アールグレイ日和

春畑 茜(短歌人+里俳句会)のつれづれ。
降っても晴れても、そこにサッカーはある。

旧かな

2005年04月27日 10時10分44秒 | 短歌あれこれ
ようやく旧かなで作品(短歌)を書くことに決心がついた。
かれこれ一年ぐらいは、どうしようかと迷っていた気がする。

今年中には第二歌集の準備にとりかかりたいと思っているが、歌集に収めるときには、今まで新かなで書いてあったものを旧かなに直さなければならなくなる。ちょっとした作業になるので、年内にできればいいところだろうか。
とりあえず、来年のワールド杯ドイツ大会開幕までには何とかしたいという感じだ。何ともならなかった時には、ワールド杯終了後にずれ込むだけなのだが(笑)。
2002年の日韓共催のワールド杯の時はちょうど育児が大変な時期(0歳児)で、日本戦とイタリア戦以外はあまりしっかりと見ることができなかった。あれから3年。長かったような気もするが、過ぎてしまえば日々の記憶はどことなく淡いものに思える。


*
街はすっかり緑になった。
来週からは5月。月日がたつのは早いものだ。


・すこしずつ森ふくらんで五月です (春畑 茜・「ねじまき句会(川柳)」)



春の雷

2005年04月26日 13時11分55秒 | 俳句
お昼ごろから名古屋では一時的に雷雨。

手元の「季寄せ」をひらくと、春の雷(はるのらい)、春雷(しゅんらい)、春かみなり(はるかみなり)、春雷雨(はるらいう)、という言葉が載っている。
春雷はふだんもよく使うけれど、春の雷や春雷雨というやわらかいひびきがいいなあと思う。

その隣のページには花曇(はなぐもり)という言葉も載っている。
そこに例句として載っているのは、

・ペン皿のうすき埃や花曇 (富安風生)

この富安風生さん(とみやすふうせい・俳人・故人)、実はわたしの母校(東三河にある県立高校)の大先輩になる(らしい)。
たしか校内に句碑があったような・・・しかし記憶がさだかではない(汗)。
在校生であったころ、俳句や短歌には全く興味がなかったため、先生が風生さんについて話していても、上の空だった。その当時からちゃんと俳句に触れておけばよかったのになあと、今では自分を残念に思う。というわけで「季寄せ」などの例句に富安風生さんの名前を見つけると、「をを!」とひとりで勝手に感動してしまうのである。

・凍解や子の手を引いて父やさし (富安風生)
・古利根の春は遅々たり犬ふぐり (同)



地にありて天を思ふ(磐田青鳥の敗戦を愁ふ)。

2005年04月25日 12時30分07秒 | サッカー関連
(お願い)本日のこの日記は、完全ジュビロ磐田モードにつき、良識ある鹿島アントラーズファンの皆さまにおかれましては、決してこの先を読まないでください。万が一読んで著しく気分を害されましても、当方は責を負いません。ご了承くださいませ(ぺこり)。


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昨日(4月24日・日曜日)は鹿島赤鹿vs磐田青鳥(於:鹿島本丸)。

スコア2-1。赤鹿さん勝利。

♪青い鳥ことりーなぜなぜ勝てぬー
 蹴られちゃって倒されたー
 赤い鹿こじかーなぜなぜ勝てるー
 主審の笛が甘いー♪

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ええ、ペナルティエリアで2回もシミュレーション(ダイブ?)をとられたんですけど、
ちゃーんと赤いほうがファウルしてたじゃないですか(怒)。
なのになんでイエローカードを磐田の選手に出すんでしょうね?
そういうのって濡れ衣では・・・やっぱ濡れ衣としか・・・>にし○ら主審。

ほかにもミ○ヲさんとかモト○マさん等のあの汚いファウルが何故審判からお咎めなしなのか?とか、よい子の見ている公共放送(昨日はBS)でそれって教育上よろしくないんじゃないの?とか、
N○Kのアナウンサーって「限りなく民放よりひどい赤鹿モード?」とか、
腹立たしいこと満載。

まあ、ともかく最初の失点が痛かった試合でした。
立ち上がりのまずさって、このごろ磐田のチームカラーになっているような気がして、それはもう、早くそのようなわるい癖は直してほしいな、というのが正直な気持ちです(・・・ためいき)。

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そして赤鹿さんは首位完全独走(やっぱJリーグの鈴木チェアマンが鹿島だから・・・以下自粛)。

かたや磐田青鳥さんは15位キープ(下位だんご渦中)。
次回(4月28日)は16位の浦和赤魂さんと、ゆく春の夜のエコパ(静岡)で「下位だんご熾烈血戦」の予定です。
別名「藤田俊哉はあげられないぞ花いちもんめ♪スペシャル」です。
お見逃しなく(^^)/(<・・・だんだん壊れてきました)。




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ところで、土曜日(23日)に日立サッカー場で行われた「柏太陽王vs名古屋赤鯱」の試合後にサポーター同士の乱闘騒ぎがあり、けが人(今日現在12人と発表されています)が出たという。うちは家人が赤鯱派なので、試合後に掲示板からその情報を知った。挑発したのはどうやら赤鯱サポのほうだったらしいが・・・手を出してしまい怪我をさせてしまったのは柏サポ側ということらしい。いずれにしろ、残念なことだと思う。


金曜日。

2005年04月22日 12時51分08秒 | つれづれ
今日が木曜日なのか金曜日なのかはっきりしないまま、午前中をぼーっと過ごす。
このところ血圧が下がって(もともと低血圧気味)、昨日は立ちくらみがひどかった。
去年と比べると、ほんとうに花粉症がひどい。微熱は下がらないし、明け方に何度も(鼻づまりで)目が覚めてしまう。こんな調子なので、日中とにかく眠くてだるい。
去年は軽いほうだったんだなあと、つくづく思う。

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来週末から大型連休に入る。特にどこかへ行く予定は、今のところない。
腰椎の病気が再発してから、車で遠出することがほとんどなくなった。
痛みがぶり返すと長時間座っていることができないからだ。

かといって、家にいたらいたで、休みの日はなんとなく落ち着かないし、集中できない。
ふだんものを書いたり読んだりする場所が食卓テーブルのせいか。
テーブルいっぱいに本や辞書やノートがごちゃごちゃひろがっていないと、書けないのだ。
今年は10日間ぐらい連休になるようなので、今のうちにやっておくべきことは片付けないと・・・。サッカーの試合も何度かあるし。

・・・と、書いていて、もう締め切りをすぎている詠草のことを思い出した。
これから何とか・・・(汗)。

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明け方から風が強くて、ベランダのチューリップの花がどんどん散ってしまう。
鉢のボロニア・ピナータは小さなつぼみがいくつか出てきた。何とか一年枯らさずに来ることができたようだ。



『アンダーグラウンド』(菊池裕歌集)を読む。

2005年04月21日 18時35分55秒 | 歌集・句集を読む
菊池裕さんは中部短歌会同人であり現在編集委員。
昨年(2004年)8月に第一歌集『アンダーグラウンド』(ながらみ書房)を上梓された。
この歌集で先ごろ「ながらみ書房出版賞」を受賞。

*

・防犯用監視カメラの結露にもあなたが映り滴り落ちぬ
・ドライヤーONにしたまま浴槽に沈め無人の水ふるえたり

一首目、結露した防犯カメラから滴が落ちてゆくのだろうが、そこに映った「あなた」も一緒に落ちていってしまったという危うさや怖さが魅力。
二首目、バスタブの水(決して温かいお湯ではない)に電源を入れたままのドライヤーを沈める。その行為だけで、作者の悪意が匂う。それは現代社会に対する怒りかもしれないし、あるいは非常識なことがもはや非常識とは思えなくなってしまうほどに病んだ社会そのものであるかもしれない。そしてその行為の結果として作者の眼前に「無人の水」は痙攣するようにふるえてしまう。痙攣は快感か、それとも苦痛ゆえなのか。この歌も十分に危うい匂いがする。


・書き込みに夢中なの、でも聴こえない、ネット依存の後(のち)の老衰
・予知夢にはならざりしかば現実の砂曼荼羅水に流せり

一首目。この『アンダーグラウンド』には、この歌のようにあたかも未来(そう遠くはない)を予言するかのような作品が少なからずある。ネット依存は先々深刻な社会現象となるかもしれない。いや、すでに深刻さを増しているのかもしれない。そして延々ネット上に書き込みを続け、外界から閉ざされたまま老衰へ向かう人は、わたしであり、あなたの将来かもしれない。
二首目、こちらは「予知夢」にはならなかったのだと言う。しかし実際に水であっけなく流されてしまう砂の曼荼羅は、現代社会そのものであるかもしれない。


・莫迦を言う、いや莫迦が言う 哀感もなくて後半生をどうする

この歌はどことなく藤原龍一郎さんの『東京哀傷歌』のころの文体の匂いがする。東京に暮らし、メディアの仕事にたずさわり・・・という両氏の共通点に、私自身が勝手にそう感じてしまうだけなのだろうか。
しかし、歌集としてはずいぶん違いがあって、藤原さんの『東京哀傷歌』には都市生活者としての疲労や徒労感が色濃く感じられる一方、菊池さんの『アンダーグラウンド』には生活臭がなく、むしろ現代社会の病的な光景の語り部としての作者像があるような感じを受けた。


・ハイリスク百も承知でいくつもの顔は綺麗で汚くて綺麗
・チアノーゼ色の空から降ってくる着信音にとよむ地下街

一首目はメディアに登場する顔だろうか。放送画面にはどんなに綺麗に映っていたとしても、その内実はどうなのかはわからないものだ。
二首目、「チアノーゼ色の空」が病的な都市空間をあらわしている。そしてそのような救いようのない色の空から届く電波によって、地下街には携帯電話の着信音が鳴り響く。現代社会は、もはやそのように病的な光景なのだと菊池さんの歌は語るのである。


・誰もいないエレベーターにひといきれだけが上昇して下降せり

そして誰もいなくなった後に、エレベーターだけが上下し続ける。人がいた気配だけを乗せて。人はどこに消えたのか、そしてエレベーターはいつ止まるのか、都市はどうなるのか、社会は、世界は、未来は・・・こんな救いようのない世界を、一体どうしたらいいというのだろう。

そして菊池裕さんがひらく次なる世界は、どのように変わるのだろうか。


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「ながらみ書房出版賞」の詳細は、来月(5月)発売の「短歌往来6月号」に載る予定です。
菊池裕さん、おめでとうございました。