ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県上越市、茶屋ケ原「明治天皇御小休所跡のタブノキ」です!!

2022-12-12 06:31:00 | 巨樹・大木
 茶屋ケ原地区は、上越市役所の西北西約10kmのところ

 国道8号線を西へ、日本海沿いを進みます、吉浦信号の次の信号が茶屋ケ原集落入口です

 左に戻るように鋭角に坂道を上って行きます、集落に入って左へ

 右にカーブした先の一時停止から正面奥に

 社號標のような石碑が建っています

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 「明治天皇茶屋ヶ原御小休所阯」の碑です

 碑の後ろ側のタブノキの大木です

 入口北側のタブノキです

 東側のタブノキです

 説明石碑です
  明治天皇茶屋ヶ原御小休所阯
 明治天皇は、明治11年(1878)8月20日東京を出発され、9月10日新潟県に入られ、馬車や板輿で高田・直江津を経て中・下越を巡幸された。ついで9月25日・柿崎を趣発され、直江津・長浜を経て加賀街道を進まれ、当家において御少休止された。
  白浪のかへる日かすをかそふれば またはるかなりこしの長はま
 この歌は、天皇に供奉した、宮内大書記二等侍補高崎正風が、青木峠にさしかかった際、天皇の叡旨を休して詠んだものである。
 当家において、天皇は、庭の青木(たぶ樟)を叡覧された。
 そもそも、承久3(1221)年、承久の乱により順徳上皇は佐渡へ遠流となった。当時の日の入城(茶屋ヶ原地内)主、城基知が、上皇を名立浜で奉迎し供奉を請うたが、御遷幸の身の上皇は、それを許さず記念に当邸の四隅に青木を植え、姓も青木に改めるよう勅許されたと伝えられる。
 その宿縁により明治7年5月21日上皇の御尊骸が京都へ還御の際も御小休所となった。
 (佐渡での順徳上皇に関しては、このブログの2022年7月7日の黒木御所・2022年7月13日の真野御陵の記事を確認いただければと思います)

 明治天皇聖蹟の碑です

 一番奥に目的のタブノキです

 南西側から、目通り幹囲5.4mの巨木です

 南側から見ました

 では、次へ行きましょう

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