白亜45会HP管理人

白亜(白堊)45会は、岩手県立盛岡第一高等学校昭和45年卒業の同期会です。

イラン革命

2015年01月23日 23時11分01秒 | 雑記
イスラム教やイスラム国の文献をいっぱい読み込みました。
イスラム国のようなものが出来なくなるような世界にするのはとっても難しそう。
軍事だけじゃダメなのは明らかだけど、じゃあどうすれば良い?難しい!

24歳から31歳までの7年間は日本とアメリカを行ったり来たりしてました。
場所はサンフランシスコ郊外のバークレー。
数えてみると、通算で3年半くらいになるからちょうど半分か。

イラン革命前には、バークレーに4人のイラン人の知り合いがいました。
大学の研究所に2人(一人は学生だったかな)。
夜の無料英語教室に来ていた高校生。
どこで知り合ったのか記憶にないオジさん。
高校生は一人で留学していたようです。
「一番の人達は、テヘラン大学へ、次の人達はヨーロッパへ、その次の人がアメリカに来る。」
って言ってたので「どうしてアメリカへ来たの?」と訊いたら「知り合いがいるから・・・」

イラン革命の日には、上記のオジさんにあちこち引き回されました。まるで、私をカモフラージュにして尾行をまくような行動・・・何か怖いな、と思った記憶があります。事情を聞いても笑って答えてくれませんでした。どんな立場の人だったのでしょうね。

日本では「パーレビ国王」って呼んでいた気がしますが、アメリカでは何故か固有名詞は無しの「シャー」だけでしたね。パーレビはアメリカの傀儡政権だったわけですが、今日読みこんだ資料の中に、イラン革命はホメイニが起こしたわけではなく、アメリカの軍産共同体の陰謀だ、というのがありました。うーむ、ケネディ暗殺の時もそんな噂が流れていますね。

あの後のアメリカ大使館占拠事件でカーター大統領の再選は不可能になった、という事実もあるので、全くの笑い話というわけでもないのかもしれません。共和党の闇の部分。最近はティーパーティなる右翼が共和党にはびこっています。

話は替わって、私のマンションに中東系の人が住んでいました。いつも挨拶を欠かさない気持ちの良い大男でした。茗渓学園の英語教師をやってたようです。定年になったからか、アメリカに移住するとカミさんが聞いていました。

今月のつだがわ会の帰り道。秋葉原駅でバッタリと会いました。
「アメリカに移住するって聞いていたんだけど?マンションの部屋は?」
「来週の月曜日に移住する。マンションは貸し出していて先月から住んでるハズ。」
つくばまでの小一時間、中東問題を中心に色々な話をしました。
何と、アフガニスタンからイラン革命の頃に日本に来たんだそうです。
アフガニスタン人というのは全く知らなかった。
アフガン紛争の頃の話は相手から言いださない限り、話題には出来ません。

アルカイーダもサダムフセインもアメリカの援助で大きな軍事力を持つようになった、という事実をアメリカには反省してもらいたい。
アルカイーダは旧ソ連軍に対抗するため、
サダムフセインは革命後のイランに対抗するため。

軍事力に頼る限りは、同じ事の繰り返し・・・



ダイエット記録

2015年01月23日 15時31分49秒 | 健康
19週目
先週との比 -0.6 kg: 当初(9/15)からの合計 -3.2 kg

久し振りのマイナス。この調子で進むとうれしいけど・・・

授業は昨日で全て終了。

昨夜は、ネットに載っていた海外特派員協会での記者会見の模様を1時間半ずっと聞いていた。
おかげで、今朝の起床はかなり遅くなってしまった。
記者会見したのは、例のイスラム国人質問題に関連して、元同志社大教授のイスラム者。
フェースブックを見ていると、こんなマイナー情報も時々挙がってくるので役にたってるんだろうな。

今朝、人質の母親が同じ場所で記者会見やってるのをNHKが放映していた。
通訳さんは同じ人。司会は違う人。
こっちはずっと見ていたわけではない。

どちらの会見も実際に見聞きしたのと新聞記事の間には大きなギャップがあることを実感した。

イスラム国のようなものが何故発生するのか?歴史の必然か?
はっきりしていることは「軍事力」は役立たず、ということ。
アメリカさんはイスラム国の指揮官半分を殺害した、と発表したようですね。
今のままでは、
イスラム国が無くなっても同じような勢力が発生するのは目に見えてる。
ブッシュが「テロとの戦争」宣言して以来、どんどん悪くなっている。

中東問題はイスラエル建国がそもそもの原因だったのだろうけど、私が生まれる前のこと。
私にとっては、イラン革命が重大なイベントだったように思う。