ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

山梨県身延町、八日市場「八幡神社のケヤキ」(市指定)です!!

2020-02-12 06:59:00 | 巨樹・大木
八日市場地区は、身延町役場の南約2kmのところ

国道52号線の西側の生活道路沿いに

参道を東向きに八幡神社が鎮座します

参道南側にある歴史民俗資料館の

広い駐車場を利用させて頂きました


郷社八幡神社参道入口です


参道を進みましょう

鳥居です

手水舎です

拝殿です

本殿覆い屋です

説明版です
 八日市場八幡神社境内の指定文化財
■八日市場八幡神社本殿
    昭和39年5月12日 町指定
 創建は康治9年(1142)、京都の
男山八幡の神影を遷祀したので八幡神社
と称する。祭神は誉田別命、珠依比売命
、息長足志姫命。社格はもと郷社であっ
た。再建の記録として、正和元年(13
12)2月本社再建、慶安元年(164
8)7月前殿再建、宝永5年(1708)
6月社壇造立等の棟札の記録が残ってい
るが、今棟札は不明。現在の社殿は天保
14年(1843)4月再建されたもの
で、一間社流造り、破風表御拝彫物附、
檜皮葺。下山大工である下山村松木運四
郎宜絹、飯富村嶋村半兵衛玄良、下山村
望月松兵衛隠清の造営。文久2年(18
62)6月蛸屋(桁行3間、梁間4間)
を作った。
【下山大工】
 下山大工の歴史は鎌倉時代初期から中
期の頃に南部氏・下山氏・諸社寺造営等
を社会的背景として出発したものと思わ
れる。下山石川武重家には、日蓮聖人の
入滅(1282)後、六老僧の一人、日
興上人が身延を去り駿河に赴く際、同家
の先祖が同行し上人のため、「六坪の間」
を造作したのに始まると語り継がれてい
る。良材の得易いこと、耕地の狭小等の
自然的・社会的要因も下山大工発展の要
因となったことは戦国、江戸期の文献か
ら良く知り得る。
■ケヤキ
    昭和39年5月12日 町指定 
 幹周は6m以上あり、樹高も約30m
と巨樹である。昭和62年春突風のため
主枝が折れたが、なお樹勢は良い。大聖
寺や八幡神社の歴史を物語るかのように
古いもので、かつての荘厳さをうかがわ
せている。なお、ここ八幡神社にあるヤ
ブツバキとヒイラギは富士川流域でほぼ
自生の上限となり、小さいが北限として
は大きい。
  平成30年3月26日
         身延町教育委員会


境内社です

拝殿の左手に目的のケヤキです


拝殿前から見上げました

ケヤキの根元の境内社です

拝殿前のヤブツバキです

右側のヒイラギです

では、次へ行きましょう

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