ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

千葉県匝瑳市、野手「円長寺のナギ」(市指定)です!!

2023-11-28 06:30:48 | 巨樹・大木
 野手地区は、匝瑳市役所の南約4kmのところ

  匝瑳市役所の南側の国道126号線を南西へ

 約2.5kmの「国道296号入口」信号を鋭角に左(南東)へ、県道48号線バイパスです

 直ぐにJR総武本線を陸橋で越えると道成りに約4.5kmの「市立野栄中学校」前の信号を左(東)へ

 約500mで左に入ると六社大神の鳥居が見えます、鳥居前を右へ入ると

 真言宗 智山派 龍亀山 円長寺の駐車場があります

 南南東向きに参道です

 山門の仁王門です、祀られている仁王様は「海中出現仁王尊」です

*ネットの匝瑳市の公式ホームページに円長寺の仁王様という伝説が載っていました
 昔々のこと、それはものすごい風と雨が何日も続いて、人々は天を仰ぎながら「風神様の風の袋が破れてしまったのだろうか?」とか「天の底がぬけてしまったのかも知れぬ?」などと話しながら、困りはてていました。
 海がしけて魚がとれない。農作物も、大風に荒らされて大きな被害を受けた。「何かのたたりかも知れない?」村人の不安がいっそうつのっていきました。
 そこで相談の結果、みんなそろって神社や寺にお参りすることになりました。
 お参りをしてから二、三日過ぎると、あら不思議、風雨はピタリとやみ、きのうまでの嵐はウソのようなよい天気。
 しかし、嵐の後の田畑は荒らされ、海岸には大木やゴミが打ち上げられ、足の踏み場もないありさま。そしておどろいたことに、木やゴミといっしょに、貝がらのついた片足のない二本の大きな仁王様も打ち上げられていました。
 それは陰と陽の仁王様で、うつぶせの姿勢で、いかにも陸へはい上がろうとしているようでした。
 村人たちは、そのようすから陸へ引っ張り上げてやろうとしました。不思議にもその大きな仁王様が、四人ほどで簡単に持ち上げることができたのです。「仁王様は、きっとどこかへ行きたいんだ、向いている方へどこまでも運んでいこう」と村人たちは、かわり番にかついで行きますと円長寺の門のところまで来ると、突然仁王様が重くなり、どうしても動かすことができません。「仁王様は円長寺の門に立ちたいんだ」と気がついた村人は、付着していた貝がらを落とし、もげた足を修理して色を染めなおし立派な門をつくって、ここに祀(まつ)ることにしました。
 やがて、風雨で荒らされた田畑の作物ももちなおし、海では魚もたくさんとれるようになり、「これは仁王様のおかげだろうか?」、「それにしてもこの仁王様は、いったいどこから流れてきたのだろうか?」と話し合ったと・・・。
 いい伝えによると、鎌倉の動乱のとき、北条氏が建長寺の山門にあった仁王尊を海に流したものだそうです。   
  (引用させて頂きました)

 山門を潜ると参道右側に、風除けネットに囲まれて目的のナギです

 南側から、ゴツゴツした幹が樹齢を感じさせますが樹齢は不明です

 西側から

 説明版です
   野栄町指定天然記念物
     梛  1樹
       昭和46年3月27日指定
 まき科の常緑樹で、暖地に自生し、本州の暖地・四国・九州などにわたって分布している。
 また神社仏閣などの境内によく植えられる。花は黄色く夏開く。
 樹の材質は非常にきめこまやかで、床柱・家具などに用いられる。
 葉は竹の葉に似て、古く鏡の裏やお守り袋に入れて災難除けとして用いられた。
 樹高10.5m、目通り3.7mで当町においては最大の梛である。
      昭和60年2月20日   八匝教育委員会

*野栄町は、昭和29年(1954)7月17日に栄村と野田村が合併して野栄町が発足し、平成18年(2006)年1月23日、北側に隣接する八日市場市と合併し匝瑳市となりました。
*円長寺の梛(ナギ)は、「人里の巨木たち」のリストでは全国第4位の太さだそうです。
 
 北西側から

 北側から見ました

 鐘楼です

 本堂です、東日本大震災で被害を受けて再建されました

 では、次へ行きましょう

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