ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福島県三春町、中町「愛宕神社のケヤキとイヌシデ」(町指定)です!!

2022-11-20 06:30:00 | 巨樹・大木
 中町は、三春町役場の西約500mのところ、三春町の中心部です

 国道288号線沿いに案内板です

 南南東向に参道が開いています、参道を進むと

 一ノ鳥居です

 説明版です
   愛宕神社
 勧請の時期は明らかではないが、江戸時代初期の三春城下絵図に記載されているので、それ以前の勧請である。
 本社は京都市嵯峨の愛宕神社とされ、祭神は火之迦具土神である。火之迦具土神は、防火や鎮火の神とされ、三春城下の火伏の神として尊ばれた。
 拝殿は江戸時代後期に造営され、本殿は旧三春尋常小学校奉安殿を移築したものである。
 拝殿向かって右側のケヤキと本殿裏のイヌシデが、町指定天然記念物である。


 ニノ鳥居です

 ニノ鳥居南側から三春の街並みを見下ろしました

 更に急な石段を登ります

 拝殿です

 拝殿軒下に由来記です
  愛宕神社 由来記
   鎮座地 三春町字中町97番地
 慶長18年(1613年)時の三春城主蒲生郷治は、三春鎮護と火伏せ等を祈念して、総社の阿多古神社から「迦具槌命」(火の神様)と「将軍地蔵尊」等を分霊して、京都に習って三春城から西方の現在地に愛宕堂を建てて祀った。
 それ以降愛宕堂には代々法印が居住して御祭神を守護していた。
 正保2年(1645年)秋田氏が三春城主となって、町内は6町に区割され、それぞれに鎮守の社が定められて、愛宕堂は中町の鎮守と成り、町民は特に竃神として、火伏の神として、発展繁栄・開運勝利・家庭安穏等を祈念し、町内自治活動の中核となっていました。
 愛宕堂は明治の神仏分離令によって愛宕神社となり、祭日は9月24日を4月24日(総社の鎮火祭日)に改められ現在に至っています。
 なお、当社の「将軍地蔵尊」は秘仏とされて、二重の木箱に納められ外箱には「愛宕山本地秘仏 天下泰平 国家安穏」とあり、古来から「将軍地蔵尊」を念づれば競争にうち勝ち、また貧虚から免れると云われて来ました。
 柱1,「迦具槌命」の親は「伊牙ナミノ尊」と云われております。
  2,「総社」とは京都市右京区嵯峨愛宕町の「愛宕神社」とされています。
    平成3年2月1日
  奉納者 橋本忠雄・岩崎清治・大沢博・栗原一二


 本殿です

 境内西端から目的のケヤキです

 南東側から見上げました

 天然記念物標柱です

 南側から、目通り幹囲4.8mの大木です

 西側から



 本殿北側に境内社の祠が並びます

 本殿後ろ側の一段高い丘の上に、イヌシデが見えました


 北側から、しめ縄が巻かれています

 西側から、目通り幹囲3.0mの大木です

 南側から

 南東側から

*イヌシデは、カバノキ科クマシデ属の落葉高木で、本州、四国、九州の山野に自生する。基本的に陽樹だが、稚樹や幼樹には一定の耐陰性がある。
 高さ15-20m。樹皮は灰白色でなめらかであり、縦に網目模様ができる。花期は4-5月頃、雌雄異花で花序は穂状で下垂する。 風によって花粉を飛ばす風媒花であり、種子も風を利用した種子散布に適応した羽根形の構造となっている。葉の側脈の間に白い毛が多くあり、秋には葉が黄色く紅葉する。
 和名の由来は、花穂の垂れ下がる様子が注連縄(しめなわ)などに使われる紙垂(しで)に似ているから。
 (ウィキペディアの抜粋です)

 モミの大木です

 西側から見ました

 では、次へ行きましょう

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