イスラム教やイスラム国の文献をいっぱい読み込みました。
イスラム国のようなものが出来なくなるような世界にするのはとっても難しそう。
軍事だけじゃダメなのは明らかだけど、じゃあどうすれば良い?難しい!
24歳から31歳までの7年間は日本とアメリカを行ったり来たりしてました。
場所はサンフランシスコ郊外のバークレー。
数えてみると、通算で3年半くらいになるからちょうど半分か。
イラン革命前には、バークレーに4人のイラン人の知り合いがいました。
大学の研究所に2人(一人は学生だったかな)。
夜の無料英語教室に来ていた高校生。
どこで知り合ったのか記憶にないオジさん。
高校生は一人で留学していたようです。
「一番の人達は、テヘラン大学へ、次の人達はヨーロッパへ、その次の人がアメリカに来る。」
って言ってたので「どうしてアメリカへ来たの?」と訊いたら「知り合いがいるから・・・」
イラン革命の日には、上記のオジさんにあちこち引き回されました。まるで、私をカモフラージュにして尾行をまくような行動・・・何か怖いな、と思った記憶があります。事情を聞いても笑って答えてくれませんでした。どんな立場の人だったのでしょうね。
日本では「パーレビ国王」って呼んでいた気がしますが、アメリカでは何故か固有名詞は無しの「シャー」だけでしたね。パーレビはアメリカの傀儡政権だったわけですが、今日読みこんだ資料の中に、イラン革命はホメイニが起こしたわけではなく、アメリカの軍産共同体の陰謀だ、というのがありました。うーむ、ケネディ暗殺の時もそんな噂が流れていますね。
あの後のアメリカ大使館占拠事件でカーター大統領の再選は不可能になった、という事実もあるので、全くの笑い話というわけでもないのかもしれません。共和党の闇の部分。最近はティーパーティなる右翼が共和党にはびこっています。
話は替わって、私のマンションに中東系の人が住んでいました。いつも挨拶を欠かさない気持ちの良い大男でした。茗渓学園の英語教師をやってたようです。定年になったからか、アメリカに移住するとカミさんが聞いていました。
今月のつだがわ会の帰り道。秋葉原駅でバッタリと会いました。
「アメリカに移住するって聞いていたんだけど?マンションの部屋は?」
「来週の月曜日に移住する。マンションは貸し出していて先月から住んでるハズ。」
つくばまでの小一時間、中東問題を中心に色々な話をしました。
何と、アフガニスタンからイラン革命の頃に日本に来たんだそうです。
アフガニスタン人というのは全く知らなかった。
アフガン紛争の頃の話は相手から言いださない限り、話題には出来ません。
アルカイーダもサダムフセインもアメリカの援助で大きな軍事力を持つようになった、という事実をアメリカには反省してもらいたい。
アルカイーダは旧ソ連軍に対抗するため、
サダムフセインは革命後のイランに対抗するため。
軍事力に頼る限りは、同じ事の繰り返し・・・
イスラム国のようなものが出来なくなるような世界にするのはとっても難しそう。
軍事だけじゃダメなのは明らかだけど、じゃあどうすれば良い?難しい!
24歳から31歳までの7年間は日本とアメリカを行ったり来たりしてました。
場所はサンフランシスコ郊外のバークレー。
数えてみると、通算で3年半くらいになるからちょうど半分か。
イラン革命前には、バークレーに4人のイラン人の知り合いがいました。
大学の研究所に2人(一人は学生だったかな)。
夜の無料英語教室に来ていた高校生。
どこで知り合ったのか記憶にないオジさん。
高校生は一人で留学していたようです。
「一番の人達は、テヘラン大学へ、次の人達はヨーロッパへ、その次の人がアメリカに来る。」
って言ってたので「どうしてアメリカへ来たの?」と訊いたら「知り合いがいるから・・・」
イラン革命の日には、上記のオジさんにあちこち引き回されました。まるで、私をカモフラージュにして尾行をまくような行動・・・何か怖いな、と思った記憶があります。事情を聞いても笑って答えてくれませんでした。どんな立場の人だったのでしょうね。
日本では「パーレビ国王」って呼んでいた気がしますが、アメリカでは何故か固有名詞は無しの「シャー」だけでしたね。パーレビはアメリカの傀儡政権だったわけですが、今日読みこんだ資料の中に、イラン革命はホメイニが起こしたわけではなく、アメリカの軍産共同体の陰謀だ、というのがありました。うーむ、ケネディ暗殺の時もそんな噂が流れていますね。
あの後のアメリカ大使館占拠事件でカーター大統領の再選は不可能になった、という事実もあるので、全くの笑い話というわけでもないのかもしれません。共和党の闇の部分。最近はティーパーティなる右翼が共和党にはびこっています。
話は替わって、私のマンションに中東系の人が住んでいました。いつも挨拶を欠かさない気持ちの良い大男でした。茗渓学園の英語教師をやってたようです。定年になったからか、アメリカに移住するとカミさんが聞いていました。
今月のつだがわ会の帰り道。秋葉原駅でバッタリと会いました。
「アメリカに移住するって聞いていたんだけど?マンションの部屋は?」
「来週の月曜日に移住する。マンションは貸し出していて先月から住んでるハズ。」
つくばまでの小一時間、中東問題を中心に色々な話をしました。
何と、アフガニスタンからイラン革命の頃に日本に来たんだそうです。
アフガニスタン人というのは全く知らなかった。
アフガン紛争の頃の話は相手から言いださない限り、話題には出来ません。
アルカイーダもサダムフセインもアメリカの援助で大きな軍事力を持つようになった、という事実をアメリカには反省してもらいたい。
アルカイーダは旧ソ連軍に対抗するため、
サダムフセインは革命後のイランに対抗するため。
軍事力に頼る限りは、同じ事の繰り返し・・・
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