アールグレイ日和

春畑 茜(短歌人+里俳句会)のつれづれ。
降っても晴れても、そこにサッカーはある。

残留といふ響きあり鱗雲

2012年10月07日 21時43分30秒 | つれづれ
ずいぶん長い間日記を書かなかった。
パソコンに向かうのを極力避けて、時間があればなるべく走ったり、
体を動かすようにしていた。
真夏日も猛暑日も走って乗り切った。
あまりの暑さに、ときどき心が折れた。
秋になっても暑い日が続くので、つい心が折れそうになる。
4~5キロ過ぎて、あと3~4キロ行くかどうか、
迷ってしまったりする。

今日はサボってしまった・・・
と、ここに懺悔しておこう(<それで誰がゆるしてくれるというわけでもないのだがー)。





ジョギングコースのあちこちに曼珠沙華が咲いている。
あまりたくさん群れていないほうが、私はすきだ。




*
(けふの即詠/十月七日)

・少年の顔をはなれて濃紺のセルの眼鏡が夜の卓にあり (春畑 茜)

スタメンの名前を思ふ春火桶

2012年02月17日 19時30分06秒 | つれづれ
ジョギングでよく走るコースの途中に、ガソリンスタンドがある。
時々表示されているレギュラーガソリンの単価を見るのだが、
今日は昨日までより4円上がっていた。
週末だからなのか、その他の理由なのか、よくわからない。



*
昨夜、ちび鯱が俳句を作るというので、「季寄せ」を貸した。
ぱらぱらとめくっているうちに、「春火鉢」という季語が気になったそうで、
句をこしらえていた。
昨日は微熱と頭痛がなんたらかんたら・・・と言って、
夕方からのサッカースクールの練習を休んでいたのだが。
サッカーに対する情熱というか、何かが足りないような気がする。
そのうちやめてしまうのかなあと思った。





*
(けふの即詠/二月十七日)

・老眼鏡はづせばもはや朧なる秦楚燕斉韓魏趙はも (春畑 茜)


無敵てふ語の燦燦と雨季終る

2010年07月18日 22時10分06秒 | つれづれ
長らくのお休みをいただきました。
ご訪問くださったみなさま、ありがとうございます(ぺこり)。


*
ちび鯱が学校で怪我を負ったのが、1月の12日でした。
それからというもの、現場の真摯な対応を得る事ができず、
何回も足を運びましたが、何ひとつきちんと解決されぬまま、
月日は過ぎてゆきました。


無防備な状態で怪我をさせられたちび鯱は被害者であるはずなのに、
害を加えた側の関係の人々から、ちび鯱も私も
酷い嫌がらせを受けました。


怪我をさせられた現場が学校内であったがために、
「管理職権限」という言葉のもとに
市教委にも報告されないということがあると、
あまりにも理不尽な状況だったので、直接市庁舎にも足を運びました。
それでも現場は解決のためには動きませんでした。


それで、「子どもの人権110番」のある某局にも相談しました。
市教委でも某局でも言われたのは、
「もっと早く相談してくれたら・・・」という言葉でした。
現場がもっと真摯に動いてくれるはずだと信じていたのが間違いだったのかもしれません。
それとも、他の学校ではもっと違う対応をしてくれたのかもしれません。
今となってはもう考えないようにするしかないような、でも
何かしらこういうことはもっと詳しく書き残しておかなければならないような、
そんな気持ちは、正直なところあります。


とにもかくにも、そのような日々が続き、
母子ともに、心が折れ、たましいが疲れ果てていました。
帰宅しようとエレベーターに乗ると、嫌がらせをした張本人と鉢合わせしたりして、
だんだん、ちび鯱も私も、家のドアから外へ出るのが怖くなっていました。


それからというもの、ほとんど速攻に近い形で、
ちび鯱の転学のために、あわただしく区外へ転居し、
ちび鯱は転校先の学校に通学するようになり、少しずつ元気を取り戻し、
無事三年生になり、友達もできました。
サッカーも続けています。



*
長かったような短かったような、ほんとうにさまざまなことが
この半年の間に過ぎてゆきました。
W杯南アフリカ大会も、あっという間に終りました。
「無敵艦隊」と毎大会呼ばれていたスペインが、
ついに、ついに、優勝しました。
この数ヶ月、辛いことや苦しいことが多く、心も体も壊れてしまいましたが、
何とか生き延びて、スペインの優勝を見ることができ、ほんとうにうれしく思いました。






*

(けふの即詠/七月十八日)

・四年後はこの世にをらぬかもしれず独逸の章魚のパウルもわれも  (春畑 茜)







いにしへの廃帝かとも冬の鳩

2010年01月28日 15時01分48秒 | つれづれ
とにもかくにも、
ちび鯱が教室で大怪我をするに至った現場状況のことや、
その後登校拒否になったわが子の心の傷のことや、
いく度かの学校での折衝のあれこれさえ、
ただむなしい限りに過ぎて、
〈ちび鯱を背後からど突き、ロッカーに直撃させて耳を一針縫う目にあわせた〉
その行いを認めようとしない輩に対して、
背後からの悪質なファウルは少なくとも赤札一発退場ではないのか、と

思えば思うほど、
すさまじいほどのストレスと
やり場のない怒りとかなしみに、
嗚呼、と寝込んでいると
今日も学校の保健室から電話が来て、
やっとの思いで登校させたちび鯱が微熱を出しているとのことで、
ともかく
これから車で学校に迎えに行かなければならないわけで。







それでは、行ってまいります。


冬雲や傷癒えぬ子の手をひいて

2010年01月24日 04時47分17秒 | つれづれ
それは今年の成人の日の翌日、1月12日火曜日のことにございました。
ちび鯱が小学校の教室で、耳に大怪我を負ったのでございます。
連絡を受けて、病院に駆けつけました。
学校の養護の先生に付き添われて、ちび鯱は診察までの長い待ち時間をぐったりとしながら耐えて居りました。
救急ではなく、一般受付で受診という形を学校側がとったからでございました。

長い長い待ち時間をへて、ようやく頭のCT検査を受け、
それからやっと脳外科の先生に診ていただきました。
ちび鯱の左耳は、外側からおよそ1センチぐらいでしょうか、ざっくりと裂けて出血して居りました。

一体どうしてこんな大怪我を負わなければならなかったのか。
その日、その時、目にした光景は、想像以上のものでした。

「2針3針縫うかなあ。だけどここ(の部位には)、麻酔が打てないんだよねえ」
そう言って、脳外科の先生は、ちび鯱の傷をしげしげと眺めて居られました。

結局、麻酔なしで傷を縫い合わせることになったのでございます。
看護士さんと、学校の養護の先生と、そして私の三人で、ちび鯱が動いてしまわぬよう、おさえて居りました。
痛みに身をよじりながら喚くわが子の声は、いまも耳に焼きついています。


1針縫ったところで、奇跡的に耳の裂け目がつながったため、処置はそこで終わりました。

「僕、どうしてこんな目に遭わなきゃいけないのかな」
駐車場でそう呟くちび鯱の手をひきながら、私も途方に暮れて居りました。
そのあと、ちび鯱を自分の車に乗せて、どのように家まで帰ったのか。
兎にも角にも家に戻った私たちは、それから続く理不尽なことを想像する余力もなく、
ただぐったりと疲れて居りました。