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人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

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箴言4章

2013年09月14日 05時54分07秒 | 箴言
<朝のディボーション>
 父親が子に、愛情深く語り掛けている場面が思い浮かべられる。「私のことばを心に留め、私の命令を守って生きよ」と語る。そこで語られるのは、禁止事項ではない。あれをしてはいけない、これをしてはいけないというのではない。ただ知恵を愛し、知恵に基づいて生きるように教えている。ある家族社会学の調査で、親が子どもと話す事柄について、学校や、勉強のことは話すが、社会や人生についてはほとんど話さない、という結果がある。その調査は、アメリカの家庭との国際比較をし、日本の家庭では特にその傾向が強い、とまとめている。聖書が教える家族文化は、まず父親が子どもと生き方を語り合うものである。父親が、子どもに人生の生き方のコツを諭している。父親の役割は、三様であると言われる。子どもが幼少期にある時は、子どもが母親の愛情を十分受けられるように母親を心理的にサポートする。子どもが学童期に入れば、家庭に社会の風を積極的に吹かせる。そして、青年期には、生き方の範を示す。学校教育の下請けになっているような家庭が多い中で、聖書に従い、知恵ある生き方を教える重要性は強調されるべきだろう。
確かに人が進む道には様々なものがある。そういう中で、子どもに教えたい正しい道筋、これが幸せの道だと思える道、道徳的にまっすぐな道、というものがある。この道は確かだ、この道筋には光がある、生きるんだったらこういう生き方を選びなさい、と言いたいものがある。余計な道に首を突っ込んで、自分の人生をいたずらに傷つけることがあってはいけないよ、と言いたいものがある(15節)。というのも人間は、傷つき、道を踏み外してしまえば、それらすべての過去を背負って面目丸つぶれのままに生きて行かなくてはならない。だから予め避けられるものは避けておいた方がよい。失敗のレッテルを進んで貼り重ねる必要はないのである。
<夜のディボーション>
 「わが子よ。私のことばをよく聞け。私の言うことに耳を傾けよ」(20節)。知恵というのは、ただ学ぶだけではだめであって、それから目を離さず、心の中心に据え熟慮し、足の動きに伝達するのでなければ、役には立たない。知恵を聖書の教えに置き換えて読むとよい。聖書の教えをよく消化し、自身の歩みに生かしていく時に、それは、いのちとなり、私たちの全身を健やかにする。「力の限り、見張って、あなたの心を守れ」知恵というのは、自らの人生に適応してこそ力を発揮する実践知なのである。ただわかっているだけではだめなのだ。「偽りを言う口をあなたから取り除き、曲がったことを言うくちびるをあなたから切り離せ」それは、イエスが語るように人生に生かしてこそ力を発揮する(マタイ15:10-20)。こうして「義人の道」は、初めこそ、おぼつかないものであっても、一歩一歩進むうちに、暁のように明るさを増し、ついには、真昼のように、輝くものとなる。「悪者の道」はその逆である。彼らの道は、初めは颯爽とし、輝かしいものかもしれないが、何に躓くかわからない。私たちに必要なのは、頭のよさでもチャンスでもなく神の知恵に生きる決断である。

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