ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

ジェームズ・バルジャーくん殺害事件 ⑤ [トンプソンの生い立ち]

2013-03-24 18:54:05 | 事件

ロバート・トンプソンは、すさんだ家庭に育った。情け容赦なく妻にも息子たちにも暴力をふるった父親は、事件の5年前の1988年に、他に女を作って家族を捨てて出て行った。父親自身も、まったく同じ環境で成長していた―――愛情もサポートも見守る大人もない家庭で、兄たちに暴力をふるわれながら育った。母親のアンも、虐待にさらされながら成長していた。父親の暴力から逃れるため、アンは18歳のとき同い年だったロバートの父親と結婚した。だが夫は、父親と同様乱暴なアル中だった。夫は息子たちの前でもかまわずアンを殴り、アンはアンで、ストレスと怖れから息子たちを棒切れやベルトで執拗に叩いた。アンは薬の大量服用で自殺を図ったこともあったが、最終的には酒に溺れることで現実を逃避するようになり、子供たちをほったらかして行きつけの酒場でくだを巻き、女性客ばかりか男性客ともよく喧嘩騒ぎを起こした。

放任された6人兄弟は、お互いをかばい合い助け合って暮らす代わりに、お互いへの暴力で憂さを晴らした。兄は弟を殴り、殴られた弟はさらに年下の弟を殴った。弟たちの子守りを言いつけられると、兄たちは弟たちを鳩小屋に押し込んで鍵をかけた。ロバートは6人兄弟の5番目で、4人の兄たちはロバートを殴り、叩き、噛み、蹴り、散々痛めつけた。ロバートは必死の嘘で暴力を逃れようとし、逃れられないとわかると反抗的な態度でされるがままになった。トンプソン一家は、警察や社会福祉課や児童相談所によく知られた存在だった。トンプソン兄弟の長男デイヴィッドは、4歳のときに一時期児童保護サービスにより家族から離されたことがあった。目の周りに黒痣をつくり、タバコの火で負わされたと思われる火傷跡をつけていたためだった。別の兄は泥棒の常習犯になり、ロバートを一緒に連れて行くこともあった。放火魔になり、幼い子供への性的暴行で調べられた兄もいた。(ロバートが性的暴行を受けていた可能性もある。)別の兄は教師を暴力で脅した。アンが三男のフィリップを警察へと連行したこともあった。フィリップが15歳だった兄のイアンをナイフで脅したためだ。自発的に家を出て児童保護センターにしばらく保護されていたイアンは、家に戻されたとき、鎮痛剤を大量に服用して自殺を試みた。フィリップもまた、同じ手段で自殺を試みたことがあった。トンプソン兄弟は、その悪評のため、犯罪が起こると必ずチェックされた。学校さぼりの常習だった彼等は、学校や警察などの権威ある存在を見くびるようになった。ロバートには小学校に入学して早い段階で高い知能水準の兆しが見られていたため、彼が学校をさぼるようになったのは残念なことだった。

                              

事件の1年半前に母親が、父親の異なる7番目の息子ベンを産むと、ロバートは子守りをした。ロバートはずる賢かったが、それほど攻撃的ではなかった。トンプソン兄弟にふさわしくなろうと粗野で強気の発言をし、午前1時に町をうろついたりもしたが、暴力事件を起こしたことはなかった。成績が悪いためよく学校をさぼりはしたが、学校ではトラブルメーカーとは考えられていなかった。教師たちは、ロバートは内気でおとなしいが、周りの人間を操ることに長けていると感じた。兄たちほど素行は悪くなかったが、兄たちの悪評の陰に隠れているようなところがあった。教師たちは彼に多くを期待せず、他の生徒たちは彼を避けた。ジョン・ヴェナブルズは彼の数少ない友達の一人になった。

兄たちに虐げられて育ったロバートは、2歳下の弟ライアンに同様のことをするようになった。ライアンはロバートを怖れるようになったが、しかし二人の間には、奇妙な絆があった。二人は夜、一緒のベッドに並んで横になり、お互いの親指を吸った。(ロバートの裁判中、ライアンは懸念を引き起こす振舞いを見せるようになった。定期的に夜尿するようになり、自分の部屋に火をつけ、体重を増やした。関心を独り占めしているロバートに嫉妬しているようだったため、アンはライアンもまた、自分に関心を呼ぶため何か恐ろしいことをするのではないかと怖れた。)ロバートはライアンに学校をさぼらせ、自分に付き合わせた。ジェームズ・バルジャーを連れて行ったのと同じ運河にライアンを連れて行き、そこに置き去りにしたこともあった。

自分より小さい者しか思い通りにできなかったロバートは、そのストレスを幼いジェームズに向けたのだろうか。しかしだからといって、それはロバートがジェームズに対する暴力の最初の一歩を踏み出したということには、必ずしもならない。幼児を拉致するのはロバートのアイディアだったかもしれないが、ジェームズを拉致する前に、別の2歳男児を母親から引き離そうと試みたのはジョン・ヴェナブルズだった。大人の干渉が入ったとき、ロバートはジェームズの手を離したが、ジョンに「その子の手を取れ」と言われてまたジェームズの手を掴んだ。ジョンはまた、“僕ら”ではなく「“僕”があの子を殺した」とも発言している。ジェームズ拉致後にリードを取ったのは、ジョンだったと考える方が理にかなうようにみえる。

裁判の間、マスコミの矛先が向けられたのはロバートだった。家庭での暴力に“鍛えられ”、生き延びる手段として、無表情で反抗的な態度を取る癖が身についていたためだ。実のところ、ジョン・ヴェナブルズの方が暴力的で激しやすい傾向を見せていた。ジャーナリストのデイヴィッド・スミスは、ジェームズに最もひどい暴力を加えたのはジョンだったと信じた。しかしもちろん、ロバートがただの傍観者だったわけではない。「ジェームズへの暴力は、一度始まったら止めようがなかっただろう。極度の緊張状態の中の、怖れ、怒り、エスカレートする暴力性、残虐性。おそらく兄たちに性的虐待も受けていたロバートは、弟ライアンに同じ事をしていたと考えられる。そしてジェームズにも性的暴行を加えたかもしれない。」尋問の最中、性的暴行に関する質問をされて「僕は変質者じゃない」と憤ったロバート。『粗暴』の仮面をつけつつ、幼い一面も持っていたロバート。

親の愛情も庇護もないまま子供らしく成長できなかった彼は、無垢な幼児ジェームズに、内面の怒りを爆発させたのだろうか。

≪敬称略≫

≪ につづく ≫

 

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