アールグレイ日和

春畑 茜(短歌人+里俳句会)のつれづれ。
降っても晴れても、そこにサッカーはある。

あと残り三分あらば瓜の花

2008年07月01日 12時52分35秒 | 歌集・句集を読む
眼が痛くなり、眼科へ行きました。
現在、パソコンや携帯電話の液晶画面は、眼に負担がかかるので、
なるべく見ないようにしています。


ほかにも、癒えるのか癒えないのかわからない病気の兆候と思われるものがあって、
これから先どうなるのか、今のところわからない状況です。
とにかく自宅で療養しています。






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サッカーのEURO2008で、スペインが優勝しました。
はるはたは眼が痛いので、1試合も中継を観ることができませんでした(泣)。

おお、スペイン無敵艦隊っ! 優勝おめでとう☆






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岡田JAPAN(A代表)のサッカーがつまらなく思えたり、
反町JAPAN(北京五輪代表)のオランダとスコットランド組の選手が
相変わらず動かないのに起用されていることに、
納得がいかないのは、なぜなんだろうか、ろうか、ろうか、ろうか・・・(悩)
と、思ってしまう今日このごろです。






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六月某日の短歌人名古屋歌会(<久しぶりの再開)にご参加くださったみなさま、
応援してくださったみなさま、ありがとうございました(ぺこり)。



『夏空彦』(大辻隆弘歌集)を読む

2007年09月20日 21時07分04秒 | 歌集・句集を読む
『夏空彦』は大辻隆弘さん(未来、レ・パピエシアン)の第五歌集。
2007年7月25日、砂子屋書房発行。定価3000円+税。
カバーの青花のモチーフが印象的で、しかも濃緑の帯が渋い。


歌集冒頭にこのような歌がある。

・五十鈴川のみなもとふかく辿りきて高麗広(かうらいびろ)といふ字にあふ


この歌の「字」は「あざ」と読む。
この「五十鈴川」は広辞苑にも大辞林にも載っている伊勢の川なのだが、
広辞苑(第四版)には「神路山に発源し」とあるし、
大辞林(第三版)には「志摩半島の剣峠に発し」とある。
それで、家にある「宮川水系」の資料をあたってみた。
昭和六十三年製の古い資料になるが、「支川五十鈴川は三重県伊勢市の称宣山を源流とし」とあって、どれもこれもばらばらである(悩)。
ともかく、その古い資料の地図には「高麗広」が載っていて、雨量観測所が置かれていることになっている。
そこで、今度は仕方なくネットで国交省の「川の防災情報」のところを調べると、
「三重県伊勢市宇治今在家町高麗広」に雨量観測所があるのがわかった。
ただ、その読み方が「こうらいひろ」(旧かなにすると、かうらいひろ)になっている(悩)。
と、まあ、こんな具合にこの歌集の一首目から、思いがけず
あれこれ資料をさかのぼってしまって、
いや、川も歌も源流をさかのぼっていくと思わぬものに
たどり着くものよ、と思ったのだった。
そのあと、宮川水系の地図を眺めていると、歌集の三首目に歌われている
「牛草山」なども見つかった。

・ひめしやらの肌つやつやと匂ひたつ牛草山を登りて下る


姫沙羅はナツツバキ属の落葉高木で、樹皮は淡赤褐色。ところどころ樹皮ははがれるが、なめらかな感じを持つ。


こんな具合に、細かいところにも大辻さんらしい観察が働いているが、決して細かい技の歌ばかりがならべられているわけではない。
全体を通して読むと、特に前半は、何度も歌の韻律の「うねり」の力にさらされているような心地になる。
ぜひ実際に手にとって、この歌集を噛みしめるように味わってほしいと思う。



・七回の表が終り雲の間のひかりはサードベースをよぎる

・うすべにのすすきの花穂を雨は打つ旅のなかばにあふ朝のあめ

・表象の鹿がかぼそき脚を立て言葉の埒を越えむとしたり

・黒壁のつらなるむかう青曇る伊吹は見えてその広き裾

・比良とほく見えたるみづうみのうへに昼すぎてより雲はつどひ来

・悲しみと歩いてをればかなしみのさ迷ふはてのゆくへかわれは

・斑鳩はうすらに曇り幾千の仏のからだまどろむところ

・都落ちしたやうな我(あ)に早咲きの梅うすらなるみどりにひらく













『物語のはじまり』(松村由利子・著)を読む

2007年02月27日 19時57分44秒 | 歌集・句集を読む
『物語のはじまり』は、松村由利子さん(かりん)の初のエッセイ集。
2007年1月10日、中央公論新社発行。
定価1800円+税。
この本の装画は木内達朗さん。

「短歌でつづる日常」という副題の通り、
「働く」「食べる」「恋する」「ともに暮らす」「住まう」「産む」「育てる」
「見る」「老いる」「病む、別れる」の10のテーマに沿って、
さまざまな歌人の短歌作品を引用しつつ、松村由利子さん自身の思うあれこれが、
明快な文章でつづられている。
あとがきに、「この本は、日々の生活を短歌で点描するという、いっぷう変わった試みである。」とあり、
まさにそのような内容の一冊で、
どのテーマから読み始めてもいいという点でも読みやすく、
たとえ暗いテーマであっても、読後感はなにかしら清々しいものが残るという不思議な本だ。
もし書店にあればぜひ手にとって、松村さんの思いに触れてみていただきたいと思う。



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この本の「育てる」というテーマの中に、春畑の第二歌集『きつね日和』から一首引用していただきました。


・王様になりたき子供ばかり増え日本さびしき王様の国  (春畑 茜)






『眼鏡屋は夕ぐれのため』(佐藤弓生歌集)を読む

2006年12月08日 16時05分24秒 | 歌集・句集を読む
『眼鏡屋は夕ぐれのため』は佐藤弓生さん(かばん)の第二歌集。
平成十八年十月二十五日、角川書店発行(21世紀歌人シリーズ)。
定価1905円(税別)。

あたたかみのある綺麗な装丁の本で、
このような色合いを眺めていると
まだ自分が少女だった頃の、何かなつかしい時間へ戻ってゆくような気がしてしまう。



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・眼鏡屋は夕ぐれのため千枚のレンズをみがく(わたしはここだ)

・水に降る雪のごとくにこなぐすりこころに受けてやがて忘れぬ

・通過・通過・通過電車が連れてくる春はるかなるみどりの火種

・雨はなぜしずくのかたちはらはらと春のあなたをうつくしくする

・ひどい雨 おおひどい雨 ましろなる瞑目をいま街はよろこぶ

・ふうらりと焼きたてパンの列につく明日という日もあるものとして

・ヘンゼルとグレーテルだね 段ボールだらけの春の闇にねむれば

・アッシジの聖者というは第三の性の声もつ者か小鳥よ

・敷石のあいだあいだのハルジョオンなにかがもっとよくなるように

・むらさきの雲が窓まで下りてきておそろし春の祭典おそろし

・ふれられぬはだれゆきふる城はありワインボトルのラベルの奥に

・窓を開け放てば冬がなだれきてわたしの耳は大空の耳



佐藤弓生さんの歌は、時に予言のようでもあり、また祈りのようでもある。
何かそのようなものを感じさせる作品に多く惹かれた。
歌集中に出てくる「わたし」はごくふつうの日常を生きるどこにでもありそうなヒトでしかないのだけれど、
つねに広い世界へ、宇宙へ、そしてそれを超える大きなものへ
つながっているように思える。
その広がりが佐藤弓生作品の魅力のひとつでもある。


・舌の上を詩篇ひとひら泳ぎだす未知の都のあかりの方へ

・真夜中の豆電球のこんこんとこの世の泉この世にひとり

・うつせみがきょうもたくさんハンガーにわたしを脱いだわたしを掛ける

・どんなにかさびしい白い指先で置きたまいしか地球に富士を

・吊革にあたまつければものすごい速さで離れゆくものばかり

・ゆっくりとミシンを漕げばゆっくりと銀のお告げが滴りおちる

・袖口であつあつの鍋つかみざまいのちのはてへはこぶ湯豆腐



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この本が多くのよき読者に恵まれますように。


『爬虫の王子』(大津仁昭歌集)を読む

2006年11月17日 18時54分52秒 | 歌集・句集を読む
『爬虫の王子』は大津仁昭さん(心の花)の第六歌集。
平成十八年十月十九日、角川書店発行。定価1905円(税別)。

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タイトルも装丁もなにやら美しく妖しげな魅力を放っている歌集である。
読み進んでいくと、いま自分がいるはずの現実の世界から
遠く遠く離れていくような、ふしぎな感じを覚えた。

そして、作者の前世と思われる記憶の一場面が語られた
あとがきがとても印象にのこったのだった。



・若葉その色のみすべて空へ発ち残る影絵の初夏となりたる

・手を上げて横断歩道渡る子の千本の指風にそよぎぬ

・埋められし池の跡より浮かび来て五月の空に貝殻ひらく

・つまりは不運それはそれとてスプーンに滲む油は虹のごとしも

・大陸が夜ごと広がる地球儀の苦痛 秋にも水仙が咲く

・空腹を抱へ入りたる眼鏡店 うすあかりさす海底にゐる

・何といふさみしさこれは紅鮭が茸ソースに塗り固められ

・ジルテック眠りを誘ふ一錠に黄金(きん)の雪降る夜はひらきをり

・人は必ず生まれ変はるか老年の父深夜より掃除を始め

・占ひはさらに詩的にあらざれどこの半生や秋に始まる

・鳥の声 人の声より響くなりはた転生のそののち告げよ

・目覚めとは夢の忘却 朝の鳥コルトレーンのサックスの音



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この本が多くのよき読者を得られますように。