アールグレイ日和

春畑 茜(短歌人+里俳句会)のつれづれ。
降っても晴れても、そこにサッカーはある。

『夕木霊』(小泉史昭歌集)を読む

2006年07月12日 12時35分48秒 | 歌集・句集を読む
『夕木霊』(ゆうこだま)は、小泉史昭さん(「玲瓏」所属)の第二歌集。
2006年5月15日、本阿弥書店発行。定価2700円(税別)。404首を収録。


*

・過ぎし日のこころに築きたる夢の伽藍といふも寂しかりけり


この歌集を読んでいると、時折このようなしみじみとした味わいのある歌に出会う。
平仮名と漢字の配分がうつくしく(ネット上では横書きになってしまうのが残念なのだが)、
音読すると言葉のひびきや調べがとてもなだらかであることに気づく。
詠われている内容はある年齢に達したひとの感慨であるけれど、
こういう感慨のようなものは、その詠い方によってはひどく過剰になったり、
あるいは物足りなくなったりするところを、
この一首は「夢の伽藍」という表現を核に絶妙のバランスで仕上げられていると思う。

 こころに築き/たる夢の/伽藍といふも

この2句から4句までの句またがりにも注目した。




・木立ちより木立ちにかよふ風ありて空間の弦ほのか響(な)りいづ

・まつさらな朝の時間の中にして木槿の花の底のくれなゐ

・夜半さめて聴けばつくづく独りなる秋のこころの底の蟋蟀


一首目は風に「空間の弦」が鳴り出すという繊細な詩情。
2首目は「まっさらな朝の時間」というすがすがしい空間の広がりから、
「木槿の花の底のくれなゐ」へ焦点を絞ってゆく手際が鮮やか。
そして3首目は寂び寂びとしたリズムに秋の孤独の哀愁が漂う。



・やけくその一歩手前で踏ん張つて福をまつてる片目のダルマ

・天運のさもあらばあれ大方ははづれの籤をスーパーに引く


歌集にはこのようなユーモアの歌もところどころにある。
この2首、トホホな味わいがたのしい。



・二十一世紀よりながむれば茫々と広重「白雨」かなたに烟る

・去つてゆくシェーンのごとき感懐に遠ざかりゆく昭和を思ふ

・巡りきてなほ健やかなニッポンを夢みるやうに木犀の秋

・はてしなく進化してゆくロボットの知恵もつことの寒い驚き

・外はひどい世界だつたと脱走した錦蛇ゐてしみじみと言ふ

・猿には猿の社会があれど人間はもつと根深いしがらみにゐる

・街にロマンがあつた時代の花形のデパートがまた姿を消しぬ


過ぎ去った時代への郷愁、あるいは現代社会の底知れぬ暗さ等、
決して軽くなく、しかし重く陰気というわけでもなく、
絶妙の匙加減で詠われていて、
一首一首味わいながらいろいろと考えさせられる歌集だった。



・犬はふと胴震ひせり人間はそしてどこまで時雨れてゆくのか


多くの方々にこの『夕木霊』の世界を味わってほしいと思う。




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