■AIは桜吹雪の夢を見るか
AIの将来性と限界を考える観桜の際のひとりごと。

AIは桜吹雪の夢を見るか、結局のところAIを搭載したガイノイドが開発されて、人間と共に生活し喜怒哀楽を分かち合うようになって初めてAIは桜吹雪の夢を見るように考えるのです、そういう意味で喜怒哀楽というものはまだ先で。

表面上の情報しか入手できないために、内部的な分析を行うことが出来ず、内部的な分析を行った情報をもとにした論文を模倣して係数や代入する部分を切り替えて繕うのが、今のところ限界である、こういう印象はないでもない。

贋作師からの問い-"本物"をめぐる思索、NHK-BSスペシャルで先日こんな番組がありまして、録画しておけばよかったなあ、というのは、"俺は本物が欲しい・・"という名台詞を残した某アニメのヒロイン役の声優さんがナレーションしていて。

アニメの話は、まあ、いい。このドキュメンタリーは贋作絵師のヴォルフガングベルトラッキ氏が、贋作を日本を含め世界中に売るとともに、"絵を買うのは教会に通うのと似ている、信じるかどうかだ"というお話をしていたのですね。

本物か贋作か、日本国内のとある自治体美術館に贋作の疑いがある作品がありまして、この真贋判定は難しく、結局贋作の元の作者の作品複数と対象をAIにより判定させ、タッチから贋作かどうか判断を委ねる研究者の試みが映された。

絵画、過去の筆のタッチの流れなどからAIは判断に困っている様子をドキュメンタリーは描いていましたが、やはりなあ、とおもったのは、絵しかAIはみていないというところでして、ここに美術評論家の厳しい一言が示されています。

画家が描くさいの背景、画家はどのような環境で育ち、どのような体験を重ね、どのような喜怒哀楽と、師事した画家や教育の専門性やほかの画家からの影響、家族や社会や環境や政治や恋や失恋や天候さえ影響されて、描くということ。

俺は本物が欲しい・・・、というアニメの台詞よりもNHKのドキュメンタリーでは美術館の型が、本物が欲しいと云うよりも贋作だとショックだ、という言葉を、これはいい絵だとおもいます、という言葉で濁していましたが。

AIは結局のところ、そこまで踏み込むことは出来ていない。いや、疑似空間に紀元前ころからの地球そのものを大規模に再現して、その画家の生涯さえ追体験するほどの仮想空間が出来れば、また話は違ってくるのかもしれませんが。

地球史を仮想空間に再現する、なにか、そのナレーションの声優さんが過去に出演して、じゃあ歌うね?という言葉を残してサクッとやられてしまったアニメーションの新章を思い浮かばせる内容ではあるのですが、まだ今の技術は難しい。

アニメの話は、まあ、いい。大切なことだから二度かきました。記憶媒体の性能向上を考えますと、デジタルカメラやタブレット端末にテラバイトの先のペタバイト単位のメディアが開発される日は遠くないのかもしれません。しかし。

経験や感情といった喜怒哀楽をAIが理解し経験を蓄積する、模倣ではなく体験を共有できる時代はいつごろになるのか、そこまで進んで初めて、AIは模倣を脱する、桜吹雪の夢をみるようになれるのかもしれません。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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AIの将来性と限界を考える観桜の際のひとりごと。

AIは桜吹雪の夢を見るか、結局のところAIを搭載したガイノイドが開発されて、人間と共に生活し喜怒哀楽を分かち合うようになって初めてAIは桜吹雪の夢を見るように考えるのです、そういう意味で喜怒哀楽というものはまだ先で。

表面上の情報しか入手できないために、内部的な分析を行うことが出来ず、内部的な分析を行った情報をもとにした論文を模倣して係数や代入する部分を切り替えて繕うのが、今のところ限界である、こういう印象はないでもない。

贋作師からの問い-"本物"をめぐる思索、NHK-BSスペシャルで先日こんな番組がありまして、録画しておけばよかったなあ、というのは、"俺は本物が欲しい・・"という名台詞を残した某アニメのヒロイン役の声優さんがナレーションしていて。

アニメの話は、まあ、いい。このドキュメンタリーは贋作絵師のヴォルフガングベルトラッキ氏が、贋作を日本を含め世界中に売るとともに、"絵を買うのは教会に通うのと似ている、信じるかどうかだ"というお話をしていたのですね。

本物か贋作か、日本国内のとある自治体美術館に贋作の疑いがある作品がありまして、この真贋判定は難しく、結局贋作の元の作者の作品複数と対象をAIにより判定させ、タッチから贋作かどうか判断を委ねる研究者の試みが映された。

絵画、過去の筆のタッチの流れなどからAIは判断に困っている様子をドキュメンタリーは描いていましたが、やはりなあ、とおもったのは、絵しかAIはみていないというところでして、ここに美術評論家の厳しい一言が示されています。

画家が描くさいの背景、画家はどのような環境で育ち、どのような体験を重ね、どのような喜怒哀楽と、師事した画家や教育の専門性やほかの画家からの影響、家族や社会や環境や政治や恋や失恋や天候さえ影響されて、描くということ。

俺は本物が欲しい・・・、というアニメの台詞よりもNHKのドキュメンタリーでは美術館の型が、本物が欲しいと云うよりも贋作だとショックだ、という言葉を、これはいい絵だとおもいます、という言葉で濁していましたが。

AIは結局のところ、そこまで踏み込むことは出来ていない。いや、疑似空間に紀元前ころからの地球そのものを大規模に再現して、その画家の生涯さえ追体験するほどの仮想空間が出来れば、また話は違ってくるのかもしれませんが。

地球史を仮想空間に再現する、なにか、そのナレーションの声優さんが過去に出演して、じゃあ歌うね?という言葉を残してサクッとやられてしまったアニメーションの新章を思い浮かばせる内容ではあるのですが、まだ今の技術は難しい。

アニメの話は、まあ、いい。大切なことだから二度かきました。記憶媒体の性能向上を考えますと、デジタルカメラやタブレット端末にテラバイトの先のペタバイト単位のメディアが開発される日は遠くないのかもしれません。しかし。

経験や感情といった喜怒哀楽をAIが理解し経験を蓄積する、模倣ではなく体験を共有できる時代はいつごろになるのか、そこまで進んで初めて、AIは模倣を脱する、桜吹雪の夢をみるようになれるのかもしれません。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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