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人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

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箴言19章

2013年09月29日 05時39分46秒 | 箴言
<朝のディボーション>
 人生においてお金のあるなしは、決定的なことのように思われるものだ。「財産は多くの友を増し加え、寄るべのない者は、その友からも引き離される」(4節)。確かに、お金があれば多くの友ができるだろう。貧しい者の友になろうとする者などまずいない。「貧しい者は自分の兄弟たちみなから憎まれる。彼の友人が彼から遠ざかるのは、なおさらのこと。彼がことばをもって追い求めても、彼らはいない。」(7節)実に、貧しさは、友ばかりか、兄弟をも失わせる。「高貴な人の行為を求める者は多く、だれでも贈り物をしてくれる人の友となる」(6節)何よりもお金様様だ。
ただ聖書は、そういう現実の一面を手放しで肯定しているわけではない。1節。貧しくても、誠実に歩む者は、曲がったことを言う愚かな者にまさる」誠実に歩む貧乏人は、金があっても人を騙すような人間よりはましである、ということだろう。金持ちが悪だと言っているわけではない。しかし、「愚かな者にぜいたくなくらしはふさわしくない」(10節)と言うように、よい収入を神の恵みとして受け止め、正しく用いる心のない金持ちは、神の目にも評価されてはいない。だから一方で、貧しいはずの奴隷が主人を支配する状況にも警戒が示されている。言いたいことは、お金があっても、お金がなくても、神の前に誠実に歩む、ということではないか。人は裸で生まれ、裸で帰っていく。人はすべて神の恵みに浴して生きている。だから多く任された金持ちは、その責任を自覚しなくてはならないのだし、少なく任されたとしても、それなりに任されたものに誠実に歩むことが求められている。神は誠実さを決して忘れることはない。
<夜のディボーション>
実際、主が、全てをご覧になり、全てを導いておられる「寄るべのない者に施しをするのは、主に貸すことだ。主がその善行に報いてくださる」(17節)。「貧しい人に施すというのは、神に貸すことと同じで、後でたっぷりその利息がついてくる」とリビングバイブルは訳している。人間社会は、貧乏人と金持ちで分かれるわけではない。勝ち組と負け組で分けられるわけでもない。人はそのような区別をするが、神はそうではない。むしろ、神は勝ちでも負けでもなく、人が互いに分かち合い、互いに助け合い、支え合うことを期待しておられる。金持ちであるということは、神の祝福である以上に、神の委託であり、信頼である。神は、貧しき者たちと分かち合い、活用するために、その富を任されたのである。だから富にあぐらをかいて、富める者たちの交わりを好み、享楽三昧な生き方をするなら、罰は免れない。「主を恐れるなら、いのちに至る。満ち足りて住み、わざわいに会わない」(23節)。主を恐れ、正しく物事を見極め、正しく自分の役割を務めを果たす者は、その豊かさを生かすことができ、災いに会うこともない。
 「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る」人にとって絶対的なものは、金でも権力でもない。主のはかりごとである。その事実に気付かねばならない。神にとって奴隷を宰相にすることは容易いことである。主を認めて歩ませていただこう。

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