花を季節の祭事としました古来の伝統は、先念には四月にいまさらなにをやっているのかと、これこそ気候変動というものか、と考えさせられた。

 季節がもとどおりといいますか、冬には雪が降るものだ、という季節が戻ってきたようなのだけれども、そこが難しいのは京都の塩梅というところでして、京都は雪が降ろうとも一時間一時間半二時間であっというまに溶け去ってしまうというもの。

 吹雪と金閣寺、ちょっといい情景を撮影したいところですが、京都らしい情景というものを探しますと吹雪く様子、そして京都の地形というものが関係してきます、鹿苑寺は高台に在るのですが、北大路通の先、東山のほうに吹雪く様子が靄のようにみえたり。

 白雪が靄のように遠くに見える様子は、そのあたりだけ吹雪いているのだけれども、この撮影している側には太陽に光をもらって続々と雪化粧がほどけてゆく様子というものもみえたりしますから、雪景色を撮影するというのは中々簡単ではありません。

 旭日とともに撮影へいけばこういうこともないのかもしれませんが、雪景色というか薄っすらとした雪化粧が、緑に戻ってゆく情景などをみていますと、それはもう刻一刻というところでしょうか、西山などその様子が変わってゆくのを顕著に見えるもので。

 西山は嵐山のあたりは吹雪いているなあとみえて、桂のあたりには雪化粧が見えていても、天王山のあたりにはもう雪化粧が無く、その先には雪の気配ないという、横幅にして7kmほどの間に季節が全て山容にしめされているという様子が見えたりします。

 衣笠山に吹雪の気配が見えてきましても、鹿苑寺のあたりまで雪が下りてくるまでに時間がかかりまして、風向きなのでしょうが、そのまま雪けしきを撮影できずにそのまま景色の見通しがよくなってきますと、次の雪雲をまとう、ということになる。

 比叡山あたりに鞍馬山から雪が幕をはるように吹雪いている様子をみていますと、ここから比叡山までは12kmほどか、ちょっと雪の風向きが悪いなあ、となります。ただ、こればかりは待つほかありません、待っていて吹雪く保証はないけれども。

 舎利殿に吹雪が舞い込む瞬間はそういうところで、太陽は雲に隠れていると純粋に寒さばかりを感じるのだけれども、そんな最中に風通しの良いところでふるえながら待っていて、初めて見られたりするのですね。暖かい珈琲がほしくなりますが、がまん。

 真夏はあつくなるのだろう、けれども二月が寒い、という本来の季節、三月もまだ寒いという季節の暦通りの風景が広がっています。春待ち、こういう言葉はあるのだけれども、今少し、冬を愉しみたい、梅花と寒さを分かち合いたいものですね。

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