アールグレイ日和

春畑 茜(短歌人+里俳句会)のつれづれ。
降っても晴れても、そこにサッカーはある。

木々の芽や夢かと思ふまで晴れて

2012年02月24日 18時49分54秒 | サッカー関連
週末に2日寝込んでしまい、それから今日までなんとか毎日走った。

ガソリンの値段は、先週の金曜日から変わらなかった。
暖かい日が続き、名古屋でもようやく梅が咲いたそうだ。
とは言っても、まだ梅の花を見ていない。
今日はジョギングコースの途中で、黄水仙の匂いに気づいた。

このところ暖かくなったせいか、ランスカ(=ランニング用スカート?)姿の
女子ランナーが増えたように思う。
来月の名古屋ウィメンズマラソンに参加する人たちかもしれない。


今週末は東京マラソン。
天候はどうだろう。


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と、その前に、今夜はザックJAPANの試合がある(キリンチャレンジ)。
海外組の選手たちは招集されていないし、
W杯の予選云々というわけでもないので、
今ひとつこころの動きが鈍いのだが。
ジュビロの選手たちがスタメンでありますように(祈)。


ちび鯱が読んでいる「毎日小学生新聞」に、
ボルトン移籍後初ゴールを決めた宮市亮(みやいち・りょう)の記事が載っていた。
海外で活躍する若手選手が増えたことは、素直にうれしい。






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(けふの即詠/二月二十四日)

・気持ちとはこの身の何処にあるものか息ととのへてまた走り出す (春畑 茜)






スタメンの名前を思ふ春火桶

2012年02月17日 19時30分06秒 | つれづれ
ジョギングでよく走るコースの途中に、ガソリンスタンドがある。
時々表示されているレギュラーガソリンの単価を見るのだが、
今日は昨日までより4円上がっていた。
週末だからなのか、その他の理由なのか、よくわからない。



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昨夜、ちび鯱が俳句を作るというので、「季寄せ」を貸した。
ぱらぱらとめくっているうちに、「春火鉢」という季語が気になったそうで、
句をこしらえていた。
昨日は微熱と頭痛がなんたらかんたら・・・と言って、
夕方からのサッカースクールの練習を休んでいたのだが。
サッカーに対する情熱というか、何かが足りないような気がする。
そのうちやめてしまうのかなあと思った。





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(けふの即詠/二月十七日)

・老眼鏡はづせばもはや朧なる秦楚燕斉韓魏趙はも (春畑 茜)


開幕の日を待つこころ麦を踏む

2012年02月15日 16時41分33秒 | 短歌あれこれ
来月、Jリーグ開幕。
この時期になると、そろそろ選手名鑑を買いにゆかねば、(なるまいて)。
マガジンの方にするか、ダイジェストの方はどうか、などと
書店でぱらぱら眺めて選ぶのもたのしみのひとつ。
一年で一度しか買わないのだけれど、毎年一度は必ず買っている訳で。
今までに何冊買ったのか、いや、
選びきれずに2冊とも(マガジン&ダイジェスト版)
買ってしまった年もあったっけ。



とにもかくにも書店へGO! と思ったのもつかの間。
今日も90分間走って、
走っているうちに選手名鑑のことをすっかり忘れて
そのまま帰宅。
今日は風がほとんどなくて、比較的楽に走れた気がする。
いや、昨日一日サボったせいか・・・。



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「短歌人」2011年9月号より

・飛騨の国に奥飛騨ありて快活なるアマツバメに遭ふ旅人われは (渡 英子)

岐阜県は飛騨と美濃からなる。
東海地方に住んでいると、奥飛騨という呼び方を普段聞きなれているせいか、
こうして歌に歌われると、ああそういえば(そうだなあ)、と思うことがある。
愛知県は尾張と三河で、三河には奥三河がある。
この一首、飛騨の国、奥飛騨、といった地名の漢字表記に対し、
アマツバメをカタカナ表記にしているところが魅力。



・訛ある人の伝える転居先「稲敷郡」を五度聞き直す (渡辺幸子)

この歌の「稲敷郡」という地名の存在感。
そして五度聞きなおしたという事実と、訛あるゆえののひびき、そして
その地名が転居先だということ。
なんとも言い難い味があるように思う。



・ジャラジャラがお開きになる午前二時隣の家の電気が消える (さつき明紫)

上句、思わず「ふふっ」と笑ってしまった。
こういう言い方もあるのだ。




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(けふの即詠/二月十五日)

・世の中の義理まみれなるチョコレート金色の紙剥がせば匂ふ (春畑 茜)


バレンタインデー雨がふる愛がふる

2012年02月14日 17時05分39秒 | 短歌あれこれ
今年はじめてパソコンに向かっている。
何がどうというわけでもないが、今日はバレンタインデー。

雨が降っていて、今日のジョギングは休むことに。
動かないと、指先が冷える。
生姜入りの紅茶でも飲めばあたたまるだろうか。


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このところ、ようやく本を読むことができるようになった。
読みかけのままだったあれこれをひらくと、
以前とはまた少し違った思いで読むことになる。
癒えてゆくとはこういうことなのか、と思うこともある。
それとはまた別に、老眼がひどく進行していることにも気づく。
月日はめぐり、確実に歳を重ねているのだなあと思う。



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今ごろになって昨年の4月号以降の「短歌人」を読んでいる。
永井陽子さんが亡くなられたのは辰年だった。
あれから12年が過ぎた。
青柳守音さんも亡くなられた。
青柳さんからのメールは携帯に残っていて、ひらくと
まだやりとりができるような、そんな気がしてしまう。
いつか会えるだろうか。



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(けふの即詠/二月十四日)

・本命か否かは知れず十歳が机上にチョコの包みをひらく (春畑 茜)