新治廃寺跡は、国道50号線の直ぐ北側、筑西市と桜川市の境に有ります
筑西市役所の東北東約6kmの所です
国道から史跡の東側の入口に
車を止めました

国道50号線沿いの案内板です

国道脇の史跡碑です

東側より史跡を見ます

説明版です
国指定史跡 新治廃寺跡
昭和17年7月21日指定
この丘は日本武尊の歌に見える新治国として上代常陸国新治郡の中心地域にあたるところである。あ
たりにはこの寺跡の他にこの全面国道南側一帯の地域に五十一棟の建築群の跡をのこす新治郡衙跡(国
指定史跡)があり、北東6km岩瀬町大泉堀の内にはこの郡所属の須恵器窯と見られる堀の内古窯跡群
(茨城県指定史跡)がある。この寺跡は、これら上代新治郡関係遺跡の中心遺跡と見なされる。
ここに見る四基の土壇のうち前方三基が金堂跡と東西両塔跡で、後方の一基は講堂跡である。これら
をめぐって廻廊があり、南廻廊中央に中門があり、廻廊の外側北方にさらに食堂・僧房・経蔵などと推
定される遺構がある。
この伽藍配置は、金堂の左右、その同線上に両塔がならぶという独自なものである。
この寺は奈良朝前期の末頃には常陸国新治郡の大領新治直家を中心に建てられた「新治郡の寺」で平
安初頭弘仁八年(西暦817)新治郡衙の火災で焼失したものとかんがえられる。
昭和五十五年一月 筑西市教育委員会
(新治郡衙については、このブログの2015年 月 日の記事をご覧ください)

南側より中門跡です

新治廃寺の中心

金堂跡の石碑です

金堂跡に説明版や大きな石碑・大ケヤキが立ちます

東側の東塔跡の石碑です

金堂跡から西塔跡です

西塔跡の石碑です

北側の畑の中には

講堂跡の石碑です

さらに北側には

食堂跡の石碑です

食堂跡から南を見ます、講堂の石碑と大ケヤキの立つ金堂跡です




南東側からの大ケヤキです




北東側から観ました
では、新治廃寺跡から南東約2kmに移動します


広い草原の脇に説明版が有ります

上野原瓦窯跡の説明版です
国指定史跡 新治廃寺跡(附)
上野原瓦窯跡
桜川市上野原地新田312-3
ここ上野原から古都(協和町)の台地には、古代新治郡の役所や大きな寺院が建てられて在った所
である、昭和十五年の発掘調査から「新治郡衙跡」「新治廃寺跡」「上野原瓦窯跡」が確認された。
この瓦窯は、平窯形式(実測図)のもので、郡衙、郡寺の屋根瓦・磚などを製作し窯跡である。ま
た出土した260点の及ぶ古瓦等の遺物は古郡の藤田「汲古館」に公開展示されている。
さらに、昭和五十年の再調査では、工房跡や掘立柱建物跡の一部が確認され、トレンチ内からは、
墨書や箆書された土師器・須恵器の杯形土 皿形土 出土した。
そのほか町内には、古代新治郡関係の窯遺跡として「本郷瓦の瓦窯跡」「富谷の薬師台瓦窯跡」
「大泉の堀の内須恵器窯跡(県指定)」が所在する。
桜川市教育委員会
では、次へ行きましょう

筑西市役所の東北東約6kmの所です
国道から史跡の東側の入口に


国道50号線沿いの案内板です


国道脇の史跡碑です


東側より史跡を見ます


説明版です
国指定史跡 新治廃寺跡
昭和17年7月21日指定
この丘は日本武尊の歌に見える新治国として上代常陸国新治郡の中心地域にあたるところである。あ
たりにはこの寺跡の他にこの全面国道南側一帯の地域に五十一棟の建築群の跡をのこす新治郡衙跡(国
指定史跡)があり、北東6km岩瀬町大泉堀の内にはこの郡所属の須恵器窯と見られる堀の内古窯跡群
(茨城県指定史跡)がある。この寺跡は、これら上代新治郡関係遺跡の中心遺跡と見なされる。
ここに見る四基の土壇のうち前方三基が金堂跡と東西両塔跡で、後方の一基は講堂跡である。これら
をめぐって廻廊があり、南廻廊中央に中門があり、廻廊の外側北方にさらに食堂・僧房・経蔵などと推
定される遺構がある。
この伽藍配置は、金堂の左右、その同線上に両塔がならぶという独自なものである。
この寺は奈良朝前期の末頃には常陸国新治郡の大領新治直家を中心に建てられた「新治郡の寺」で平
安初頭弘仁八年(西暦817)新治郡衙の火災で焼失したものとかんがえられる。
昭和五十五年一月 筑西市教育委員会
(新治郡衙については、このブログの2015年 月 日の記事をご覧ください)

南側より中門跡です


新治廃寺の中心


金堂跡の石碑です


金堂跡に説明版や大きな石碑・大ケヤキが立ちます


東側の東塔跡の石碑です


金堂跡から西塔跡です


西塔跡の石碑です


北側の畑の中には


講堂跡の石碑です


さらに北側には


食堂跡の石碑です


食堂跡から南を見ます、講堂の石碑と大ケヤキの立つ金堂跡です





南東側からの大ケヤキです





北東側から観ました

では、新治廃寺跡から南東約2kmに移動します



広い草原の脇に説明版が有ります

上野原瓦窯跡の説明版です
国指定史跡 新治廃寺跡(附)
上野原瓦窯跡
桜川市上野原地新田312-3
ここ上野原から古都(協和町)の台地には、古代新治郡の役所や大きな寺院が建てられて在った所
である、昭和十五年の発掘調査から「新治郡衙跡」「新治廃寺跡」「上野原瓦窯跡」が確認された。
この瓦窯は、平窯形式(実測図)のもので、郡衙、郡寺の屋根瓦・磚などを製作し窯跡である。ま
た出土した260点の及ぶ古瓦等の遺物は古郡の藤田「汲古館」に公開展示されている。
さらに、昭和五十年の再調査では、工房跡や掘立柱建物跡の一部が確認され、トレンチ内からは、
墨書や箆書された土師器・須恵器の杯形土 皿形土 出土した。
そのほか町内には、古代新治郡関係の窯遺跡として「本郷瓦の瓦窯跡」「富谷の薬師台瓦窯跡」
「大泉の堀の内須恵器窯跡(県指定)」が所在する。
桜川市教育委員会
では、次へ行きましょう

