浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

『逍遥通信』第九号を読む(3)

2024-06-17 12:52:42 | 

 『逍遥通信』に掲載された及川智洋の「団塊世代の退場と「戦後」の終焉」、その文のあとに、発行人である澤田展人の「編集者より提言」なる文がついている。及川の文について、「マルクス主義の思想的内実と、歴史的に果たした役割とは区別して語るべきであろう」と指摘し、マルクス主義を全否定しようとする及川の論に待ったをかけている。

 おそらく澤田も、高校紛争を体験した世代であるから、マルクス主義を体験しているはずだ。ほぼ同じ世代の私も、書庫に行けば、高校生以降に読んだマルクス主義に関わる本がたくさん残されている。

 マルクス関係の本を読みながら成長してきた私(おそらく澤田も)にとって、及川の

 80年代後半に大学生になった私は、それでも必読書とされた『共産党宣言』を一応読んで、教養課程ではマルクス経済学者(社会党の有力ブレーンだった)の授業も履修したが、いずれも特に印象には残っていない。時代がかわっていた、ということなのだろう。

 という文に、おいおいそれだけを学んだだけで、「マルクス主義を完全に「卒業」することで、日本の左派政治勢力はようやく民主主義の担い手として成熟に達することができるはず、という期待の方が強い。」なんてよくも言える、と思うのである。

 マルクス主義はひとつの凝り固まった思想ではなく、柔軟な面をたくさんもった多様なものだと思う。その一つとして、若い頃、平田清明『市民社会と社会主義』(岩波書店)を読み、社会主義について考えさせられたこともあった。

 私は歴史研究に従事することが多かったが、その際に交流した歴史学者の多くは、マルクス主義的な方法論をもっていた。原口清は、常々、弁証法の優位性を語り、三浦つとむの『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)を読むことを、会うひとすべてに勧めていた。

 さて、『逍遥通信』に書いている方には、おそらく老境に入られている人もいるようだ。短歌「ジグソーパズル」は癌と闘う歌であり、「四本の轍」も悪性リンパ腫になりながらも、反戦平和を希求する内容である。意識ある団塊世代の人びとは、老境に入り病と闘いながらも、反戦平和の旗を掲げ続けるのだ。

 私は「団塊世代」よりも少し若いが、しかしこのような病と闘いながら反戦平和を希求する「団塊世代」がこの世から消えていくことはよいことなのだろうか。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『逍遥通信』第九号(2) | トップ | カネがかかる »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

」カテゴリの最新記事