浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

『逍遥通信』第九号(2)

2024-06-16 12:16:46 | 

 札幌から送られてきた『逍遥通信』を少しずつ読んでいる。書き手の中に、先に『外岡秀俊という新聞記者がいた』(田畑書店)を著した及川智洋の文があった。外岡秀俊についてまとめたもと新聞記者だから、面白い内容ではないかと思って読んでみたが、まったく失望した。一読してまず思ったことは、悪しき意味での新聞記者の文であるということだった。

 新聞記者には、もと朝日新聞記者の田岡俊次さんのように、軍事問題についてものすごい深い知見を持った方もいる。しかし大方の新聞記者は、専門をもっているわけではなく、森羅万象を、ひとに聞いたり、あるいは本をさらっと読んだりして、まさにさらっと記事を書く。だから大方の記事は、あまり読み手に深い認識をもたらすことなく、消えていく。少しの事実をさらっと紹介するだけだからそれでもいいというわけだ。

 外岡秀俊、そして外岡が尊敬する疋田桂一郎の文は、そうした大方の新聞記者のように、底の浅い文を書く人ではなかった。新鮮な問題意識をもち、それにもとづき調査取材し、そして書いていた。短い記事ではあっても、新たな認識をもたらしてくれる、そのような文であった。

 『逍遥通信』第九号に掲載されていた及川の「団塊世代の退場と「戦後」の終焉」は、様々な論点を書きつらねているのだが、深みの全くない、つまり新たな認識をもたらしてくれるようなものではなく、上っ滑りの文と言うしかないものであった。いったい外岡から何を学んだのだろうと思った。

 上っ滑りという事例をあげる。

 彼はこう書いている。

昨今問題視されている「歴史修正主義」とは、従来の歴史的通説(学術的な裏付けがあって広く認められている史実)を新たな資料が見つかったわけでもないのに、恣意的、部分的な拡大解釈によって否定しようとする行為である。ネット社会の影響で、歴史修正主義が大手をふってまかり通るのは憂慮すべきことだ。しかしそれ以前に、イデオロギーに基づく「証拠より論」の歴史解釈がまかり通ってきたとすれば、その悪影響もまた小さかったとは言えないだろう。

 前置きとして歴史修正主義を批判しているように見せかけながら、「しかし」という逆接の接続詞をつけることによって、「しかし」以下の部分、つまり「イデオロギーに基づく「証拠より論」の歴史解釈」を批判する構造になっている。この「イデオロギーに基づく「証拠より論」の歴史解釈」とは、「唯物史観」であり、彼はそれを批判するのだ。彼は「マルクス主義的なものが払拭される」ことは良いことであるという主張をしているから、この批判もその一環として捉えることができるだろう。

 彼は「私は歴史学の系統的な勉強はしていない」というのなら、きちんと「系統的な勉強」をしてから批判すべきであった。まあ「系統的な勉強」をしないでも書いてしまう、というのが、大方の新聞記者の性格であるから仕方ないのかも知れない。

 私が知る、もうほとんど物故した歴史学者たちは戦後の歴史学で大きな学問的成果をあげてきた。永原慶二、遠山茂樹、原口清・・・・・彼らはマルクス主義を「系統的に」学ぶ一方、多くの重要な研究を残した。しかし彼らは、「証拠より論」などという安易な姿勢で歴史研究をしていたのではない。膨大な史料のヤマに入り込んで、それぞれの史料を、史料批判をしながら史実を確定し、それらをもとにして歴史像を提示していた。つまり「証拠」をもとにして「論」をまとめていたのである。

 私も歴史研究者の端くれとして歴史研究に従事してきたが、史資料をもとにひとつひとつ史実を確定してきた(そのために膨大な時間を費やす)。ほとんどの歴史研究者は、「論より証拠」で研究を行っている。「証拠」、つまり史資料がなければ、そもそも歴史研究はできない。「証拠より論」を叫ぶのは、「歴史修正主義」者にほかならない。

 なお彼は、被差別部落の「近世政治権力起源説」、「戦国大名の発生要因」を例に挙げて、唯物史観(階級支配)を批判している(戦国大名の発生要因に関する研究には疎いので、彼の指摘を判断する能力が私にはない。)のだが、そう簡単に普遍化してしまうのはどうかと思う。悪しき新聞記者らしい振る舞いではある。

 彼は、「日本の左派政治勢力からマルクス主義が払拭されることで、むしろ日本政治に成熟をもたらす可能性がある」と記している。「マルクス主義が払拭される」ことを是としている彼は、その論にあわせるために、あまり深く勉強をしたことがない、たとえば歴史分野を例に挙げている。それこそ「証拠より論」でこの文を書いているとしかいいようがない。

 外岡秀俊について書を著したもと新聞記者が、このような文を書くのかと驚いた次第である。

 

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