闘病をされていると聞いてはいたが、
ちくさ正文館書店元店長の古田一晴さんの訃報は突然だった。
ちょうど帰省のためインターをおりた直後、10月10日の夕方に、そのご逝去の知らせは届いた。
ただただ、絶句した。
残念ながら、お通夜にも告別式にも参列はできなかったので、
茫然として、信じられないままである。
ちくさ正文館が閉店してから、まだ1年ほど。
この夏は、昨年の7月のことを思い出すことが多かった。
本を書くとおっしゃっていたので、それが出ることを祈っていた。
手元には、閉店の日に、
古田さん、野口あや子さんと三人で撮った写真がある。
いつものこのスタイルのままで、
どこか違う星に行って、店長さんをされていると、いまは自分で自分に言い聞かせている。
*
下記に、2022年「未来」10月号掲載のエッセイと、
2023年「未来」11月号掲載の短歌を載せます。
短歌の歌誌を店頭に並べても、儲けにはならないのに、
そんな小さなことにも、丁寧に、真摯に向き合ってくださった方でした。
古田さん、本当にありがとうございました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちくさ正文館とわたし
杉森多佳子
家では日経新聞を購読している。2021年8月7日の朝刊コラム「交遊抄」はブックデザイナーの祖父江慎。読み始めて思わず叫んでしまう。長年「未来」を置いていただいている、ちくさ正文館店長の古田一晴さんのことを書かれているではないか。昔、書店近くの予備校に通っていた頃の古田さんとの思い出だった。
ちょうどこの日は、「未来」の精算に伺う予定にしていた。古田さんに掲載されていて、驚きましたと言うと、「彼とは一度も話したこともないのだけど、前にも他で書いてくれたことがあるんだよ」と照れたような笑顔。祖父江さんとのエピソードをうれしそうに語られた。
十六年前「未来」の精算を紺野万里さんから引き継いだ時、店長さんだし恐いのかなとなかなか自分からは話しかけられなかった。けれど誠実でユーモアのある人柄にだんだんと慣れて、精算に行く度に古田さんの話が楽しみになった。
『名古屋とちくさ正文館』(論創社)に詳しいのだが、「昔、塚本さんが来てくれたことがあるんだよ」「春日井さんは義理堅い人だった」など、まさに交遊抄の数々。
そんなちくさ正文館と古田さんだったが、コロナ禍で対応と変化を余儀なくされた。千種駅の店舗閉店で、そちらにあったコミックや文具などを置いたため、人文と芸術のスペースが狭くなってしまったのだ。古田さんが日々更新されている棚が、がらりと変貌してしまった。棚がこんなにも変わってしまうのか…。ちくさ正文館の香りが消えてしまったようで悲しかった。小さなカレッジのような教養の香りのする空間。そこにいるだけで満たされていたのに。
それから随分たって、ふと棚が見慣れた顔をして寄り添ってくれるような懐かしさを感じた。古田さんの棚が戻ってきたのだ。そのままを古田さんに伝えると、わかったかと言うように、「本が落ち着くところに納まったからな」とかるく頷かれた。一瞬だったが鋭い眼差しだった。
そして古田さんのほかにもお世話になっているのは、Aさん。古田さんがお休みの日はAさんが精算の対応してくださる。通い始めて数年たった頃に、何かオススメの本って、ありますかと訊ねた。「文学とかはわからなくて」と返答されたAさんはリケジョで、スティーヴン・ジェイ・グールド著『ワンダフル・ライフ バージェス頁岩と生物進化の物語』を薦められた。後日なかなか難しいですと感想を伝えると、書評がでたものやお店の売れ筋からのチョイスになった。なかでも荒木健太郎著『雲を愛する技術』は今も時々開く。
書店のスタイルも多彩になった。けれどこんな稀有な、ちくさ正文館にこれからも「未来」を置いていただけますように。
書棚のどこかに隠し扉(とびら)がひそやかに出入りしてゐる古田店長 ※ルビ 扉(とびら)
2022年「未来」10月号「伏流水」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
閉店
杉森多佳子
昼にはしぼむ夏の花の名つぶやけばやりきれなさが溢れてしまふ
この夏の酷暑とともに記憶するちくさ正文館書店閉店
すさまじい誤読だらうか(しかし、どうして)閉店の文字にまばたきをした
最後だと思はないやうに店に入る古田さんはいつもの黒のエプロン
「未来」の並ぶ棚もけふまで売れゆきを気にすることもなくなるなくな、る
書架からの醸し出されるこゑならぬこゑを聴きとる古田さんだつた
シャッターが下りてしまへば明日から出入りする人なくしづかな歩道
2023年「未来」11月号
ちくさ正文館書店元店長の古田一晴さんの訃報は突然だった。
ちょうど帰省のためインターをおりた直後、10月10日の夕方に、そのご逝去の知らせは届いた。
ただただ、絶句した。
残念ながら、お通夜にも告別式にも参列はできなかったので、
茫然として、信じられないままである。
ちくさ正文館が閉店してから、まだ1年ほど。
この夏は、昨年の7月のことを思い出すことが多かった。
本を書くとおっしゃっていたので、それが出ることを祈っていた。
手元には、閉店の日に、
古田さん、野口あや子さんと三人で撮った写真がある。
いつものこのスタイルのままで、
どこか違う星に行って、店長さんをされていると、いまは自分で自分に言い聞かせている。
*
下記に、2022年「未来」10月号掲載のエッセイと、
2023年「未来」11月号掲載の短歌を載せます。
短歌の歌誌を店頭に並べても、儲けにはならないのに、
そんな小さなことにも、丁寧に、真摯に向き合ってくださった方でした。
古田さん、本当にありがとうございました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
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ちくさ正文館とわたし
杉森多佳子
家では日経新聞を購読している。2021年8月7日の朝刊コラム「交遊抄」はブックデザイナーの祖父江慎。読み始めて思わず叫んでしまう。長年「未来」を置いていただいている、ちくさ正文館店長の古田一晴さんのことを書かれているではないか。昔、書店近くの予備校に通っていた頃の古田さんとの思い出だった。
ちょうどこの日は、「未来」の精算に伺う予定にしていた。古田さんに掲載されていて、驚きましたと言うと、「彼とは一度も話したこともないのだけど、前にも他で書いてくれたことがあるんだよ」と照れたような笑顔。祖父江さんとのエピソードをうれしそうに語られた。
十六年前「未来」の精算を紺野万里さんから引き継いだ時、店長さんだし恐いのかなとなかなか自分からは話しかけられなかった。けれど誠実でユーモアのある人柄にだんだんと慣れて、精算に行く度に古田さんの話が楽しみになった。
『名古屋とちくさ正文館』(論創社)に詳しいのだが、「昔、塚本さんが来てくれたことがあるんだよ」「春日井さんは義理堅い人だった」など、まさに交遊抄の数々。
そんなちくさ正文館と古田さんだったが、コロナ禍で対応と変化を余儀なくされた。千種駅の店舗閉店で、そちらにあったコミックや文具などを置いたため、人文と芸術のスペースが狭くなってしまったのだ。古田さんが日々更新されている棚が、がらりと変貌してしまった。棚がこんなにも変わってしまうのか…。ちくさ正文館の香りが消えてしまったようで悲しかった。小さなカレッジのような教養の香りのする空間。そこにいるだけで満たされていたのに。
それから随分たって、ふと棚が見慣れた顔をして寄り添ってくれるような懐かしさを感じた。古田さんの棚が戻ってきたのだ。そのままを古田さんに伝えると、わかったかと言うように、「本が落ち着くところに納まったからな」とかるく頷かれた。一瞬だったが鋭い眼差しだった。
そして古田さんのほかにもお世話になっているのは、Aさん。古田さんがお休みの日はAさんが精算の対応してくださる。通い始めて数年たった頃に、何かオススメの本って、ありますかと訊ねた。「文学とかはわからなくて」と返答されたAさんはリケジョで、スティーヴン・ジェイ・グールド著『ワンダフル・ライフ バージェス頁岩と生物進化の物語』を薦められた。後日なかなか難しいですと感想を伝えると、書評がでたものやお店の売れ筋からのチョイスになった。なかでも荒木健太郎著『雲を愛する技術』は今も時々開く。
書店のスタイルも多彩になった。けれどこんな稀有な、ちくさ正文館にこれからも「未来」を置いていただけますように。
書棚のどこかに隠し扉(とびら)がひそやかに出入りしてゐる古田店長 ※ルビ 扉(とびら)
2022年「未来」10月号「伏流水」
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閉店
杉森多佳子
昼にはしぼむ夏の花の名つぶやけばやりきれなさが溢れてしまふ
この夏の酷暑とともに記憶するちくさ正文館書店閉店
すさまじい誤読だらうか(しかし、どうして)閉店の文字にまばたきをした
最後だと思はないやうに店に入る古田さんはいつもの黒のエプロン
「未来」の並ぶ棚もけふまで売れゆきを気にすることもなくなるなくな、る
書架からの醸し出されるこゑならぬこゑを聴きとる古田さんだつた
シャッターが下りてしまへば明日から出入りする人なくしづかな歩道
2023年「未来」11月号