浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】ひろたまさき『異国の夢二』(講談社選書メチエ)

2023-12-31 10:13:01 | 

 以下の文は、私が属している研究会の会報に寄せたものである。2023年6月に書いて送ったのだが、いまだに掲載されないので少し変えてここに掲載する。

 長い間、歴史学者のひろたまさきさんと交流させていただいていたが、ひろたさんは2020年6月に他界された。ひろたさんとはメールではなく、主に手紙で交流していた。ひろたさんも私も夢二が好きだったので、夢二の絵葉書が多用された。それらの手紙は、ひろたさんからいただいたご著書とともに、今も大切に保存している。

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(1)ほとんど絵葉書であった。それも竹久夢二の美人画が多かった。私も若いころから夢二が好きだったので、ひろたさんのように、夢二の絵葉書を多用した。ひろたさんは岡山大学に在職していた時があり、そのころから夢二の研究にいつかとりかかろうと思っていたようだ(夢二は岡山出身である)。ひろたさんが夢二の研究に本格的にとりかかったのは、しかしそんなに昔ではないと思う。というのも、ひろたさんのお手紙で夢二に言及したものが、ある時期から急に増えてきていたからだ。その影響を受けて私も2019年に、歴史講座で「竹久夢二とその時代」というテーマで話すまでになった。

ひろたさんは肺がんを患い、その治療をしながら、夢二を書き続けていた。しかし完成することなく、ひろたさんは逝ってしまわれた。2020年6月17日であった。本書は、奥さまの真智子さん、高木博志さん、長志珠絵さんが協力してひろたさんの文をまとめて刊行にこぎつけたものだ。

ひろたさんが研究されてきたものには、福沢諭吉、民衆思想史、差別、女性史、異文化交流などがある。2008年、講師として、「近代天皇制と毒婦物語」をテーマに話していただいたことがある(『日本帝国と民衆意識』有志舎に収載された)。この講演は「毒婦の目から国家社会の全景を見通す」ことを試みたもので、焦点は帝国意識であった。ひろたさんは「毒婦物語はそうした帝国意識を支える社会規範形成のための杭となる役割を果たしたといえる」と語っていた。また『日本帝国と民衆意識』に、ひろたさんは「帝国意識はそうした差別意識を統括し、それらを正当として、人々を組織していったのである。それら諸思想に権威を付与し統括するのは、それらから超絶した権威をもつ天皇であったという意味で、日本の帝国意識は天皇制イデオロギーそのものであったということができよう。」(260頁)と書いている。日本帝国と民衆意識をつなぐものとしての帝国意識、ひろたさんは『差別の諸相』(岩波書店、日本近代思想体系22)で、様々な差別をそれぞれ別のものとしてではなく、近代社会の構造の中でとらえることを提唱したが、帝国意識も、近代・現代日本共通の問題として認識し、それを時期ごとに分析し、帝国意識克服の途を探ろうとしていた。

(2)そうした研究との関連で、ひろたさんはなにゆえに最期まで夢二研究に専念したのかを考えるとき、私は帝国意識との関連を指摘せざるを得ない。それは本書末に掲載された長志珠絵さんの「『異国の夢二』への途」で指摘されていることでもある(「2000年代後半に入ってのひろた先生の関心は、異文化接触、異文化交流を介した人びとの経験やそこから逆照射される帝国意識も含めた日本近代の解明に向けられていた」)。

ひろたさんは、本書で三つの課題をあげている。一つは夢二にとっての「民衆芸術」の追究である。「民衆芸術」「産業美術」を外国訪問のなかでどのように構想していたのか、である。二つ目は、夢二の洋行は世界が恐慌を経て戦争へと向かっている1930年代であったことから、そうした「政治・社会状況」にどう向き合ったのか、そして最後は「夢二の「女性観」」である。夢二の女性遍歴をみるなかで、夢二にとって女性とはいかなる存在であったのかを考えることである。この三点についての言及は多く、ひろたさんはこれらの課題を考えていくのであるが、私は読んでいて、背後に「帝国意識」の問題があることを感じ続けていた。夢二は、当時の日本人がもっていた「帝国意識」とは、無縁であった(さらにいえば、セジウィックが『男同士の絆』(名古屋大学出版会)でいう「ホモソーシャルな欲望」を夢二はもたない。)。そうした存在としての夢二は、十分に考究の対象となりうる。  

私も、歴史講座のまとめでこう語った。

「私は外国人の中で日本人たることを恥ぢもしないし、また世界で一番強い国民だとも、思っていない。第一そういう比較の関心さえ持たない。もし人が問うならば、日本人は秀れた天分を持っているとは言える。」(「日記」、1932年9月27日、船上で)を挙げ、夢二は、近代日本国家に囚われず、金銭に追われながらある意味で自由に生きた。維新以降に創出された近代日本国家(制度)から離脱し(たとえば家父長制を意に介さない)、また近代日本国家がつくりだした価値観を身につけることなく生きた。だから夢二は、元号を一切使用しなかった。啄木や大杉栄らのように、近代日本国家に「違和感」を持った人間ではなく、本来的に近代日本国家に馴染むことがなかった人間、それが夢二であった。夢二の作品が今も尚人々の関心を集める所以は、近代日本国家の価値観に染め上げられていないこと、そうしたものから自立していたからに他ならない、と。

ひろたさんがなにゆえに夢二の研究を最後まで続けたのか。夢二がもっていた「権威や権力に対する反感」、夢二にとって「権力への接近はむしろ警戒すべきことであった」、夢二の「民衆を、主体性を持った存在として考えるべきだという方向」、夢二が自分自身とは異なる「帝国意識にとらわれた民衆の姿」をみつめていたことなど、帝国意識に関わる言及に、ひろたさんの問題意識を感じるのである。

また夢二の女性遍歴は、たまき、彦乃、お葉、山田順子・・・・など数多い。ひろたさんは本書の課題として夢二の女性観を挙げているが、それに対する明確な記述をしていない。 私は夢二の女性観をこう捉えた。「夢二にとって、女性は憧憬(あこがれ)の対象である。憧憬する女性を、夢二は個々具体的に存在する女性の遙か向こうに求めていた。放蕩の画家という評価があるが、夢二にとって女性は母であり、姉であり、自分自身を慈しみ包んでくれる存在であった。そういう存在としての女性を希求し続けた。だから、女性の一挙手一投足によって夢二の心は揺れ動く。男女関係において夢二は主体ではなく、客体であった。家父長制度(それは男性による女性への権力行使である)に縛られることなく生活を共にした。別れた女性たちは、夢二を怨むことなく生きた。また、近代日本国家において差別される女性への共感をもって、女性を画き続けた。」と。

ひろたさんからの2019年5月19日付のはがきに、「あなたの夢二論と照らし合わせたいと思っています。・・・・あと5年は、あなたと会話したいものです。」とあったことから、私の夢二論をいくつか提示した。

今はただ、ひろたまさきさんのご冥福を祈るのみである。(2023年6月25日記)

(『異国の夢二』講談社選書メチエ、2023年6月、2200円+税)

 

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