浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

マッカーサー神社

2018-05-17 21:35:54 | その他
 半藤一利の『ぶらり日本史散策』(文藝春秋)を読んでいたら、マッカーサー神社のことが記されていた。

 1951年、マッカーサーが解任された。『朝日新聞』社説は、「マッカーサー元帥を惜しむ」などという社説を載せた。マッカーサーは、「われわれに民主主義、平和主義のよさを教え、日本国民を明るい道へ親切に導いてくれた」というのである。

 しかし6年前は、「比島決戦の歌」がうたわれていた。西条八十作詞だそうだ。

 一、決戦かがやく 亜細亜の曙
   命(いのち)惜しまぬ 若櫻
   いま咲き競う フィリッピン
   いざ来いニミッツ マッカーサー
   出て来りゃ地獄へ 逆落とし

 二、陸には猛虎(もうこ)の 山下将軍
   海に鉄血(てっけつ) 大河内(おおかはち)
   みよ頼もしの 必殺陣
   いざ来いニミッツ マッカーサー
   出て来りゃ地獄へ 逆落とし

 三、正義の雷(いかづち) 世界を震わせ
   特攻隊の 往くところ
   われら一億 共に往く
   いざ来いニミッツ マッカーサー
   出て来りゃ地獄へ 逆落とし

 四、御陵威(みいつ)に栄(さか)ゆる 同胞(はらから)十億
   興亡岐(わか)つ この一戦
   ああ血煙の フィリッピン
   いざ来いニミッツ マッカーサー
   出て来りゃ地獄へ 逆落とし


 「いざ来いニミッツ マッカーサー 出て来りゃ地獄へ 逆落とし」というように、地獄に落とそうとしていたその人物を「惜しむ」。日本人は、何とまあ忘れやすい、簡単に権力になびく、という気がしてしまう。

 それより、帰米するマッカーサーのために、

 吉田茂内閣は、彼を「終身国賓」とする、国会は「感謝決議文」をだす、「名誉国民」にし、銅像を建てようという募金活動が始まり、なんと「マッカーサー元帥記念館」、仮称マッカーサー神社を建立しようという計画がだされた。

 発起人は、秩父宮夫妻、最高裁長官田中耕太郎、朝日新聞社長長谷部忠、毎日新聞社長本田親男、大映社長野村吉三郎ら各界名士が並んだそうだ。

 ところがこれらは、実現しなかった。アメリカに帰ったマッカーサーが「日本人はまだ生徒の時代で、まず12歳の少年である」などと言ったからだ。勝手に最高権力者・マッカーサーに媚びを売り、本人からは「日本人は12歳」とバカにされた日本人。

 それでこれらの動きはなくなったようだ。この動き、日本人の特性を表しているようにも思える。


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