鴨島町森藤地区は、吉野川市役所の南南東約2kmのところ
吉野川市役所の南側の道路を東へ、約300mで右(南東)へ、鴨島中央橋で麻名用水を渡ります
約300mで丁字路を左(東)へ、またすぐ約100mで右(南)へ
道成りに約900m進んで丁字路を左(東)へ、またすぐ斜め右(南東)へ坂道を上ります
約300mで道路正面に大きなクスノキが見えました
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
北西側から
西側から、北側に大枝が出ています
「徳島県指定天然記念物 壇の大クス」の標柱です
説明版です
徳島県指定天然記念物
壇の大クス
指定年月日 昭和40年3月5日
くすのき科に属する本樹は、地上1mの樹周10.3m、地上2mの所より北方へ、一大巨枝を分岐す。
樹高35m、樹冠東西25.8m、南北53mの一大巨樹で、鴨島町全域よりこれをながめることができる。
樹令推定950年と思われる。
南西側から
南側から
南東側に木の鳥居です、懸額には「若宮神社」とあります
若宮神社の石祠です
記念碑です
平康頼公800年記念
文治2年(1186年)7月22日、平康頼公は、阿波の国麻植保司として、当地に着任され、爾来民生の安定に力を注ぎ、こよなき善政を行われた。
当康頼神社は、天明年間に村人や家臣等ゆかりのものが、公の生前の徳を慕い、後世永くその功績を称えんが為、建立されたものである。
保司着任800年を記念して、この地民相集い、ここに碑を建て顕彰するものである。
1986年7月吉日
*平 康頼(たいら の やすより、生没年未詳[)は、平安時代の武士。信濃権守・中原頼季の子。官位は六位・左衛門大尉。後白河法皇の近習として北面に仕える。
明経道の家柄である中原氏に生まれる。10代で平保盛(平清盛の甥)の家人となる。保盛は長寛元年(1163)越前国の国司に任ぜられているが、18歳の康頼も越前国に派遣されて、この頃に主君から平姓の賜与を受けたと思われる。保盛は仁安元年(1166)尾張国の国司に転任し、康頼を目代に昇格させて派遣した。
承安4年(1174)北面の武士から検非違使・左衛門大尉に任ぜられ、平判官と称した。
平家滅亡後、文治2年(1186)頼朝はかつて受けた恩義に報いた、父の義朝の墓を整備・追善した平康頼は天領阿波国麻殖保の保司に任ぜられ同じ平を名乗る二人の者が行動を共にした。(以上ウィキペディアより抜粋)
記念石碑は、この保司のころ、50代の業績を讃えたものですね
東側から幹を見ま上げました
南西側道路から大きな樹冠を見ましたが、写真に入り切れませね~
では、次へ行きましょう
2024・6・8・18・05
吉野川市役所の南側の道路を東へ、約300mで右(南東)へ、鴨島中央橋で麻名用水を渡ります
約300mで丁字路を左(東)へ、またすぐ約100mで右(南)へ
道成りに約900m進んで丁字路を左(東)へ、またすぐ斜め右(南東)へ坂道を上ります
約300mで道路正面に大きなクスノキが見えました
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
北西側から
西側から、北側に大枝が出ています
「徳島県指定天然記念物 壇の大クス」の標柱です
説明版です
徳島県指定天然記念物
壇の大クス
指定年月日 昭和40年3月5日
くすのき科に属する本樹は、地上1mの樹周10.3m、地上2mの所より北方へ、一大巨枝を分岐す。
樹高35m、樹冠東西25.8m、南北53mの一大巨樹で、鴨島町全域よりこれをながめることができる。
樹令推定950年と思われる。
南西側から
南側から
南東側に木の鳥居です、懸額には「若宮神社」とあります
若宮神社の石祠です
記念碑です
平康頼公800年記念
文治2年(1186年)7月22日、平康頼公は、阿波の国麻植保司として、当地に着任され、爾来民生の安定に力を注ぎ、こよなき善政を行われた。
当康頼神社は、天明年間に村人や家臣等ゆかりのものが、公の生前の徳を慕い、後世永くその功績を称えんが為、建立されたものである。
保司着任800年を記念して、この地民相集い、ここに碑を建て顕彰するものである。
1986年7月吉日
*平 康頼(たいら の やすより、生没年未詳[)は、平安時代の武士。信濃権守・中原頼季の子。官位は六位・左衛門大尉。後白河法皇の近習として北面に仕える。
明経道の家柄である中原氏に生まれる。10代で平保盛(平清盛の甥)の家人となる。保盛は長寛元年(1163)越前国の国司に任ぜられているが、18歳の康頼も越前国に派遣されて、この頃に主君から平姓の賜与を受けたと思われる。保盛は仁安元年(1166)尾張国の国司に転任し、康頼を目代に昇格させて派遣した。
承安4年(1174)北面の武士から検非違使・左衛門大尉に任ぜられ、平判官と称した。
平家滅亡後、文治2年(1186)頼朝はかつて受けた恩義に報いた、父の義朝の墓を整備・追善した平康頼は天領阿波国麻殖保の保司に任ぜられ同じ平を名乗る二人の者が行動を共にした。(以上ウィキペディアより抜粋)
記念石碑は、この保司のころ、50代の業績を讃えたものですね
東側から幹を見ま上げました
南西側道路から大きな樹冠を見ましたが、写真に入り切れませね~
では、次へ行きましょう
2024・6・8・18・05
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