今年最後の日記となりました。
昨日(30日)夕刻に「短歌人」1月号が届き、
短歌人賞の選評において、途中福井の某氏により、誌上に名指しで私は過酷な批判を受けました。私とともに名前をあげられてしまったS山さんは、被害者であろうと私には思われました。
私は福井の某氏に名指しで批判を受けるのがこれがはじめてではありません。
4月の扉の作品に対してもミクシィ上のコミュニティ(掲示板のような場所)にて私ひとりが名指しで酷く批判される書き込みがされていました。
*
うつ病がよくなりかけたころにいつも酷い批判を受けては、
心身ともに大変な状態になる、ということを
再度されたからには、私の短歌の力量を批判なさりたいのか、
それとも私自身を批判したいのか、短歌人から追い出したいのか、
私に死んでしまえとでもいいたいのか、
そのどれかなのでしょう。
4月の批判を受けて以来、うつ病である私は生きているのも辛い日々を送りました。食欲もなくなり、痩せつづけています。
そして昨日30日の某氏の選評を何度読み返しても、ここにあるのは
私への憎悪だけであろうと思われました。
私には某氏の文章はそのようにしか思われなかった、ということをここに述べさせていただきます。そして今現在、心身ともに相当なダメージを受け、これから正月を含めて一体何日寝込めば立ち上がることができるものか、途方に暮れております。
今年はこのような言葉(書かれた文字)による災難が1度ならず、年末にもおとずれ、うつ闘病中の自分の心身や命を守るために寝込むほか道はあるまい、と思うのです。寝込んでいればうつ病重症期の自殺念慮も何とかおさえられるのではないか、という思いです。
短歌に批評はつきものですが、「あからさまな個人攻撃」と「良質な批評」とは違うものだと私は思っております。
*
皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。
今年一年お世話になりました方々に御礼申し上げます。
*
(けふの即詠/十二月三十一日)
・若狭湾より伊吹嶺を越え来たる風がつめたしわが身の芯に (春畑 茜)
昨日(30日)夕刻に「短歌人」1月号が届き、
短歌人賞の選評において、途中福井の某氏により、誌上に名指しで私は過酷な批判を受けました。私とともに名前をあげられてしまったS山さんは、被害者であろうと私には思われました。
私は福井の某氏に名指しで批判を受けるのがこれがはじめてではありません。
4月の扉の作品に対してもミクシィ上のコミュニティ(掲示板のような場所)にて私ひとりが名指しで酷く批判される書き込みがされていました。
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うつ病がよくなりかけたころにいつも酷い批判を受けては、
心身ともに大変な状態になる、ということを
再度されたからには、私の短歌の力量を批判なさりたいのか、
それとも私自身を批判したいのか、短歌人から追い出したいのか、
私に死んでしまえとでもいいたいのか、
そのどれかなのでしょう。
4月の批判を受けて以来、うつ病である私は生きているのも辛い日々を送りました。食欲もなくなり、痩せつづけています。
そして昨日30日の某氏の選評を何度読み返しても、ここにあるのは
私への憎悪だけであろうと思われました。
私には某氏の文章はそのようにしか思われなかった、ということをここに述べさせていただきます。そして今現在、心身ともに相当なダメージを受け、これから正月を含めて一体何日寝込めば立ち上がることができるものか、途方に暮れております。
今年はこのような言葉(書かれた文字)による災難が1度ならず、年末にもおとずれ、うつ闘病中の自分の心身や命を守るために寝込むほか道はあるまい、と思うのです。寝込んでいればうつ病重症期の自殺念慮も何とかおさえられるのではないか、という思いです。
短歌に批評はつきものですが、「あからさまな個人攻撃」と「良質な批評」とは違うものだと私は思っております。
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皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。
今年一年お世話になりました方々に御礼申し上げます。
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(けふの即詠/十二月三十一日)
・若狭湾より伊吹嶺を越え来たる風がつめたしわが身の芯に (春畑 茜)