アールグレイ日和

春畑 茜(短歌人+里俳句会)のつれづれ。
降っても晴れても、そこにサッカーはある。

さくらさくらひとりの死後を咲くばかり

2013年03月26日 19時03分32秒 | 短歌あれこれ
ここ数日、名古屋城周辺にも桜が咲きだして、
走りながら思わず見上げてしまうことがある。
満開の日が待ち遠しいようで、でも
まだずっと花咲く日を眺めていたいような気もする。


今年の桜を眺めていると、
もうこの世にいなくなってしまった関西の歌の先輩方を
ひとりひとり思い出す。
今から思えばまだ若かったあのころ。
歌に関して私にはよくわからないことが多かったのに。
知らないことがたくさんありすぎたのに。
皆やさしく接してくださった。

生きるということは、生き残ることなんだなあと、このごろ
そんなふうに思う。



*
(けふの即詠/三月二十六日)


風つよくつよく吹き来る昼つ方いま何のため走れるわれか (春畑 茜)


開幕の日を待つこころ麦を踏む

2012年02月15日 16時41分33秒 | 短歌あれこれ
来月、Jリーグ開幕。
この時期になると、そろそろ選手名鑑を買いにゆかねば、(なるまいて)。
マガジンの方にするか、ダイジェストの方はどうか、などと
書店でぱらぱら眺めて選ぶのもたのしみのひとつ。
一年で一度しか買わないのだけれど、毎年一度は必ず買っている訳で。
今までに何冊買ったのか、いや、
選びきれずに2冊とも(マガジン&ダイジェスト版)
買ってしまった年もあったっけ。



とにもかくにも書店へGO! と思ったのもつかの間。
今日も90分間走って、
走っているうちに選手名鑑のことをすっかり忘れて
そのまま帰宅。
今日は風がほとんどなくて、比較的楽に走れた気がする。
いや、昨日一日サボったせいか・・・。



*
「短歌人」2011年9月号より

・飛騨の国に奥飛騨ありて快活なるアマツバメに遭ふ旅人われは (渡 英子)

岐阜県は飛騨と美濃からなる。
東海地方に住んでいると、奥飛騨という呼び方を普段聞きなれているせいか、
こうして歌に歌われると、ああそういえば(そうだなあ)、と思うことがある。
愛知県は尾張と三河で、三河には奥三河がある。
この一首、飛騨の国、奥飛騨、といった地名の漢字表記に対し、
アマツバメをカタカナ表記にしているところが魅力。



・訛ある人の伝える転居先「稲敷郡」を五度聞き直す (渡辺幸子)

この歌の「稲敷郡」という地名の存在感。
そして五度聞きなおしたという事実と、訛あるゆえののひびき、そして
その地名が転居先だということ。
なんとも言い難い味があるように思う。



・ジャラジャラがお開きになる午前二時隣の家の電気が消える (さつき明紫)

上句、思わず「ふふっ」と笑ってしまった。
こういう言い方もあるのだ。




*
(けふの即詠/二月十五日)

・世の中の義理まみれなるチョコレート金色の紙剥がせば匂ふ (春畑 茜)


バレンタインデー雨がふる愛がふる

2012年02月14日 17時05分39秒 | 短歌あれこれ
今年はじめてパソコンに向かっている。
何がどうというわけでもないが、今日はバレンタインデー。

雨が降っていて、今日のジョギングは休むことに。
動かないと、指先が冷える。
生姜入りの紅茶でも飲めばあたたまるだろうか。


*
このところ、ようやく本を読むことができるようになった。
読みかけのままだったあれこれをひらくと、
以前とはまた少し違った思いで読むことになる。
癒えてゆくとはこういうことなのか、と思うこともある。
それとはまた別に、老眼がひどく進行していることにも気づく。
月日はめぐり、確実に歳を重ねているのだなあと思う。



*
今ごろになって昨年の4月号以降の「短歌人」を読んでいる。
永井陽子さんが亡くなられたのは辰年だった。
あれから12年が過ぎた。
青柳守音さんも亡くなられた。
青柳さんからのメールは携帯に残っていて、ひらくと
まだやりとりができるような、そんな気がしてしまう。
いつか会えるだろうか。



*
(けふの即詠/二月十四日)

・本命か否かは知れず十歳が机上にチョコの包みをひらく (春畑 茜)









寒餅を噛みしめてみる午後一時

2010年01月29日 13時23分06秒 | 短歌あれこれ
今日は1月29日。
こんなにも年の始まりのひと月が長く感じられることになろうとは。





今日も欠席したいと言うちび鯱をなんとかぐだぐだ説得して
車で学校まで送り、
下校時にはまた学校まで迎えに行くことになっていて、

嗚呼。
こんな日常がいつまで続くのでありましょうか。





そんなこんなの間に、
甥っ子がまた「ハモネプ(青春アカペラ甲子園)」に出場して
~沖の鴎・・・云々、歌って居りました。

そして闘莉王と金崎が揃ってグランパス入団会見をしていたり、
なんというか、時々テレビを眺めるだけで気持ちが和ぐことも
あったりしたのでした。





それでは久々に↓

(けふの即詠/一月二十九日)

・♭(フラット)が増ゆるばかりの日々にして冬木のさきの空を仰げり  春畑 茜



わたくしに白き棺を冬日和

2008年12月12日 16時51分11秒 | 短歌あれこれ
今年は2月に父の葬儀があったせいか、
何かと葬儀に関することについて考えることが多い日々だった。
父の葬儀が過ぎてからしばらくして、
とある折込広告に載っていた葬儀会社のうつくしい花祭壇の写真に心が動き、見学に行った事もあった。
ささやかでもいい、花祭壇に自分の好きな花をすこし飾ってもらえたら・・・もうそれで私の葬儀としては十分なのではないか。そんなふうに思ったりする。


最近では生前見積りという言葉さえ宣伝されるようになったが、葬儀のあれこれをこなすのは喪主なので、自分の葬儀の時に、自分は何も口出しすることができないのが現実だろう。
父の葬儀のあとで、よかったのかな、と思うことがある。

満足できたかどうか、父に感想をきいてみたいのだが(悩)。